カテゴリー別アーカイブ: 04 建築

間合い‐1347‐

 アメリカにトランプ政権が誕生しました。

 近くの同種族とよい関係が築けなかった種は、衰退するのが生物界のことわりです。

 アメリカはどこへ向かっていくのか。

 建築家・黒川紀章は「共生」という思想を提唱しました。

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 1970年の大阪万博では、タカラ・ビューティリオン、東芝 IHI館等を設計。

 現在、万博公園内にある国立民族博物館も彼の設計です。

 こちらは1977年の開館。

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 私がみた中では、最も規模の大きな作品でしょうか。

 黒川紀章は2007年に73歳で亡くなりましたが、日本だけでなくヨーロッパ、中東、中国と様々な国で大きなプロジェクトを手がけました。

 20世紀後半から、21世紀初頭にかけて、間違いなく建築界のトップランナーだったのです。

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 コーナー部の処理は独特です。

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 近未来的なデザインは黒川の真骨頂。

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 中庭はギリシャ風とでも言えばよいのか。

 無国籍とも言えるし、寄せ集めとも言えます。

 「建築家としての私の評価はともかく、思想家としては何かを残せたのではないかと思っている」という彼のことばがありました。

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 館内は世界中の民族についての展示があり、かなりボリュームがあります。

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 イースターのモアイ像。

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 こちらはインドネシアのものだったか。

 しっかり見るなら半日はかかると思います。

 共生とは読んで字のごとくですが、20年ほど前だったか、テレビで黒川紀章とビートたけしが対談している場面がありました。

 黒川がこんなことを言ったと思います。

 「日本人は間合いを大切にしますね。その間合いが分からない人を間抜けと言うんですよ」

 そうと言って、2人で笑っていました。

 物理的な距離感だけでなく、話しかけるタイミング、相槌のタイミング等など。間合いによって、多くの差異がでます。

 戦国時代なら、生死を分けたかもしれません。剣豪・宮本武蔵などは、間合いの取り方が優れていたのでしょう。

 近すぎると動ける範囲が限られる。また、離れすぎると関係性が希薄になっていく。

 共に生きるが、べったりがよいわけでもない。

 これは国と国、人と人においても同じでしょう。

 黒川は共生という思想のなかで、受け入れる、多様性といったことが大切なのではと説きました。

 自国だけ。西側だけ。極東だけ。そういった単純な区分けと、幸せは対になっていない気がします。

 共生と間合い。

 思想家・黒川の言葉を解析するのは難しいのですが、ある種あやふやで、輪郭がはっきりしないものが実社会なのだと思うのです。

雪の延暦寺で宝の山をしる‐1346‐

 先週の寒波で、関西も北部はかなりの積雪があったようです。

 京都のクライアントは「まだ家の周りに雪がありますよ」と。

 それなら近場でも雪があるかなと思い、比叡山まで行ってきました。

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 入試も終わったので長男に「滑りに行くか」と声をかけると、友達と遊びにいくと。

 娘に聞くと、午前中は塾があると。

 重松清の「ビタミンF」にでてくる、悲哀に満ちた父親になっていないか、かなり怪しいところです。

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 昼過ぎに大阪を出て、午後2時頃に到着しました。

 比叡山延暦寺は、最澄によって創建された天台宗の総本山です。

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 世界遺産に登録されていますが、そこは娘には関係ありません。

 それで先に雪遊びですが、これだけ楽しんでくれたら来た甲斐があるというものです。

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 おきまりの雪だるまですが、納得の一品でした。

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 延暦寺にはかなり積雪がありました。

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 また、山頂だけあってアップダウンがかなり厳しい。

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 その分、有り難さが増すというものですが。

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 国宝の根本中堂が工事中だったのは残念でした。

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 総本堂とあるだけに、荘厳な建築でしたがこれは次回にお預けです。

