8/1の日曜日に、大阪府羽曳野市で開催されるPLの花火を見に出かけました。
PLの花火は世界最大規模と言われており、約10万発が夏の夜空に打ち上げられます。
花火は真っ黒な夏の夜空によく似合います。実際には「火」であるのとはうらはらに、とても涼やかに見えます。一瞬にして満開を迎え、燃え尽きるその潔さは、桜を愛する日本人の感性には、特に響くのかもしれません。
約1時間、ほぼ絶え間なく、惜しみなく咲き乱れる火の花は、最後に赤と白の花火が、物凄い勢いで立て続けに打上げられクライマックスと終焉を同時に迎えます。その瞬間は、大げさでなく真昼のような明るさになります。
地元の富田林の方々は「今年の最後は赤だったね、来年は・・・」などと話しながら、家路につくようです。
私は夏生まれということもあってか、夏が大好きです。まだ、夏バテを体験したこともありませんし、小さな頃から泳ぐのも大好きでした。
夏の一番初めに地平線から、ムクムクと立ち上って行く積乱雲(入道雲)を見つけると、“今年も夏がやって来た”、とココロときめます。
ここ最近の過ぎた暑さもあまり気にならず、週末が近づいてくると、行きの車で聞く夏用のCDを用意したり、あの道具はあったかな、などとソワソワしてきます。日本海に大好きな場所があり、そこで水の中を泳ぐのが大好きなのです。澄んだ海の中は、多くの生き物が暮していて、とてもカラフルで、少し怖かったりもします。
海の中は普段とは違う音が聞こえたり、水面越しのキラキラした太陽を見上げたり、軽くなった自分の体を、自由に動かして、イルカになった気分で泳いでいます。
夏は大好きですが、夏の終わりの夕暮れはもっと好きです。特に暑か
った夏も終盤にさしかかり朝夕が過ごし易くなってくると、その夕暮れ時は、いくつになっても、行く夏を惜しむ、少しセンチメンタルな気分になります。夏は短いので、暑い暑いと言っていないで充分楽しもうと思っています。
ただ何よりの大問題は、まだこの夏一度も日本海に行っていないということです。ん~、海に行きたい!
7月にはいると、関西では大きなお祭りがいくつか行われます。祇園祭、天神祭りそして地域で行われる多くの夏祭り。私の住む、大阪の平野でも杭全神社を中心に夏祭りが始まります。
だんじりは岸和田が有名ですが、平野のだんじりも大阪市内では、一番大きな規模だと言われており、町内を曳き回します。
夏祭りを迎え、これから盛夏に入ってゆくのですが、季節にはもともと色がひっついていたそうです。
青春、朱夏、白秋、玄冬。
シュカ 暑そう!
先日、義父の還暦のお祝いに三重県の伊勢志摩の湾内に浮かぶ離れ小島のホテルに宿泊しました。
伊勢志摩は、太平洋に突き出した紀伊半島の一番東に張り出した位置にあり、複雑なリアス式の海岸線に直接海流があたるため、イセエビでも有名なように、海産物が大変豊富です。私達のホテルも、期待通りの食事で、海の幸を充分に満喫できました。
島に渡る時に疑問が浮かびました。渡船が出る本州側の村は小さな集落で、見渡しても大きな集落は有りませんでした。島のほうは南北、東西とも1キロに満たない小さな島にも係らず、狭い平地に所狭しと、ホテル、旅館、民家が軒を連ねています。ホテルの方に疑問をぶつけてみると、すぐに納得できました。
この小島には昔、遊郭があったそうです。海産物が豊富で、天然の要害としても優れているこの地域ではその財産を守るため、漁師が自衛のために武器を持ち、組織をつくり水軍や海賊になって行きました。
瀬戸内海の村上水軍、熊野灘の水軍と共に、このあたりの九鬼水軍は有名で、織田信長が天下統一を目指し、大阪の石山本願寺を大阪湾から攻める際も、九鬼水軍の力に寄るところが大きかったと言います。
戦国時代の蒸し暑い夏の夕暮れ。狭い小道を髭をたくわえた海賊が、コソコソと目当ての店に急いでいる姿を夢想していると、なんだか楽しい気分になってきました。
6月の後半に、現在工事中の建築の2つが、上棟式を迎えました。上棟式とは、建築物の構造体(骨組み)が出来上がった際の、昔から執り行われて来た、お祝いの儀式です。
行う、行わないを含めて、方法は全く自由なものですが、行われた時の喜びに満ちたクイライアントの顔を見ていると、何よりの幸せを感じますし、自分の仕事を少し誇らしく思ったりもします。
この時期になると、時間をかけ、クライアントと納得いくまで話し合った建築が、ようやく空間を形成しだします。建築家としての私の気持ちは、<ようやく形になった喜び>と、<この建築を世に送り出す責任感>で一杯になります。
上棟式に多くのクライアントが仰る言葉があります。「基礎工事をしている時は小さいと思ったけど、建ち上がると大きいね」という言葉です。基礎工事の段階では、平面(2次元)ですが、構造体(3次元)が出来上がって、初めてその建築が空間を主張し始めます。言葉遊びではありませんが、まさに次元の違う話なのです。
建築は、自然、または宇宙の中から特定の人の為に空間を切り取る行為といえます。それは、責任の大きいことだと思いますし、そのダイナミズムは設計の何よりの魅力だと思います。
現在工事中の歯科医院です。新たに生まれてくるこの歯科医院の中で、行われる、医療、会話、生活・・・に、貢献できるような、より良い建築を創るために、多くの愛情を注いでゆきたいと思っています。
北摂(大阪府の北の地域)に行く機会があり、久しぶりに、ホタルを見ました。
