昨日の早朝、父の船で岸和田から出船しました。
狙いは太刀魚。
太刀魚は紀伊水道沖で越冬したあと、春から夏にかけて北上してきます。
中央に見えるのは、加太の国民休暇村です。
太刀魚は、この友ヶ島水道から大阪湾に入る群れと、鳴門海峡から播磨灘に入る群れに分かれるようです。
夏頃まで、大阪湾の最奥、また播磨灘の北部まで北上を続けるのですが、冬になるとまた紀伊水道沖に戻って行きます。
その紀伊水道に落ちる一歩手前。
紀淡海峡に群れが回ってきたようで、これだけの船が集まっていました。
到着してすぐ。
1匹目は父にきました。
そして私にも。
エサのイワシはその鋭い歯にやられて見るも無残。
太刀魚はその大きさを、胴の幅が指何本分あるかで示します。
私は指3本分まででした。
最大は父が釣った指4本。 1mくらいはあったでしょうか。
昼過ぎまで飽きることなく、適度に釣れ続けたのです。
友ヶ島沖に移動して根魚も追加。
ガシラが7匹ほど。
そしてベラが20匹ほど。
父の友人分も合せて、太刀魚は全部で25匹ほどと、十分に満足できる釣果でした。
釣りは私の趣味なので、海であれ湖であれ、まず飽きることはありません。
釣れなくても、どうすれば釣れるのかを考え、試します。
想像し、打ち手を考え、実行。その結果をみてまた想像。その繰り返しです。
それでも、漁師には遠く及ばないでしょうし、紀淡海峡のあの船団の中で、おそらく真ん中くらいの成績だったのではと想像します。
それは趣味だからです。
現代人は、生きるか死ぬかの生活を続けていた石器時代より、能力的には劣っていると言います。
それはそうだろうと納得できます。
しかし私は船上の人となった瞬間、何故かDNAの一部が覚醒してくるようです。
狩猟本能がむくむくと頭をもたげ、飽きるなどという感情はどこかに吹き飛んでしまいます。
今まで一緒に釣りをした人は、本当に大変だったと思います。一日中休むことなく、そのテンションで釣り続けるのですから。
いつ頃からか、皆そこまで釣りたい訳ではない、一緒じゃないんだと気づき、1人で行くようになったのです。
唯一の例外が、父の船での海釣りです。
出港の時間、納竿の時間は父が決めることに従うだけですから。
バブルの頃だったか、釣具メーカーのCMでこんなコピーがありました。
「野生を磨け」
そうする必要があるのかないのか分かりません。
ただ、本能のおもむくままに過ごす時間は、感性の錆びを落としてくれるような気はするのです。
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