カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

穏やかでいると決めること‐1349‐

 年始のことですが、「スポッチャ」という施設で、ビリヤードをしました。

81

 かなり久し振りでしたが、そこは「ハスラー2」のプールバー世代。

 娘と行っていたので、ああだこうだとアドバイスしてみました。

 キューが長いので、先の半分だけを使っていますが、時々ですがポケットにボールを落とすのです。

07

 それが楽しかったらしく、ビー玉を穴に入れるゲームを作ると言いだしました。

 お菓子の空箱を使うアイデアを持っていたので、底板を少しカットし、裏返すというアドバイスをしました。

 これがなかなかの出来で、おもわず「上手いねえ」と言ってしまいました。

 また、日曜日の子守がいない際は、時々会社へ連れていきます。

 すると娘が「この絵、凄いねえ」と感心しているのです。

11

 昨春完成した「SEIUNDO」に納めた本棚の、高さを検討したいというリクエストがありました。

 その図面が、机の上に置いてあったのです。

 断面図に少し線を描くだけで、それらが立体的に見えます。これはスタッフの田辺が描いたもの。

15

 それをみて、ものを立体的に描くことに目覚めたようです。

 最近スケッチが上手くなったなと思っていたのですが、更に腕を上げた感じがあります。

 嬉しいことだったので、田辺さんにそのことを伝えました。

 すると「小さい時に、36色入りの色鉛筆を買ってもらい、描くのが好きになりました」と。

 ちょっと自慢の色鉛筆を使い。それが彼女の絵を上達させたようです。

 そしてほめられてさらに上達。成長のスパイラルはいつの時代も同じです。

 娘の誕生日には、いい色鉛筆を買おうと決めました。

 やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。

 -山本五十六-連合艦隊指令長官

 子供も社員も、褒めて育てるのが一番という時代です。

 動かすためにほめるのは小賢しい気がしますし、心がこもっていなければ意味もないだろうとも思います。

 しかし、思わず褒められるような、平穏な状態であることが大切なのだろうかと考えています。

 朝から晩までトップギアに入れっぱなしの日は、カリカリしたまま家に帰ることもあります。

 そんな日は、ギスギスした雰囲気になりやすいもので、到底「ほめるベース」で見ることなどできません。

 娘が起きている時は、玄関まで飛んできて私のカバンを運んでくれます。

 これより幸せなことは他にありませんし、そんなことが多少なりとも私の心を穏やかにしてくれるのです。

 ほめるというのは、相手の行動もそうですが、自分の心の持ちようが大きく影響しているのかもしれません。

 心が穏やかである。それは、そういう状況をつくれたときに成立すると考えていました。

 しかし本当は「穏やかでいると決めること」に他ならないのかもと、最近思っているのです。

間合い‐1347‐

 アメリカにトランプ政権が誕生しました。

 近くの同種族とよい関係が築けなかった種は、衰退するのが生物界のことわりです。

 アメリカはどこへ向かっていくのか。

 建築家・黒川紀章は「共生」という思想を提唱しました。

60

 1970年の大阪万博では、タカラ・ビューティリオン、東芝 IHI館等を設計。

 現在、万博公園内にある国立民族博物館も彼の設計です。

 こちらは1977年の開館。

61 - コピーのコピー

 私がみた中では、最も規模の大きな作品でしょうか。

 黒川紀章は2007年に73歳で亡くなりましたが、日本だけでなくヨーロッパ、中東、中国と様々な国で大きなプロジェクトを手がけました。

 20世紀後半から、21世紀初頭にかけて、間違いなく建築界のトップランナーだったのです。

65 - コピー

 コーナー部の処理は独特です。

66 - コピー

 近未来的なデザインは黒川の真骨頂。

70 - コピーのコピー

 中庭はギリシャ風とでも言えばよいのか。

 無国籍とも言えるし、寄せ集めとも言えます。

 「建築家としての私の評価はともかく、思想家としては何かを残せたのではないかと思っている」という彼のことばがありました。

67 - コピーのコピー

 館内は世界中の民族についての展示があり、かなりボリュームがあります。

68 - コピー

 イースターのモアイ像。

69 - コピーのコピー

 こちらはインドネシアのものだったか。

 しっかり見るなら半日はかかると思います。

 共生とは読んで字のごとくですが、20年ほど前だったか、テレビで黒川紀章とビートたけしが対談している場面がありました。

