カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

粗にして野だが卑ではない‐1279‐

 サツキが咲いているな思っていたら、関西も梅雨入り。

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 これから季節、写真撮影には苦労します。

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 3月に竣工した「長田の家」は、先週土曜日が撮影でした。

 晴れ→曇りと予報が変わりましたが、予定通りに。

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 お子さんが3人。ご夫妻も共働きで、貴重な休日です。

 そう簡単に予定は変更出来ません。

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 昨年の打合せ時には、いつも抱っこだった次男君も、すっかり大きくなりました。

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 食事のシーンまで撮らせて貰おうというので、ご家族には負担を掛けてしまいます。

 しかし、細やかな幸せな日常を切り取るのが、竣工写真の第一義なのです。

 舛添要一東京都知事の公私混同問題。

 以前、番組で共演していたビートたけしが、一刀両断のコメントを出していました。事実ならせこすぎます。

 知人に勧められ「始道塾」という経営者の勉強会に参加した時、こう言われました。

 「経営者の皆さん、まさか会社の経費で、私用の車を買ってないですよねえ。もし買っているなら、社員が経費で車を買っても、許せるんですよねえ。

 そうでないなら、社員に『申し訳ない。私がいい車に乗るために、頑張って働いてくれ』と伝えているんですよねえ」

 社長をいい車に乗せるために、死にもの狂いで働いてくれる社員など居ません。

 他者の幸せを実現するために、身を粉にして働くのがリーダーとして当たり前の姿。

 聖人君子ぶるつもりはありませんが、そのくらいの覚悟と公正さがなければ、人がついて来たり、会社が発展する訳などありません。

 アトリエmを法人化しようと決めた一番の要因が、この話だったのです。

 小説家・城山三郎が第五代国鉄総裁・石田禮助の生涯を描いた作品が「粗にして野だが卑ではない」です。

 三井物産代表取締役社長にまで上り詰めた石田禮助は、昭和38年、首相の要請により、78歳にして国鉄総裁の職を引き受けます。

 そして、国会初登院の発言が「粗にして野だが卑ではない」です。更に「国鉄が今日の様な状態になったのは、諸君たちにも責任がある」と言い放ちました。

粗=あらっぽい、雑

野=野蛮、ワイルド

卑=卑しい

 あらっぽくても、野蛮でも、リーダーは務まるのです。卑しくなければ。

 家族の食事代、別荘への交通費をどうやって経費で落とそうか等もう論外です。使っているのは、税金です。

 反対に、良い仕事をしてくれるなら、移動のファーストクラスくらい理解して貰えると思います。

 細やかな幸せを実現する為に、多くの市民は汗水流して働いています。その血税の上に成り立っているのが政治です。首長といえばそのトップなのです。

 また石田は「公職は奉仕すべきもの、したがって総裁報酬は返上する」と殆ど報酬を受け取らなかったと言います。

 卑しいことは法律違反ではありません。しかし、リーダーとしては下の下です。

 良い大学を出ている。よくテレビで見る。誰々の子息だから。そんな理由で、リーダーを選ぶのは辞めなければなりません。
 
 卑しいか卑しくないか。顔を見れば、皆が分かっていることだと思うのです。

リアリティは無いが、リアルを求めるリアリスト‐1276‐

 先週日曜日は、京都を巡りました。

 世界遺産2つに東映太秦映画村。なかなかのギャップでした。

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 映画が娯楽の王様だった時代、太秦には、4、5社の撮影スタジオが集中していたそうです。しかし現在は東映と松竹のみに。

 互いにライバルではありますが、今は映画を盛り上げようと、物、人の貸し借りが行われているそう。

 映画村とは言え、実際の撮影にも使われるので、街並みはなかなかのものです。

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 坂本龍馬に扮した、井上さんという俳優が村内を案内してくれました。

 吉原の遊郭は、時代劇なら定番のシーン。

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 テーマパークのようなアトラクションもありますが、一番面白かったのはチャンバラショーと忍者ショー。

 どちらもプロが出演し、迫力十分です。

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 チャンバラショーは、新選組の沖田総司が(何故か女性)、人切り以蔵と対決するという設定。

