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北予備の行方

 先月の終わりだったでしょうか、友人からメールが来ました。

”北予備つぶれたらしいやん。なんか寂しいなぁ・・・・・・”

 -北予備(きたよび)-は大阪の十三(じゅうそう)にある予備校で、正しくは”大阪北予備校”。私は1989年の4月から一年間をここで過ごしました。

 中学・高校とそれなりの私学に通っていた私の成績は、下から数えて一桁台という散々なものでした。高校3年生の時は、手当たり次第に大学を受けるも、全て不合格。自分の成績と全く相談しなかったので、当然の結果でした。それから浪人生活に入るのですが、同級生の多くが北予備に行くというので私もそうしたのです。彼らの多くは特待生として学費の免除を受けていました。私はもちろん普通の予備校生として元気に通うことになります。

 初めにクラス分けのテストがあり、自分の学力を思い知ることになります。同級生のほとんどは最も上のクラスで私は5番目のクラス。しかしここには、高校時代は野球部、ラグビー部、サッカー部などスポーツに熱中していたが「今から勉強を頑張ろう!」というタイプが多く、すぐに意気投合しました。

 学生でもなく、社会人でもない予備校生には、強い仲間意識があります。私にとっては、初めて勉強と遊びの両方を強く共有出来る仲間が出来たような気がします。

 十三という猥雑な街にあり、淀川沿いに建つというロケーションが北予備の最大の魅力です。それが予備校として優れているかは全く別問題ですが、河川敷にはグラウンドが数え切れないほどあり、休み時間にはグローブとバットを持って行き良く野球をしたものです。

 今考えるとちょっと不思議なのですが、受験を控えた9月の末に、予備校主催でクラス対抗ソフトボール大会があるのです。30~40チームが参加する大々的なもので、私のクラスは経験のある私がピッチャー。他のメンバーは野球部、ラグビー部、サッカー部の雑種混成チームでした。真っ黒に日焼けするまで練習していた私達は、トーナメントを勝ち抜き優勝!その時の胴上げの写真は今でも壁に貼ってあります。

 勉強も初めて頑張ったつもりですが、大学受験が成功だったかと聞かれれば、なんとも答えにくいところです。しかし浪人という辛くも甘ったれた一年を経験出来た事は良かったと思っています。

 いまでも、阪急電車に乗り、十三の手前にある校舎が見えると、その頃の記憶が蘇って来ます。この一件で建物はどうなるのでしょう。記憶は薄れながらも残りますが、また街の景色が変わるのかもしれません。大阪で生まれて36年。それだけ長く暮らしているということなのでしょうが・・・・・・