 黒川がこんなことを言ったと思います。

 「日本人は間合いを大切にしますね。その間合いが分からない人を間抜けと言うんですよ」

 そうと言って、2人で笑っていました。

 物理的な距離感だけでなく、話しかけるタイミング、相槌のタイミング等など。間合いによって、多くの差異がでます。

 戦国時代なら、生死を分けたかもしれません。剣豪・宮本武蔵などは、間合いの取り方が優れていたのでしょう。

 近すぎると動ける範囲が限られる。また、離れすぎると関係性が希薄になっていく。

 共に生きるが、べったりがよいわけでもない。

 これは国と国、人と人においても同じでしょう。

 黒川は共生という思想のなかで、受け入れる、多様性といったことが大切なのではと説きました。

 自国だけ。西側だけ。極東だけ。そういった単純な区分けと、幸せは対になっていない気がします。

 共生と間合い。

 思想家・黒川の言葉を解析するのは難しいのですが、ある種あやふやで、輪郭がはっきりしないものが実社会なのだと思うのです。

雪の延暦寺で宝の山をしる‐1346‐

 先週の寒波で、関西も北部はかなりの積雪があったようです。

 京都のクライアントは「まだ家の周りに雪がありますよ」と。

 それなら近場でも雪があるかなと思い、比叡山まで行ってきました。

01 - コピーのコピー

 入試も終わったので長男に「滑りに行くか」と声をかけると、友達と遊びにいくと。

 娘に聞くと、午前中は塾があると。

 重松清の「ビタミンF」にでてくる、悲哀に満ちた父親になっていないか、かなり怪しいところです。

03 - コピー

 昼過ぎに大阪を出て、午後2時頃に到着しました。

 比叡山延暦寺は、最澄によって創建された天台宗の総本山です。

07 - コピーのコピー

 世界遺産に登録されていますが、そこは娘には関係ありません。

 それで先に雪遊びですが、これだけ楽しんでくれたら来た甲斐があるというものです。

09 - コピーのコピー - コピー

 おきまりの雪だるまですが、納得の一品でした。

30 - コピーのコピー

 延暦寺にはかなり積雪がありました。

10 - コピーのコピー - コピー

 また、山頂だけあってアップダウンがかなり厳しい。

11 - コピーのコピー

 その分、有り難さが増すというものですが。

33 - コピーのコピー

 国宝の根本中堂が工事中だったのは残念でした。

13 - コピーのコピー

 総本堂とあるだけに、荘厳な建築でしたがこれは次回にお預けです。

15 - コピーのコピー

 比叡山は、京都と滋賀の境にあります。

 雪空でしたが、東の眼下には大津の街なみが広がります。

17 - コピーのコピー

 西には京都の市街地が。

 山頂は雪でしたが、京都市内は日が差しているようでした。

19 - コピー

 光を受けて、家々のいらかが金色に輝いています。

 沢木耕太郎の「バーボンストリート」は、私の中のベストワンエッセイです。

 その中に、高倉健の章がありました。

 彼は俳優という仕事を追求するため、度々延暦寺を訪れていました。そして住職にこんな質問をします。

 住職ほどの僧になられたら、京都の夜景をみても心は乱れないのでしょうね。

 すると、いえいえ、そんなことはありません。どれだけ修行をしても、ゆらめく街の灯をみていると、夜の街へ出てみたいといつも思います。人とはそういうものです。

 そんな話だったと思います。

 立派な人、歴史上の偉人を、別格として捉える傾向が日本人は強い気がします。

 これを、元サッカー日本代表監督のオシムは、中村俊輔らとの葛藤を語る際に「スターマニア」という言葉を使いました。

 天台宗の座主をばかにしたり、高倉健が普通の人だと言いたいわけではありません。

 同じ人間なのだから、諦めないと言い続けたいだけなのです。

 天台宗の開祖、最澄は自らの著書をこの言葉ではじめます。

 「一隅(いちぐう)を照らす」

37 - コピーのコピー

 続けて、「此れ即ち国宝なり」。

 社会の一隅に立ち、利己的な心を捨て、世のため人のために良いことを行う人こそが国の宝だと、最澄は言いました。

 そういう人たちに、スポットがあたりにくい世の中になってはいないだろうかと思います。

 華々しく、人前に立つ人だけで世の中はよくならないし、スティーブ・ジョブズは1人だけです。

 むしろ、地道に自分の仕事に打ち込む人こそが、宝なのだと平安時代に最澄は言ったのです。

 また、そういった人材を育てることを、一生のつとめとしました。

 国宝、市宝、社宝、家宝。

 まさに世は宝の山だったのです。

今日の屈辱を耐えて、明日のために生きろ‐1341‐

 この連休、子供をどこにも連れて行けずで。

