カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

続・阪急梅田駅の歴史

今日から、梅田でのASJの建築家展に参加しています。

場所が梅田阪急ビル オフィスタワー24階。

ここは以前、築地本願寺や平安神宮の設計で知られる、伊東忠太設計のレトロドームのあった真上になります。
もう忘れてしまったという人はこちらを。↓
シャンデリアテーブル

阪急百貨店の13階に移設され、レストランとしてオープンしました。

リニューアルオープンしたコンコースは、初代阪急梅田駅のホームでした。

流石に昭和4年の事は知らなかったので、2005年の秋、改修工事が始まる際に「阪急梅田駅の歴史」として記事にまとめてあります。

現在の話しに戻します。

まずこのビルの特徴は大きなエレベーター。8畳はあるでしょうか。

それに乗ってまずは15階へ。ここからの眺めはなかなかのものです。

生駒方面の眺めも良いのですが、南の御堂筋を見るのも悪くありません。

時代が時代なら、殿様でもなければ見れなかった景色です。

巨匠・村野藤吾設計の梅田地下街換気塔も、上から失礼します。

その他の室外機も植栽で隠されていますが、全く次元の違う仕事です。

大阪駅まわりは再開発の真っ最中で、人出も多く活気を感じます。

今回は今日から月曜まで、5日間のロングランです。

中学からの通学路だった梅田は、その変化をつぶさに見てきました。

よって思い入れのある街です。

その梅田で、仕事を出来ることは喜びなのです。

酸ヶ湯と蔦温泉

 「ひと雨ごとに」の言葉通り、昨日から急に日差が強くなってきました。

 堺にあるフェニックス通りの植込みはソテツ。

 写真だけみれば夏気分です。

 火曜日に酸ヶ湯の積雪量が5m66cmで日本記録を更新した、というニュースがありました。

 青森県酸ヶ湯。読み方は「すかゆ」です。9年前に訪れました。

 結婚が2003年の秋で、その年末年始の事。

 3泊4日で、遠野、盛岡、八戸、十和田湖、青森を回りました。

 結婚祝いを貰ったので、当時はかなり贅沢をしている気分でした。

 仕事がどうなるか分からなかったので、親に強いられなければ行かなかったかもしれません。

 記憶に残っているのが、はじめに書いた酸ヶ湯の千人風呂。

 お湯は白濁して、ヌルヌルすべすべ。松本の白骨温泉もこのタイプの湯でしょうか。

 白濁した湯は、温泉気分を盛り上げてくれます。

 共に名湯と言って良いと思いますが、混浴なのが面白いところ。

 同じく青森の蔦温泉もよく覚えています。

 こちらは宿泊も取れました。

 確か源泉が湯船の真下で、そこからブクブクと湧き出てくるのです。

 急に熱泉がでてきたらどうなるんだろう、などと考えていました。

 この日記をボツボツと書き始めたのが2004年の3月。

 この頃を境にデジカメを持ち始めたのか。

 写真が無く全て拝借してきました。

 一昨日まで、ただ温かくなることを待ち望んでいましたが、雪深い秘湯を目指すなら今年の冬もあと僅か。明日から3月です。

 時間がある時はお金がない。少し余裕ができると時間がない。年長者のアドバイスは聞いておくものです。

街歩き―ミッドタウン―

 1月19日(土)は茨城へ。昼から、クライアントとの打合せでした。

 早目の新幹線でまずは東京駅へ。 

 地下鉄で乃木坂まで移動。

 徒歩3分で新国立美術館があります。

 乃木坂からのアプローチには、多くの雪が残り、空も雲一つない快晴。
 
 感激する美しさでした。

 サインに目をやると、深目地にスズメが住んでいるようです。

 見えるでしょうか。

 黒川紀章、2006年の作品ですから、亡くなる1年前の仕事です。

 何と言っても、波のようにうねったカーテンウォールです。

 その曲面の描き方は圧巻でした。

 ガラスのカーテンウォールと展示棟の間が、大きなホワイエとなっています。

 そこに巨大な逆円錐が2つ。

 その上部に、カフェ、レストランがあります。

 それらが、外部の壁を押し出すようなイメージで、正面のデザインは形成されています。

 西には青山霊園も望み、このカフェが非常に魅力的。

 まだオープン前だったので、次回の楽しみにしておきます。

 外部の水平ルーバーが、曲面の変化を、よりシンボリックに。

 かつ、光をまるので木漏れ日のように変えていました。

 久しぶりに夢中でシャッターを切りました。

 黒川の最高傑作と言って良いと思います。

 そのまま東へ5分程歩くと東京ミッドタウン。

 

