カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

富士山

 この夏期休暇の間、山梨県へ行っていました。

 出発した8/14(金)は、地震の影響で東名高速の袋井~焼津間が不通。渋滞予想もあったので、3:45amに大阪をでました。

 不通の区間は下道で移動です。ドライブがてら、県道を遠回りしてみました。

 静岡だけあって辺りは一面の茶畑。

 焼津から高速に乗りなおし、富士ICを降りたのが10:00am頃。

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 この日は生憎の曇り空。景色はあきらめて、牧場に寄りました。

 乳搾り体験は終わっていたので、子供には練習機で。

 富士五湖をぐるりと回って5:00pm頃、ホテルに到着しました。

 8/15(土)は朝から晴れ。しかし富士山だけはスッポリと雲の中。

 今年に入って、4日見に来ましたが、まだ一度も山頂を見ていません。何とか見れないかと、5合目まで上がってみました。

 ♪頭を雲の上に出し~♪

 とはならず、これも駄目。登山する人達の多さに圧倒されて、早々に退散です。

 最終日に期待して、夕食は山中湖畔のレストランへ。

 甲州牛の陶板焼きは5000円。この焼き方が名物のようです。

 ちょっと奮発しましたが、かなり満足の味でした。

 食後、夕涼みに浜辺へ。

 いつの間にか雲がとれていました。

 暫くの間、感激です。

 8/16(日)は打って変わって朝から快晴。

 近くにある、森の中の水族館へ。

 ここは淡水魚専門の水族館でこじんまりとして中々に良いのです。
 

 水盤のある公共施設は数有れど、水とここまで密接な建物は中々無いと思います。

 木陰から、水中をのぞいている感じなのです。

 山中湖花の都公園は、ヒマワリが一面に咲き、素晴らしい景色でした。
 
 今回は富士山を見る旅。

 やはり、日本一以外に例えようの無い、流石の美しさでした。

お盆は混むもの

 長かった梅雨が明け、高校野球が始まり、気が付けば今週末はお盆です。

 先日クライアントと、里帰りの話をしていました。奥さんの実家は愛媛県の西側の海、豊後水道に面した島でした。海は美しく、天気の良い日は大分県まで見えるそうです。しかし帰省は一日掛りという話になりました。

 本州から四国に渡り、四国を東から西へ横断し、最後は船で島へ。お子さんも小さいので、大変だろうなと思いましたが、何というか、聞いているだけでワクワクしてきたのです。

 私が小さい頃は父と母の郷里へ帰省していました。大阪から岡山県倉敷へ。フェリーで四国に渡り、香川県まんのう町へ。帰りは高松からフェリーで神戸へ戻ります。

 今ほど夏期休暇の分散化が進んでいない、高度経済成長期も終盤の1970年代。フェリーはいつも一杯でした。

 父の家業はガラス屋で、トラックで帰ることもありました。トラックは予約がとれず、昼過ぎから港で順番待ちなのです。人が並ぶように、港の広い駐車場に列になって待っていました。暑い夏の日、アスファルトの上で随分な時間を潰すのは、中々大変でした。

 我が家の2tonトラックには、3畳の和室が積めるようになっていました。冗談みたいな話なのですが、父お手製の簡易キャンピングBOXをクレーンで載せるのです。

 書いてしまって良いのか、フェリーに乗る際は、私たち兄弟はこの3畳の部屋に入れられ、静かにしておくよう言われていたのです。早い話が無賃乗船……。

 決して許されるべきことではありません。しかし私の記憶に残っているのは、長い待ち時間、客室が一杯で、デッキに毛布を敷いて星を見ながら寝たこと、そしてこの3畳間。

 今年のお盆はETC割引で、大渋滞が予想されています。それによる経済損失と、CO2の排出量が試算されていました。後者は大問題ですが、効率よく、スムースに移動するのだけが決して良いとは思いません。
 