 午前中、娘と堺にある「ビッグバン」という施設に行ってきました。

 遊びをテーマに設立された大型児童館です。

11-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 名誉館長の松本零士が創作した「壮大な旅物語に沿った、ストーリー性のある非日常空間を演出」とあります。

13-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 UFOのようなフォルムをしているのは4階部分。

 なかなか夢のある建物です。

 完成は1999年。松本零士といえば、「銀河鉄道999」の作者です。そこに合わせて、竣工させたのかもしれません。

15-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 内部も、その世界観に基づいてつくられています。

21-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 自分で書いたイラストを取り込み、架空の世界で遊ばせるという「電子動物園」。

23-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 宇宙戦艦ヤマトの中にいるような気分になります。

16-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 かと思えば、大阪にいたという古代ワニのアスレッチックあり。

25-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 また、正面右に見えるガラスのタワーは、4層を貫いた巨大ジャングルジムになっていました。

 小3の娘は満足していましたが、小1くらいまでが、一番楽しめるかもしれません。

 3年ほど前ですが、松本零士のインタビューが新聞に載っていました。

 彼の父は軍人で、太平洋戦争の際、陸軍士官学校の同期の中で、唯一生きて日本に戻ったそうです。

 部下の多くを失い、自決したかったのではと思う。それでも、家族の為に生きて帰ってきてくれたことに感謝するとありました。

 監督をつとめた「宇宙戦艦ヤマト」の沖田十三艦長はその父がモデルです。

 「今日の屈辱を耐えて、明日のために生きろ。死ぬな古代」いうセリフも、そういう意味のことをしょっちゅう聞かされていたからこそ生まれたものでした。

 生命を讃える考えが、全作品を貫く彼のテーマなのです。

27-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 施設の前に市民会館があるのか、成人式終わりの若者が集まっていました。

29-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 あでやかに着飾ったその姿は美しく、人生の中でも最も素晴らしい時間だと思います。

 松本零士の父はいつもこう言っていたそうです。

 「人は死ぬために生まれてくるのではない。生きるために生まれてくるのだ」

 生きるということは、たやすいことではありません。日々屈辱ということはありませんが、それでも困難の連続です。

 一人前とは、逃げないと決めること。大人の覚悟で頑張って欲しいと思います。

 そう言う以上、先輩の大人が逃げていたのでは話になりませんが。

当たり前にあるもの‐1340‐

 当社は今日が仕事初めでした。

 仕事初めは、昨日、今日が多かったでしょうか。

 1月3日に京都へ行く用事があり、平等院に寄ってきました。快晴に雪なら金閣寺ですが、青空で無風の平等院も捨て難いのです。

01

 平等院は1052年、関白藤原頼道によって創建されました。

 今から千年近く前、頼道の考えた浄土をこの世に再現したのが鳳凰堂です。

 水面に映る姿まで愛でた、日本人の美意識がここに結実しています。

17-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 軽やかに持ち上げられた、両翼は軽快、かつ繊細。

 平安時代の人が見た時の驚きはいかばかりのものだったのか。

 昨年末にスタッフが2人退職し、人出不足がゆえ現行スタッフは大晦日も、元日も出社してくれていました。

 これは私がお願いしたものではありません。

 しかし、私が若いスタッフを育成できなかったからに他ならず、本当に有り難いという気持ちしかありません。

53-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 昨年末の12月29日は、現場からの希望で、昨年最終の打合せがありました。

