カテゴリー別アーカイブ: 05 芸術・エンターテイメント

讃岐うどんと久米宏‐2287‐

しめ飾りのある家も減っていますが、やはり純和風の玄関には良く似合います。

本町界隈の会社でも、今朝はしめ飾りや門松を見かけました。

関西では松の内は15日まで。私もエントランスのしめ飾りを引き上げました。

正月気分は今日までです。

前回、日曜日に観た『国宝』について書きました。

10時上映開始で終わったのが13時。

歌舞伎を嗜んだあとは庶民の味方「新梅田食堂街」へ。

Webサイトを見に行くと、以下のような説明がありました。

なるほど、JRの高架下にある事と、庶民派の雰囲気が漂う理由が分かりました。

この日は「釜たけうどん」へ。

8人待ちで、15分くらいで席につきました。

名物、ちく玉天ぶっかけ900円。

千円を切ってくれるだけでもありがたい時代に入りました。

と、知ったように書いていますが、中学の頃から新梅田食堂街に来ていますが、「釜たけうどん」は初めてでした。

いつも混んでいるのと、讃岐うどんは本場で結構食べているので、優先順位が上がりにくかったからです。

しかし、大阪讃岐うどんブームの立役者らしく、麺は本場に負けない腰があり、ちく天、玉天ともカリッと揚がっています。

生姜が入っていることも、ゴマが置いてあるのも讃岐うどん好きには嬉しい限り。

ぶっかけ出汁はやや薄めだったので、少し醤油を足しました。大阪に合わせて薄味にしているのかもしれません。

百名店のお味でした。

1月13日に、今年の元旦に久米宏さんが逝去されたと報道がありました。

『ニュースステーション』の放送期間が、1985年10月7日から2004年3月26日ですから、私が15歳から34歳の時です。

言わずと知れた報道バラエティの祖となった番組でした。

中学3年生という、知的なものに興味が出始める年代です。久米さん、美しい小宮悦子さんと共に、コメンテーターの小林一喜さんに憧れていました。

小林さんは、朝日新聞の編集委員も務め「天声人語」の筆者を、1983年9月から1988年3月まで務めています。

『ニュースステーション』のコメンテーターを務めながらの執筆だったとは驚きました。

柔和で、品があり、知性溢れる語り口が、理想の大人に見えたものです。

加えて、忘れられないのが『TVスクランブル』です。

こちらの放送は1982年10月10日から1985年3月31日でした。

共演は横山やすしさん。最後の破天荒芸人やっさんという猛獣を軽々と扱いこなし、バラエティ色が強いながらも『ニュースステーション』の原型のような番組だったと思います。

やっさんは酒のにおいを残して出演したり、問題を繰り返し起こし、後に降板させられるのですが、『ニュースステーション』開始の半年前まで、報道バラエティの実験を繰り返していたと考えたら、本当に恐ろしいタレントさんです。

追悼映像で、総理大臣や国会議員をイジり倒す場面がいくつも流れていましたが、やっさんを経験済みですから、彼らに切り込んで行くくらい、訳が無かったと思います。

『ニュースステーション』の最終回は、4795回目の放送でした。

最終盤のコメントは「小学校の通信簿にある先生からのメッセージはいつも、落ち着きがない、飽きっぽい、持続性が無い、協調性がない、でコンプレックスだった。しかし、18年半やりましたよ、あなた」と言い、ご褒美にビールを飲むくだりは、最高で痛快だったのです。

全くレベルは違いますが、このブログは2004年の3月に『ほぼゲツモク日記』としてスタートし、2005年10月に『ゲツモク日記』と改めました。

今回で2286回目。22年続けていますが、ネタが無い時は、正直辞めようかなと思ったこともあります。

インターネット環境は日々変化するので、アトリエmのWebサイトは、アクセスが多かったり、少なかったり、かなり波があります。

しかし『ゲツモク日記』は安定してアクセスがあります。久米さんと同じと言えば厚かましいですが、読んでくれる人が居たから続けられたのです。

4795回まで続けるなら、あと2509回。24年掛かるので79歳です。

もしそこまで行ったら、私も自分にご褒美をあげようかなと思います。

香川では、慶事にうどんを食べる風習があります。太く長いうどんをめでたいものとしたのです。

久米さんのように、太く長く生きたいのは誰も同じ。さてどこまで続けることができ、どんな人生が待っているのか……

『ニュースステーション』世代として、本当に楽しませて貰ったことに感謝し、心からご冥福をお祈りしたいと思います。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
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『国宝』と20歳時のヒット映画‐2286‐

