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年始から大当りだ‐2182‐

昨年の9月に、阪神高速松原線の瓜破交差点上の橋梁架け替え工事のことを書きました。

工事の開始は、2022年の6月でした。

完成予定は今年の3月末と告知されていましたが、昨年の12月7日に開通しました。

工事が始まった時は「3年も掛かるのか」と思っていました、終わってしまえば既成事実。何も無かったかのように通常運転です。

ただ、橋梁部はまだピカピカしています。

近所過ぎて、私にはあまり問題ありませんでしたが、大阪南部の方は3カ月の前倒しがとても助かると思います。

年始からの車移動は、なぜかジャガー。

愛車のディスカバリーが、扉のロックの調子が悪く、ディーラーへ修理に出しているのです。

ディーラーが、ジャガーとランドローバーを扱っている関係で、この車が代車になりました。

普段乗っている4駆と違って、流石に加速は気持ちよいものがあります。

なのですが、年明け早々にバックドアを開ける際、少し擦ってしまいました。

現在、娘がリハビリ中で松葉杖生活につき、妻が送り迎えをしています。

その際に、今度は妻が右後輪前を擦ってしまいました。

私は若い時から4駆一筋。

ハイラックスサーフを2台乗り継いで20年。

ディスカバリーを2台乗り継いで15年。

車高の高い車しか乗らないので、深く座るシートに少しソワソワしてしまいます。

妻は時々私の車を運転するだけなので尚更です。

ということで、こういった結果になってしまいました。

「修理が終わった」とディーラーから連絡があり、引き取りに向かいました。

大国町辺りを通っていると、かなり渋滞しています。

それを見て、十日戎が始まっていることに気付きました。

バタバタしているうちに、今年も10日が過ぎました。

代車のジャガーを返し。

ランドローバーのディスカバリーを引き取ってきました。

擦ったことを伝え、連休明けに見積りを送って貰うことになりました。

どんなトラブルがおこっても、心の中で「ラッキー」と叫びなさいと、始道塾の恩田塾長に教えてもらいました。

そんなことは出来ないのですが、それでもそうするよう努力するべきだと。

結構な額を覚悟していたドアの修理は思ったより安くあがりました。

ジャガーは擦っただけで済んだので、塗装のやり替えで済みます。

へこんでしまえば、板金修理になってしまいますし、もっと言えば、命に関わるような事故でなかったことを、心から喜ぶべきかもしれません。

年始から大当りと考えたら、極めて縁起のよいことかもしれません。

と、思うようにしています。

終わった過去を見ていても何も変わらないので、悩んでいる暇があったらすぐ行動に置き換えます。

心から安い見積りが上がってくることを祈りながら、この1年、スーパーアクティブに行きたいと思います。

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

車という戦友‐1756‐

 建築の設計・監理の中に、「現場説明」という仕事があります。

 競争見積りに参加する建築会社に図面を渡し、現場にて説明をするので、まさに文字通り。

 普段は略して「現説(ゲンセツ)」です。

 先週土曜日、現説へ向かうため、会社を8時頃出ました。

 阪神高速松原線はいたって快適。

 ところが東大阪線に乗り換える前に「事故渋滞高井田まで6km」と掲示板に出ました。

 駒川で乗った時には無かったものです。

 事故が起こった直後のようで、1時間ほど渋滞に引っかかってしまいました。

 35歳くらいまでなら、かなりイライラしていたと思いますが、そこはすでに50歳。

 迷惑を掛けてはしまいますが、こんな景色をゆっくり見れることも無いと覚悟を決め、クライアントと建築会社に連絡を入れたのです。

 昨年亡くなったシーザー・ペリ設計の、大阪NHK放送会館・歴史博物館が見えてきました。

 更にクリスタルタワー等の高層ビルを従えた大阪城も。

 また、難波宮跡あたりでは、阪神高速は急に高架でなくなります。

 埋蔵文化財の件なのか、太閤様より高い目線は不届きだとなったのか。

 おそらく前者なのだと思いますが、これも車ならではの景色です。

 ようやくノロノロ運転が終わり、第二阪奈を降りると生駒盆地です。

 野焼きの匂いが懐かしい。

 北上して学研都市を抜けたのですが、ここはまるで近未来都市のようです。

 中心部にある京セラの研究所。

 師事させて貰った稲盛さんの会社ですから、目礼して通り過ぎました。

 さらに北上すると一気に里山の風景に変わりました。

 柿がたわわに実り、まさに日本の風景。

 車移動には楽しみが多いのです。

 車の免許を取って30年近くなりますが、先日車を擦ってしまいました。

 代車にやってきたのがトヨタのカムリ。

 ハイブリッド車を運転するのも初めてですが、生まれて初めて乗った車がカムリでした。

 父が乗っていた白のカムリを貰ったのですが、この車は息が長い車なのです。

 トヨタのwebサイトを見に行くと「生誕40周年」とでていました。