33

 この時期の現場は、本当に寒いのです。

 若い大工がベニヤのお盆に載せて、暖かいコーヒーを持ってきてくれました。それを棟梁にわたす姿が、何とも微笑ましく。

 「若い人が育って、いいチームなってるね。ウチはなかなか……羨ましいよ」と言いました。

 すると棟梁が「何言ってるんですか、ここにチームがあるじゃないですか」と。

 「そうやね、こうやってやる気のある人が集まってくれることに感謝しないといけないね」と返したのです。

 「当たり前にあるものほど、本当は一番大事」

 これは、ダウンタウン松本のブレーンであり、構成作家・高須光聖の言葉です。

 当たり前とは、自分が選び続けている現実ともいえます。また、人は知らない人を応援することはありません。

 組織も個の集まり。まずは自分に近しい人を大切にするしかありません。

 この単純な真理をどれだけ実行できるか。

 今年一年、いや今後の人生、本気でやろうと思うのです。

2016年 暮れは元気にご挨拶‐1338‐

 昨日で役所も御用納め。

 しかし今日も現場は動いています。午前中は「北摂の家」の現場へ行ってきました。

 建築と農作業は似ていて、一足飛ばしが出来ません。よって年末年始は正直堪えます。

 しかし土曜休みなどないのが職人の世界。たまの休みには英気を養ってもらいましょう。

 2016年の日記も今日で最後。1年間を振り返ってみます。

1月 日に新た‐1235‐
 01

 2014年9月27日に噴火した御嶽山。

 麓のスキー場で年明けを迎えました。

 今年のテーマは「日に新た」。本田宗一郎の言葉です。

02-2

2月 とどめの一撃‐1247‐

 芥川賞の選考委員をしていた作家・開高健は受賞作を選ぶ基準をこう表現しました。

 その作品に『鮮烈な一言半句』はあるか?