1月11日(日)は梅田へ。

風が強く寒い1日でしたが、1の3並びで何だか縁起の良い感じです。

阪急32番街のすぐ東にある「ヘップナビオ」は「ナビオ阪急」として1980年に開業しました。

阪急百貨店あたりから東通商店街へ向かう途中、南端にあたる先端部を通過します。

梅田界隈には、阪急グループと竹中工務店がタッグを組んだ建築が沢山ありますが、ヘップナビオのオリジナリティは群を抜いています。

「Navio」はポルトガル語で「船」を意味する通り、フォルムは直喩の表現です。

46年が経過し、アルミの輝きが落ち、排気ガスで煤けた感じは否めませんが、アルミスパンドレルの外壁は、ガラス一辺倒の現在の商業施設に比べて、味わい深いものがあります。

銀の本体に、僅かに赤を組み込むあたりも、竹中工務店の設計力が見て取れるのです。

南端の3階以上を張り出すことによって、船としての躍動感がでています。

長年にわたって、このエリアのランドマークを担ってきました。

建築の講釈はこのくらいにして本題です。

久しぶりにヘップナビオに入っているTOHOシネマズ梅田で映画を観て来ました。

先日、帰省していた長男から「『国宝』よかったわ~」と聞き、遅ればせながらやってきたのです。

「人生でベスト5には入るかな」などと言う声も聞こえてきましたが、なかなか劇場に足が向きませんでした。

様々なネット配信サービスがある中「劇場の大画面で見る価値」をなかなか感じにくかったからです。

絶景、音楽、アクションなどが売りの映画なら、「実写映画歴代1位」と聞くとすぐに行った気がします。

実際に観て、それらの理由がなくても歴代1位となったことが納得できました。

3時間があっという間でしたし、削りに削っても、3時間が最低必要だったのだと思います。

まず歌舞伎の知識があまり無い私が聞いても知っている演目が、見せ場ばかり5つ程出てきました。

それらが全て、美しい、華やか、楽しいと感じたことが驚きでした。

一流俳優とは言え、歌舞伎の素人が歌舞伎役者を演じているのです。

中村鴈治郎が出演した上で、歌舞伎指導をしているとありましたが、そんなことが起こりえるのか……と。

主役は、歌舞伎の血統を持たず、父が任侠の親分だった喜久雄を吉沢亮。

上方歌舞伎の名門に生まれたエリート、俊介を横浜流星が演じます。

歌舞伎に掛ける情熱は変わらずとも、2人の人生が交錯しながら、成長、嫉妬、友情、信頼を描ききった、とても美しく、余韻の残る映画でした。

3時間も楽しませて貰って何ですが、一点だけ気になりました。

終盤、一度歌舞伎の世界を離れた喜久雄が、田中泯演じる国宝の小野川万菊と会い、歌舞伎の世界に戻るところは、重要な場面だと思うので、もう少し詳細を描いて欲しかったなと。

喜久雄は異例の早さで国宝となるのですが、国宝同志の繋がりはもう少し見たかった気がします。

最後のエンドロールも黒背景に白文字だけだったのも好感が持てました。

前に映画館に来たのはマイケル・ジャクソンの『This is it』 まで遡るかもしれません。

だとするなら2010年以来で16年振りです。

やはり映画館での没入感は良いものでした。

前の座席の背もたれが、ちょうどスクリーンに掛かるか掛からないかの高さで、前の席は全く気になりません。

前列との間もかなり広くなった気がします。

昔なら、中央あたりの席にたどり着くまで「すみません!すみません!」という感じでしたから。

空間を作るのが仕事なので、言い訳は置いておき、体感する機会はもっと増やすべきだなと思っていました。

現在、ホテルの計画にも関わらせてもらっているので、ちょっといいところにでも泊まりに行こうかな……とも考えていました。

今日は成人式。

知人の娘さんの式に、妻も一緒に行っていました。

私が成人となった1990年のヒット映画は以下の通り。

①『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』

②『 天と地と』

③『 バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』

④『 ゴースト/ニューヨークの幻』

⑤『 ダイ・ハード2』

『ゴースト』、『ダイ・ハード2』、『 バック・トゥ・ザ・フューチャー』のどちらも、映画館で観ました。どれも心に残っています。

流石に20歳の時よりは小遣いもあるはずなので、もう少し観にいけるはずです。

もしかする当時より小遣い使っていない⁈

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ありがとう、クールでスイタイリッシュなガラケー‐2285‐