 面倒で非効率でも、何かしらの記憶に残る旅が、絶対に良いと思うのです。今年の大渋滞も、ちょっと楽しみな気がする私は、変わり者かもしれませんが。

夏の句

 今日は夏らしい青空です。最近早起き出来ておらず、セミの声に起こされています。

 朝の子供番組で、日本の名文というコーナーがあります。ダメとは知りながら、この番組をエサに子供に歯磨きをさせているのですが、私も楽しみにしているのです。

 夏草や 兵どもが 夢の跡   松尾芭蕉
 閑さや 岩にしみ入 蝉の声   松尾芭蕉  
 
 何故か涼しさ漂う句です。芭蕉を訪ねてみたくなりました。

 大阪から三重県の伊賀上野までは、名阪国道を通って1時間半ほどです。

 芭蕉は1644年、江戸時代に伊賀上野で生まれました。

 生家は改築させたそうですが、今も同じ地に建っています。

 藩主の藤堂家に奉公に出ていた芭蕉は、そこで俳句を習います。そして、29歳の時に江戸へ出て、その名声を高めて行きます。

 裏庭にあるこの庵は、江戸行きのきっかけとなった、初めての句集を執筆していた場所で、こちらは当時のものだそうです。

 この場所で、悩みながら詠んだのでしょうか、それとも泉のように湧いて来たのでしょうか。

 俳聖の生家とは言え、これだけでは子供は満足しません。

 いざ忍者屋敷へ。

 実演しながら説明してくれるスタッフは、どうやらアクション俳優の卵のようです。

 どんでん返しの扱いも流石にスムースでした。

 縁側には、地下道へ繋がる入り口が。大人700円でした。

 そのあとは忍者実演ショーへ。

 200円の追加が必要ですが、これが予想を遥かに上回る迫力と面白さ。

 一人は新撰組のドラマで近藤勇役、一人は水戸黄門の茶坊主役での出演が決まっているとの事。

 面白いはずです。

 手裏剣は、1つが200gあるので、沢山持っていては身軽に動けないそうです。

 もう駄目だと言う時、最後に使った道具だったのです。

 その後芭蕉は、おくの細道を完成させて、1694年、旅先の大阪でその生涯を閉じます。

 旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる   芭蕉

 伊賀上野は市営駐車場に止めて、見所の大半は歩いて行ける距離にあります。

 芭蕉は忍者だったという説もありますし、ちょっと出掛けるにはお勧めの街です。

讃岐うどんの名店Ⅳ

昨日の大阪は曇り。残念ながら皆既日食は見れませんでした。

しかしトカラ列島で悪天候に見舞われた人は、その比ではなかったでしょう。次回26年後を楽しみにしておきます。

先週の連休は、岡山、香川に行っていました。お墓参り、レオマワールド、祖母との面会とあったのですが、今回は讃岐うどんについて書いてみます。

今までの名店めぐりは、Ⅰ「ひやあつ」のやまうち、Ⅱ「ぶっかけ」の山下、Ⅲ「釜揚げ」の長田うどんでした。

今回は、「元祖しょうゆうどん」の小懸屋。長田うどんの辻向かいにありますが、こちらも繁盛店で新館まで増築済みです。


11:00amに到着して、何とか待ち時間なしでした。

待っている間に、まずは大根をおろします。

夏大根は、予想を遥かに超えたに辛さ。あちらこちらで「入れすぎた」という声が聞こえていました。

特大は840円。大なら525円です。味噌だれで食べるおでんは84円。

スダチを絞って食べるしょうゆうどんは、かなり腰が強めです。

しかし麺はつるっと滑らかで、いくらでもいける感じなのです。流石の味でした。