 「クー・ド・グラース(とどめの一撃)」とも表現しています。

 「高台の家」で、私が目標にしていた、賞をとることは出来ませんでした。再度、戦いを挑む覚悟です。

03-2

3月 朝焼けの中で‐1259‐

 3月27日(日)は、「SEIUNDO」の写真撮影でした。

 深夜0時まで夜景を撮り、仮眠をとって5:00amから撮影再開。

 写真家は、何時であろうと最高のカットを求めます。

04-1

4月 火の鳥のように‐1265‐

 4月14日(木)21時26分に熊本で最大震度7の地震が発生しました。

 しかし、火の国・熊本。不死鳥のように蘇ると信じます。

05-3

5月 枯れて石庭、燃えて金閣‐1275‐

 観光シーズン真っただ中の金閣寺。

 夕日を受けて黄金の軒裏が、池からの反射を受け輝いていました。

 5月には『住まいの設計07・08月号』の「阿倍野の長屋」が掲載。

 3月にも『住まいの設計05・06月号』に、「滋賀の家」が掲載されました。

06

6月 10年待てば必ず実がつく‐1281‐

 弁護士・宇都宮健児は言いました。

 1年2年じゃ花も咲かなきゃ芽もでない

 でも10年待てば必ず実がつく

07

7月 積年の澱‐1289‐

 熊本地震の被災地支援活動に、初めて参加しました。

 建築の専門家として、これらの活動に参加できていなかったことが、常に引け目としてあったのです。

08

8月 フィンランドの旅① -ヘルシンキ、ユバスキュラ編 -‐1299‐

 憧れの建築家、アルヴァ・アアルト。

 作品群をみにフィンランドへ。25年来の恋人は、私の想像より美しく、逞しいものでした。

09

9月 近鉄特急で行く名古屋の旅‐1309‐

 名古屋と言えば、櫃まぶし。

 娘との2人旅でした。

10

10月 一滴のしずくが川となるように‐1321‐

 10月末、『住人十色』「阿倍野の長屋」を取り上げてもらいました。

 快く出演を引き受けてくれたクライアントこそが、私達の一番の強みなのです。

11

11月 さらば、緑のディスカバリー‐1327‐

 5年半乗った、休日の相棒とお別れしました。

 建築も車も物ですが、機能という血管に、愛情という血液が流れだした瞬間、心が通い始めるのです。

12-1

12月 大阪の宝‐1333‐

 織田作之助は、大阪人を「紋切型を嫌う、永遠の新人」と言い表しました。

 私も大阪人のはしくれ。その意地をみせたいと思います。

 日曜日の新聞に、俳優・風間杜夫の記事がでていました。

 「鎌田行進曲」などで、その才能を発掘してくれた演出家・つかこうへいはこう言ったそうです。

 「舞台ではおまえの幼児性も正義感もストイシイズム(禁欲主義)も一緒くたに出せ!」

 人間はひと色ではない。この役はこうだと決めつけず、役の中に何色も塗り込んでいく。

 風間杜夫は、役者を最高にかっこよく見せてくれるつかこうへいを指して「こういう人を天才というのかと思いました」と言っていました。

 リーダーとして、身につまされる思いがします。

 ひとりで出来ることは限られている。人はひと色ではない。

 今年最後の自戒の言葉にしたいと思います。

 今年一年、この日記、並びに現場日記にお付き合い頂き、本当に有難うございました。

 来年も素晴らしい一年となることを確信しております。

 2016年12月29日 守谷昌紀

セルヒオ・ラモスにみる格‐1336‐

 梅田阪急のコンコースに、イルミネーションをみると年末を感じます。

01-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 1980年代、中学、高校とここは私の通学路でした。

03-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 阪急百貨店側に、このようなディスプレイで飾られるようになったのは、いつからでしょうか。

05-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 このコンコースが、初代阪急梅田駅だった話は何度か書きました。

 また、マイケル・ダグラス、高倉健主演の映画、「ブラック・レイン」の舞台にもなりました。

 ヤクザ役で出演していた、「大阪名物パチパチパンチ」の島木譲二が亡くなったという記事を読みました。

 「大阪名物逝く」とまで書かれたら、芸人冥利につきるのではないでしょうか。

 これほどくだらなく(失礼)、わかりやすい芸は、これからの芸人にはできないのではと思います。

 ポコポコヘッドよ永遠に……

 この日曜日、クラブワールドカップの決勝戦をみました。

 ヨーロッパ・チャンピオンのレアル・マドリードと開催国枠で出場の鹿島アントラーズの対戦でした。

 世界最優秀選手に送られるパロンドールを、今年も含め4回受賞しているクリスティアーノ・ロナウド。

 いわずとしれた世界最高のポルトガル人フォワードです。

 そのロナウド率いるレアル・マドリードには、さほど詳しくない私でも知っている名前が並びます。

 メッシの所属するバルセロナとともに、世界で最も有名なクラブチームでしょう。

 先のワールドカップで、日本が散々に痛めつけられた、コロンビア代表のハメス・ロドリゲスが控えに回るほどの選手層の厚さです。

 そのスター軍団を敵にまわし、延長戦までもつれこむ熱戦でした。

 90分では2対2の同点。PKを与えるまで、アントラーズはリードしている時間帯がありました。

 その後半、守備の要、セルヒオ・ラモスはすでにイエローカードを貰っていました。退場になってもおかしくない場面があり、翌日も話題になっていました。

 解説者は「名前に遠慮したか」と言いましたが、私もそう思います。

 主審の判定には、「格」が存在していた気がします。

 にわかアントラーズファンに「もしかすると」という夢を見せてくれただけでも有り難いことですが、世の中にはこの「格」が確実に存在します。

 それは、実況中継をしていた解説者の中にもありました。

 「あのレアルがまさかこのままで終わるはずがない」という雰囲気が漂っていました。

 そう考えると、格を最も感じていなかった、または感じないようにしていたのは、鹿島の選手なのかもしれません。

 その根拠となったのは、自分達の組織力を信じる力だったのか。テレビを通してみていても、とても勇敢に見えました。

 格とは、現時点までの既成概念と言って良いかもしれません。

 本当に勝つには、まず試合に勝ち、世の中の認識を変えるまで、勝ち続けなければならないのです。

 もちろん、これはサッカーにおいてだけではありません。私の会社においても全く同じです。

 あなたは あなたがなろうとする人間になる -ジェームス・アレン-

 勇敢であること。勝ち続けなければならないこと。

 いいものを見せてもらいました。

ドロをかぶる‐1335‐ 

 12月も残すところ2週間となりました。

 せわしない時期ですが、天気もよい、父と休みが合いと、釣りに行ってきました。

 朝の6時に岸和田の港を出て、洲本沖へ向かいます。

11-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 通常なら父の船で1時間程。

 昨日は風と波が残っており、2時間近く掛かりました。

 大阪湾は、淡路島と友ヶ島で囲まれた入江のような海です。古来は茅渟(チヌ)の海と呼ばれていました。

 チヌとは黒鯛のことで、それほどチヌが多かったということ。非常に豊かな海だったのです。

 高度成長期の汚染から、ようやく改善傾向にあると感じます。

13-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 洲本沖には、沢山の船が出ていました。

 ターゲットはタチウオです。

 しかしファーストフィッシュは、チヌではなくフグでした。

15-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 9時半頃、私にもようやく1匹目が来ました。

17-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 タチウオはその名の通り細長い魚で、幅で表したりします。

