坂倉準三の系譜、大阪にあり‐2291‐

先週末、梅田から中之島まで歩いてみました。

大阪高等裁判所前の水晶橋を渡ると市役所の東端あたりに出ます。

中央公会堂までやってきました。

1月25日(日)まで開催の「坂倉建築研究所大阪事務所と太田隆信展」が目的でした。

2階の会場へは、南側にある地下からアプローチします。

ル・コルビュジエに師事した日本人のひとり、坂倉準三が1940年に設立したのが坂倉準三建築研究所です。

1948年には、大阪支所も設立されます。

彼が亡くなり、坂倉建築研究所大阪事務所となりますが、大阪の地で坂倉準三の思想は西澤文隆、そして太田隆信へと引き継がれていきます。

太田さんは昨年逝去されました。

その太田さんが携わった計画を中心とした展覧会でした。

「写真撮影は駄目ですよね?」とお聞きすると「引いた写真なら大丈夫ですよ」とのこと。

作品のパネル、手描きの図面、スケッチに加えて、太田さんのインタビュー映像も流れていました。

その中で、ご自身のことを「坂倉準三の薫陶を受けた最後の残党」と仰っていました。

1966年、大阪府青少年野外活動センターで、日本建築学会賞の作品賞を受賞されています。

こちらの構造体についても詳細に語っておられ、興味あってWeb上で探してみました。

保存運動が話題になった記憶がありますが、現存していないようで、あまり情報が残っていませんでした。

反対に、1975年竣工の大阪府立青少年海洋センターは、岬町の淡輪港内に現存しているようで、是非見てみたいと思いました。

大阪市中央公会堂の保存・再生も2002年の坂倉建築研究所大阪事務所の仕事でした。

早稲田の建築学科を出て、太田さんは坂倉建築研究所に入社します。

「大学を出たら大阪に戻ってくるつもりだった」と言っておられたので、関西に愛着を持っておられるのだと思います。

外に出ると日没寸前でした。

中之島は川に囲まれているので、朝夕は特に水面が美しいのです。

梅田方向を見ると、キタの玄関にあたるフェニックスタワー、その右に大阪梅田ツインタワーズ・ノースが見えています。

大阪にはキタやミナミがありますが、中心はどこかと問われればやはり中之島になるのでしょう。

さあ帰ろうかと歩き出すと、新婚カップルが撮影をしていました。

その先に見える、ダブルツリーbyヒルトンは真っ赤に染まっています。

何だか幸せな気持になりました。

坂倉準三の言葉です。

穏やかな表情で語る太田さんに、そのことばを重ねて聞いていました。

時々「設計士」と呼ばれることがあるのですが、その時は「すみません、建築家でお願いします」と伝えます。

呼び方を決めるのは相手の人で自由ですが、自分で主張していないとそうはなれない気がするからです。

技術者ではなく、やはり建築家として生きたい。改めてそう感じました。

ル・コルビュジエ、坂倉準三、太田隆信。

偉大な建築家の足元にも及びませんが、主張し続けるしかないのが私の人生なのです。

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