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私の根っこはどこに‐2215‐

2025年のゴールデンウイークも終わりました。

私にとっての初日は5月3日(土)、憲法記念日でした。

この日は久しぶりの三宮へ。

懐かしの阪急三宮の西口を出て、いくたロードを北にワンブロック上がります。

神戸らしい景色で、何だか得をした気分になるのです。

西の裏路地にある「ひつじの一休」が集合場所でした。

その名の通り、ラム肉の専門店です。

中高の映画研究部、通称「映研」の3人会に混ぜてもらいました。

1人は同じバンドのメンバーだったのが縁で、声を掛けてくれたのです。

店を聞いた時「ラム肉とはしぶいセレクトだなあ」と思っていましたが、抜群に美味しかったです。

一番はこのラムチョップ。

これだけが「時価」となっていましたが、びっくりするような値段ではなかったと思います。

もし行くなら、これは頼んだ方が良いと思います。

「映研」の3人は本当に仲が良く、羨ましいくらい。

文化祭の時に、深夜まで掛かって作品を作ったことを、本当に楽しそうに話していました。

そのタイトルは「ブレス・オブ・サタン」。

内容は忘れてしまいましたが、私がタイトルを覚えているのが凄いとも言えるのです。

幹事役をしてくれたH君が連れて行ってくれた2軒目は「金山園」。

お勧めの「汁ビーフン」でこの日の会を締めました。

「根っこがあるのは羨ましいよなあ」と思っていたら、随分前の「北予備の行方」という記事に、コメントがついていました。

昨日のことですが、私が大阪北予備校を卒業したのは1990年。

コメントしてくれた方は1984年とあるので6つ先輩です。

残念ながら北予備はマンションに変わってしまいましたが、私の記事にシンパシーを感じて貰えたなら、本当に嬉しい限りです。

確固たるものが何も無い時間の拠り所として、 北予備はとても良かったのだと私も思うのです。

昨年の年始に、長男を連れて西宮市山口町にある、美與志堂(みよしどう)まで行ってきたと書きました。

「縁あって去年の6月にラーメン屋になりました」というコメントに衝撃を受けて、です。

衝撃は受けたのですが、何より予備校時代の仲間に久し振りに会いたいと思ったのが一番の動機でした。

訪問時に、彼の定休日前の夜に、必ず飲みに行こうと約束し、連絡ができずにすでに1年4ヵ月が経過。

本当に言うだけ番長です。

この1年4ヵ月の間に、有りすぎるくらい、色々なことがあったのですが、言い訳に過ぎません。

ただ、今度は本当に実行に移したいと思います。でなければ、今、何とか分かっている連絡先も、いつか分からなくなってしまうかもしません。

「私の根っこはどこにあるのだろう」と考えます。

できの良かった小学校?できの悪かった中学高校?大阪北予備校?出稽古のように通った甲南大学スキー部?それともマグロ大学?

答えはいつも霧の中なのです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

北予備の行方

先月の終わりだったでしょうか、友人からメールが来ました。

”北予備つぶれたらしいやん。なんか寂しいなぁ・・・・・・”

 -北予備(きたよび)-は大阪の十三(じゅうそう)にある予備校で、正しくは”大阪北予備校”。私は1989年の4月から一年間をここで過ごしました。

 中学・高校とそれなりの私学に通っていた私の成績は、下から数えて一桁台という散々なものでした。高校3年生の時は、手当たり次第に大学を受けるも、全て不合格。自分の成績と全く相談しなかったので、当然の結果でした。それから浪人生活に入るのですが、同級生の多くが北予備に行くというので私もそうしたのです。彼らの多くは特待生として学費の免除を受けていました。私はもちろん普通の予備校生として元気に通うことになります。

 初めにクラス分けのテストがあり、自分の学力を思い知ることになります。同級生のほとんどは最も上のクラスで私は5番目のクラス。しかしここには、高校時代は野球部、ラグビー部、サッカー部などスポーツに熱中していたが「今から勉強を頑張ろう!」というタイプが多く、すぐに意気投合しました。

 学生でもなく、社会人でもない予備校生には、強い仲間意識があります。私にとっては、初めて勉強と遊びの両方を強く共有出来る仲間が出来たような気がします。

 十三という猥雑な街にあり、淀川沿いに建つというロケーションが北予備の最大の魅力です。それが予備校として優れているかは全く別問題ですが、河川敷にはグラウンドが数え切れないほどあり、休み時間にはグローブとバットを持って行き良く野球をしたものです。

 今考えるとちょっと不思議なのですが、受験を控えた9月の末に、予備校主催でクラス対抗ソフトボール大会があるのです。30~40チームが参加する大々的なもので、私のクラスは経験のある私がピッチャー。他のメンバーは野球部、ラグビー部、サッカー部の雑種混成チームでした。真っ黒に日焼けするまで練習していた私達は、トーナメントを勝ち抜き優勝!その時の胴上げの写真は今でも壁に貼ってあります。

 勉強も初めて頑張ったつもりですが、大学受験が成功だったかと聞かれれば、なんとも答えにくいところです。しかし浪人という辛くも甘ったれた一年を経験出来た事は良かったと思っています。

 いまでも、阪急電車に乗り、十三の手前にある校舎が見えると、その頃の記憶が蘇って来ます。この一件で建物はどうなるのでしょう。記憶は薄れながらも残りますが、また街の景色が変わるのかもしれません。大阪で生まれて36年。それだけ長く暮らしているということなのでしょうが・・・・・・