難波あたりまで35分くらいなので、時々歩いて出掛けます。

昨年の夏に営業を終了した「ユニバース」。

またひとつ大阪の昭和が消えて行きます。

難波駅方向の西へ歩くと、「なんば千日前通」のアーケードが見えてきました。

このあたりも、キタにはないディープな雰囲気があります。

すこし先の、昔からある居酒屋「たよし」を左に曲がると、なんばグランド花月の筋に出ました。

たこ焼きを求める長蛇の列ですが、このあたりはいつもごった返しています。

笑いの殿堂「なんばグランド花月」。

年始特別興行は、すでに立ち見のみとアナウンスされていました。

「よしもと≒大阪」のイメージはいまだに根強いものがあるでしょう。

いくつも劇場を持つ吉本興業ですが、関西若手芸人の才能発信を目的としているのが「森ノ宮よしもと漫才劇場」です。

大阪城公園のクールジャパンパーク大阪にあり、こちらも歩いて20分くらい。

幟を見ると、昨年末にM-1グランプリで優勝した「たくろう」がいました。

リングアナのネタ、ビバリーヒルズに住む練習をするネタ。

どちらもスタイルと切り口が斬新で、かつ品もあり、思いきり笑わせて貰いました。

ナイツの茶目っ気、ミルクボーイの安定感、なだぎ武のくだらなさを併せ持つ、期待の新星といったところでしょうか。

毎年、1組はスターが出てくるのですが、長らく笑わせてくれそうな本格派で、これからが楽しみです。

通話前に「FOMA」と「iモード」のサービスが、今年の3月末で終了するというアナウンスが流れだしたが、昨年の9月頃だったと思います。

個人用はiPhoneを使っていますが、会社用携帯としては「ドコモ ケータイ SH-07F」を使っていました。

SHとある通りシャープの機種で、2014年の発売となっています。

すでに所々の液晶画面は表示できなくなっています。

今でこそ極小画面ですが、液晶テレビ・アクオス全盛の時代で、確か「画面が大きくなった」というのが売りだったと思います。

この機種を10年以上、前の機種もSHだったはずなので、合わせて20年くらい、このガラケーを使ってきました。

充電器は2台くらい買い足したと思いますが、iPhoneに比べるとバッテリーの持ちが雲泥の差。

「何!そのガラケー!!」と言われながらも、しつこく使ってきたのです。

当時はもちろんガラケーなどと言う言葉はありませんでしたが。

この2つ折りでコンパクトになるのが最高に便利でした。

かつ、ちょっと格好いいと思っていたのです……

携帯電話が一般的に普及したのは1990年前後。私が持ち始めたのは社会人1年生の1994年だったと思います。

「iモード」のサービス開始が1999年で、インターネット時代の幕が開き、当社がWebサイトを作ったのは2001年。世の中が劇的に変わっていった時期でした。

2001年の第1回M-1の王者は中川家。

島田伸介と松本人志がいない審査員席の一番右に、中川家礼二が座っているのを見ると、隔世の感があります。

モノも人も移ろうのが常ですが、1994年から一緒に戦ってくれたガラケー。

ついに最期の時がやってきました。

正面はアルミパネルで、じっくり見るとなかなかクールでスイタイリッシュなデザインです。

所々へこんでいるのも愛おしい戦友に、「ありがとう」と「さよなら」を贈りたいと思います。

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やっと会えた、ゴッホ‐2280‐

昨日は冬の雨が降る中、神戸の元町まで行ってきました。

