タグ別アーカイブ: 平野郷

名残と痕跡‐1827‐

朝のジョギングコースには、沢山の地蔵尊が祀られています。

堺に次ぐ規模の環濠都市だった平野郷の名残です。

本来なら地蔵盆の時期ですが、中止の貼り紙がありました。

平野郷の中にある昔ながらの商店街。

なんかいモールです。

「なんかい」は「南海」。

ここに1980年に廃線となった南海平野線の終着駅があったのです。

今は藤棚となった始発駅、「平野停留所」から出発進行です。

すぐにすれ違いエリアが見えてきました。

踏切の名残も。

信号機は付け替えられられたのか、当時のままなのか。

雰囲気は十分堪能できます。

住宅街を縫うように線路は続きます。

100m程で現在の道に突き当たりました。

南海平野線平野駅跡地プロムナードとして現在は利用されているのです。

国道25号線と近畿道が交わる少し手前。

廃線となった阪和貨物線跡があります。

ここを通った時、妻が「これ何に使えるんやろ」と言っていました。

線路という形状だけに、再利用が最も難しい形状と言えるかもしれません。

確かに、南海平野線もプロムナードとして利用している部分はよいものの、その先はどうなっているんだろうと考えました。

右の緑の線が平野駅跡地プロムナードで、その先はほぼ阪神高速松原線に沿って走っていたようです。

チンチン電車時代から、車時代へと切り替えが上手くいった成功例かもしれません。

あたりを見回すと、天王寺まで繋がるルートは阪神高速しかないのかなと思っていましたが、想像通りで、若干悦に入っていました。

波が引いた後に残る様子を「波残(なみのこり)」といい、それが略され「なごり(余波)」となったそうです。

「自然は飛躍せず」と植物学者のリンネは言いましたが、街も飛躍はしません。

どこかに名残が残っているものです。

駅をでてすぐのすれ違いエリアには、線路をコントロールする何かしらの施設があたはずです。

そこを示すように、サルスベリが濃桃色の花を咲かせていました。

墓石もある人が生きた名残、痕跡と言えます。

2年続けて墓参りにも帰れていません。

不要不急のものにどれだけ価値があったのか、よくよく考える機会でもあります。

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【News】

■■■1月27日 『Best of Houzz 2021』を「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞■■■  

■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀(著)

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明治の女性と炭火アイロン‐1785‐

 3月下旬、ユキヤナギが咲きだしたなと思っていたら、あっという間に今日から4月。

  新年度が始まりました。

 今日が入学式なら何とか桜も持ちそうです。

 会社の近くで、随分立派な建物を見つけました。

 前川國男を連想させるレンガ色の建物は、平野区画整理記念会館とあります。

 会社の近所なのですが、この道は通ったことが無かったよう。

 中に入って尋ねてみると、区画整理事業が終わった際に残った予算で建てられたもので、簡単に言えば貸し部屋業をしていますと。

 南面したホールは、この規模の吹き抜け。 

 開口部から、平野郷の模型がちらと見えており、それもあって入ってみたくなったのです。

 ホールには所せましと展示があります。

 脱穀機は数十年間に、この地域で実際に使われていたものだそう。

 こちらは長原古墳群のコーナー。

 実際に出土した子供用の棺です。

 一番目を引いたのが近代の生活用品の展示群です。

 まずは炭を入れて暖をとる炬燵。

 足焙りは炬燵と同じ使い方でしょう。

 火鏝は灰の中で熱し、布類のしわを伸ばす道具です。

 こちらは炭火アイロンとあります。

 明治頃のもので、中に炭を入れ、更にその下には水を入れて使用したのだそうです。

 私が興味津々なのを見て、館の方が実際に開けてくれました。
 

 2階も案内してくれたのですが、吹抜けに面する廊下にはこの立派な機織り機が置いてあります。

 何故こんな場所に押しやられているのか尋ねてみました。以前は右下に見えるキューブ状の空間が展示室だったそうです。

 しかし館の運営を考え、賃貸しすることになったということでした。

 面白い展示が沢山ありましたが、日当りが良いので劣化するのでは、と危惧していると。経営が成り立ってこそ存続できる訳で、何となく微妙な気持ちで会社に戻ったのです。

 日々のアイロン掛けを妻にやいやい言わなくて良いように、Yシャツは多めに買っています。

 100年前の炭火アイロンと比べると断然性能は良いはずですが、それでも時間がない、時間がないと。

 明治の女性はそんな事を言っていたのでしょうか。

 多分言っていたのだと思います。で、男のほうはこう思っていたはずです。

 「火鏝よりは随分便利になっただろうに」と。

  もし、小声でもそんな事を言ったなら間違いなくこうなります。

 「それなら自分でしなさいよ!」

 それはそうです。この自由で平等な時代、女性がアイロンを掛けるという決まりはありません。

 ですので、しっかり働いて沢山Yシャツを買います。間違っても「早くアイロンをかけてよ」と言わなくてよいように。

 Yシャツ代、税金、子供の学費と、働き甲斐はおつりがくるくらいあります。
 
 今年の標語は「絶対に下がらない」。2021年度は絶対に下がらない覚悟です。 

■■■1月27日 『Best of Houzz 2021』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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自分、骨あるん?‐1779‐ 