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 比叡山は、京都と滋賀の境にあります。

 雪空でしたが、東の眼下には大津の街なみが広がります。

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 西には京都の市街地が。

 山頂は雪でしたが、京都市内は日が差しているようでした。

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 光を受けて、家々のいらかが金色に輝いています。

 沢木耕太郎の「バーボンストリート」は、私の中のベストワンエッセイです。

 その中に、高倉健の章がありました。

 彼は俳優という仕事を追求するため、度々延暦寺を訪れていました。そして住職にこんな質問をします。

 住職ほどの僧になられたら、京都の夜景をみても心は乱れないのでしょうね。

 すると、いえいえ、そんなことはありません。どれだけ修行をしても、ゆらめく街の灯をみていると、夜の街へ出てみたいといつも思います。人とはそういうものです。

 そんな話だったと思います。

 立派な人、歴史上の偉人を、別格として捉える傾向が日本人は強い気がします。

 これを、元サッカー日本代表監督のオシムは、中村俊輔らとの葛藤を語る際に「スターマニア」という言葉を使いました。

 天台宗の座主をばかにしたり、高倉健が普通の人だと言いたいわけではありません。

 同じ人間なのだから、諦めないと言い続けたいだけなのです。

 天台宗の開祖、最澄は自らの著書をこの言葉ではじめます。

 「一隅(いちぐう)を照らす」

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 続けて、「此れ即ち国宝なり」。

 社会の一隅に立ち、利己的な心を捨て、世のため人のために良いことを行う人こそが国の宝だと、最澄は言いました。

 そういう人たちに、スポットがあたりにくい世の中になってはいないだろうかと思います。

 華々しく、人前に立つ人だけで世の中はよくならないし、スティーブ・ジョブズは1人だけです。

 むしろ、地道に自分の仕事に打ち込む人こそが、宝なのだと平安時代に最澄は言ったのです。

 また、そういった人材を育てることを、一生のつとめとしました。

 国宝、市宝、社宝、家宝。

 まさに世は宝の山だったのです。

今日の屈辱を耐えて、明日のために生きろ‐1341‐

 この連休、子供をどこにも連れて行けずで。

 午前中、娘と堺にある「ビッグバン」という施設に行ってきました。

 遊びをテーマに設立された大型児童館です。

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 名誉館長の松本零士が創作した「壮大な旅物語に沿った、ストーリー性のある非日常空間を演出」とあります。

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 UFOのようなフォルムをしているのは4階部分。

 なかなか夢のある建物です。

 完成は1999年。松本零士といえば、「銀河鉄道999」の作者です。そこに合わせて、竣工させたのかもしれません。

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 内部も、その世界観に基づいてつくられています。

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 自分で書いたイラストを取り込み、架空の世界で遊ばせるという「電子動物園」。

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 宇宙戦艦ヤマトの中にいるような気分になります。

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 かと思えば、大阪にいたという古代ワニのアスレッチックあり。

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 また、正面右に見えるガラスのタワーは、4層を貫いた巨大ジャングルジムになっていました。

 小3の娘は満足していましたが、小1くらいまでが、一番楽しめるかもしれません。

 3年ほど前ですが、松本零士のインタビューが新聞に載っていました。

 彼の父は軍人で、太平洋戦争の際、陸軍士官学校の同期の中で、唯一生きて日本に戻ったそうです。

 部下の多くを失い、自決したかったのではと思う。それでも、家族の為に生きて帰ってきてくれたことに感謝するとありました。

 監督をつとめた「宇宙戦艦ヤマト」の沖田十三艦長はその父がモデルです。

 「今日の屈辱を耐えて、明日のために生きろ。死ぬな古代」いうセリフも、そういう意味のことをしょっちゅう聞かされていたからこそ生まれたものでした。

 生命を讃える考えが、全作品を貫く彼のテーマなのです。

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 施設の前に市民会館があるのか、成人式終わりの若者が集まっていました。

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 あでやかに着飾ったその姿は美しく、人生の中でも最も素晴らしい時間だと思います。