中央に見える10階建て程のビルの手前に、オレンジのタイルを貼った、5階建ての小さなビルが見えるでしょうか。

1年の休業後、第2期アトリエmを始動した2002年の春に、オファーを貰い、リノベーションしたビルなのです。

神戸の元町は、思い出の地でもあります。

旧居留地エリアにある、神戸市立博物館まで10分程で到着。

「大ゴッホ展」にやってきました。

会期が2月1日までで、年明けは混むだろうなと思っていました。

前日、Webサイトを見ると、朝一番の9時30分に空きがあり、急いで予約しました。

今回の目玉は何と言っても『夜のカフェテラス』ですが、革新的な試みとして、5作品が撮影OK。

その中に、なんと『夜のカフェテラス』が含まれているという。

会場は、第1会場と第2会場に分かれており、第2会場に入ると、まずは『夜のカフェテラス』に直行しました。

フィンセント・ファン・ゴッホは、シャガールやクリムトと共に大好きな画家のひとりです。

『ひまわり』も『星月夜』も好きですが、『夜のカフェテラス』が一番好きな作品でした。

その他、撮影可能なのは1887年製作『自画像』。

1887年製作『草地』。

1887年製作『レストランの室内』。

1887年製作『石膏像のある静物』の、全5作品です。

しかし『夜のカフェテラス』は、構図の大胆さ、色合い、ストーリーとも群を抜いていました。

1888年製作で、80.7×65.3cmの大きさです。

1853年生まれのゴッホは37年の生涯で1作品しか売れなかったと言われています。

前半生もなかなか上手くいかず、画家を志したのは1880年、27歳の頃。

1888年、35歳の時にパリを離れ、南仏プロヴァンス地方の街、アルルへ向かいます。

その時期でも初期にあたるこの作品は、近代ヨーロッパ絵画の中で、初めて本格的に夜を描いた作品と言われ、ゴッホはこの場にイーゼルを据えて描きました。

深い青の夜空に浮かぶ多くの星は、チューブから絵具を直接キャンパスに押し付けたため、盛り上がっています。

その荒々しい技法とは反対に、描かれた1888年9月16日頃の星の位置は正確に再現されているのです。

カフェの明りは、青の補色である黄色やオレンジで描かれ互いに引き立てあいます。

更に、好んで描いた糸杉にも通じる、緑で描かれた樹のタッチも印象に残るのです。

白い衣服をまとった店員の後ろには、十字架にも見える窓の桟が描かれ、キリストを象徴しているのではないか。

店内に座る12人の客を12使徒とみたて、ダビンチもモチーフとした「最後の晩餐」を暗示しているという専門家もいます。

また夜のカフェテラスは、ゴッホが愛読していたモーパッサンの小説『ベラミ』に描かれた、貴族階級の出会いの場として描かれているのではないか、という説もあると、テレビ番組で紹介されていました。

20代前半だと思いますが、どこか展覧会で買ったポストカードです。

実家に居る時は机の横に貼っていました。

太陽に焼け、少し色あせていますし、角も曲がっています。なぜかこの小さなポストカードが大好きでした。

オランダへ行って、本物を観たいと思っていた作品に、神戸で会えるとは……

1888年の2月、故郷のオランダにも似た、アルルの風景に出合い、ゴッホの才能は一気に開花しました。

1888年9月『夜のカフェテラス』、1889年1月『ひまわり(15本のひまわり)』1889年6月『糸杉』、1889年6月『星空夜』、1890年7月『カラスのいる麦畑』……と、短い期間に、色彩豊かな傑作を生み出し続けました。