 客イジリあり、殺陣ありと、十分に楽しませてくれます。

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 村内にある劇場、中村座での忍者ショーは更なる迫力。

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 柳生宗矩の家来、服部半蔵が豊臣秀頼を捉えます。

 それを豊臣方の忍び、佐助が助けに行くというストーリー。

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 服部半蔵役の俳優が、客席を睨みつけての客イジリのシーン。

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 見えた目は怖いが、実はフレンドリーという設定で、安田大サーカスの「クロちゃん」と同じ流れです。

 ですが私の目はごまかせません。役者一筋40年(おそらく)。迫力がもうにじみ出していました。
 
 ビートたけしは、客イジリは芸としては下と言いました。簡単に笑いが取れるからです。

 しかし、これが結構盛り上がるのも事実ではあります。

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 おそらく全員がアクション俳優で、身のこなしが素晴らしい。爽快なショーでした。

 ディズニーランドも、USJも楽しいですが、いい歳をした俳優達が体を張ってのエンターテイメント空間。

 入村料2,200円ですが、これは見る価値ありです。

 私は結構なプロレスファンでしたが、よくあったのが「プロレスって八百長だよね」という会話です。

 確かに勝ち負けに関しては、真剣勝負ではないかもしれません。しかし、観客の心や感情に向けての、真剣勝負だとは言えます。

 忍者ショーに出ている俳優は忍者ではありません。しかし、体を鍛え、技を磨き、観客を楽しませることに対してのプロフェッショナルです。

 リアリティーはないが、リアルな感情を引き出すことに対してのリアリストといったところでしょうか。言葉遊びですが。

 劇を見たので、先日亡くなった、演出家・蜷川幸雄の言葉を探してみたくなりました。

 自分の力で状況を判断し、人とコミュニケーションをしたい欲求を持ち、勉強する人間になってほしい

 高度情報社会になり、世界は小さくなった言いますが、本当でしょうか。

 もっとリアルに触れるべきでは。そんな事を考えさせてくれる、東映太秦映画村です。

イタリアより父きたる‐1274‐ 

■■■5月21日(土) 3:30pm~6:00pm 京都BAL 地下2階
丸善<京都本店>にて「無料相談会」に参加■■■

 先日、奈良へ行った際、ツバメの巣を見つけました。

 パン屋さんの軒先です。(コンビニではない)

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 写真を撮る私に、不審な目を向けるツバメの親。

 しかし、次に訪れた時は、巣が反対の軒先に移っていました。

 店の人が言うには「カラスがヒナを喰った」と。カラスも生きるのに必死。しかし、ツバメに同情してしまいます。その差はなんなのか。

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 先のゴールデンウィーク前、マルコのお父さんが来社してくれました。マルコが入社して2年。イタリアはラヴェンナからの訪問です。

 高校生の時から知っているという、マルコの彼女が案内して来てくれました。

 ラヴェンナはイタリアの東岸、アドリア海に面した古都で、ヴェネティアとフィレンツェの中央辺りに位置します。

 以下はマルコの写真です。

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 これがラヴェンナの中心街。

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 古代ローマから中世にかけて発展した港町で、現在は体積、埋め立てによって、内陸の町になりました。

 サンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂の完成は549年。

 初期キリスト教建築群は、世界遺産にも登録されています。実に1500年前の建築です。

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 壁面に施されたモザイクタイルは、トルコ以外なら、ヴェネツィアかラヴェンナにしかなかったそう。

 そのことからも、当時の隆盛が伺えるのです。

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 これは、ゴート族の王テオドリックが520年に建造した廟。西ローマ帝国、東ゴート王国が首都を置いた町なのです。

 ラヴェンナは古都だけあり、劇作家オスカー・ワイルドや、ヘルマン・ヘッセなども滞在しています。

 また、ダンテはフィレンツェでの政争にやぶれ、1317頃からこの街に滞在しました。そして、イタリア古典で最も重要な「神曲」を完成させたのです。

 イギリス、ロマン派の作家、バイロンは1819年から1821年までラヴェンナで暮らし、「ドン・ジュアン」と「ラヴェンナ日記」を書いのです。「ドン・ジュアン」の中でこう語っています。