都会から程近いところなのですが、一目10匹くらいが、木に止まっていたり、ユラユラと飛んでいたり。かなり都会に近いところですが、地域の努力によって、多くのホタルが戻ってきたそうです。その涼やかな光の数の多さにすこし驚いてしまいした。
求愛のために光るのだと思いますが、どんな進化があれば、生物は発光するようになるのでしょうか。考えても分るはずもありませんが、少しの間ゆるゆると頭の中で想いをめぐらせていました。
ふと思うと、6月も中旬。花が咲き、実が育ち始める植物も多く見られる季節です。庭先の家庭菜園で、キュウリのあかちゃんを見つけました。
そのけなげな姿は、生命力に満ちています。
先週末の、6/6も奈良県の池原ダムに行っていました。
休日、湖に浮かんでいると、いろいろなことを考えます。
ダム湖は、全くの手付かずの自然と言うわけではありません。路ができ、人が住み、治水の必要性、、電気の需要が出来て、水源、発電の資源として、人の手によってダム湖ができます。現在は水力発電の持つ意味も大きく変わりつつありますが、そこから、我々は恩恵を受けていることは間違いないと思います。
僕が小学生のころ、夢中で読んだ漫画に、矢口高雄さんの「釣りキチ三平」がありました。
釣り好きの少年「三平」が、いろいろな釣りを通して、人と知り合ったり、自然を通して成長してゆく話でした。
作者、矢口高雄さんの生まれ故郷の秋田がモチーフだったのだと思いますが、滝のある渓流や、朝もやのかかる神秘的な湖に、わくわくしながらページをめくったものでした。
今でも、朝もやの中にボートを出す時は、「釣りキチ三平」を読んでいた頃と、全く同じ気持ちになります。
私の感じていることは、自分も自然の一部なんだな、ということ。大きな意味では、建築もそうだと考えています。そういう気持ちで建築を設計して行きたいと思っています。
5/30(日)に、岡山へ私の父方の祖父のお見舞いに行ってきました。
祖父は今年92歳になります。昨年の12月に、妻を連れて結婚の報告に行った時には、2階から、急な階段を自分一人で降りて来て、とりとめもない話もしましたが、今は話はできない状態でした。
大工だった祖父は、身長は低いながら、半纏(はんてん)からのぞく二の腕は、筋肉が盛り上がっていて、私が中学生だった、70歳くらいまでは全く衰えを感じませんでした。
ベッドに横たわる痩躯をみて、こんなに小さかったのか、と驚かされました。目もかなり悪くなっているのでしょうが、ゆっくりと来訪者を見比べる姿を見て、自分の息子、孫達が分っているんじゃないかな、と感じました。
表情はとてもとても穏やかで、また赤ん坊に戻って行く途中のようでした。
看病している、祖母は今年88歳になるのですが、背中が全く曲がっておらず、健脚で、私を追い越して前を歩きそうな勢いです。そして何より、よく笑います。それを見て、心配はあまりなくなりました。
その後、祖父の家の裏山にある、先祖のお墓に参ってきました。瀬戸内海の小さな島々を見渡す、高台からの景色は、年に数回ですが、自分の「血脈」を考えさせてくれます。線香の煙と共に、気の遠くなるような、祖先のことを思いながら、少し神聖な、少ししんみりした気持ちになっていました。
ぼんやりと、墓石に彫られていた文字を見ていると、曽祖父 享年69歳、曽々祖父 享年72歳。んっ、血脈。
5/8の土曜日にバス(ブラックバス)フィッシングに行ってきました。
場所はいつも行く奈良の山奥にある池原ダムというところ。なんと、ナント、夕方に釣行3日連続になる50cmオーバーの52cm1.6kgの大物を、釣上げることができました。こんなことは自身、初めてで、少し怖いくらいでした。
この時期はバスにとっての産卵時期で、普段は警戒心の強いビッグバスも、非常に浅いところで産卵し、その後少しだけ深いところに留まり、体力の回復を待って再び湖を自由に移動しだします。
この状態をポストスポーン(産卵後という意味)と言います。このバスも小さなわんどの出口に留まっていたようです。
バスフィッシングは、バスの習性や、自然の状態を学び、考え、感じながら、魚を探しだし、ルアー(疑似餌)で釣るところに、大きな楽しみがあります。
ブラックバスについては、違法放流などの問題点も多く、賛否両論あることは理解していますが、池原ダムは早くから観光資源として村を活性化させた、数少ない村です。
自然に感謝しながら、なるべく深く、長く自然の中に居たいと思っています。
4月3、4日と友人の主宰するボランティア団体のスキーの試合に長野県の志賀高原に行ってきました。
学生時代には一所懸命に競技スキーをしていましたが、最近はなかなか都合がつかないのと、信州までの長距離ドライブがややおっくうになってきたのとで、かなり遠のいていました。
にもかかわらず、今シーズンは、3回出かけたスキーは、全部試合。(大回転という旗と旗の間を滑りタイムを競う競技です)
いきなりでた1試合目では、ラッキーにも優勝してしまいました。参加者は少なく25人くらいでしたが、生まれて初めて試合で一番になったので、本当に嬉しかったです。
今回の結果は、土曜、日曜と連戦だったのですが、土曜日は途中で転倒、日曜日は、45人くらいのクラス(年齢別)で12番でした。
かなり不満の残る試合でしたが土曜日は快晴で、標高2300mから眺める、雪の残る信州の山並みは、素晴らしいものでした。
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