 指3本半といったところか。

 ちなみに、5本を超えるとドラゴンと呼びます。

19-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 その鋭い歯で、エサのイワシの形が分からなくなるまで、噛みちぎるのです。

23-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 その後、加太と友ヶ島に挟まれる紀淡海峡へ移動。

 ここは潮通しがよく、沢山の船が集まってきます。

25-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 50cmくらいのサワラがきました。

 ルアーにサワラがきたのは初めてです。

27-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 朝方は少し波があったものの、冬とは思えない陽気でした。

 午後2時頃に納竿。3時過ぎには岸和田まで戻ってきました。

 私の釣果は、タチウオ2匹、サワラ1匹、ベラ1匹でした。

 父らは物足りないようでしたが、私は久し振りに海がみれたことで十分に満足です。

 とても釣りが好きなクライアントが居るのですが、今年は全く行けていないと言っていました。

 視野が狭くなると、つい自分だけが大変だ、大変だとなってしまいます。しかし、もちろんそんなことはありません。

 田原 総一朗の「日本を揺るがせた怪物たち」 は、田中角栄、中曽根康弘などの政治家から、松下幸之助、本田宗一郎の実業人まで、「怪物」について書かれたノンフィクションです。

 彼らが「怪物」たるゆえんは、周囲の人間たちを引き込む、強い吸引力を持っていることだが、それは自分を曖昧にせず、ホンネを晒し、もちろん魅力的なビジョンを示すのだが、何よりも責任を回避しない、と言うよりも積極的にドロをかぶろうとすることである。だから、彼らと敵対する人間までもが彼を信頼することになる。

 積極的にドロをかぶろうとする。

 聞くも、言うも簡単。実行するのはもちろん別です。

 昨晩はサワラを塩焼きにして食べました。小3の娘は「この味、好きやねんなあ」と、大人びたもの言い。

 1日に1つ、小さな幸せがあれば十分頑張れると言い聞かせて、もうドロまみれになって働くしかありません。

動機善なりや‐1334‐

 先日、初期相談にみえた方が、新築かリノベーションかをかなり迷っていました。

 候補の物件を見せて貰ったのですが、その1つが建築家・石井修の作品だったのです。

51-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 氏の作品は今まで5つほど見たことがありますが、大阪市内にも2つほど知っています。

 本町にある、1970年完成の「ジェー・ガーバー商会大阪支店」。

52-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 日曜日だったので、内部は閉まっていましたが、パイプ状のスリットからみえる階段は、緩やかなカーブを描いています。

 こういったデザインがオリジナリティがあると言うのでしょう。とても46年前の建築とは思えない自由さを感じます。

 独創性、柔らかさ、そして美しさを備えた建築です。

61-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 もうひとつは、新世界にある「ギャラリー再会」。

 さらに遡ること17年。1953年の完成です。

 当時は1階が純喫茶だったようです。

54-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 ジャンジャン横町から北にある通天閣を目指します。

59-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 通天閣の真下を抜け。

63-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 北東に少し歩けば、「ギャラリー再会」。本当に、通天閣のすぐ足下にあるのです。

