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「ポップ・アートとはモノを好きになること」 アンディ・ウォーホル‐1957‐

前回書いた、ちょっと秋の京都旅

出掛けようと思った動機は「アンディ・ウォーホル・キョウト」です。

京都の岡崎周辺には、2つ美術館があります。平安神宮の鳥居を挟んで西にあるのは 京都 国立近代美術館。

その向かいにあるのが京都市京セラ美術館です。

いずれも疎水沿いに建つ絶好の立地条件です。

京セラ美術館は、現存する日本最古の美術館を、建築家・青木淳+西澤徹夫がリノベーションしました。

2020年の3月のリニューアルオープン以来、はじめてやって来たのです。

天井の高いホールを抜け。

東山キューブというエリアが会場です。

目の前に庭園が広がる空間にでてきました。

東山を望む景色が圧巻でした。

開場してすぐに入りましたが、もうかなりの人出。

熱気が伝わってきます。

アンディ・ウォーホルと言えばやはりこのキャンベル・スープでしょう。

ポップアートの旗手、ポップアートの神髄などと呼ばれるウォーホルは、1928年から1987年という経済成長期の真っ只中を生きました。

50年代半ばのイギリスではじまったポップ・アートですが、ポップ・アーティストは広告や報道写真をそのまま自分の作品にとりこみます。

「ポップ・アートとはモノを好きになることだ」

そう語ったウォーホルは、20年ものあいだランチにキャンベル・スープを毎日飲んだそうです。

1962年、最初の個展となった会場の壁にも、このキャンベル・スープの絵が並べられました。

大量生産、大量消費時代。加工品を機械的に消費せざるを得ない現代社会を、批判も肯定ももせず、ただそこに並べたことが新しかったのです。

彼の出身地は、ニューヨーク州の西隣にあるペンシルベニヤ州のピッツバーグ。

今回は、 ピッツバーグ にあるアンディ・ウォーホル美術館から多くの作品が出展されています。

門外不出と言われる「3つのマリリン」は広告にもでている通り目玉作品です。

ハリウッドスターに憧れていたウォーホルは、1962年のマリリン・モンローの悲劇的な死に衝撃を受けます。

写真製版のシルクスクリーン印刷という技法で彼女の作品を次々に制作していくのです。

そしてこんな言葉を残しました。

「ポップ・アーティストたちは、ブロードウェイで目にするような、誰もが一瞬にしてわかるイメージを描いたのさ。(中略)こうした現代のあらゆる偉大なものを、抽象表現主義の画家たちは決して見ようとしなかったんだ」


