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潮待ちの街 ‐999‐

 10月4日(金)は、広島県の鞆の浦(とものうら)へ。

 瀬戸内海中央に位置し、潮の干満の分岐線にあたるそうです。

 よって、この港で「潮待ち」し、潮に乗って航海していました。街が繁栄して行ったのは、自然条件によるものとは面白いものです。

 また、2005年に宮崎駿が滞在し、「崖の上のポニョ」の構想を練った場所としても知られます。

 主人公宅のモチーフになったのが、写真中央の家。防波堤付け根にある、小高い丘の上にあります。

 非常に眺めが良い場所にあるのです。その光景が、テレビでも映っていましたが、一度そんな所で構想を練ってみたいものです。

 坂本龍馬が滞在した場所としても知られます。

 海援隊の「いろは丸」と紀州藩の「明光丸」が岡山沖で衝突しました。龍馬が紀州藩と直談判をしたのがここ。

  現在は御舟宿「いろは」として営業しています。

その間、龍馬が滞在していた家も残っています。幕府からも狙われていた為、屋根裏のような空間でした。

3時間程の散策を楽しみ、昼過ぎに福山へ戻ったのです。

 そもそもの目的は講演でした。

 アストモスガス株式会社は、エネルギーメーカーとして、エネオスより大きな会社だそうです。その関連会社、中国アストモスガスが、建築会社向けにオープンセミナーを開催する事になりました。

 その講師としてオファーを貰ったのです。広島市、岩国市と、講演は何故か中国地方づいています。

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 約60名程の参加。持ち時間の1時間半を熱心に聞いて貰いました。

 初めは音声が出ず、少しバタバタしましたが、それも復旧。無事講演を終えました。

 初めて講師をしたのが2011年。その時なら、半泣きだったかもしれません。

 夕方福山駅まで送って貰うと、見事な夕焼けでした。福山城は駅のすぐ北にあるのです。

 「経験がものを言う」という言葉があります。しかし、いくら経験を積んでも、それだけでは同じ場面にしか応対出来ません。

 経験を通し、その原理原則を知る事が本来の目的なのでしょう。講演は時間が決まっています。時間が来ても機械が不調なら、フリーで話をするしかありません。

 私のフリートークを1時間半聞きたい人が居るかは別ですが、報酬を貰い、話をするという事は、そういう事だと思うようになりました。

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3月19日(火)■大阪の住まい力アップ:第1回 リフォーム・リノベーションコンクール ■で「住之江の元長屋」が戸建部門、最優秀賞を受賞しました

【News】
■1月6日(日)放送<「匠」が選ぶビフォーアフター大賞2012>
「住之江の元長屋」が空間アイデア部門2位に選ばれました
4月9日(火)リフォーム産業新聞「住之江の元長屋」掲載

