アトリエmのWebサイトには建築家プロフィールのページもあります。
その中に、BIOGRAPHY/おいたちのページもつくり、1970年、0歳から何枚かの写真を掲載しました。
1980年、小学5年生。
しかし小学校で熱中していたのは野球です。
3番サードだったので、多少の自信は持っていました。
低めを打つのが得意でしたが、これはファール(笑)
1989年、予備校生。
今は無き大阪北予備校のクラス対抗ソフトボール大会。
十三に予備校があったので、淀川の河川敷で真っ黒になるまで練習していました。
製作会社のサイトに「ストーリー」がでていました。
北の狼南の虎 [劇場版]
東京メッツのエース・火浦健には、父親の仇討ちをして逮捕され、野球を挫折した過去があった。しかし、甲子園の英雄・王島大介のプレーを見て再起を期す。メッツに入団した健はある日加代という女性と知り合うが、加代は幼い頃いなくなった母親だった。実は、健と大介はまだ赤ん坊だった頃火災に会い、母に捨てられ生き別れとなっていた双子の兄弟だった。真実を知った健は兄弟対決の末優勝し新人王を獲得し、加代を「かあさん」と呼ぶ。TVシリーズの「勇気編」終了後、好評だった前後編のエピソードを編集して映画化。
代表作「ドカベン」も大好きでしがたが、憂いを秘めたキャラクターが多く登場する「野球狂の詩」は、特に心に残っています。
そのひとつが「北の狼南の虎」です。上のストーリーを少し補足してみます。
北の狼こと火浦健。彼は赤ん坊の時、事情あって母に捨てられます。彼を道端で拾ったのは侠客でした。家族を失ったばかりの彼は、男手ひとつで赤ん坊を育てるのですが、その場面が何とも切ないのです。
成長した火浦健は、甲子園にでるため父に組を辞めて欲しいと伝えます。その結果、父は組に盃を返しに行くのですが、リンチにあい命を落としてしまうのです。
事情を知った火浦健は、父が封印していた日本刀をもち、組事務所へ仇討ちに向かいます。刑期を終えた火浦健は東京メッツに入団し、双子の兄弟と新人王を争うというストーリーです。
おそらく読んだのは40年程前だと思いますが、鬼気迫る表情だったり、悲哀に満ちたストーリーが忘れられません。
子供の頃、家業の手伝いで大好きな野球ができなかったことが、水島新司さんをここまでの野球狂にした動機になったそうです。
人、言葉、本、漫画、音楽、映画、スポーツ……
自分という人間が形成されるにあたって、どれだけのことが影響しているのでしょうか。
野球の面白さ、人生の悲哀を教えてくれた野球狂に心から哀悼の意を表します。
■■■ 『ESSEonline』にコラム連載開始■■■
12月6日「キッチン・パントリー」
1月4日「土間収納」
■■ 8月17日『建築家・守谷昌紀TV』を開設しました ■■
■1月6日『Best of Houzz 2022』を「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞■
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
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