しかし、1890年7月27日拳銃で自殺をはかり、7月29日にその生涯を終えました。

ゴッホの唯一と言って良い理解者だった弟・テオは画商でもありました。

兄の死後すぐに回顧展を開くと、ようやく作品が売れ始めます。

しかし、それを見届けるように、テオも1891年1月に33歳で衰弱死するのです。

せめて後2年、3年でも生きていたならと、誰もが思う人生でした。

しかし、一市民にここまで書かせる(勝手に書いているのですが)作家は滅多にいるものではありません。

この展覧会は、阪神・淡路大震災から30年、東日本大震災から15年の節目に催され、福島、東京へと巡回していきます。

第2期として、2027年には『アルルの跳ね橋』がやってきて、再び神戸、福島、東京を巡るようです。

極上のアートには、人を勇気づけ、心を洗う力があると信じます。

人は逞しい。

無念の中、生涯をその絵に託した兄弟のためにも、そうありたいと思います。

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大阪を愛し、大阪に愛された男‐2277‐

寝屋川と第二寝屋川に囲まれた三角形の先端にあるのが大阪ビジネスパークです。

このあたりまでやって来ると、急に高層ビルが増えてきます。

そのひとつが読売テレビ。

第二寝屋川を渡る橋は、人専用のものがいくつかあり、大阪城新橋もそのひとつ。

大阪城港のすぐ西に位置します。

大阪城ホールのすぐ近くと言ったほうが分かりやすいでしょうか。

このあたりは戦時中は軍事施設が多くあったので、現在は野球場や野外広場として使われています。

先週日曜日ですが、何やらサンタクロースが沢山集まっていました。

サンタパレードというイベントでした。

よく見ると、「たかじんメモリアル」の文字と「OSAKAあかるクラブ」が見えますが、サングラスと鼻とタバコがいかしています。

「OSAKAあかるクラブ」の初代キャプテンがやしきたかじんで、メッセージが掲載されていました。

サンタパレードは、サンタの恰好をしてウォーキングやランをするチャリティーイベントで、世界中で開催されているともあります。

以下のようなコメントもありました。

会場のどこかで、寄付ができるコーナーがあったのかもしれません。

来年のこの時期、注意しておこうと思います。

現地にいる時は、これらのことを知らず、会場である太陽の広場をでました。

するとすぐに「10円パン」と書いた屋台がでています。

「今どき10円?」と思って近寄ってみると「10円玉の形をしたパン」でした。

たかじんなら、あのだみ声で「10円ちゃうんかい!」と、大声で突っ込んでいたはず。

そう言えば『たかじんのそこまで言って委員会』も『たかじんnoばぁ〜』も読売テレビの製作でした。

しゃべりも一流でしたが、私は歌も大好きで、CDを持っています。

11月22日の毎日新聞に、大阪環状線の発車メロディーが掲載されていました。

福島駅『夢想花』、天王寺駅『あの鐘を鳴らすのはあなた』、桃谷駅『酒と泪と男と女と』、森ノ宮駅『さくらんぼ』、天満駅『花火』と錚々たる名曲ばかりですが、やはり大阪駅は『やっぱ好きやねん』です。

「大阪を愛し、大阪に愛された、故・やしきたかじんさんの代表曲」とありました。

ここまで言われたら、芸能人冥利につきるでしょう。

たかじんが亡くなって、もう10年以上が経ちました。

健康で、明るい、ハンサム芸人も良いですが、大阪らしい、クセのある、夜の街が似合う、ずけずけモノを言う芸人も出てきて欲しい。

そんな芸人がやっぱ好きやねん!

あ、たかじんは芸人ちゃうか。やっぱり芸人や。

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天井スピーカーの魅力‐2259‐

上町のアトリエの外観は、黒一色です。

それで、内部空間も基本は黒とグレーで構成しています。

昨日は打合せがありました。

ピクチャーレールで作品のパネルを飾ってみたり。

本棚には作品を掲載して貰った書籍をディスプレイしています。

結構沢山の書籍に掲載して貰ったなと、1人悦にいっているのですが。

以前からラジオや音楽を天井スピーカーから流したいと思っていたので、スピーカーも黒で揃えました。

現在は生産中止になってしまいましたが、BOSEのDS16FBです。

ハイインピーダンスとローインピーダンスのどちらにも対応し、それほど高くないので廃版は残念です。

ようやくアンプを購入し、接続しました。

SONYのSTR-DH190は2018年の発売なので、高性能と言い難いですが3万円弱。

Bluetooth、FM、PCからの外部入力もできるので十分でした。

打合せをA、アトリエをBとするなら、その2系統を、A、B、A+Bと切り替えできるのが最も必要な機能でした。

配線コードの種類まではこだわっていませんが、音質的には十分だと思います。

普段はは小さめの音でFMですが、時々、Apple Music で、お気に入りのプレイリストを流します。

3階LDKにも同じスピーカーを付けました。

2022年にPanasonicから、住宅用火災報知器の黒が発売されました。

エアコンはグレーの幕板で隠し、スピーカー、住宅用火災報知器、照明器具が黒で統一できました。

3階LDKのアンプは、DENONのAVRX1800Hにしました。

DENONの7.2ch AVアンプシリーズでは最も低価格で、6万円弱でした。

Bluetooth、FMは勿論ですが、テレビの音声も臨場感あるサウンドシステムを構築したいと思っています。

まだまだこれからですが。

これまで、音楽にこだわりがあり、天井スピーカーを付けられたクライアントが何人かいました。

それを見ていなければ、設置しなかったかもしれません。

天井スピーカーの魅力は、まずは空間がすっきりすることです。

また、上からものを言われるのは嫌なものですが、音楽は上から聞こえる方が気分がよいのは何故でしょうか。

音源が離れているのも、耳に優しい気がします。

新築、リノベーション時には、もし悩むようなら設置をお勧めします。

■■■8月1日(金)患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」JIA(日本建築家協会)のトップページに掲載されました■■■

