タグ別アーカイブ: 世界遺産

枯れて石庭、燃えて金閣‐1275‐

 昨日の午前中、北摂のクライアントの自宅へ伺いました。

 計画のスタートから1年以上掛かってしまいましたが、ようやく工事請負契約が成立。

 私は、監理者として判を押しただけですが「一仕事終えた」という気分になるものです。その足で京都へ。

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 新緑萌える京都。昨日は30℃を超えました。

 季節が良いだけに、混雑を予想していましたが、龍安寺はそれ程でもなく。

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 アプローチにある鏡容池(きょようち)はハスの花もちらほら。

 いやが上にも気分は盛り上がります。

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 大切なのはファーストコンタクト。

 なんとも言えない感嘆の声を上げますが、訪れたのは20年振り位でしょうか。

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 この日は、姪っ子も一緒に連れて行きました。

 子供達は、こういった所をあまり喜びませんが、関西は日帰り圏内に沢山の世界遺産があります。

 先日、ル・コルビュジエの国立西洋美術館が世界遺産に登録されたというニュースがありました。

 コルビュジエの作品群の一つとして登録されたのですが、東京では初だそうです。

 京都、奈良、熊野、姫路城、法隆寺と、多くの世界遺産がある関西に、海外からの観光客が集中するのは、当然なのかもしれません。

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 禅寺の庭園、枯山水は 「枯れ」の通り、水を白砂や白石で表現されます。

 中でも石庭は、石と砂のみで表現されたもの。この石庭は1500年頃に出来たと言われます。

 絵画でも、古典主義から写実主義、そして抽象画へと変化していったように、突き詰めれば突き詰める程、単純化されて行くのです。

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 25m×10mの石庭は、2方を檜皮で葺かれた土塀で囲まれています。

 この土塀には菜種油が混ぜられ、時と共に変化を見せます。

 利休は、庭木は塀によって幹を隠すのが良いと言いました。太い幹をみせず、軽やかな葉、花だけをこの土塀によって切り取りとるのです。

 背景、間合いにある、「余白の美」こそが、日本独特の美意識なのです。

 衣笠山の麓を2km程北西に上がれば鹿苑寺(金閣)。

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 長男によると、テストでは金閣寺は×で、金閣が○とのこと。一般的には金閣寺ですが。

 晴れの日の金閣は圧巻でした。

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 夕方に来たのは初めてですが、西日を受け、燃えるように輝いています。

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 東から見れば、床の照り返しを受けた軒が、まさに燃えているよう。

 三島由紀夫の「金閣寺」は、その美しさにとりつかれた学僧が、放火するという小説です。

 その気持ち、少し分かる気もします。

 黄金には、人を変える何かがあるのでしょう。

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 世界遺産だからと言っても、子供は喜びません。実は、先に太秦の映画村へ寄ってから来ました。

 映画村も思いのほか面白かったので、また回を改めて書こうと思います。

 枯れて石庭、燃えて金閣。これらは対極にある美です。

 金箔貼の天守閣を持つ安土城を築いた織田信長。金の茶室を作った豊臣秀吉。

 足利義満と同じように、権力者は金を目指します。

 一方、市井の人の代弁者として、禅寺や利休の存在はあったのかもしれません。

 ただ、誰にでも出来そうなものは難しく、腕の差が出るのは、いつも同じ構造です。

 石庭をみると、常に気が引き締まるのです。

 最後に、5月21日発売の『住まいの設計07・08月号』に「松虫の長屋」が掲載されました。

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 リノベーションの掲載は4ページですが、詳細な工事金額も載っています。

 小さくですが、私の顔写真も掲載されました。勿論、主役はクライアントです。

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 webサイトの写真も、子供さん2人は頑張ってくれましたが、この撮影の日もアクセル全開でした。