 松本零士の父はいつもこう言っていたそうです。

 「人は死ぬために生まれてくるのではない。生きるために生まれてくるのだ」

 生きるということは、たやすいことではありません。日々屈辱ということはありませんが、それでも困難の連続です。

 一人前とは、逃げないと決めること。大人の覚悟で頑張って欲しいと思います。

 そう言う以上、先輩の大人が逃げていたのでは話になりませんが。

当たり前にあるもの‐1340‐

 当社は今日が仕事初めでした。

 仕事初めは、昨日、今日が多かったでしょうか。

 1月3日に京都へ行く用事があり、平等院に寄ってきました。快晴に雪なら金閣寺ですが、青空で無風の平等院も捨て難いのです。

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 平等院は1052年、関白藤原頼道によって創建されました。

 今から千年近く前、頼道の考えた浄土をこの世に再現したのが鳳凰堂です。

 水面に映る姿まで愛でた、日本人の美意識がここに結実しています。

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 軽やかに持ち上げられた、両翼は軽快、かつ繊細。

 平安時代の人が見た時の驚きはいかばかりのものだったのか。

 昨年末にスタッフが2人退職し、人出不足がゆえ現行スタッフは大晦日も、元日も出社してくれていました。

 これは私がお願いしたものではありません。

 しかし、私が若いスタッフを育成できなかったからに他ならず、本当に有り難いという気持ちしかありません。

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 昨年末の12月29日は、現場からの希望で、昨年最終の打合せがありました。

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 この時期の現場は、本当に寒いのです。

 若い大工がベニヤのお盆に載せて、暖かいコーヒーを持ってきてくれました。それを棟梁にわたす姿が、何とも微笑ましく。

 「若い人が育って、いいチームなってるね。ウチはなかなか……羨ましいよ」と言いました。

 すると棟梁が「何言ってるんですか、ここにチームがあるじゃないですか」と。

 「そうやね、こうやってやる気のある人が集まってくれることに感謝しないといけないね」と返したのです。

 「当たり前にあるものほど、本当は一番大事」

 これは、ダウンタウン松本のブレーンであり、構成作家・高須光聖の言葉です。

 当たり前とは、自分が選び続けている現実ともいえます。また、人は知らない人を応援することはありません。

 組織も個の集まり。まずは自分に近しい人を大切にするしかありません。

 この単純な真理をどれだけ実行できるか。

 今年一年、いや今後の人生、本気でやろうと思うのです。

近くて遠い街、堺にて‐1337‐

 大阪市のすぐ南にある堺市。

 私にとって近くて遠い街でした。今まで本格的に訪れたことがありませんでした。

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 仁徳天皇陵を訪れるのも初めて。

 横は数えきれないくらい通っているのですが。

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 3重の堀に守られた、長さ約500mの日本一大きな古墳。地元では「御陵さん」と呼ぶそうです。

 世界遺産の暫定リストにも記載されています。

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 その大きさは俯瞰しなければ、ピンときません。

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 北西にある、堺市役所の21階に展望ロビーから見下ろすことができます。

 観光マップあり、各所にボランティアのガイドを配したりと、堺も観光に本腰を入れているのが分かります。

 昨日は快晴で、明石大橋まで見えました。

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 展望ロビーには、鉄砲も展示されていました。

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 堺は水運によって発展した都市です。

 旧堺港の入り口に立つ灯台は、明治10年に建築されたもの。

 所在を変えずに現存する洋式木造灯台としては、最も古いもののひとつだそうです。

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 備前の国の石工が建造したという石積みは、有機的なフォルムで、現代には見れない美しさがありました。

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 旧堺灯台から東に1kmほど内陸にはいると、ザビエル公園があります。

 中央あたりにある段差は、中世における海岸線だったそうです。

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 公園のすぐ海側には環濠が残っています。

 さすがに日本一大きな環濠都市だけあり、濠の規模が違いました。

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 環濠都市の中央付近ある千利休の屋敷跡。

 利休は1522年、堺のこの地に豪商の長男として生まれました。

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 17歳の時から茶の湯を学び、のちに武野紹鷗に師事。わび茶を大成させます。