 男にとっての恋愛は人生の一部でしかないが、女のそれは人生全てである

 バイロンの言葉に、恋愛を考えたのは遠い学生時代のこと。

 一方、オスカー・ワイルドはこう言います。

 夫婦の愛情というものは、お互いがすっかり鼻についてから、やっと湧き出してくるもの

 どちらも真実か、どちらかだけが真実なのか。

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 仕事終わり、皆で食事に行きました。

 美と食の国、イタリアから来たお父さんは「しめ鯖」まで美味しいと食べてくれました。

 愛情注いで育てた子供が、日本で働く気持ちはいかばかりのものか。

 人の親として、またトップとして、改めて気持ちを引き締めなおすしかありません。

 教育は結構なものである。

 しかしいつも忘れてはならない。

 知る価値のあるものは、

 すべて教えられないものだということを。

 皮肉屋、オスカー・ワイルドの言葉は、いつもウィットに、示唆に富みます。

 親が子に、リーダーが部下に全て教えられないことは知っています。それでも、伝え続けるしかありません。

 ツバメの子は生後何カ月で、自立していくのか。我が子は、マルコは……

 退かないと決めれば、未来は常に明るい。後は決めるだけなのです。

悠々として急げ‐1269‐

 前半は天気に恵まれた、今年のゴールデンウィーク。

 熊本行きがキャンセルとなり、今日は会社に来ています。

 3日、4日と少し雨が降るようですが、今年のGWは概ね良い天気が続きそうです。

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 1899年に鳥井信治郎が独立開業した現サントリー。

 1988年に東京へ本社を移すまで、堂島が本社でした。大阪の企業が、東京に移転して行くのは寂しいですが仕方がありません。

 イタリアなら、ローマに全てが集中している訳ではなく、とくにミラノはデザインの街として、ローマ以上に活気があります。

 大阪に魅力があれば、全ての企業が東京に行く必要がなくなるはず。これは見習う必要があります。

 そのサントリーのウィスキー事業、ビール事業を成功させたのが、2代目社長の佐治敬三です。

 トリスブーム、生産量世界一のサントリーオールドとヒット商品を連発していくのですが、それを支えたのが広告部にいた開高健です。

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 北康利の著書「最強のふたり」は「どうです佐治はん、私とあんたが組んだ仕事はことごとく大成功でっせ!」の言葉通り、社長とヒラ社員の友情を描いています。

 また、佐治家との養子縁組の話しや、開高の女性関係にも触れられています。

 その中で、作家としてすでに成功を収めた開高の別荘を、佐治が訪れた際のお礼の手紙が出てきます。

 古語に《フェスティナ・レンテ》と申します。悠々として、かつ、急げの意です。今後のウィスキー会社のプレジデントにはまさにうってつけの座右銘ではございませぬか

 その手紙の一節にあるこの言葉を、開高はその後も好んで色紙に書きます。

 ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの言葉とされるこの言葉を「急がば回れ」等と月並みの言葉にしなかった、と著者の北は書いていました。

 傍から見ていると、ただ羨ましく、あこがれの存在でしかない作家が、愛人問題で詩人である奥さんに詰め寄られ、しかも重度の鬱だった。

 平坦で、安定した人生など無いのだと納得する他ありません。

 彼は「週刊プレーボーイ」で1983年から人生相談の連載をもっていました。

 その編集長が編集部に貼っていたという、開高の「出版人マグナ・カルタ」が秀逸だったので掲載しておきます。

①読め。
②耳をたてろ。
③両眼をあけたままで眠れ。
④右足で一歩一歩歩きつつ、左足で跳べ。
⑤トラブルを歓迎しろ。
⑥遊べ。
⑦飲め。
⑧抱け。抱かれろ。
⑨森羅万象に多情多恨たれ。
右の諸則を毎日三度、食前か食後に暗誦、服用なさるべし。
御名御璽

 森羅万象に多情多恨たれ。あらゆるものに興味を持つ。感じやすいが故、恨みも抱く。

 そうなんですよね、開高さん。

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生きてこそ‐1264‐

 神戸市役所、三宮駅を貫くのがフラワーロード。

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 ネーミングの理由は聞いてみたい気もしますが、文字通り神戸の目貫通りです。

 新緑がまぶしい季節になりました。

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 南東にある、貿易センター駅で降りると、目の前にあるのが神戸サンボーホール。