 良ければ是非手にとってみて下さい。

坂と信仰の街、長崎‐1205‐

 前回は、グラバー邸に到着したところまで書きました。

 グラバー邸は、今年の7月、世界遺産に登録されたばかり。多くの観光客で賑わっていました。

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 グラバー邸のすぐ下にあるのが大浦天主堂です。

 幕末、主ににフランス人の為に建てられました。長崎を旅して驚くのは、教会の多さです。

 江戸時代から明治初期まで、禁教が続きました。教会は、弾圧、抑圧との戦いの痕跡とも言えるのです。

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 夕食は長崎中華街へ。

 名物はもちろんチャンポンですが、名店らしい店に入りました。

 チャンポンは美味しかったのですが、店員の応対は酷かった。旅と食事についてはまた改めて書こうと思います。

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 翌22日(火)は、軍艦島クルーズでした。

 石炭の需要増加と共に、多くの人たちがこの小さな島に移り住んで来ました。

 最盛期には5000以上が島内に住み、小学校、中学校、映画館、パチンコ屋があったそうです。

 日本初の鉄筋コンクリート造の共同住宅も建築されました。

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 しかし、1974年に閉山し、無人島となります。

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 その廃墟を、私も含め、多くの人が見に訪れるのです。

 愛媛の山奥にある「東洋のマチュピチュ」別子銅山も、全く同じ構図です。

 世界中が産業革命によって、成長、発展の真っ只中に居た時代の痕跡には迫力があります。

 高い賃金を求め、危険を覚悟で、そんな仕事に従事した人達がこれ程多く居た訳です。

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 長崎市内を後にし、北西に約100km。

 平戸までやってきました。

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 平戸ザビエル教会は、平戸を見下ろす山の中腹にあります。

 1549年、フランシスコ・ザビエルがこの地にたどり着いたところから、日本におけるキリスト教は全てが始まりました。

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 この教会は、ザビエルの平戸訪問を記念して1931年に建てられました。

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 地元の信者の方々の好意で、公開されているのですが、本当に美しい教会でした。

 パリのノートルダム寺院、ミラノのドゥオーモなど、教会建築の傑作と言われる建築をいくつか見てきました。

 この教会は日本の、この小さな港町に合った、素晴らしい教会建築でした。

 踏み絵で知られるように、信仰の為に命を掛けた人が多く居たという事実があります。

 長崎を訪れ、それらが現実であったことを、僅かに肌で感じることが出来ました。教会が、悲しく美しいのです。

 人は生きてこそなので、命を賭すことが素晴らしい事だとは思いません。

 しかし、信仰であれ、信念であれ、命を掛けてまで貫きたいことがあるのか………

 ただ美しいと感じた25年前。信仰と信念を感じた今。それが成長であって欲しいと願います。

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 今日の朝6時に大阪に戻り、バタバタと一日が終わりました。

 まだ、佐世保、北九州が残っているので、こちらは次回UPします。 

<目指せ、家族で47都道府県制覇>

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家康と富士‐1130‐

 前回は、大晦日に草津温泉へ到着したところまで書きました。

 元旦の朝、雪道を富岡製糸場へ移動です。

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 昨年、世界遺産に登録されたばかり。木骨レンガ造の建物は明治初期のままです。

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 明治維新の後、日本が近代化をたどる、その先駆けとなったのがこの富岡製糸場。

 操糸場では大空間を確保するため、和小屋ではなく、トラス構造で屋根が支えられています。

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 ただ、観光地としての整備はこれからというところでしょうか。

 飲食店が開いておらず、名物ホルモン揚げで子供の機嫌をなんとか。元旦なので文句は言えませんが。

 富岡を後にして、上信越道、関越道、北関東道、東北道と乗り継ぎ、日光へ向かいます。

 関東平野の北部をぐるっと回る感じ。あらためてその広さを実感します。参拝時間にたどり着けず、翌2日(土)の朝の参拝になりました。

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 東照宮は初めて来ましたが、その名の通り、朝日が金細工を照らす様は圧巻でした。

 しかし写真ではもう一つその美しさが……

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 長い戦乱の世を終らせた家康への尊敬の念が、家康信仰の源になっています。関東に住まない私は、もう一つピンと来ていませんでした。

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 それに加え、それぞれの建築に施された彫刻は、見所のオンパレードといった感じ。

 「みざる、いわざる、きかざる」は、子供への教訓を形にしたものだそうです。つい分かり易い写真を選んでしまいます。

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 五重の塔も、まったく赴きが違います。

 五層目の垂木のみが扇状に配置されている中国式。完璧からは崩壊が始まるという考えから、リズムを乱しています。

 天下人とは、かくも用心深いのです。

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 家康信仰と自然崇拝の両方があって、日光東照宮成り立っているのだと、その場に行きよく分かりました。