 現在は、井戸が残るのみでしたが、井戸屋形は大徳寺の山門改修の際にでた古材でつくられたものだそうです。

 大徳寺は秀吉との確執で切腹においこまれた、因縁の寺でもあります。

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 利休は茶人として粋を極めた結果、発言力を持っていきます。

 しかし「利休好み」の言葉もある通り、質素な茶の湯を旨としました。

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 利休が設計したと言われる、現存する唯一の遺構は、大山崎にある「待庵」です。

 わずか二畳の茶室に、一畳の床を設けています。

 壁は藁すさのみえる荒壁で、そこに一輪の野の花を活ければよいと考えました。

 高価な物を飾るのではなく、亭主のもてなす心を表現するために、床に一畳をさいたのです。

 黄金の茶室をつくった秀吉と、精神的な部分で交わることはなかったのだと思います。

 利休は、師である武野紹鴎に「詫びとは慎み深く奢らぬ様」と教えられました。

 読めば読むほど、深く、迷宮に入ってしまいそうな言葉です。

 茶の湯という、伝統ある精神文化を高めた利休が、堺の地に生まれたのは偶然ではないと思います。

 新しい文化が次から次へと入ってくる堺だったからこそ、利休は深く根源をみるようになったのではないかと思うのです。

 「伝統」とは「起源」の忘却のことである
-エドムント・フッサール- オーストリアの数学者・哲学者

 現在の伝統文化も、もとは前衛的だったはず。今に固執せず、より深く精神世界を突き詰めてみたいと思うのです。

 この日記も、今年は残すところ1回となりました

 過去をなどってはいないか、前を向けているか、根源をみようとしているか。自戒、反省の念が次から次へと湧いてきます。
 
 しかし、この1年を良い形で締めくくるため、残る1週間を利休のように精一杯考え、働くのみです。

動機善なりや‐1334‐

 先日、初期相談にみえた方が、新築かリノベーションかをかなり迷っていました。

 候補の物件を見せて貰ったのですが、その1つが建築家・石井修の作品だったのです。

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 氏の作品は今まで5つほど見たことがありますが、大阪市内にも2つほど知っています。

 本町にある、1970年完成の「ジェー・ガーバー商会大阪支店」。

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 日曜日だったので、内部は閉まっていましたが、パイプ状のスリットからみえる階段は、緩やかなカーブを描いています。

 こういったデザインがオリジナリティがあると言うのでしょう。とても46年前の建築とは思えない自由さを感じます。

 独創性、柔らかさ、そして美しさを備えた建築です。

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 もうひとつは、新世界にある「ギャラリー再会」。

 さらに遡ること17年。1953年の完成です。

 当時は1階が純喫茶だったようです。

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 ジャンジャン横町から北にある通天閣を目指します。

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 通天閣の真下を抜け。

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 北東に少し歩けば、「ギャラリー再会」。本当に、通天閣のすぐ足下にあるのです。