 1995年の震災の際、神戸市役所は、ワンフロアが完全に崩壊するなどの被害を受けました。

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 震災直後、仮の庁舎となったのがこの神戸サンボーホールでした。

 現在は民間でも受付可能ですが、当時は市役所でのみ建築確認が可能でした。

 市役所の人がいたら申し訳ありませんが、神戸市に限らず、建築確認申請を受け持つ部署は、一様に愛想がわるかったものです。

 こちらの知識がおぼつかなかった事もありますが、若い頃はいじめられた記憶しかありません。

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 しかし、震災後は全く違う雰囲気でした。

 官民とも「どんどん建物を供給しなければならない」という雰囲気が充満し、初めて役所と一体感を感じて仕事をしていました。

 熱に満ちたサンボーホール2階の景色を、今でも覚えています。初めて、仕事で人の役に立ったと実感できた時だったかもしれません。

 2軒目の設計事務所に勤め、ハウスメーカーの孫請け仕事をしていた、25歳の頃のことです。

 当時は建物を見る余裕もありませんでしたが、ピロティーによって持ち上げられたプランは、コルビュジエ、前川國男の影響が感じられます。

 1969年、日建設計の仕事ですが、震度7に無傷で耐えた強者だったのです。

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 海岸通りを西に向かうと旧居留地街。

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 更に西へ行くと、巨匠フランク・O・ゲーリー設計のフィッシュダンスがあります。

 右にある建物も彼の設計です。

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 外膜はチェーンリンクメッシュで製作されています。

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 先日、新国立競技場のコンペで話題になった、ザハ・ハディドが亡くなったというニュースがありました。

 そのデザインが奇抜過ぎるが故、という話ばかり出てきますが、フランク・O・ゲーリーこそ、自由な形態の先駆者と言って良いでしょう。

 ゲーリー、ザハ、とも3Dコンピューター技術の発達によって、その表現を手に入れて行ったのです。

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 南西には神戸ポートタワー。

 こちらも日建設計のデザインで、1963年の完成とありました。

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 50年前に、この形態を実現していたことを考えると、日本の技術、美意識をもっと誇って良いかもしれません。

 当初は銀色のイメージだったという記述もあり、シルバーバージョンも是非見てみたいもの。

 細く、軽く、本当に美しい建築です。

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 阪神高速京橋出口あたりに、崩壊した橋脚が保存されていました。

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 同じく橋を支える部材はせん断破壊されていました。

 6千人もの命を奪った自然の力が形として残っているのです。

 「一番大切なものは命」だと、子供には繰り返し、繰り返し伝えています。この優先順位は誰にとっても変わることはありません。

 人生の夏を謳歌していただろうザハが亡くなったと聞き、より思います。生きてこそだと。

  ただ生き ただ死す

  ただの二文字に

  一切が輝き

  ただの二文字に

  万有が光る

  坂村真民

 命の始まりも、命の終わりも、自分で決めることは出来ません。

 ただというひたむきが、輝き、光るのです。

さよならだけが人生さ‐1263‐

 関西の桜もほぼ終わり。

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 先週木曜日は雨風が強く、一気に散ってしまった感があります。

 唐の詩人、于武陵の五言絶句を、井伏鱒二はこう訳しました。

 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生さ

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 その日、 同業の友人と、梅田で飲んでいました。時々声を掛けてくれる有り難い仲間です。

 店は、概ね東通り商店街のミュンヘン。

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 時々行くビアホールは楽しみでしたが、さよならすることにしました。

 私は、酒癖が悪いほうではありません。概ね楽しい酒だと思っています。自称ですが。

 しかし、上手く合わせるというのは極めて苦手です。納得できないことに「うん」と言う事はありません。

 人はそれぞれとも言えますが、それを理解した上で、進歩なり、発展の方向を向き、何らかの合意を探さなければ、酒を酌み交わす理由はないと思っています。

 若い頃は、我慢して(つもりで)、その席に留まっていましたが、ある時気づきました。帰れば良いのだと。

 お代だけ置いておけば、我慢してまで、私に居て欲しい人など居るはずもありません。40歳になるまで、それが分からなかったのです。

 その日も、どうも空気が違うなと思い、中座しようと思ったのです「まあ、そう言わんと」に、甘えたのが悪かった。

 一度帰るという意思表示をしたら、必ず帰らなければなりません。そこから、空気が変わることは無いのです。

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 SEIUNDOのオープニングレセプションの3日前、セブン・ドリーマーズの社長、阪根がNew Officeにやってきました。