この店は、祖母の家から10分ほど。

一緒に暮らす叔父に聞くと、繁盛店は観光地化されている事もあり、あまり勧めません。

しかし、この讃岐うどんブームの中でも、最人気店と言って良いのが「かま玉」の谷川米穀店lです。小懸屋からもそう遠くありません。

駐車場が小さいので、なかなか訪れるチャンスが無いのですが、叔父の奥さんの親戚筋と分かりました。

次回は是非と、思っているのです。

レジャーはオオニシに

 今日は海の日。香川県は生憎の雨空です。

 この連休で、岡山、香川と祖父達のお墓を回りました。

 昨晩からレオマワールドのホテルに宿泊。レジャーはオオニシにマカセロ、の頭文字でレオマ。嘘のような本当の話しです。

 昨日は曇り予報だったのがスカッと晴れました。

 京都も暑いですが、瀬戸の夕凪も負けず劣らず蒸し暑い。

 私達も同じなのですがETC割引で四国は本当に人が多い。

 昨日行ったうどん有名店は午前11時に行ってかろうじて待ち時間なしでした。

 さて、今日中に無事大阪に帰れるのかどうか。

新世界

 昨日の日曜日は、晴れ予報に変わりました。長男の希望で動物園へ行くことに。

 天王寺動物園については何度か書きましたが、サバンナゾーンにキリンが立つ姿は、なかなかのものです。

 人の少ない時間帯に、木陰のベンチから眺めていると、ひととき喧噪を忘れます。

 朝一番が絶対的にお勧めです。

 本当に暑かったので、動物園はそこそこにして、早めの昼食をとることに。

 園のメインゲートを出て東へ信号を渡るとすぐ新世界です。

 南に曲がれば、以前は三味線を鳴らし客引きをしたというジャンジャン横丁。

 ふぐのちょうちんで有名なずぼらやを北に曲がれば通天閣。

 観光地化されたとは言え、雰囲気のある店がまだまだ残ります。

 妻は初めてだったので、串カツを食べたいと。

 店は色々考えましたが、ベビーカーでも入れる「朝日」へ。 

 「ソースの二度漬けお断り」は、当たり前でしょう、という感じの貼り方でした。

 これも、新世界のアトラクションの一つかもしれません。

 金額は、串カツ100円、ホルモン120円、山芋120円といった感じ。

 ソースが美味しいので、大体のものはいけますが、やはり外せないのはホルモンでしょうか。

 私の中でも一番でした。

 1歳の長女はいつも良く食べますが、ホルモン串をガツガツ食べていました。

 昼食の後は、ついでに通天閣へ。大人600円。

 ビリケン様も、商店街にいくつも大きなのがあるので、ちょっと有り難味が……

 目立てば勝ち、という感じで、全ての店が総チンドン屋化していました。

 それはそれで、街の雰囲気を作っています。

 ただ、元は南にある飛田の遊郭街や、釜ヶ崎の日雇い労働者と、切っても切れない関係にあります。

 治安が良いところでは無いことは間違いありません。

 動物園に行く前もジャンジャン横丁を通りましたが、立ち飲みスタンドでは、朝からビールをあおるオッチャンの混み具合が、普通ではありませんでしたし。

 久し振りに行ったのですが、それでも面白い街には違いありません。

神戸元町

 先週の木曜日、神戸の元町へ行っていました。

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 2002年から2003年にかけて、すぐ駅前にある商業ビルの改修をしていたので、よく来ていました。