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関西万博<後編>ガンダムで締め‐2225‐

日曜日にはじめて訪れた、関西万博の後編です。

ほとんど予備知識無しにいったので、気になった建築をピックアップしてみます。

日本館はいい感じですが、ややさっぱりしているなあと思っていたら、日建設計の設計でした。

ただ、デザイナーの佐藤ナオキのプロデュースでした。

万博らしい建築だなと思ったのはシャインハット。

伊東豊雄でした。

1970年の万博を意識したとありましたが、確かにクラッシックな感じがします。

東ゲートから入ると、大屋根リングをくぐると正面に見えてくるのが、左からフランス館とアメリカ館。

それぞれ、大国の威信をかけ、有名建築家の仕事ですがそこまでのインパクトは無かったでしょうか。

すぐ近くにある、マレーシア館は隈研吾だろうなと思ったらその通りでした。

永山裕子が2つのパビリオンを設計していて凄いと書きましたが、隈研吾に至っては4つを担当していました。

その数字を見ても、彼が現時点で日本のトップ建築家であることは間違いありません。

ただ、レジェンドも黙っていません。

飯田グループホールディングス✕大阪公立大学のパビリオンは高松伸の設計です。

今回、安藤忠雄の作品がないなか、76歳での担当は流石です。

西ゲート近くにはミャクミャクとよしもと館。

そしてパソナグループ館。

らしさがでていて、良かったと思います。

アイデア賞はタイ館でしょうか。

半分だけで全部とは笑ってしまいました。

夕方になり列が短くなってきたので、少し並んで入れそうなパビリオンに入ってみました。

ロシアとイランに挟まれ、天然資源に恵まれた国です。

アゼルバイジャン館はスイスの設計事務所ベルプラット・パートナー。

内部は、360度スクリーンに写される映像ショーがメインです。

続けて、会期中に完成したインド館へ。

かなり混んでいましたが、入れたのをよしとしなければなりません。

少し後には、再び入場制限をしてましたから。

ただ、並んで入るほどでは……

この情報化社会です。面白いところが、簡単に空くことはないはずです。

西ゲート近くには、実物大ガンダムが。

目が光り、胸から煙をだす姿をみるだけで満足です。

一日歩き回ったので、ドローンショーはパスして帰ることにしました。

天気は雨が降ったりもしましたが、最後は夕焼けに。

この日の入場者数は12万6千人。収支ラインは約15万人とのことですが、これくらいが目一杯ではと思いました。

残念ながら、パビリン内部に入れたのは数えるほどでしたが、大屋根リングとガンダムはよかったです。


建築設計を生業とするものとして、1970年の万博の年に生まれ、55年後に向かえたこの地元開催で、全く関われなかったことに悔しさはありますが、おおいに刺激を受けました。

私にとっての関西万博はこれで終わり。

日常に戻って頑張っています。

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■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