 商談で来阪中でしたが、その日は、パナソニックと大和ハウスと共同出資した「セブン・ドリーマーズ・ランドロイド社」設立の報道があったばかり。

 昨秋発表した、自動洗濯物折り畳み機を製作する会社です。

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 土佐堀川をのぞむイタリアンで遅くまで飲んでいました。

 彼も間違いなく結果を出し続けている友人の一人です。勿論、誰よりも努力をしているからこその結果です。

 ソチオリンピックの銀メダリスト・葛西紀明は「僕は誰より負けず嫌いだから、良いと思ったことはすぐ取り入れる。相手が若いとか、そんなことは関係ありません」と。

 40歳を過ぎ、レジェンドと呼ばれ、10代、20代のトップアスリートと互角に戦える秘訣がここあるのです。

 折角働くなら最高の仕事をしたい。クライアントもそれを求めているのですから。

 私達に残された時間は、間違いなく有限です。上手くやっている時間は正直ないのです。

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 人生には、得るものも、失うものもあって当たり前。

 不愉快な思いをさせたなら、そこは詫びなけらばなりません。

 しかし、 さよならだけが人生なのです。

知恵の悲しみと知る強さ‐1262‐

 昨日、今日は、入学式の学校が多かったようです。

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 昨日なら晴れ、と言いたくなるところですが、桜が残っているだけでも雰囲気は随分違うでしょう。

 とりわけ名所でなくても、桜を満喫できるのが、日本の素晴らしさです。

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 我が家の子供は、新6年生と新3年生。よって今日は休みです。

 日曜日は、2人を連れて「甲賀の里 忍術村」へ行っていました。娘が「忍者になりたい!」と。

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 この施設、実際の建物を移築しており、本物の忍者屋敷でした。

 娘が忍者の衣装を着たいと言い、ここになったのですが、いざとなると「恥ずかしい」と。

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 結構、着ている大人も多かったのですが。

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 しかし、手裏剣は小6、小3なりの結果を出してくれました。

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 お決まりのポーズ。

 ここに来たのは2回目で、4年前はかなり楽しかったと記憶していました。当時は8歳と5歳。

 運動能力も上がり、少し物足りなかったようです。知れば知る程、感動は小さくなる。これを「知恵の悲しみ」と言います。

 だからと言って、いつまでも何も知らない子供でいては、成長や進歩はありません。

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 これから咲き始めるハナニラ。

 10年前に知りました。知ったからこそ、湧く愛着もあるのです。

 最近よく思うことは、物事には、最低限2つの側面があるということ。

 過去と未来、光と影、動と静、右脳と左脳。それらを意識すると、納得できることが多々あります。

 ハマトマ(偉大なる魂)と呼ばれたガンジーは、「非暴力非服従」で、戦争をすること無く、インドへのイギリスの支配を終わらせました。

 この運動も、相反する2つの考えで成り立っています。

 また60年後に生まれた、マーティン・ルーサー・キングは、アメリカにおいての人種差別撤廃運動の理念を、この考えに求めました。

 そして1963年、ワシントでの” I have a dream “の演説へと繋がって行くのです。

 ガンジー、キング牧師とも最後は凶弾に倒れます。しかし、後悔など無いでしょう。

 知恵も知識も、全ては夢や幸せ実現する為に必要なものです。常に思っていたいのです。” I have a dream “と。

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テラスにワン友が集まる、帰りたくなる家‐1257‐

 3月19日(土)発売、「住まいの設計05・06月号」に「滋賀の家」が掲載されました。

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 左下にある「イヌと暮らす家&ネコと暮らす家」の特集内です。

 撮影については一度UPしましたが、ここへの掲載を控えていた写真が結構あります。

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 掲載写真と被るのは勿論NG。誌面を構成する為に東京から3人も来るのですから。

 カメラマンも、何度もアングルをチェックします。

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 誌面には、愛犬チロルが地窓から外を見る写真があります。

