伏見の酒蔵いりませんか‐1331‐

 先週、ある施工会社の社長から電話がありました。

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 「伏見の酒蔵要りませんか?」と。

 写真も送って貰いました。この建物の解体を依頼されたそうですが、ただ潰すのはもったいない。

 「先生はいろんな仕事をされているので、こんな建物なら欲しいと言う方を、誰か知らないなかなと思って」と。

 折角なので見に行ってきました。

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 築後100年くらいは経っているでしょうかか。

 外壁はかなり傷んでおり、トタンで覆われています。

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 安土桃山時代に秀吉が伏見城を築城し、その際に外濠としての水路も整備しました。

 その水路が、建物裏手に流れています。

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 土壁がむき出しになっていましたが、元は焼き杉板だったようです。

 日本酒はあまり知識がないので、伏見酒造組合のwebサイトをみると、なかなか興味深いものでした。

 一升の酒をつくるのに、八升の水がいるので、酒づくりには良質で豊富な水が必要。

 桃山丘陵をくぐった地下水が、山麓近くで湧き出すのがここ伏見で、かつては「伏水」と書かれていたそうです。

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 酒蔵の名前も、聞いたところがずらりという感じです。

 河童でおなじみの黄桜も。

 400mほど南に下ると、坂本龍馬が難を逃れた寺田屋があります。

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 幕末には、維新の志士がこの地を度々訪れました。

 そのことからも、この地が京都と大阪を繋ぐ要衝であったことがよく分かります。

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 寺田屋前の水路を下れば、宇治川、大川とつながっていきます。

 先週木曜日は、大川沿いのホテルニューオータニで、稲盛和夫さんの講演を聴く機会がありました。

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 稲盛さんはこんな話をしてくれました。

 インドの聖典「ヴェーダ」には次のような言葉があるそうです。

 偉大な人物の行動の成功は、その行動の手段によるよりも、その人の心の純粋さによる。

 没後150年の歳月が経っても、龍馬が日本人の心をつかまえて離さないのは、この言葉の証明かもしれません。

 伏見の酒蔵。もし興味があるかたをご存じなら一報ください。

 これも、作り手の「もったいない」からきた、純粋な気持ちなのです。

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