 久し振りでしたが、テナントも入っており安心しました。

 駅前の道路を南に渡り、ビルの脇を抜けると神戸元町商店街です。

 更に南に行けば中華街。インフルエンザ禍も過ぎ、湯気の上がる屋台の点心にも、行列が出来ていました。

 中華街を抜け、更に南へ下るとメリケンパーク。ここまで駅から10分弱です。

 反対に駅から北に向かへば、10分歩くと山の手の雰囲気に変わります。

 山と海の近さが、神戸独特の変化ある風景を作っているのです。

 海沿いにはポートタワーもありますが、私としては、フランク・O・ゲーリーのフィシュ・ダンス。

 抽象でもなく、具象でもないのに、チープではないこの感じ。

 巨匠と呼ばれるに相応しい仕事です。

 金属のメッシュで構成されたウロコが、やや錆びており、さらに良い感じです。

 製作は、安藤忠雄の監修だったとは知りませんでした。

 会合を終えると10:00pmでした。

 山手には、神戸の市章と錨のイルミネーション。

 小さい頃、夏休みは母方の里、香川で過ごしました。橋の無い当時は、カーフェリーで帰ってきます。

 夏休みは凄い混雑で、よく甲板に寝たものです。到着港は少し東の青木。このイルミネーションが見えてくと、夏休みが終わるサインでした。

 仕事の時は、用事が終わればバタバタと帰るだけ。今度ゆっくり中華街へでも来ようか……と思います。

箱根

 6月に入って初めての週末。梅雨入りする前に遠出してきました。

 富士山でも見に行こうかと、宿を探したがとれず、次の候補が箱根。私には未体験の観光地です。

 土曜日の5:30amに大阪を出発。名神、新名神、伊勢湾道を乗り継いで東名高速へ。

 最寄の御殿場ICまでは450kmほど。2度休憩して11:00am頃に着きました。

 そこから国道138号線を20km程走り、30分で到着です。トータルで6時間みておけば大丈夫そうです。

 まずは彫刻の森美術館へ。

 子供が触れて、遊べる作品が多いのは助かります。

 小さいうちにアートに触れるのは、とても良い事。

 展示室以外は撮影OKとの事でした。 

 中でも「ネットの森」は、素晴らしいの一言でした。

 堀内紀子〔1940-〕、2009年の作品です。

 何層にも重なったネットは宙に浮き、下に45cmの穴がいくつも開いています。

 そこから立体的なネットの隙間に入いり込み、登って行くのです。

 所々には、行き止まりの隙間もあります。

 上手く順に登って行くと、一番上はネットの平原。

 どの子供も大はしゃぎで、汗だくでした。

 芸術が人に貢献する方法は様々です。用途が明確なアートは、とても難しいのかもしれません。

 そうだとすると「ネットの森」は遊び心と、構造的美しさを兼ね揃えた、最高のアートと言えます。分かり易いことは全てにおいて素晴らしい事なのです。

 残念なのは小学生まで限定という事。入ってみたいと思うのは、絶対私だけではないはず。

 アントニー・ゴームリー(英)1993年の「密着」。

 作品名を聞かなければ、色々な解釈ができそうです。

 ピカソ、ミロからロダン、ヘンリー・ムーアー、ブランクーシ。加えて足湯までありました。

 今度は一日掛けて遊びたい所です。

 日曜日は、朝から旧東海道を尋ねました。

 江戸時代に整備された石畳が所々残っています。むせかえるような新緑の中、苔むした石畳にノミ跡を見て、350年前に思いを馳せます。

 ♪箱根の山は天下の険♪の通り、ここは難所中の難所。

 行って良く分かりました。日曜日だけで、2台のバイクが転倒したのを見たのです。一台はすぐ目の前で。

 幸い2人とも怪我はなさそうでしたが、もう少し命を大切に、とは思います。

 その難所を超えたら、眼下には芦ノ湖が広がります。湖畔の最も平地が狭い所には関所跡が。

 江戸時代、幕府は全国に53の関所を置きました。日本4大関所は他に、木曽福島(長野)、碓氷(長野)、新居(静岡)です。

 中でも江戸に一番近い箱根は、最も厳しい管理体制が敷かれていました。

 幕府は、大名の妻子を人質として江戸に住ませた為、特に女性の出国には厳しかったようです。

 武器の流入阻止と合わせて 「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まりました。

 近くにある「お玉ヶ池」は関所破りをして捕まった「お玉」という女性が、付近で処刑された事から付いた名前です。

 当初の目的は富士山。最後まで裾野しか見せてくれませんでした。 

 その目的も達していませんが、多くの美術館、温泉、歴史情緒……もう一度箱根に行きたいと思っています。

