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海に感謝する海の日‐1922‐

デスクトップの壁紙は、この写真を使っています。

夏になると通っていた福井の海から、越前海岸を撮った写真です。

毎日ここから仕事をスタートするのですが、今日、7月18日(祝・月)は海の日。

国交省のサイトには、 「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日」と説明がありました。

夏になるといそいそと海に出掛けたものですが、5年前、30年連れ添ったこのボートを廃船にしました。

マナーの問題で船が降ろせなくなったこともあり、自分のボートで海にでることが叶わなくなったのです。

どこまでも自由な海はやはり最高です。

子供たちにも手つかずの自然を見せたくて、何とか時間を作って出掛けていました。

魚も小物で十分。

子供は釣れればそれで喜んでくれますから。

沖の岩場までくれば、透明度も別次元です。

夏になるとこの景色を見たくなり、いてもたってもいられなくなります。

水は澄み、魚も豊富。

本当に絵にも描けない美しさなのです。

ひとしきり遊んだら、浜に戻って昼食の準備。

ぼちぼちと獲物をさばき、のんびりと昼食。

日陰にいると潮風が最高でした。

長男を最後に連れていったのは5年前。

中学2年の時でした。


私はこの海が好きになり、高校生になるとテントを背負って電車でも出掛けました。

子ども達は、そこまで好きだった感じはありませんが、それは構いません。

本当に美しいと思ったものは、見せてやりたかっただけですから。

大阪の北緯は約34度ですが、世界的な都市と比べてかなり南にあります。

パリは約48度で45度の稚内より北にあるのです。

温暖化によって暑くなったとはいえ、何とかこのくらいで済んでいるのは、四方が海に囲まれていることが大きいはず。

水冷式のクーラーが潮風なのです。

真っ白な砂浜と澄みきった海。

写真を見ていると、鼻に潮風の匂いが蘇ってきます。

今日も朝から図面の追い込みです。

明日あたりは、海の幸をつまみにゆっくり晩酌できれば……

「海の恩恵に感謝し、海洋国日本の繁栄を願う日」

島国日本が大好きです。

■■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

メディア掲載情報

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さらば、LOWEの14フィート‐1440‐

 先週の月曜日は、湖での話を書きました。

 今日は海の話です。

 このボートが我が家にやってきたのは1988年、私が高校2年生の時です。

 父が購入したもので、船名を「MGⅡ」といいます。会社の屋号「守谷硝子店」からとったもの。

 ちなみに先代の「MGⅠ」はエンジン付きでゴムボートでした。

 およそ30年、海に湖にと付き合ってもらいましたが、ついに廃船することになりました。

 スクラップ工場へもちこむと、再生できる金属として引き取っとくれるのです。

 ようはアルミ屑となってしまう日。

 重量が約80kg。

 90円/kg、7千円ほどで引き取られていきました。

 舳先が曲がっているのは、クレーンから落とした痕跡で、それによって亀裂が入ったところは、アルミ溶接で修理してもらいました。

 まさに満身創痍だったのです。

 計量を終えるといよいよ解体棟へ。

 フォークリフトは言ってみれば霊柩車。

 「最後のお別れをしてください」という場面です。

 LOWE(ロウ)は、アメリカのブラックバス釣り用のボートです。

 持ち運びがしやすいので、海にも使っていました。

 しかし、約10年前から船底にクラックが入りだし、海専用にしました。補修を繰り返しながら使っていたので、寿命は全うしたと思います。

 海の思い出は、ほぼこの船とともにあります。

1992年9月1日

 大学生になってからは、毎夏フル稼働。

 こんな小さな船で海にでる体験はそうないはずなので、皆が喜んでくれたのだと思います。

 クルマは初代のハイラックスサーフ。

2007年9月22日

 2歳の長男といつも船を下す港の主、Sおっちゃん。

 私の最年長の友人です。

2008年9月14日

 Sおっちゃんは、父の古い友人です。

 海でのマナー、海での遊び方を教えてもらいました。

 この日は2人で痛飲。

2009年8月23日

 娘も1歳半になり、浜遊びができるように。

2009年9月13日

 ここがSおっちゃんの海での家。

 車は2代目のハイラックスサーフに。

 この船があったおかげで、磯で魚を突いたり、タコを獲ったりできたのです。

2012年7月29日

 娘も4歳になり、船遊びの楽しさも少し分かるように。

 長男が釣ったアコウ。

 とても美味しい魚です。

 長男は7歳になり、沖で潜りはじめた頃。

2009年9月2日

 従兄弟たちと。

 海の中は、いつも極彩色です。

 子供達に一番見せたかったのは、その景色だったと思います。

 獲物の基本は、小物のガシラですが。

2014年9月14日

 沖からみる海は、いつも本当に美しいものでした。

 車は初代ディスカバリーに。

 長男は、1人で潜るようになりました。

 家族で乗ったのは、この日が最後になりました。

 荷物を満載した車4代とともに、夏の相棒でした。

 80kgある船を引きずり回しながら、積み下ろしするのが私の夏でした。

 準備は大変でしたが、それが無くなると思うと、正直寂しいものです。

 心残りは、子供2人が中学生になるまで、このボートで遊べなかったことでしょうか。

 クルーザーは持てなかったけど、海面が近いこのボートで日本海に出るのが好きでした。

 車や船が去っていく時、言葉が尽きることはありません。

 形あるものはいつか壊れる。命あるものはいつか尽きる。

 分かってはいますが、30年も私に仕えてくれて、今は感謝の気持ちしかありません。

 さらば、LOWEの14フィート。

 今は次の船をイメージできないのです。

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