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世紀末の残り香を‐1624‐

 世紀末と言っても、デーモン閣下の話ではありません。

「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」という展覧会を見つけました。

 子供達も時間があるというので家族で中之島へ。

 国立国際美術館は大阪市立科学館のすぐ東にあります。

 ウィーン・ミュージアムが改修中につき、クリムト、シーレ等の作品来日が実現したとあります。

 こういった特別感を漂わされると、もう駄目です。

館の設計は、あべのハルカスのファサードデザインなども手掛けたシーザー・ペリ。

 大半が地下に埋まる美術館です。

 ペリが今年の7月に亡くなったと知りました。またここで、取り上げてみたいと思います。

 世紀末ウィーン最大の画家、グスタフ・クリムト。

 1862年にウィーンで生まれ、1918年にその地で亡くなります。

 『接吻』は最も知られた作品でしょうか。

 1907-08年の作品で、ウィーンのベルベデーレ宮殿に収蔵されているので今回の展示にはありません。

 クリムトは日本の蒔絵や金箔を使った工芸品から強く影響を受けたとも言われています。

 平面的で浮世絵のような構図は、日本人にとっては馴染みやすいとも感じます。

 是非本物を見てみたいのです。

 クリムトはウィーン分離派(ゼツェッション)の創設に参加し、初代会長となりました。

 分離派の目的は2つで、オーストリア美術界の重苦しいアカデミズムから脱却し、ウィーンの大衆に新しい芸術を紹介することです。

 「未来はまわりに花開いているのに、われわれはまだ過去に縛られている」

 1891年、ウィーンの作家ヘルマン・バールの言葉ですが、彼らの運動はその時代の大衆に熱狂的に迎えられたのです。

 オーストリアで最も知られた画家となったクリムトは、ウィーン大学の天井画の依頼を受けました。

 最初のパネルを製作したとき、官能的でエロティズムに満ちた作風を批評家に非難されます。

 怒ったクリムトは、その仕事を放棄するのです。

 その批評家へのアンサーピクチャーとも言えるが1901‐02年の『金魚』。

 もとは『わが批評家たちに』と名付けようとしたというから痛快です。

 分離派は絵画だけの運動ではなく、音楽家、作家、哲学者、建築家も参加しました。

 オットー・ヴァーグナーの『マヨリカ・ハウス』は、分離派の芸術を反映しています。

 装飾的な陶製のファサードはこれまでの建築様式からの脱却を示しています。

 カールスプラッツ駅もオットー・ヴァーグナーの作品。

 これまでのルネサンスの宮殿を模していたものとは全く違い、イスラムの寺院装飾の影響も感じます。

 今回の展示には図面等もありましたが、ヴァーグナー作『カール・ルエーガー市長の椅子』の展示もありました。

 子供は「座り難そう」と言っていましたが。

 職種を越えた一大芸術運動となった分離派(ゼツェッション)ですが、世代を超えた関係も築かれました。

 クリムトは、30歳も年齢が違うエゴン・シーレの才能をいち早く評価しました。

 エゴン・シーレ『自画像』は30cm程の小作でしたが、初めて実物を見ました。

 写真とは比較にならない程素晴らしいもので、やはり画は実物を見るしかないのだと感じます。

 今回の展示で、唯一撮影OKだったのが『エミリー・フレーゲの肖像』(1902年)です。

 クリムトと愛人関係にあったと言われるエミリー・フレーゲは高級洋裁店を営んでおり、彼のモデルにもなりました。

 世紀末のウィーンにおける相関図がwebサイトにあるのですがこれが凄いのです。

 撮影可ということもあり、常に人だかりができています。

 官能的でエロティシズムに満ちたクリムトの作風からすれば、やや穏やかに見えます。

 平面的で浮世絵なような構図が、彼女の気高さを引き立てますが、彼女への愛情表現であるかもしれません。

 娘に展覧会の印象を聞くと「フェルメール展の方が良かった」と。

 フェルメールは純粋に技術が秀でているので、その通りかもしれません。

 近代、現代美術は、少し背景を知らなければ楽しみが半減するとも言えそうです。

 ただ、クリムトの本気フルコースならちょっと小学生には刺激が強すぎるので、丁度良かったと思います。

 世紀末と言えば、私達も20世紀末を経験しました。

 航空会社のミレニアム問題やノストラダムス等は話題に上がりましたが、19世紀末に起こったような大きな芸術運動は無かったと思います。

 18世紀にワットが実用化した蒸気機関に端を発した、産業革命が世界を大きく変えました。

 建築においては1889年のエッフェル塔の完成に象徴されるように、鉄の時代に入って行きます。

 分離派の目的の通り、旧態依然とした古い時代からの、大きな変換期だったからこそ、世紀末と言えば19世紀末を指すのでしょう。

 音楽で言えば、今でも80年代ポップスばかり聞いてしまうように、世紀末から20世紀前半に表れた画家ばかりが気になるのは何故でしょう。

 全ては進歩するのでもっと技術の高い画家も多く居るはずですし、もっと洗練された音楽もあるのだと思います。

 私が新しいものを探していないだけかもしれませんが、安定感で言えばやはり差があるように感じます。

 何をもって「無い」とするかは禅問答のようなものですが、やはり「初めて」には、迫力、説得力があるのです。

 アムステルダム、ユトレヒト、ウィーン、リオデジャネイロ……

 時間が出来たら行ってみたいところばかりです。

 世紀末のウィーンで起った事件、その残り香だけでも嗅ぎに行きたいと、ひとつ前に出た感じなのです。

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【News】
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

尾張と伊勢志摩をめぐる-尾張編-

 先週の土曜日に名古屋で勉強会がありました。そのついでに愛知県と三重県を回って来ました。

 まずは”尾張名古屋は城でもつ”の名古屋城。徳川家康が築城を始めた城郭です。曇りですが金の鯱は光ります。

 お昼は妻が見つけて来たJR名古屋駅の地下街にある”わかさや”へ。

 油で揚げずにオーブンで焼いた味噌かつが名物とのこと。

 とってもジューシーで甘めの味噌は抜群。評判を裏切らない、満足のお味でした。定食にして¥1,300。

 都心部から南東に位置する豊田市に向かいました。

 日本が世界に誇るトヨタ自動車の本社のある市です。

 本社住所はなんとトヨタ町1。

 ここに丸亀市立美術館と同じく谷口吉生設計の”豊田市美術館”があるのです。

 外観、内部の空間とも余白の多い素晴らしい美術館でした。

 階段横の大きな壁の絵や天井から吊るされた電光掲示板も作品なのです。

 20世紀の中盤から”空間概念”という作品群を発表してきたイタリアのアーティスト、ルーチョ・フォンターナ。

 布を切りつけるという突拍子もない作品は常に賛否両論。

 時代は遡り19世紀末のウィーンを代表する分離派の画家グスタフ・クリムト。

 なんとも言えない色気立ち上る彼の作品は大好きです。

 先日映画にもなっていましたが、その中に登場する、弟子格のエゴン・シーレの作品も収蔵。

 現代からはリチャード・セラ。

 マンハッタンでは署名によって作品が撤去されるなど、なにかと騒動の多い作家ですが、時代の一番前を走るアーティストである事は間違いありません。

 仕事柄、建築よりの話になってしまいがちですが、ここの常設展示は本当に素晴らしい。

 興味のある特別展があれば別ですが、常設だけでも見応え十分です。しかも、入場料はなんと¥300。

 夕方になったので、宿をとった賢島へと向かいました。伊勢志摩編はまた後日。