 映画全盛のころ、劇場のオーナーからの依頼だとありました。

 「建築に外観はいらない」という言葉の通り、後に彼は植物に覆われた建築を多くつくります。この建築でも、その一端を垣間見ることができます。

 今から5年前、石井修の自宅、目神山の家1-回帰草庵-を見せていただく機会がありました。

 この時ほど、日本建築家協会(JIA)に入って良かったと思ったことはありません。その住宅は、完全に緑に埋もれていたのです。

 リノベーションの候補に挙がっている作品も、とても魅力的でした。

 しかし、相談にみえた方の希望を聞いていくと、ある点でその建物は合わないかもと感じ、そう伝えました。

 創り手として、彼の作品をリノベーションしてみたい、という気持ちは正直に言えば強くあったのですが。

 動機善なりや、私心なかりしか

 1984年、電気通信事業が自由化された際に、現・京セラ名誉会長の稲盛和夫さんは、毎晩自身に問うたそうです。

 自分がいい格好をしたいから、参入すると言っているだけではないか、と。

 しかし、ここで参入しなければ、日本の通信料金が適正な金額になることはない。日本国民のためにと思い決断したといいます。

 鉄道網や高速道路網というインフラを持った当時のライバル会社は全てなくなり、KDDI(当時・第二電電)だけが現在も残っています。

 お客さん第一主義、という言葉をよく聞きますが、これを貫くのは簡単ではありません。

 私心をゼロにするのは簡単ではありませんが、動機が人として恥ずかしいものではないかを問うことは、私にもできます。

 聖人君子ぶるつもりはありませんが、そうすることで、決断が随分シンプルになった気がするのです。

成功への片道切符‐1332‐

 昨日は、「羽曳野の家」の点検に行っていました。

 7月のオープンハウス以来で、5ヵ月振りです。

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 ダイニングには、ペンダントの照明も加わりました。

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 子供部屋に掛けられた時計は、奥さんのアイデア。

 ポスターを入れるフレームとして売られているものですが、とてもいい感じです。

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 「生活感がでる」という表現がありますが、家は人が幸せに暮らすためにあるもの。

 生活感はあって当たり前です。

 そこを楽しみながら、セレクトして貰えると、創り手としてはとても嬉しいのです。

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 ロフトのトップライトは、夏場はかなり暑かったよう。

 将来的には、ブラインドか、ロールスクリーンを付けたほうが良いかもしれません。これからの課題です。 

 2番目のお兄ちゃんと、3番目のお姉ちゃんは、ここがお気に入りの遊び場とのことでした。

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 こちらのご家族は、お子さんが4人。

 この日会えたのは、7月のオープンハウスから1ヵ月後に生まれた、末っ子の三男君。

 大変仕事が忙しいお父さんに、ミルクを飲ませてもらいご機嫌でした。

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 幸せな景色を見せてもらい、「ここまでになるとは、思ってもいませんでした」と感謝の言葉をいただき、本当に有り難いことだと思うのです。

 このプロジェクトも、困難に困難を極めました。

 クライアントのOKが出れば、いつか全てを書いてみたいと思うのですが、コスト、ローン、現場と、次から次へと問題が噴出してきます。

 しかし、プロジェクトがスタートしたら、途中で逃げ出すという選択肢はありません。

 問題が起れば、そこに乗り込んで行き、何としてでも解決する。

 困難こそが、感謝や成功への片道切符なのだと仕事に教えてもらいました。多ければ多いほどよいのです(笑)

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 先月の20日で、2年半働いてくれたマルコが退社しました。

 その後にと思っていた若者は、1ヵ月半で退職しました。

 ちょっとストイックで、生真面目な私についてきてくれる人が沢山いるとは思っていません。

 1人でも2人でも、居てくれるだけで有り難いと思わなければならないのでしょう。

 もしIQが200あるのなら別ですが、私たちはもちろんのこと普通の人間です。

 困難やトラブルこそが、自分の存在価値を示すチャンスなのは間違いありません。

伏見の酒蔵いりませんか‐1331‐

 先週、ある施工会社の社長から電話がありました。

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 「伏見の酒蔵要りませんか?」と。

 写真も送って貰いました。この建物の解体を依頼されたそうですが、ただ潰すのはもったいない。

 「先生はいろんな仕事をされているので、こんな建物なら欲しいと言う方を、誰か知らないなかなと思って」と。

 折角なので見に行ってきました。

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 築後100年くらいは経っているでしょうかか。

 外壁はかなり傷んでおり、トタンで覆われています。

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 安土桃山時代に秀吉が伏見城を築城し、その際に外濠としての水路も整備しました。

 その水路が、建物裏手に流れています。

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 土壁がむき出しになっていましたが、元は焼き杉板だったようです。