チエちゃんの住んだ街

 先週の新聞だったか「じゃりン子チエ」の母校が無くなるかも、という話題がありました。

 勿論モデルになった、です。

 大阪の下町にあるホルモン焼き屋を小学生が切り盛りするという人情漫画。

 アニメ版は時々観ていました。

 その程度ですが、テツ、小鉄、アントニオ、ヒラメちゃんなどスッと名前が出てくるものです。

 舞台は通天閣のすぐ近く。今でも新世界のシンボルです。

 近くを通ったので一枚撮ってみました。

 近くにはホルモン焼き屋まで。漫画の世界とは随分趣が違いますが。

 このあたりも、数少ない街の景色を持っている場所と言えます。作者のはるき悦巳氏は大阪市西成区出身で1947年(昭和22年)生まれ。

 記事には、自身が通っていた萩之茶屋小を想像させるのでモデルとみられる、となっていました。

 舞台は昭和50年代の設定となっていましたが、漫画の中の街の風景は、おそらく作者の幼少期、昭和30年台前半から、40年代前半までの記憶だと思います。

 私は昭和45年生まれですから、幼少期が昭和50年代の中盤。この頃の景色とそれまでの景色は大きく違いがあります。

 具体的に言えば、万博のあった昭和45年以降に建った家は、多くが木造モルタル塗りの家。それ以前は、板壁か、土壁に漆喰の家が主なのです。

 さほどの分岐点には見えませんが、この間に街の風景は大きく変わったはずです。小学校だった私も、自分の暮らす街より、漫画の中に出てくる街のほうに惹かれていた気がするのです。

 工場で出来た既製品と、職人が手仕事で作ったものとでは、絶対後者のほうが好きです。自然界に均質なものなど無いからです。

 手仕事で作ったものでも、工業製品からと、自然の素材からでは圧倒的に自然素材のほうに心は惹かれます。

 万博のあった昭和45年頃を境に流通が発達し、家の外壁なら土、漆喰、木から工業製品のモルタルやペンキが主役に変わって行ったのだと思います。

 それは、何の知識も持たない子供の目にも大きな違いだったのです。

2009年 ゴールデンウィーク

この4連休の間、5/4(月)から5/6(水)で和歌山に行っていました。

 5/4(月)は朝の5時半に大阪を出発して、9時前に串本海中公園に到着。

 前は何度も通りましたが、初めて訪れました。

 グラスボートも乗りましたが、水中展望台のほうが魚をゆっくり見れます。

 このあたりはテーブルサンゴが多く残り、海の中も南国の雰囲気です。

 何故か、海中にポストがある光景をイメージしていたのですが、ここでは無かったようです。

 そのまま、本州最南端の串本大島を東に、少し行き過ぎると、名勝橋杭岩。

 この景色も、観光気分を盛り上げます。

 初日はこのままホテルのある、南紀田辺まで戻りました。

 5/5(火)はこどもの日。

 天気が今ひとつだったので、白浜アドベンチャーワールド行きを一日繰り上げました。

 前日の人出が凄かったと聞いていたのですが、3:00pm頃入園。

 混雑はしていましたが、午前中の雨で若干出足が鈍ったようです。

 動物を見るサファリパークは、列車に乗っても廻れますが、この日は歩く事に。

 歩くとエサやりで結構楽しめます。エサ代は100円から200円くらい。

 天気が悪かったのが良かったのか、いつも寝ているパンダも活発に動き回っていました。

 日が暮れるまで遊んで、園内で夕食。この日は夕食を予約していたのですが、仕方なくキャンセル。

 子供の日なので、子供優先が当たり前です。特別な日なので仕方無いんです。でもたまの外食くらい……。半分冗談で半分本気です。

 最終日の5/6(水)も曇り空。

 この日も人出は落ちていると予想して、朝から白浜の中心地へ。

 千畳敷、円月島とならぶ白浜の景勝地、三段壁へ。

 断崖絶壁が有名ですが、その下に大きな海侵洞窟があるのです。ここに降りるエレベーターが何と1200円。

 その金額に敬遠していたのですが、熊野水軍の船隠場だったと聞けば話しは別です。

 男なら、歴史ロマンを感じてしまうのは私だけではないはず。

 本当に隠されていたか、今となっては知る術もありませんが、雰囲気は満点でした。金額通りかは別にしてお勧めしておきます。

 その後ホテルに戻り、前の海で子供と磯遊び。

 1:00pm頃、田辺を出発しました。

 このゴールデンウィークの渋滞はネクスコの予想をはるかに上回るものばかりでしたが、最終日は天候の事もあり、そこまででは無かった気がします。

 4:00pmには大阪に戻って来れました。

 ずっと海のそばに居たので、できれば釣りをしたかったのですが、それは盆休みの楽しみにとっておきます。