関西万博<前編>やっぱり大屋根リング?‐2224‐

昨日の日曜日、ようやく関西万博へ行ってきました。

11時からの入場枠でしたが、夢洲駅はかなりの人でした。

噂通り、東ゲートはかなりの列でしたが、それでも並んだのは35分くらいだったでしょうか。

入場すると、まずは大屋根リングが出迎えてくれます。

設計は藤本壮介。

開催寸前まで、行くかどうかも決めていませんでしたが、折角の地元開催ということで、7月18日まで1回入場できる前期券を寸前に購入しました。

事前にいくつかのパビリオンに入る権利を持っていたのですが、2回の日程変更でそれらは消滅。

よって、基本は歩いて、歩いて、歩くのみのウォーキングデーになったのです。

大屋根リングはかなりの迫力で、海にせり出したこのあたりの景色が一番気に入りました。

まったく事前調査はしていませんでしたが、それでも耳に入ってくるのは、こちらのパナソニックグループパビリオン。

設計は、永山祐子。

ウーマンズパビリオンも同じく永山祐子の設計です。

2つのパビリオンを設計しているのです。凄い、の一言につきます。

「コモンズ」は、小さなブースが集まったパビリオン。

このスペースで、1国を紹介するのはちょっと大変でしょうか。

反対に、シグニチャー館のひとつ、落合陽一プロデュースの「Null2」は、外から見ただけでも流石だなという感じでした。

以前の万博において、建築は主役でもありましたが、その役割は大きく変わっていくのだと思います。

仮設であることが大前提ということは、建築との相性が決して良いと言えないからです。

岡本太郎の太陽の塔や、前川國男設計の鉄鋼館は現存していることからもよく分かります。

当日、空きができると募集するパビリオンがいくつかあり、「電力館」だけ入場することができました。

入場すると卵型の装置を首からさげます。

そして色々な体験をし、その情報がその装置に記録されるしくみです。

最後は、圧巻の照明と音楽のショーで締め括られます。

ニュースで、皇族の愛子様も体験した、結構な人気パビリオンですが、妻が当日の応募で何とか確保してくれました。

十分凄くはありましたが、ディズニーランドやUSJを体験している今の世代の人たちは、万博に何を求めるのだろうと考えていました。

そうそう、こちらも何度か話題になっていたネパール館。

まだ工事が続いているのか、もう諦めたのか分かりませんが、天井の断熱材がむき出しでした。

正面にあるこちらの像は、「べー」と舌を出しているようにもみえます。

こんなことも含めて万博なのでしょう。

雨も少し降ったこともあり、「大屋根リング」が一番楽しめたでしょうか。

誰にも頼まれていませんが、私ならもう少し海を取りこみたいと思ったのと、大屋根の中央にある白いシート部が気になりました。

元の設計ではこの部分は解放されていたのかなと考えていました。

この日の入場者数は12万6千人。最多ではないものの、かなりの人数だったようです。

次回の木曜日の後編で完結したいと思います。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

必見、世界遺産・二条城での アンゼルム・キーファー展‐2213‐

4月29日は昭和の日。

二条城で開催中の アンゼルム・キーファーの展覧会へ行ってきました。

東大手門にの前にも案内がでていました。

正確には「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展

「ラー」  940×950cm  2019年

受付を過ぎると、いきなり巨大なオブジェ「ラー」が現れます。

パレットから羽が生えている!

9.4m×9.5mとサイズ感も圧倒的でした。

アンゼルム・キーファーは1945年、ドイツ生まれの80歳。

現代で最も重要な重要なアーティストの1人と紹介されていました。

ナチス、戦争、神話と作品のモチーフは変化しますが、ヘビも色々な所に登場しています。

二条城、二の丸御殿台所・御清所に入っていきます。

「オクタビオ・パスのために」380×950cm 2024年

キャンパスに岩石などを貼りつけ、立体的な作品です。

この作品は、この展示会のために製作した作品で、原爆投下が題材です。

詩人、オクタビオ・パスの詩が引用されています。

またゴッホにも影響を受けているという点も納得できます。

「ボソン開放弦」 280×380cm 2023年

キーファーは、この展示会で会場となる二条城にある狩野派による障壁画にもインスパイアされ、金を多用したようです。

谷崎潤一郎は「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」の中で、軒の深い日本家屋の奥深くで、金襖や金屏風がほのかに光るさまに、美を見出しました。