 日本酒はあまり知識がないので、伏見酒造組合のwebサイトをみると、なかなか興味深いものでした。

 一升の酒をつくるのに、八升の水がいるので、酒づくりには良質で豊富な水が必要。

 桃山丘陵をくぐった地下水が、山麓近くで湧き出すのがここ伏見で、かつては「伏水」と書かれていたそうです。

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 酒蔵の名前も、聞いたところがずらりという感じです。

 河童でおなじみの黄桜も。

 400mほど南に下ると、坂本龍馬が難を逃れた寺田屋があります。

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 幕末には、維新の志士がこの地を度々訪れました。

 そのことからも、この地が京都と大阪を繋ぐ要衝であったことがよく分かります。

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 寺田屋前の水路を下れば、宇治川、大川とつながっていきます。

 先週木曜日は、大川沿いのホテルニューオータニで、稲盛和夫さんの講演を聴く機会がありました。

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 稲盛さんはこんな話をしてくれました。

 インドの聖典「ヴェーダ」には次のような言葉があるそうです。

 偉大な人物の行動の成功は、その行動の手段によるよりも、その人の心の純粋さによる。

 没後150年の歳月が経っても、龍馬が日本人の心をつかまえて離さないのは、この言葉の証明かもしれません。

 伏見の酒蔵。もし興味があるかたをご存じなら一報ください。

 これも、作り手の「もったいない」からきた、純粋な気持ちなのです。

偉そうな人は嫌いだけど、偉い人は好き‐1329‐

 11月25日(金)、「大改造!!劇的ビフォーアフター」のレギュラー放送終了という記事がでていました。

 出演した私が言うのも何ですが、終わるかもなと思っていました。

 記事には、東日本大震災や東京オリンピックの影響で、工期が遅れ気味になり、レギュラー放送が難しくなったとありました。

 それが一番なのでしょうが、番組製作費がどんどん削られる中、あれだけの人と時間を投入して、番組をつくるのは大変だろうな、と思っていたのです。

 民放に勤めている知人が、民放とNHKとの違いについてこう言っていました。

 「あの会社(NHK)は、お金とか時間のことは考えていない」

 これは羨望半分、敬意半分だと思います。

 となれば、あのような番組はNHKが製作するしかないのかもしれません。冗談半分、本気半分ですが。

 昨日は、奈良の学園前に行く用事がありました。 ついでに、駅の南にある大和文華館に寄ってきました。

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 学園前の南は歩いたことがなかったのですが、かなり大きな家が建ち並んでいます。

 前庭というか、小山の上に山があるというか。これは、正真正銘の豪邸です。

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 住宅街にある緩やかな丘を登って行くと、大和文華館はみえてきます。

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 写真で伝わりにくいかもしれませんが、東西にかなり長い建物で、40m近くあるでしょうか。

 広角レンズを持って行けばよかったのですが後の祭り。

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 吉田五十八の作品は、上野の日本芸術院会館くらいしか見たことがありません。

 数寄屋建築を自らの解釈で、近代建築に取り入れました。

 誰でも真似ができそうで、誰にも真似ができない。それが吉田五十八だという気がします。

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 展示室は撮影禁止でしたが、エントランスホールもガラスを使いながらも、和を強く意識させます。

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 展示室を抜けると、池に望むテラス。

 ここには出られませんでしたが、池を望むロケーションは素晴らしいもの。

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 裏に回るとテラスの形状が良く分かります。

 建物は持ち上げられ、中央が地面と接しているのですが、この部分に竹林があります。

 展示室の中央が外部となり、全方向からその竹が見えるというダイナミックなプランになっていました。

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 外壁のデザインは、漆喰によるなまこ壁を強調したとでも言えばよいでしょうか。

 これだけ思い切って単純化するのは、デザインを生業とするものとすれば、かなり勇気のいることです。

 エメラルドグリーンを選択しているにも拘わらず、奇をてらった感じは一切なく、逆に薄味な感じさえしてきます。

 昭和初期に活躍した吉田五十八は、その功績が称えられ、彼の名を冠した賞が創設されています。

 近代建築の発展に大きく寄与したことに加え、プロが尊敬できる建築家だったのではと想像しているのです。

 偉そうな人は嫌いですが、本物は大好きなのです。

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 アプローチには、雨に打たれて寒椿が寒そうに咲いていました。