 見ていなければ「猿軍団の町」くらいに思っていたかもしれません。

 日光を後にし、茨城の古河へ。目当ての店が休みで、そのまま東へ向かいます。3日目の宿、富士山へ向かいます。

 当初は、沼津泊の予定でした。渋滞を避けるため寸前に変更したのですが、圏央道、中央道とも渋滞なし。

 夕方には河口湖を通過。夕食はほうとう鍋でした。

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 3日(土)は早起きして、精進湖へ。

 子供は起きず私だけでした、これは後悔しました、叩き起こしてでも連れていくべきだったと。

 氷点下10度以下まで下がり、氷の張った湖面に映る逆さ富士。

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 仕方なく、朝食のあと子供を連れて同じ湖畔へ。氷は乗れるくらい厚みで、はしゃぎまわっていましたが。

 昼は信玄のお膝元、甲府へ移動。

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 富士を望む、何と美しい盆地か。駅前で蕎麦と鳥モツを食べ、最後の目的地、長坂の清春芸術村へ。

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 藤森照信設計の「茶室徹」は2006年。

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 2011年完成「光の美術館」は安藤忠雄の設計。

 内部に照明器具はなく、自然光のみでアントニ・クラーベの作品を鑑賞します。

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 隣にあるのはジョルジュ・ルオーを記念して創られてた「ルオー礼拝堂」は1886年の完成。

 昨秋、京都国立博物館の平成知新館を設計した、谷口吉生の初期の作品です。これで全工程終了。

 3泊4日、草津、富岡、日光、古河、上九一色村、甲府、長坂を巡る旅。家族で全県制覇は、残すところ10県になりました。

 1500kmくらいは走ったでしょうか。我ながら馬鹿なことをやってるなと思いつつ。

 一番心に残ったのは富士でした。これは子供も同じよう。関東、信越のどこに居ても、常に富士山を探してしまいます。

 家康信仰と同じく、関東平野をぐるっと周り、改めてのその美しさと、存在感を知りました。

 反対に、住んでみなければ、 本当の価値は分からないのが、家康と富士なのではと感じたのです。

 今日が、当事務所も仕事初め。

 一富士、二鷹、三茄子。縁起のよい写真でスタートします。

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草津よいとこ‐1129‐

 新年明けましておめでとうございます。

 小雪が舞うも、初日の出を見ることができました。

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 ♪ 草津よいとこ、一度はおいで~

 昨晩から、草津節で知られる、草津温泉に来ています。

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 源頼朝が、狩りに出たとき偶然へ見つけたのが始まりだそう。温泉街の中心にある湯畑fは圧倒的な規模でした。

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 高温の源泉を、水で薄めずに冷ますために考えられたのが湯もみ。草津節を唄いながらするのが伝統です。

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 最も上にあるのは、8代将軍吉宗に献上する湯を汲んだ場所。

 温泉以前に「湯」がふんだんに使える温泉は、現在とはくらべものにならないくらい特別な存在だったでしょう。

 それが、豊富に、絶えることなく湧き続けるのですから、人が集まるのは自然。

 普段「お湯がもったいない」「水は大切にしなさい」と言いますが、ここではそのストッパーは外せそう。
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 加水、加熱なしの良質な源泉を、桶になみなみと満たし、頭から豪快に何度もかぶります。ああ何という贅沢。

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 温泉卵120円。安いものですが、つい財布の紐が緩むのが旅の心情。草津は唄に恥じない、良いとこでした。

 日記を始めた動機の1つに、旅行記が好きだった、というのがあります。

 今年も、色々な街、もの、人を書いて行きたいと思います。1年間よろしくお願い致します。

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奈良には冬が良く似合う‐1122‐

 先週は、法隆寺の宮大工、西岡常一から、弟子となる小川三夫への手紙について書きました。

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 実物を見たくなり、奈良県斑鳩町へ。家から西名阪で30分程です。

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 607年、聖徳太子が建立した現存する世界最古の木造建築。日本初の世界遺産でもあります。

 柳のようなしなやかさで揺れをやり過ごす考えは、日本初の超高層ビル、霞ヶ関ビルにも応用されました。

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 五重の塔の高さは約32m。中央を貫く芯柱は他の構造体と触れていない事で知られます。

 揺れの周期が違うことで、運動エネルギーを打ち消しあっているのです。

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 1400年もの昔、構造解析など無い時代に、どのような経緯でこの構造体は生まれたのか……