ウォーホルは生涯2度に渡って京都を訪れています。

ポップ・アートに乗り出す前の1956年の際のスケッチの展示がありました。

「わかりやすい」という感覚は、この頃から強く持っていたようです。

セレブリティから、彼へ自画像を発注するはオファーがひっきり無しだったそうです。

シルヴェスター・スタローン、アレサ・フランクリン、坂本龍一。

どちら発信かは分かりませんが、描いてもらうこと自体がステータスとなったのです。

晩年は特に死をテーマにする作品が増えました。

ダビンチの「最後の晩餐」を題材とした、ウォーホルの「最後の晩餐」です。

1986年の作品で、ハイ・アートとロウ・アートの区別を曖昧にするという取組みです。

かなり大きな作品ですが、私としては「一瞬にして」が彼の魅力だとするなら、そのインパクトは逆に小さくなっていると感じました。

カーネギーメロン大学で美術を学んだウォーホルは、商業イラストレーターとしてキャリアをスタートさせます。

そしてポップ・アートに出会い、時代の寵児となりました。しかし1987年、心臓発作で58歳という短い生涯を終えるのです。

アンディ・ウォーホルのことは大学時代に知りました。

その時にはすでに亡くなっていたので、その少し前まで生きていたという認識がありませんでした。

それで、マッキントッシュの作品があるのを見て少し驚きました。

ジョブスとウォーホル、このような人物が生まれてくるのがアメリカという国の、パワーの源なのでしょう。

学生時代から好きだったと書きましたが、彼がLGBTだとも分かっていませんでした。
もしかすると、当時の書籍にはあまり書かれていなかったのかも分かりません。

私は作品だけでなく、作者の人生を知りたいと思っています。

どうやってその作品が生まれてきたのか。それを知ることで、何かを得れるのではと考えているからだと思います。

向かいにある、京都国立近代美術館では「ルートヴィヒ美術館展」が開催されていました。

こちらもウォーホルの作品が看板作品のようですが、大好きなマレーヴィチも来ているようです。

マレーヴィチこそ、ウォーホルが苦言を呈した抽象表現主義の画家ですが、芸術には色々な表現があって勿論構いません。

会期は来年の1月22日まで。もう一度京都に行く理由ができました。

日常の中で、偉大なものを何か見落としていないか……

毎日スープを飲みながら考えようかなと思います。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

メディア掲載情報

知れば知るほど恐ろしい……‐1783‐

 
 心斎橋から西へ3ブロックほど歩くと、ロイ・リキテンスタイン作の『OSAKA VICKI!』が見えてきます。

 クリスタ長堀の空調装置が入った建物があまりにも殺風景なので、地下街をプロデュースしたデザイナーが直接リキテンスタインへ依頼したそう。1997年のことです。

  アンディ・ウォーホールやキース・ヘリングと共にポップアートの第一人者だった彼に依頼した理由が「ここはアメリカ村の入り口。アメリカを象徴するものが必要だと思った」と。

 思わず笑ってしまいました。

 最近よく心斎橋界隈を歩きますが、結構古いビルが多いなと感じます。

 オーガニックビルから少し西へ行くと、昆布の老舗小倉屋がありました。

 小倉屋はオーガニックビルのオーナーですが、そのギャップに驚いてしまいました。

 難波神社の境内に入ると、急に空が開けます。

 お宮参りらしいご家族がいました。

 何となくですが、商売をされているのかなと想像します。
 

 紅の花は梅か桜か。

 いずれにしてもミナミで働く人たちにとっては、一服の清涼剤です。

 日曜日の産経新聞に、千葉公慈さんの書いた『知れば恐ろしい日本人の風習』が紹介されていました。

 「神」や「社」の「示(しめすへん)」は、供えた生贄の血が台座から滴るさまを表したそうです。赤や朱は邪気を払う色とされ、血の色をした小豆も珍重されました。いつか先祖供養と結びついたのが「彼岸にぼた餅」。

 腑に落ちたと同時に、知れば恐ろしい「示(しめすへん)」のいわれでした。
 

 先週で20日間のオープンデスクを完走した学生が、その感想を送ってくれました。

 5件の現場が同時進行中なので、荷物持ちに全現場へと連れて行きました。

 「3つの庭を持つコートハウス」は地鎮祭に。

 「The Longing House」は3回くらい連れて行ったはずです。

 背が高いので、何処に居ても直ぐ分かります。

 「おいでよhouse」は、竣工一歩手前まで見ることができたのを、とても喜んでいました。

 「H型プランの平屋」はほぼ全面RC打ち放しで、木造とは違った緊張感を感じたでしょう。

 竣工後に現場日記を公開する予定のフルリノベーション。

 手前味噌ですが、ここまでのリノベーションはそうありません。建築家を目指すなら、刺激的な景色だったはずです。

 彼の感想の中に、以下のような行がありました。

 初めて所長にお会いした際、所長はどこを切っても建築家の血がでてくるとおっしゃっていました。それを聞き私は、ここは戦場である、生半可では何も得れない、と思うと同時に必ず全力で戦おうと決意しました。

 どのような話をしたのか忘れたのですが「学生なので、全力で取り組めれば結果は問わない。ただ、ここは真剣勝負の場なので、ダラダラしていたり、皆の雰囲気に悪影響を与えるようなら辞めて貰うよ」とはいつも伝えます。

 アトリエmのwebサイトに「WORDS」というページを作っています。

 響いた言葉を、年1回程度UPするのですが、一番はじめの言葉は次の通りです。

 血が男に流れているかぎり不可能ということはない
 - D・バグリィ- 作家

 男であれ、女であれ、学生であれ、人として誰もが平等です。そのことは声高に叫ばれますが、仕事人として誰もが平等ではないことが、語られる機会はほぼ無いような気がします。

 ある程度の敬意を持って参加してくれる学生になら、そこは伝えてあげたいと思うし、伝えるのが私の役割だとも思っているのです。

 理由はありません。私が男で、建築家の血が流れているからなのだと思います。

 古代の間違った思想ですが、邪気を払うには生贄の血が必要と考えられました。間違ってはいますが、その思想が全く理解できなくもありません。

 成長や成功に労苦が伴わないことはまずないからです。

 ただそれなら、動物の命ではなく、自分の労苦によって全ては叶えられるべき。知れば知るほど、恐ろしい風習があったものです。

■■■1月27日 『Best of Houzz 2021』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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【News】
■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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