その精神性は、かなり日本人に近いのかもしれません。

「ダナエ」 242×120×91cm 2018-24年

今回の展示は、本格的な照明設備が設置できないので、基本は自然光です。

それが、より金色の輝きを際立たせています。

ダナエはギリシャ神話に登場する、美貌の女王。

クリムトも同じタイトルの傑作があります。

その淫靡な空気感や、金色の使い方はクリムトの影響も受けているのかもしれません。

「ウルズ、ヴェルザンディ、スクルド−ノルンたち」 210×121×50cm 2014年

「ウルズ、ヴェルザンディ、スクルド−ノルン」は、北欧神話の最も有名な女神の3姉妹でした。

電線に使われる碍子(がいし)をワイヤーで縛ったもので、なぜ女神たちを表現したかったか分かりませんが、そんなことを、スマホでいちいち調べながら見て回りました。

アートに浸る時、そういった機器は邪魔になると考えていましたが、今回は全く逆でした。

会場に入ると、QRコードで作品リストがダウンロードできるのです。

それを見ながら、かつ調べながら観て回るのは極めて楽しかったのです。

「マアト=アニ」 188×150×124cm 2018‐24年

極めつけはこの作品。

「マアト」は古代エジプトの「法」「真理」「正義」を司る女神のようでした。

「アニ」はテーベの書記官とありました。

石膏のドレスの上で、分銅と羽が釣り合っているというこの構図。

土間での展示だったので、風が吹きこみ、羽が舞い上がった時にその意図がある程度理解できたのです。

作品であり、もうエンターテイメントです。

「モーゲンソー計画」 部屋いっぱい 2025年

戦後、アメリカの主導により、荒廃したドイツを農業国化するという「モーゲンソー計画」。

部屋いっぱいに砂が敷き詰められ、麦畑があらわれました。

そして、一番奥まで行くと、国宝、二の丸御殿との間の中庭にも、数多くの作品がありました。

これだけ面白かった展示会はなかなか経験がありません。

会場は、二条城とだけ書きましたが、正確に書くと、重要文化財「台所/御清所(おきよどころ)」です。

要するに、台所なのです。

天井はこの小屋組みです。

また、クリムトに同題があるといった「ダナエ」の奥に見える台は、見張り台のようです。

そこで、毒が混入されないように見張っていたとのこと。

アンゼルム・キーファーの極上のアートと、徳川の威光にもうお腹一杯でした。

この後、京都を散策したのですが、それはまた機会があれば書いてみたいと思います。

「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展、控えめに言って最高でした。

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博覧会の時代の後‐2208‐

昨日、関西万博が開幕しました。

それを記念して、ブルーインパルスが大阪城上空を2回通過するとのこと。

近所の方も、難波宮跡公園へ向かっているようです。

予定時刻は11時50分と、11時56分。

時刻が近付くにつれて、雨がやや強くなってきましたが、「関空を離陸したよ」という声も聞こえてきました。

ワクワクして待っていると、今度は「中止になったみたい」と。

徐々に、皆が帰路についたのです。

大阪では35年振りと聞いていたので残念です。また機会を作って貰えると嬉しいのですが。

直前まで、万博の盛りあがりをあまり感じていませんでした。

しかし、折角の地元開催なので前売チケットを買ったのは先週のこと。

高島屋東別館で「EXPO 博覧会の時代」という企画展があると知り、のぞいてみました。

難波の大阪高島屋から言えば、南西にあたる堺筋沿いにあります。

エントランスも立派。

2020年にリノベーションし、2021年には国の重要文化財に指定されています。

タイトルからすると「博覧会の時代」と言われた、1990年代の万博の歴史を紐解く内容を想像していました。

しかしここは高島屋資料館なので、高島屋が出品した室内装飾品などの展示がメインでした。

考えてみれば当たり前ですが、こちらが万博モード過ぎていたようです。

それでも、万博に関する資料もいくつかありました。

第1回目は1851年、ロンドン万博ですが、最も知られているのは1889年のパリ万博ではないでしょうか。

フランス革命100周年を記念し、開催にあわせて完成したエッフェル塔は、現在でもパリのシンボルです。

資料には、エジソンの蓄音機が大変な人気を博したとあります。万博の果たした役割がうかがい知れます。

また、1970年の前回大阪万博では、お祭り広場と太陽の塔がシンボルとなりました。

どちらにおいても、建築は主役的な役割を担ってきました。

1970年生まれの私は、この万博が開催中に55歳になります。

建築家としても十分キャリアを積んできたつもりですが、今回の万博に全く関われなかったのはとても残念です。

大小さまざまなコンペがあったのですが、何一つ参加できていないので当然と言えば当然ですが、それでも忸怩たる思いがあるのは間違いありません。

公共建築で指名を受けたければ、実績を積み重ねていくしかないので、ひとつずつの仕事で結果を残していくしかありません。アトリエ移転もきっかけとして、ギアを上げて行きたいと思います。

高島屋東別館があるあたりは、でんでんタウンと呼ばれ、家電量販店、電気部品店等が並びますが、現在は「オタロード」なる名前も付加されています。

アニメ、フィギュア、同人誌を扱う店が多くあり、「西の秋葉原」とも言われているのです。

以前とは全く風景が変わり、メイド喫茶も沢山あります。

その店員さんが道に並んで、店の案内?客引き?をしていました。

私が学生の頃は、オーディオオタク、家電オタクが集まる場所というイメージでしたが、時代が変わればこれだけ変わるのです。

加えて言うなら、これだけ情報があふれていると、「観る」というアトラクションでは、刺激が足りないのだと思います。

USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)にしても、メイド喫茶にしても体験型です。

そう考えると、 「博覧会の時代」と言われた、1990年代後の万博は、なかなか難しいものがあると思います。

日本橋と難波の境目あたりにある、焼売(シュウマイ)の名店「一芳亭」。

黄色い皮の焼売(シュウマイ) は、美味しくかつリーズナブル。

長らく行っていないので、帰りに前を通ってみました。

体験型アトラクションの最たるものは、やはり「食べる」につきるでしょう。

向いにあるメイド喫茶には長蛇の列ができていました。

金額もそれなりだったので、時代を感じずにはいられなかったのです。

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