 子供達の名前も記載できるとの事で、瓦を1枚寄進してきました。

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 その後、明日香村まで移動。子供はマイ自転車で、大人はレンタルで、大和路を走ってきました。

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 石舞台、亀石、高松塚古墳。

 何故か奈良へ出掛けるのは決まって寒い季節。奈良は冬が良く似合うのです。

 「鬼」と言われた宮大工、西岡。その話を子供にしていると、長男からこう聞かれました。

 「お父さんは仕事の鬼?」

 ここでひるんでいては。「もちろん」と答えました。

 広辞苑には、天つ神に対して、地上などの悪神、邪神とあります。その恐ろしい形相から転じて、何かに精魂を傾ける人を指すようになったのでしょう。

 楽しんで働くのも正なら、鬼の形相になるのもまた真。

 古い考えかもしれませんが、仕事人にとって「鬼」は最高の褒め言葉でしょう。

師をめぐる、巡礼の旅‐1089‐

 今年の夏休み旅。14日(木)福岡市に入ったところまで書きました。

 ホテルにチェックインして、夜の天神エリアへ。

 名物の屋台で、焼きラーメンを汗だくで炒める店主。

 南国とは言わずとも、開放的な雰囲気があります。

 屋台がよかったのですが、子供がいるので断念。今度の楽しみにします。

 翌朝、早起きして中心部を歩きました。

 中洲エリアにある、アルド・ロッシ設計のイル・パラッツォ(1989年)。

 単純ですが、ひときわ目を惹きます。

 巨匠・吉村順三の河庄(1959年)。

 コンクリート打放しのルーバーを楽しみにしていました。

 しかし、グレーとピンクで塗装がなされており……

 これは正直かなり残念。

 ホテル近くの福岡銀行本店(1975年)。

 黒川紀章、初期の仕事です。

 屋内というにはあまりにも高い天井。

 特別な存在感を放っています。

 朝食のあと福岡を発ち、北九州市立美術館へ。車で1時間程でした。

 こちらも、磯崎新の初期の作品です。

 学生の頃、白黒写真で見て以来、ずっと訪れたいと思っていました。

 磯崎の建築は、単純な造形を用い、一度に建物を印象付ける力があります。そんなところに憧れていたのです。

 一方、より限られた素材で、対比という思想を持ち込めば、より美しい建築が出来るのではとも思っていました。私の作品「加美の家」のモチーフになっているのです。

 訪れるより先に、創ってしまったのですが。

 麗しの磯崎を訪ね、今回の建築巡礼、目的は果たしました。

 しかし、建築めぐりだけでは家族は退屈します。

 午後には日本最大級の鍾乳洞、秋芳洞に到着。

 子供達は探検気分で楽しんでいました。15日(金)は山口泊。

 最終日、16日(土)は朝から萩へ移動。

 市内では、維新の志士、高杉晋作、木戸孝允(桂小五郎)の生家を回りました。

 そして、最後の目的地、松下村塾に到着。

 1856年、吉田松陰は叔父からこの私塾を引き継ぎました。

 そして、多くの幕末の志士を育てるのです。

 倒幕を強く訴える松陰が、維新を見届けることはありませんでした。

 大老・井伊直弼による安政の大獄によって斬首されるのです。1859年のこと。

 日本の近代化は、薩長土肥という地方の力によって成し遂げられています。

 それを差し引いても、この本州西端の小さな私塾から、育った人物の数は目を見張ります。

 先の2人を初め、久坂玄瑞、伊藤博文も松下村塾出身。

 松陰は、相当にクレイジーな部分もあったようです。

 しかし、少々狂気のようなものが無ければ、人の心に火をつけることは出来ないのでは。8畳の小さな講堂を見ながら、そんな事を思っていました。

 当の本人はこんな言葉を残しています。

 「みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず」

 師を持っていない私にとって、世界に残る名建築、そして珠玉の名言が、師そのもの。勿論みだりではないつもりです。

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神宮式年遷宮、お伊勢参り

 友人がエクシブをとってくれました。

 宣伝の写真みたいになっていますが。

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 朝、海沿いをジョギングしていると、あちこちから煙が上がっていました。