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  現場近くでは、サンゴジュが赤い実を。

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 近所の公園に出るだけで、見事に色づいたイチョウが見れます。

 ある建築家が「これだけ多くの観光客が日本に来てくれるのは、四季があるからだと感謝しなければならない」と言っていました。

 同じ場所でも、四季によって違った景色を持っている。これは、そこに暮らす私達にとっても、大変豊かなことです。

 そう考えれば、日本人が偉い訳ではなく、日本の自然が偉いことになるのです。

一見さんお断り‐1326‐

 今日は天満橋から京阪電車の乗り、打合せに行っていました。

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 大川沿いの桜が、真っ赤に色づいていましたが、この季節の京都は、凄い人出でしょう。

 現在、京都で設計しているオフィスがあります。

 鉄骨3階建ての面白い建物なので、また時期がくれば紹介したいと思いますが、これまで京都では5件ほど仕事をしました。

 実施図面が完成し、さあ競争見積をスタートというタイミングで、2~4の建築会社に声を掛けます。

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 競争見積とは言え、私達は仕事を紹介する立場とも言えます。

 しかし京都の場合、初めて連絡をした際は、断りベースの会社が多いのです。

 祇園で言えば、一見さんお断り、といったところでしょうか。

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 それでも長く仕事をしてきたので、パートナーと思っている会社が、京都、滋賀にも何社か出来ました。

 中でも、一番多く仕事をしてきたのは、京都ではかなり大きな建築会社です。

 2000年に完成した「紫竹の家」を設計していた頃、同級生が就職していたという縁だけで電話を掛け、まず見積を引き受けて貰いました。

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 この見積を担当してくれたのが当時60歳くらいの方で、工事部長の肩書だったでしょうか。

 私は設計という立場だったので、常に柔和な笑顔を向けてくれましたが、仕事に厳しい、また、部下にも厳しい顔をもったプロだと感じていました。

 「紫竹の家」は私にとっては4作目。まだまだ分からないことだらけで、随分助けて貰ったのです。

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 私のクライアントには失礼な言い方ですが、それほど規模の大きくないマンションのリフォームや、その建築会社では安さのあまり伝説になっているという、1千万円台前半の超ローコスト住宅まで。

 色々な仕事を引き受けてくれました。

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 最後に仕事をしたのが、2008年の「切妻と中庭の家」。

 その後も何度か見積りを依頼しましたが、金額が合わずなどで、以降仕事は遠のいていました。

 この建築会社は、本来はかなり大きなマンションや公共建築を施工する規模の会社です。

 マンションの施工だけでは、現場監督の力が付かないという思いもあったのだと思います。

 また、若かった私を応援してくれていたのだと今は思っています。

 今回も営業部長に見積を依頼すると、「人手不足で辞退させて頂きたいです」との返事でした。

 当社までお詫びに足を運んでくれたので少し話をしていると、その幹部の方がこの年末で勇退するとのことでした。それもあっての辞退だったようです。

 私の嘆き節は2パターンで、「友達が居ない」「先輩に可愛がって貰えない」です。

 友達はほぼ居ませんが、ライバルは沢山いますし、先輩に可愛がって貰った記憶はありませんが、京セラの名誉会長、稲盛和夫さんのような、尊敬する師を持つことは出来ました。

 しかし考えてみれば、今年で勇退されるこの方のように、それこそ「仕事の鬼」というような大先輩には、結構可愛がって貰ったのかもしれません。

 この方が現役の間に、京都でもう一件くらいは一緒に仕事をし「いや~先生、この建物は素晴らしいですねえ」と言わせたかったと言うのが今の気持ちです。

 人も社会も変化こそが常。また初心に戻り、新たな出会いを求めて行動を起こさなければなりません。

 「今忙しいので」と、軽~く断った建築会社の人達には、そちらの仕事が無い時に、頭を下げに来て貰うイメージです。

 言っていることが小さいかもしれませんが、反骨精神も、私のモチベーションの1つではあります。