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話して観て食べる広島 

 昨日は、広島でのセミナーで、8:45amの新幹線で大阪をでました。

 案内には、さくらの表示も。

 今更ですが鹿児島まで新幹線が繋がっている事を、改めて実感します。

 会場につくと、まず主催者、関係者に挨拶。その後、控室に案内してくれました。

 卓上には弁当も。

 武蔵という店の人気弁当とのことでした。味付きご飯のおにぎりが美味しかったのです。

 会場を見下ろす位置に窓があり、なかなかの盛況ぶりがうかがえます。

 セミナーは12時からと3時半からの2回。この開催期間中、多くのセミナーがあります。

 この2回はスペシャルセミナーと告知されていると聞いていました。

 また唯一事前申し込みが必要とのことで、どの位の方が来てくれるのか気にはなっていました。

 1回目は満席で、2回目は9割方という感じ。

 事前申し込みをして貰っているという事もあり、参加者の意識も非常に高かったです。

 話しに対して頷いたりしながら反応を示してくれるのです。

 聴いている時は分かりませんでしたが、その情報があるのとないのとでは、話す側は全く違います。

 先日「上手くやるのではなく全力で」という方針に変更したばかりですが、ちょっと笑い話を交えたりもしてみました。

 反応は、そこそこでしたが、そんなトライも話す楽しみです。

 リフォーム・エクステリアフェアという事だったので、実例で改修の可能性を中心に話をしてみました。少しでも、前向きな気持ちになって貰えたらと思います。

 1回目と2回目の間には、近くにある広島現代美術館へ。竣工は1988年。

 黒川紀章の設計で日本建築学会賞をとった作品なのです。

 かなり期待をして見に行ったので、正直に言えば少し物足りなさを感じました。

 2回目の講演も無事終わりタクシーで広島駅に向います。

 途中「八昌(はっしょう)」というお好み焼き屋さんに寄って貰いました。

 クライアントに非常に詳しい方がいて、かなり並んでいるので持ち帰りがいいですよ、とアドバイスを貰っていたのです。

 会場を出る前に予約し、1時間後に行ったのですが、夕方5時ですでに40人以上の行列。

 席に着くまでに3時間は掛かるかもしれません。

 出来上がったお好み焼きを受け取り、店を出ました。その時、痛いほどの視線を感じます。悪い事をしている訳ではないのですが……

 雨が降り出したこともあり、正直、後ろめたい気持ちもありました。しかし、本来はお店で食べる方が美味しいに決まっています。

 どう見ても超人気店ですが、お持ち帰りに対しての対応も非常に丁寧でした。お好み焼きは回転率が悪いというのもあるかもしれません。

 大阪で言えば豚モダンが840円だったと思います。

 新幹線の待ち時間に、食べました。

 生地は薄目、キャベツが沢山で、ややコショウが強め。

 かなり大きめですが、キャベツが多いので見た目程のボリュームは感じません。一気に食べてしまいました。

 セミナーの司会をしてくれていたタレントはとっても感じの良い方で、グルメレポーターもしていたそうです。

 「広島でも100軒は回りましたが、やっぱり八昌が一番美味しいと思います」と言っていました。勿論、期待を裏切らない味でした。

 広島駅のすぐ南東に、新しい広島球場が見えます。

 新幹線からも、球場の中まで良く見えるのです。

 こちらの設計は仙田満。2010年の日本建築家協会賞を受賞しています。

 今回は遠目からしか見れませんでしたが、非常に美しい、また視覚的に開かれた球場の見えます。

 是非中に入ってみたい球場です。

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 この日は試合があったようで、多くのカープファンが、真っ赤なユニフォームを着ていました。

 タクシーの運転手さんも、先日引退を発表した金本選手が「心残りはカープで優勝できなかったこと」の発言にグッと来たと言っていました。

 旅の思い出に大きく残るのが、地元の人とのコミュニケーション。

 そう考えると、タクシーの運転手は街の第一印象を決定づける、最も重要な職業と言えるかもしれません。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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広島