 流石漁師の街ですが、煙をみるのも久しぶりです。煙が上がらないの見て、民の貧困を嘆いた詩がありました。

 火が生きる証なのだと、理解できます。

 昨日はまず、みえ子供の城へ。

 私としては、海の博物館へ行きたい気持ちもありますが、子供の要望にも応えなければと。

 丁度イベントがあったようで、屋台も出ていました。

 わたがしが100円。

 一応満足してくれたので、伊勢神宮へ。鎮座2000年、日本最高位の神社です。

 この秋には、20年に一度の神宮式年遷宮を迎えることもあり、凄い人出でした。

 急がば回れの法則で、2km地点までたどり着きました。しかしここまで。車を妻に託し、子供と徒歩で目指すことに。

 秋に備え、着々と準備が進んでいるのが解ります。

 木造建築の粋を集めた美しさは、巨匠ブルーノ・タウトも絶賛しました。

 彼は、桂離宮、飛騨高山の建築も称賛しており、日本人以上に日本の建築を愛した建築家です。

 時代が時代なら、一生に一度のお伊勢参り。

 社殿は撮影不可で、現在もその神秘性は保たれています。

 木々の隙間から見える屋根が光を受け、黄金のように輝いていました。刺激の多すぎる時代が果たして幸せなのかどうか。

お奈良

 今日は成人の日。15日でないことに、違和感を感じると言い続けて数年。

 今年は雪の地域も多く、特に女性は大変だったでしょう。しかし、それはそれで記憶に残る一日になったかもしれません。

 20年経てば全く違和感のない若者が成人するのですから、時は全てを凌駕する訳です。

 私達は奈良の東大寺に行っていました。

 市内も若草山を境にうっすらと雪化粧。

 冷たい雨の一日でした。

 濡れそぼった鹿をみると可愛そうな気もしますが、たくましさも感じます。

 子供の絵本に「だじゃれ日本一周」という本があります。

 大阪府、たこやき食べてお釈迦プー。

 奈良県、それならと大仏さんもおならけん。

 全く罰当たりな絵本ですが、それで大仏さんを見に行こうか、となったのです。

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 「絵本より大きい」というのが娘の感想。

 それはそうです。

 柱くぐりもしてきました。

 私もくぐれるかなと思いトライしましたが、肩が入らず断念。

 これはどんなご利益があったのか。

 奈良県立美術館で「田中一光展」があったのも、久しぶりに奈良へ行こうと思った理由。

 彼は奈良出身でした。

 エントランスのみ撮影可。

 私が彼の名前を初めて聞いたのは、大学時代でした。

無印良品のデザインをしていると、美大に行っている友人に教えて貰ったのです。

 展示はポスター、グラフィックデザイン、スケッチなど、かなり見応えがありました。

 「具体」の吉原治良や、抽象画の元永定正から影響を受けていたと知り、常に貪欲に、刺激を求めていたのだと分かったのです。

 やはり一流は一流と交わるもの。

 また、彼は奈良という街の風土に大きく影響を受けているようです。

 古都奈良の特徴を、京都と対比させて語られることが多くあります。建築で言えば、武骨で実直、と表現したくなります。

 それらの風土は、今なお街に息づいていると感じます。

 県庁、奈良市民ホール、奈良国立博物館など現代建築の見どころも沢山。これらはまた晴れた日に。

 子供達は奈良県に入ったとたん「おならけん」とホントにおならしました。車の中で。

 奈良県の皆さん、どうか許しを。

広島

 今週の月曜日は春分の日で祝日。

 日曜日は香川、尾道を回り、三原で一泊。この日は朝から広島へ向かいました。

 今まで、原爆ドームへ行ったことが無かったのです。

 初めて見る原爆ドームは、雨にも関わらず多くの人が訪れていました。

 印象として、65年の月日は感じませんでした。

 未だ足元に散乱する瓦礫を見て、確かにここに原爆が落ちたのだと実感します。

 その写真は、数えきれない程見たはずですが、体感は全てを凌駕するのだと改めて感じたのです。

 澱のような思いを持ったまま、すぐ南の平和記念公園へ向かいます。

 原爆ドームと一直線に結ばれる縦軸と、直交するよう配置された平和記念資料館。

 これらをを中心とした公園は、丹下健三の設計で1955年に完成しています

 丹下は高校時代を広島で過ごし、1945年の8月6日は父危篤の知らせを受け、帰郷の途中。尾道にいました。

 この計画案はコンペで選ばれたものですが、関係は浅からぬものがあったのです。