 会社のある平野は、堺につぐ規模の環濠都市だったと言われています。

 信長にキリスト教を伝えた宣教師、ルイス・フロイスがその手記に「美しき村」と紹介するくらい豊かな村だったようです。

 商人が力を付け、武士に頼るのではなく、自らの手で村の周りに濠をめぐらせて自衛したのが環濠都市。

 大阪市内なら、遠里小野や喜連などにもその痕跡が残っています。

 3月末まで、大阪歴史博物館で「喜連村史展」なる催しがあると知り、やってきました。

 大阪歴史博物館とNHK大阪を繋ぐ、ガラスの球体エントランス。

 一昨年に亡くなったアルゼンチン出身の建築家、シーザー・ペリの力作です。

 念のため、受付のお姉さんに開催の確認をすると、「現在そのような展示は無かったと思うのですが……」と。

 確かに3月下旬までの開催だったと思うと伝えると、展示フロアに確認してくれました。来年の1月~3月の開催とのこと。

 まさか1年先の告知だとは思わず、年の確認をできていなかったのです。

 何とも情けない話ですが、折角なので辺りを歩きました。 

 館の南面に回ると難波宮跡の案内がありました。

 その脇に、法円坂遺跡の高床式倉庫が再現されていました。

 法円坂遺跡は5世紀後半のもので、16棟の柱跡が見つかっています。

 1棟の大きさが90㎡ですからおよそ30坪。

  当時としては最大級の規模とあります。

  私が注目したのはここ。

  通常の入母屋造りの屋根なら、ここまで棟が張りだすことはありません。

  羽子板ボルトなど無かった時代にここまで跳ねだしているのは、雨を防ぎながら、しっかり換気をすることが、保存状態に大きく影響したからでしょう。

 お金よりも大切な食料を、湿気や害虫から守るために高床式とし、更に極めて風通しのよい空間を求めたのです。

 そう想像しながら見ていると、頭でっかちで、若干安定感を欠くプロポーションも愛おしく見えてくるから不思議です。

 反対に、館の北側に回ると、本町通りを挟んで大阪府警本部庁舎があります。

 完成は2007年12月。設計者の黒川紀章は完成を待たず10月に亡くなっています。

 黒川の実績は言うに及ばずですが、評価が分かれるという事実はあるでしょう。

 どんな仕事であれ、誰もが称賛するという事はありませんが、それは本人が一番理解していたふしがあります。

 「建築家としての私の評価はともかく、思想家としては何かを残せたのではないかと思っている」

 この言葉を聞いた時、私の黒川への視線も一気に変わりました。


 

 生物用語で「新陳代謝」をさす「メタボリズム」という思想を、具現化したのが中銀カプセルタワービルです。

 1972年の完成ですが、カプセルは取り替えができる、可変性を備えた建築なのです。

 東京の新橋にありますが、すぐそばには師であり、同じ系譜の丹下健三設計の静岡新聞・静岡放送ビルもあります。

 1967年の完成ですが、つい先日こちらのオーナー社長が幾分メディアを賑わせていました。

 ゴシップ記事は嫌いですが、この建築を思い出させてくれたなら、目にしてしまった価値もあるというものです。 

 地下鉄の掲示板に、大阪府警の募集ポスターが張られていました。

 戦後10年、日本復興の入口にある広島平和記念資料館をコンペで勝ち取った丹下健三は、空襲によって母を亡くしています。

 しかし、自らが学生時代を送った広島での作品を足掛かりに、世界的建築家へと登りつめました。

 外野の声など気にすることなく、「共生」という思想を説き続けた黒川紀章。

 まさに気骨の人々です。

 ○○新聞のオーナーや、マル秘接待を受けていた(いたとされる)政治家にこのキャッチコピーを届けます。

 自分、骨あるん?と。

 勿論、平野の商人や、偉大な先人達にそう言われないよう、自分へも問わざるを得ません。

 あれから10年。人は命ある限り何度でも立ち上がれると信じています。

■■■1月27日 『Best of Houzz 2021』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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