 目線の先は写っていませんが、種を明かせば、寒い中をご主人が呼んでくれていました。

 良い写真を撮るには、色々苦労があるのです。

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 2階のセカンドバルコニーから見る土塁の景色こそが、この家ならでは写真。

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 そこから見下ろす写真は、誌面にありませんでした。

 よって、ここに掲載します。

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 「テラスにワン友が集まる、ドッグカフェのような家」がこの家のタイトル。初めは「イヌ友」となっていました。

 しかし、奥さんから愛犬家はペットを家族だと思っているので「イヌ友」とは呼ばず「ワン友」というと教えてもらい、こうなったのです。

 その奥さんから「守谷さんって、ペットに興味ないですよね」と言われました。理由を聞くと「チロちゃんが、足元に来てかまって欲しいと言っても、気付いてないもの」と。

 なるほど。

 嫌いでも、興味がない訳でもなく、クライアントの方意識が行っていただけなのですが。言い訳か……

 愛犬家の人ほど、ペットの気持ちが分かることはありません。しかし、どんな暮らしを求めているかを教えて貰えば、答えを見つけることは出来ると思っています。

 建築設計とは、人間学だと思っていましたが、生物学だったのです。

 春には、もう一人のワンちゃんがやってくるよう。

 ペットを飼っている人も、そうでない人も良ければ手にとってみて下さい。

 いくらワン友が集っても、帰りたくない家では意味がありません。仕事において、最も大切なことが、意外に繰り返されないことは良くあることです。

真田幸村に見る、権力と判官びいき‐1255‐ 

 妻と娘がインフルエンザで、先週はバタバタしていました。

 ようやく回復してきましたが、娘は学級閉鎖で、結局一週間休んだことになります。

 退屈だろうと「出掛けよう」と言っても、大概は「家で居る」と言います。

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 しかし「真田丸」巡りに行こうというとあっさりOK。

 テレビは1日1番組としていますが、お気に入りは「ペットの王国ワンだらんど」「プリキュア」そして「真田丸」です。

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 「真田丸」は戦国時代、随一と言われた武将、真田幸村の人生を描いた大河ドラマ。

 まずは、最後の主君となった、豊臣家の大阪城からスタートします。

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 8階の天守閣まで上がると、かなり足に来ますが、太閤、秀吉だけの眺め。

 しかし、現在の大阪城は三代目で、秀吉の大阪城は更に東、現在のOBPよりにあったことが分かっています。

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 城内の展示も、真田丸より。

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 大坂夏の陣図屏風の中央やや右に、赤備えの幸村隊が見えます。

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 仕事を休んでいた1年間で、一番記憶に残っているのが、池波正太郎の「真田太平記」。文庫本なら12巻の長編小説です。

 よって、勿論私も幸村ファン。

 2015年の正月には、上田城前の館へ寄ってきました。

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 現在も土塁が残り、地元の人に愛されているとありました。

 NHKのwebサイトには「大河ドラマの原作はなく、三谷幸喜オリジナル」とあります。

 真田本といえば「真田太平記」。なんらかの影響は受けているのではと想像しています。

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 「真田丸」は、大坂夏の陣の際に幸村が築いた出城です。

 そこから戦場に現れては消えと、神出鬼没の幸村隊は、徳川軍に大きなダメージを与え続けました。

 大阪城と抜け穴で繋がっているのではと考えたのでしょう。その、抜け穴伝説の残る「三光神社」へ。

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 大阪城の南東端、森ノ宮駅から一駅南の玉造駅。

 そこから90mのところにあります。

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 像の左にあるのがその抜け穴。

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 穴をのぞくと、行きどまりになっているような、いないような。