 見返すと、一直線に並んでいるのが良く分かります。

 戦後10年。この建築は、日本復興のシンボルでした。

 資料館には、原爆の爪痕を残す悲惨な写真、遺品など、膨大な資料がありました。

 家族4人で行ったのですが、6歳の長男と3歳の娘には途中で見せるのを止めました。

 今の時点で、その現実を受け止めるのは難しいと思ったです。

 正視出来るようになった時、自分たちで行くことを勧めようと思います。

 ただ、私自身が今その現実を見れたのかも分かりません。

 戦争の前では、人は只々無力なのだという事だけ、痛いほど感じたのです。

 その後、20kmほど西にある安芸の宮島へ。

 あの有名な社殿は1168年、平清盛によって造られたものです。

 日本三景、重要文化財、世界遺産と、様々な側面を持つ厳島神社。

 私が訪れた時は干潮で、残念ながらその幻想的な風景を見る事は出来ませんでした。

 鳥居のそばまで歩いて行きました。

 逆光気味で分かり辛いかもしれませんが、鳥居の縦材が一本の樹をそのまま使っています。

 あえてなのか、やや歪んだものを使っていることに驚いたのです。

 この厳島神社も、決定的な水害を受けない位置に造営されたと言われます。先人の知恵が活かされているからこそ、現存しえたのです。

 短い広島行きでしたが、色々考えさせられました。

 原爆によって廃墟となった広島は、世界で最も悲劇的な痛手を被り、世界一劇的な復興を遂げた街と言えます。

 長崎と共に、これほどの被害を受けた街は世界中にないのです。

 平和記念公園は、あまりの瓦礫の多さにどうすることも出来ず、盛り土をして木々を植えました。50cm掘れば今でもその当時のままです。

 路面電車は原爆投下から3日目に、運転を再開しました。それが広島市民を勇気づけ、現在も路面電車を愛する気持ちに繋がっているのです。共にボランティアの方から聞きました。

 今朝の新聞には、原発事故で水道水にヨウ素が含まれているという報道がありました。遠くアイスランドのレイキャビックで、放射能を測定したというニュースもありました。

 東北、関東、日本というレベルでなく、水や空気は地球規模での話です。私たちは運命共同体なのです。

 何があっても、人は生きるために生きるほか無い。

 そんな言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消えします。広島、長崎の人々がそうであったように。

一級建築士事務所 アトリエ m
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

熊野古道

 5月3日から5日まで、南紀へ出掛けました。まずは中辺路(なかへち)町へ。

 中辺路は、2004年に世界遺産へ登録された熊野古道のひとつです。

 平安時代に、皇族、貴族が、極楽浄土へ憧れ、熊野三山へ参拝したのが始まりとされます。

 江戸時代には庶民もこぞって訪れ、「蟻の熊野詣」として知られました。

 熊野大社と繋がる参道は、伊勢路、高野山からの小辺路、吉野への大峰奥駆道、海岸線を通る大辺路などがあります。

 京都、大阪、紀伊田辺へ抜け、険しい山間部を抜ける、中辺路は最も好まれたと言います。

 道中が厳しいほど、ご利益が大きいと考えたからで、非常に日本らしいものと感じました。

 道中には王子(おうじ)と呼ばれる、小さな分社が多く点在します。

 近露(ちかつゆ)王子のすぐ手前にあるのが箸折峠。花山法皇が御経を埋めたと伝えられます。

 花山法皇が食事の為、箸に使おうと附近のカヤを折りました。

 軸の赤い部分に露が伝うのを見て「これは血か露か」と言ったのが、地名の由来と言います。

 その地に残る牛馬童子像は、本人の姿とも。

 峠を下りると、近露王子。そこから「なかへち美術館」は100mほどです。

 美術館の案内に小さな宝石箱とありました。

 展示スペースは小さく、回廊で囲まれています。

 一部がパブリックスペースになっていました。

 緩やかな曲線とガラスに囲まれ、洗練された空間でした。

 小さな窓からは、日置川を望む景色が切り取られていました。

 旅行の前半は私の為、後半は子供中心のスケジュールにしました。

 公園、磯遊び、動物園へ。

 1歳くらいの子供を連れて遊ぶ、若い夫婦がいました。

 我が家に置き換えても、つい数年前のことです。しかし随分前のようにも感じます。

 子供の成長は早く、家族で旅行に行く機会など、僅かな期間かもしれません。

 時間が許す限り、一緒に出掛けようと思うのです。