 映画全盛のころ、劇場のオーナーからの依頼だとありました。

 「建築に外観はいらない」という言葉の通り、後に彼は植物に覆われた建築を多くつくります。この建築でも、その一端を垣間見ることができます。

 今から5年前、石井修の自宅、目神山の家1-回帰草庵-を見せていただく機会がありました。

 この時ほど、日本建築家協会(JIA)に入って良かったと思ったことはありません。その住宅は、完全に緑に埋もれていたのです。

 リノベーションの候補に挙がっている作品も、とても魅力的でした。

 しかし、相談にみえた方の希望を聞いていくと、ある点でその建物は合わないかもと感じ、そう伝えました。

 創り手として、彼の作品をリノベーションしてみたい、という気持ちは正直に言えば強くあったのですが。

 動機善なりや、私心なかりしか

 1984年、電気通信事業が自由化された際に、現・京セラ名誉会長の稲盛和夫さんは、毎晩自身に問うたそうです。

 自分がいい格好をしたいから、参入すると言っているだけではないか、と。

 しかし、ここで参入しなければ、日本の通信料金が適正な金額になることはない。日本国民のためにと思い決断したといいます。

 鉄道網や高速道路網というインフラを持った当時のライバル会社は全てなくなり、KDDI(当時・第二電電)だけが現在も残っています。

 お客さん第一主義、という言葉をよく聞きますが、これを貫くのは簡単ではありません。

 私心をゼロにするのは簡単ではありませんが、動機が人として恥ずかしいものではないかを問うことは、私にもできます。

 聖人君子ぶるつもりはありませんが、そうすることで、決断が随分シンプルになった気がするのです。

押し、押し、押しの一手だ‐1324‐  

 ドナルド・トランプ、アメリカ合衆国大統領が誕生しました。

 「第二次・安倍内閣誕生」と一面にあっても驚きませんが、今朝の新聞は二度見してしまいました。

 新聞コメントの揚げ足をとるのが趣味ではありませんが、アメリカ人タレントが「アメリカの経済をリセットして欲しい」とコメントしていました。

 実行力のある、強いリーダーは必要です。しかし人類とは誕生した時から綿々と受け継がれてきた命ですし、経済活動もまた同じ。

 ゲームではないので、リセットなど勿論できません。

 良い所は活かしながら、負の遺産があるなら、現在生きる私達が補うしかありません。誰かが解決してくれる訳ではないのですから。

 トランプ氏の話はまた最後に。

 先週の日曜日は、年内2日しかない長男の休日でした。

 どこに連れていこうかと考えた末、四日市まで出掛けることに。

00-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 三重県四日市市は、県庁所在地である津市を凌ぐ人口をかかえます。

 名古屋からも近く、室町時代にはすでに「四」の付く日に、市が立っていたとあるとおり、交通の要所でもありました。

 私達の目的は、鈴鹿山脈の麓に広がる、四日市スポーツランド

 「東海アスレチック部門、第2位」の文字に惹かれました。

03-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 身軽な小学生2人。

 段々、ついていくのがやっと、という感じに。嬉しい反面、情けなくもあり……

 1周50分。歯ごたえ十分のアスレチックでした。

09-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 昼食は炉を借りてバーベキュー。

 園の人に「四日市って、どんな町ですか」と聞くと、「お茶が有名かなあ」と。

11-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 伊勢茶で知られる通り、あたりの水沢(すいざわ)地区は、「被せ茶」が有名なようです。

 「被せ茶」とはその名の通り、収穫前に日光を遮り、渋みを減らす生産技術。

 抹茶や玉露なども、この方法で作られるそうです。

13-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 もうひとつは、「やはり、四日市ぜんそくなんだろうね」とも。

 四大公害は、熊本の「水俣病」、新潟の「第二水俣病」、富山の「イタイイタイ病」、そして「四日市ぜんそく」です。

 1960年代、四日市市には日本で初めて本格的な石油コンビナートがつくられました。

 石油精製にあたり発生する有害物質が、深刻な喘息を引き起こし、犠牲者は1000人にのぼりました。

 福島原発の問題も、四日市ぜんそくも、私の住む大阪に、直接の被害があったとは言えません。

 しかし、同じ地球で暮らす以上、空も海も繋がっています。実数値は別にして、やはや影響はあります。経済活動で言えば、確実にあったと言えます。

 アメリカ国民が決めた結論を日本人の私がとやかく言う権利はありません。

 近所の住民と家族のどちらが大事かと言えば勿論家族ですが、ご近所さんも、親類も二の次でという考え方が、輸入輸出で成り立っている現代社会ではたして成立するのか。

 2012年発売の「人生はワンチャンス!」という本にトランプ氏の言葉が載っていました。

 経験と実績がない場合、エネルギーと情熱を売り込むべきだ。

 求めるものを手に入れるためには押し、押し、押しの一手だ。

 -ドナルド・トランプ-  アメリカの不動産投資家 

 本の中では不動産投資家だった肩書が、「アメリカ合衆国第45代大統領」に変わりました。

 松下幸之助翁も「この世に起こることは全て必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる」言っています。

 自らの言葉を地で行き、アメリカンドリームを手にした70歳の富豪を称賛すべきなのでしょうか。

 批判が目的ではありません。醜い舌戦はここまでにして、そのバイタリティを(多少お下品でも)アメリカの、世界の明るい未来に活かして欲しいのです。