 今週の月曜日は春分の日で祝日。

 日曜日は香川、尾道を回り、三原で一泊。この日は朝から広島へ向かいました。

 今まで、原爆ドームへ行ったことが無かったのです。

 初めて見る原爆ドームは、雨にも関わらず多くの人が訪れていました。

 印象として、65年の月日は感じませんでした。

 未だ足元に散乱する瓦礫を見て、確かにここに原爆が落ちたのだと実感します。

 その写真は、数えきれない程見たはずですが、体感は全てを凌駕するのだと改めて感じたのです。

 澱のような思いを持ったまま、すぐ南の平和記念公園へ向かいます。

 原爆ドームと一直線に結ばれる縦軸と、直交するよう配置された平和記念資料館。

 これらをを中心とした公園は、丹下健三の設計で1955年に完成しています

 丹下は高校時代を広島で過ごし、1945年の8月6日は父危篤の知らせを受け、帰郷の途中。尾道にいました。

 この計画案はコンペで選ばれたものですが、関係は浅からぬものがあったのです。

 見返すと、一直線に並んでいるのが良く分かります。

 戦後10年。この建築は、日本復興のシンボルでした。

 資料館には、原爆の爪痕を残す悲惨な写真、遺品など、膨大な資料がありました。

 家族4人で行ったのですが、6歳の長男と3歳の娘には途中で見せるのを止めました。

 今の時点で、その現実を受け止めるのは難しいと思ったです。

 正視出来るようになった時、自分たちで行くことを勧めようと思います。

 ただ、私自身が今その現実を見れたのかも分かりません。

 戦争の前では、人は只々無力なのだという事だけ、痛いほど感じたのです。

 その後、20kmほど西にある安芸の宮島へ。

 あの有名な社殿は1168年、平清盛によって造られたものです。

 日本三景、重要文化財、世界遺産と、様々な側面を持つ厳島神社。

 私が訪れた時は干潮で、残念ながらその幻想的な風景を見る事は出来ませんでした。

 鳥居のそばまで歩いて行きました。

 逆光気味で分かり辛いかもしれませんが、鳥居の縦材が一本の樹をそのまま使っています。

 あえてなのか、やや歪んだものを使っていることに驚いたのです。

 この厳島神社も、決定的な水害を受けない位置に造営されたと言われます。先人の知恵が活かされているからこそ、現存しえたのです。

 短い広島行きでしたが、色々考えさせられました。

 原爆によって廃墟となった広島は、世界で最も悲劇的な痛手を被り、世界一劇的な復興を遂げた街と言えます。

 長崎と共に、これほどの被害を受けた街は世界中にないのです。

 平和記念公園は、あまりの瓦礫の多さにどうすることも出来ず、盛り土をして木々を植えました。50cm掘れば今でもその当時のままです。

 路面電車は原爆投下から3日目に、運転を再開しました。それが広島市民を勇気づけ、現在も路面電車を愛する気持ちに繋がっているのです。共にボランティアの方から聞きました。

 今朝の新聞には、原発事故で水道水にヨウ素が含まれているという報道がありました。遠くアイスランドのレイキャビックで、放射能を測定したというニュースもありました。

 東北、関東、日本というレベルでなく、水や空気は地球規模での話です。私たちは運命共同体なのです。

 何があっても、人は生きるために生きるほか無い。

 そんな言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消えします。広島、長崎の人々がそうであったように。

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尾道

 昨日は朝から、四国へ。

 宝塚あたりで少し混みましたが、11時すぎにはうどんの「やまうち」に着きました。

 有名店だけあって、この時間でも席は埋まっていました。

 しょうがは食べる前に、自分ですりおろします。

 麺とダシ、それぞれの温かさが選べます。

 「ひやあつ」の特大と「しょうゆうどん」の特大、と大きな声で注文。

 母の実家のそばなので、時々来てますよ、みたいな感じで。

 こんな時、自分の俗物加減がいやになるのですが、それも含めてのやまうち。ちなみに地元の叔父さんは「麺が少なくなった」とやや否定的です。

 その後、祖母を訪ねました。

 大正13年生まれなので87歳。前回会ったのは、一昨年の夏だったでしょうか。

 一度脳梗塞で倒れてから、動きは随分遅くなりましたが、顔色もよく元気そうでした。

 祖父の墓へ参ると花が供えられていました。

 こんぴらさんが見える、田んぼのなかにあるのです。

 「誰か参ってくれたんかな」と妻に言うと、お彼岸だから、と。

 言われて初めて気づきました。温かいわけです。

 香川を後に、愛媛の今治、しまなみ海道を経由して、尾道へ。

 あいにくの雨模様でしたが、一度行ってみたかったのです。

 ラーメン、大林映画などありますが、真近に迫った瀬戸内海と、坂に張り付くような街。その急峻さは想像以上でした。

 長崎、函館、神戸。坂と海のある美しい街は多くあります

 見上げれば迫る坂、振り返れば海。そのコントラストが、旅情を掻き立てるのでしょうか。

 大阪で育った私には、より一層なのかもしれません。

 尾道のすぐ西の街、三原に泊まり、今日は広島へ行くつもりです。実は生れて一度も、原爆ドーム、平和記念公園へ行ったことがないのです。

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