 こういった話は楽しんだもの勝ち。きっと繋がっているはずです。

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 しかし、科学は非情です。

 最新の研究で「真田丸」は、三光神社の南西、大阪明星学園の敷地に有ったのではと、結論を出しました。

 この坂を登った先に、明星学園があるのですが、この日は時間切れ。またの機会に持ち越しです。

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 最後は、試験終わりの長男を拾って、幸村最後の地へ。

 天王寺の北、一心寺の向かいにある安居神社は夕方だからか、門が閉まっていました。

 外から見るのみになってしまいました。小説では、愛馬・月影と共に、ここで潔く首を差し出し、果てたとなっていたはずです。

 大河ドラマはまだ観ていないので、幸村がどのように描かれているのかは分かりません。しかし、人気の根底にあるのは、判官びいきと言えそうです。

 太平の江戸時代を築き上げた家康の功績は多大ですが、絶対の権力者に対する反発心は世の常です。

 信州上田の地方豪族だった真田家が、何度も徳川家に一泡吹かせる様は、痛快だったに違いありません。

 また、旗印の六文銭は三途の川の通行料。地獄も恐れないという勇猛さ。また、豊臣に忠誠をつくす律義さも相まって、幸村伝説は語り継がれているのだと思います。

 その辺りは、この日記でも、何度か触れました。

 権力は腐敗する、絶対的権力は徹底的に腐敗する

 英国の歴史家ジョン・アクトンの言葉の通り、権力は、常に破滅、腐敗と裏腹です。

 FIFAの会長問題、オリンピック誘致の汚職問題、かの国の独裁政治を例に引くまでもなく、歴史がそれを証明しています。

 では、家康は何故270年に及ぶ江戸時代の基礎を築けたのか。腐敗しなかった理由は、評論家谷沢永一のたとえが巧みです。

 彼は、秀吉は「可愛げ」、家康は「律義」で世を治めたと言いました。

 美しく散るも良し、可愛げにもにた律義も良し。人の生き方は様々です。

 しかし、私を含めた一般大衆は、前者の幸村に憧れるのでしょう。出来もしないので、それはそれで健全だとも思うのです。

子育てには、終わりが必ずやってくる‐1251‐

 2月29日。うるう年の恩恵を感じる週の始まり。

 逃げる2月において、皆共通の感想だと思います。

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 エキスポランド跡に出来た、エキスポシティー。「日本最大級の大型複合施設」とあります。

 そのうちの1つ、「ニフレル」へ初めて行きました。「感性にふれる」の「にふれる」が名前の由来とあります。

 水族館と動物園の良いところを合わせたミュージアムという感じの施設でした。

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 「にふれる」は7つのゾーンに分かれています。

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 全体をアートディレクターが統括しているのだと思います。

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 飼育という視点だけで、このよな展示の仕方になる事は無いというのがその理由。

 テーマ通り、色の対比が非常に効いていました。

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 2つ目のゾーンも徹底していました。

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 アナゴの一種だったか、ゼリー状の海底の中から頭を出していました。

 姿かたちが、良く分かります。

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 ホワイトタイガーも、エサにつられてですが、ザブンと池に飛び込みました。

 流石の迫力です。

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 子供が一番喜んでいたのは、手の古い角質を食べてくれるドクターフィッシュ体験。

 放っておけば、指が無くなってしまうのでは、というくらい動きたがりませんでした。

 やはり、自分が体験出来る面白さに勝るものはありません。

 他のゾーンも工夫が行き届き、概ね好感を持ちましたが、展示が美過ぎて物のようにも感じ……

 微妙な気持ちも残りました。

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 エキスポシティー内にある巨大ガンダム。

 もう何でもある所でした。

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 帰りは、向かいにある万博公園で遊び。

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 家に戻ってから、バッティングセンターへ行きました。

 野球は、長男が今一番興味があるスポーツです。

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 最後は、私が30年切って貰っているお店へ初めて連れて行きました。

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 エキスポシティーに行ったそもそもの目的は、長男がショップにある鉱石を買って欲しいと言ったから。

 誕生日プレゼントのリクエストでした。

 私としては、この日一日が、長男へのプレゼントのつもりでした。

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 以前に少し書いたのですが、長男と暮らすのは、あと1年になる可能性が結構あります。

 寂しい気持ちも無いではないですが、いつまでも子供でも困ります。

 男の子であれ、女の子であれ、いつかは独立して行きます。自分の夢があるなら、応援してやりたいと思うのです。

 ビートたけしは「子供は自分のものだと思ってはいけない。預かりものだと思って育てないと」と言っていました。

 彼も私も、そう言えるくらい、子育てもしているのかは微妙ですが。

 子育てにはいつか終わりが来ます。これは間違いありませんが、思った以上のスピード感でやってくるような気がしています。