 北米での乗用車部門では、販売台数がトップレベルだったはず。

 1年程カムリに乗ったあと、20年に及ぶハイラックスサーフ人生が始まりました。

 ハイラックスサーフの国内販売が終わり、2011年にディスカバリーに乗り換えたのですが、北米では現在でも「4RUNNER」として販売されています。



 初代サーフの写真が2枚しかないので、若気の至りをお許し下さい。

 2代目サーフ、初代ディスカバリー、2代目ディスカバリーです。

 当時のカムリではないものの、私の車人生のピースが埋まりました。

 2030年代には、ついにガソリン車に乗れなくなるようです。

 地球の環境問題は、個人の趣味嗜好より断然上にあるものだと理解しています。

 いずれ来る事は分かっていましたが、パワフルな車の無い人生を今は想像することができません。

 私にとって車は単なる物ではなく、人生のパートナーであり、戦友そのものなのです。

■■■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
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【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

ハイラックスサーフ

1991年の春、20歳の時に車の免許をとりました。初めて乗った車は、父からのお下がりで、トヨタ・カムリでした。

世はバブル景気真っ只中。実家のガラス屋も順調で、新車を買って貰うことに。甘えに甘えきっていたのです。

「どんな車を」となった時、海、スキーを考え、四駆が良いなと。三菱パジェロと悩み、決めたのがトヨタ・ハイラックスサーフ。1991年12月の事でした。私にとっての初代サーフです。

すぐスキー部の合宿地、北海道へフェリーで行きました。

冬はスキー板、春夏秋はボートを載せ、山、海、湖、どこへでも。

2003年の5月。友人と釣りに行こうと家をでると、ボンネットの前部から「ボンッ!」という大きな音。

白煙が上がり、止まってしまったのです。11年で11万キロを走っていました。

ディーラーに連絡すると、5千円で引き取られて行ったのです。

すぐに車を探し、考えた末再びサーフに。

改めて、この車が好きだと分かったのです。

2代目サーフがやってきたのがその年の6月。今度はシルバーにしました。

早速キャリアーを付けて海へ。

33歳を目の前にして、恥ずかしながら初めて車を買ったのです。

雪道の時も。

思わぬ場面に出くわした時も。

甥っ子を連れた時も。

若干切れ上がっているフロントライトも、大きなタイヤも。全てが好きだったことに今気づきます。

しかし、乗り換えることにしました。

走行距離は12万5千キロ。それでも30万円で引き取られて行きました。

次にやってくるのはサーフではありません。北米での販売は続くもの、日本では一昨年に終了したのです。

先週の旅行は、最後の時間という気持ちでした。

今は新しくやって来た車のことより、20年を一緒に過ごしたサーフとの思い出に浸りたい気分です。

私のサーフは、今はどこを走っているのか。

北国なのか、ロシアなのか、中東なのか。

さらば、愛しのハイラックスサーフよ。

ハイラックスサーフ(Hilux Surf)は、トヨタ自動車のSUV型の自動車である。設計は日野自動車主導で、開発と生産は日野とトヨタの共同となる。北米などへは「4Runner」(フォーランナー)という名称で輸出されている。
初代 1983年10月米国にて販売開始。フロントキャブ屋根上にはチルト式のサンルーフが付き、ハードトップとサンルーフを外すと、オープン・エアを楽しめるオープンカーにもなる、多用途レジャー仕様だった。
1984年5月、日本国内で販売開始。日本国内では、屋根を取り外しての公道走行は運輸省の認可が降りなかったが、着脱は可能な構造になっている。全車4ナンバーのライトバン扱いとなった。
2代目 (1989年-1995年) 1989年5月 フルモデルチェンジ。 日本国内向けのエンジンは、5ナンバーのワゴンが従来型と同じ3Y-E型ガソリン2.0L・97馬力と2L-T型ディーゼルターボ2.4L・94馬力、4ナンバーのバンは3L型ディーゼル2.8L・91馬力を設定。
1990年8月 一部変更。性能でテラノに一歩遅れをとっていたことで、輸出用と同じ、V型6気筒ガソリン3.0Lの3VZ-E型を追加設定。ハイラックスサーフ初の3ナンバーとなる。
3代目 N180系(1995年-2002年)
2.7 スポーツランナー1995年12月登場。パワーウインドウとドロップゲートの組み合わせで使い勝手が悪く、日本国内からは改善要求の多かったバックドアは、窓部も一体の跳ね上げ式に変更されたが、ウインドウガラスが電動で上下できる機能は残された。1998年8月 マイナーチェンジ。
4代目ハイラックスサーフ (前期型、2002年10月 – 2005年7月)2005年7月マイナーチェンジ。
 2009年8月7日公式サイトからの記載がなくなり、国内販売が終了した。この結果日本国内でハイラックスの名は完全に消え、41年の歴史に幕を閉じた。
Wikipediaより