 21_21 DESIGN SIGHTは、安藤忠雄の設計。

 ミッドタウンのオープン時、2007年に開館しました。

 入館しないと内部が見れないので1000円のチケットを買うと田中一光展。

 2週続けて同じ展示を観るのも、何かの縁かなと。

 内部で1ヵ所、撮影OKの作品がありました。

 この建物、外から見ると小さい建築ですが、大半は地下に埋まっています。

 このデザインの専門施設で、安藤は日本の顔となる建築を目指しました。

 日本一長い複層ガラスもありますが、特徴はやはり屋根でしょう。

 起案者の一人、三宅一生のモチーフ、1枚の布をイメージしてデザインされました。

 1枚の鉄板を全溶接し折り曲げられ、作られているのです。

 クリエーターが互いの仕事を尊敬しあい、何かを創りだす姿を見ると、非常に清々しい気持ちなります。

 「尊敬」という言葉は、現代人に最も欠けがちな要素だと思うのです。

 昼前に六本木をでました。ここから茨城まで約1時間。散々歩き回ったあと、打合せへ向かうのですが、足取りは軽やかです。

 六本木駅への階段を下りようとすると、何となく見たことのある看板が。これがあのアマンドか。

 だから街歩きはやめられないのです。

 

お奈良

 今日は成人の日。15日でないことに、違和感を感じると言い続けて数年。

 今年は雪の地域も多く、特に女性は大変だったでしょう。しかし、それはそれで記憶に残る一日になったかもしれません。

 20年経てば全く違和感のない若者が成人するのですから、時は全てを凌駕する訳です。

 私達は奈良の東大寺に行っていました。

 市内も若草山を境にうっすらと雪化粧。

 冷たい雨の一日でした。

 濡れそぼった鹿をみると可愛そうな気もしますが、たくましさも感じます。

 子供の絵本に「だじゃれ日本一周」という本があります。

 大阪府、たこやき食べてお釈迦プー。

 奈良県、それならと大仏さんもおならけん。

 全く罰当たりな絵本ですが、それで大仏さんを見に行こうか、となったのです。

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 「絵本より大きい」というのが娘の感想。

 それはそうです。

 柱くぐりもしてきました。

 私もくぐれるかなと思いトライしましたが、肩が入らず断念。

 これはどんなご利益があったのか。

 奈良県立美術館で「田中一光展」があったのも、久しぶりに奈良へ行こうと思った理由。

 彼は奈良出身でした。

 エントランスのみ撮影可。

 私が彼の名前を初めて聞いたのは、大学時代でした。

無印良品のデザインをしていると、美大に行っている友人に教えて貰ったのです。

 展示はポスター、グラフィックデザイン、スケッチなど、かなり見応えがありました。

 「具体」の吉原治良や、抽象画の元永定正から影響を受けていたと知り、常に貪欲に、刺激を求めていたのだと分かったのです。

 やはり一流は一流と交わるもの。

 また、彼は奈良という街の風土に大きく影響を受けているようです。

 古都奈良の特徴を、京都と対比させて語られることが多くあります。建築で言えば、武骨で実直、と表現したくなります。

 それらの風土は、今なお街に息づいていると感じます。

 県庁、奈良市民ホール、奈良国立博物館など現代建築の見どころも沢山。これらはまた晴れた日に。

 子供達は奈良県に入ったとたん「おならけん」とホントにおならしました。車の中で。

 奈良県の皆さん、どうか許しを。

木曽福島の山荘にて

 新年明けましておめでとうございます。

 いきなり告知です。1月6日(日) 朝日放送系列18:56より『2012年ビフォーアフター大賞』が放映されます。

 匠による投票で、ビフォーアフター大賞を決定するのですが、担当した「天井から雨が降る家」も放映があるかもしれません。もし良ければご覧ください。

 12月31日は、早朝から木曽福島へ行っていました。

 スキー場についたのが朝の8時半。

 きそふくしまスキー場はスキーヤーのみのスキー場です。

 両親、弟家族と一緒ですが、小学2年、1年の長男達は、随分滑れるようになりました。

 恰好はもう一人前です。

 下の娘は5歳ですが、上の2人に負けないくらい腕を上げています。

 体は小さいのですが安定感があり、向上心があるのです。

 「こんな風にしてみなさい」というと素直にトライするのが、成長の理由でしょうか。

 そんな彼女が一番気にしているのは、2つ下の従妹。

 今年からプルークボーゲンの練習中ですが、こけたら走って助けに行きます。

 抱え起こして。

 ポーズ。

 片時も離れず、喧嘩もそうせず。

 本当に仲が良いのです。 

 今回も、親族の山荘に2泊しました。

 食事は母が概ね用意してくれたもの。

 自炊ながら、正月気分は十分です。

 子供達にとっては、誰にも気兼ねせず遊べるのが、何よりのお年玉でしょう。
 
 男の子組は、ベイブレードで盛り上がっていました。

 この山荘に来るのは何回目でしょうか。

 これは、義妹家の親兄弟で建てたものです。

 その中で、ここにはテレビを置かないと決めているそうです。

 ネット環境もないので、ある意味で贅沢な時間を過ごせました。

 その分静かに過ごせたかと言えば、そうでもなく、聞こえてくるのは常に子供の嬌声ですが。

 1月2日の夜、大阪に戻ってきました。

 いよいよ明日から、2013年が本格的にスタートします。

 アトリエmのテーマは「幸福のために」、私のテーマは「学び」です。

 「学ぶ」ではなく「学び」にしました。行動すれば良いというものでなく、成果として出すという意思を込めました。

 変えられないのは他人と過去。変えられるのは自分と未来。今年も全場面、全力で判断します。

 ゲツモク日記共々、2013年もどうぞ宜しくお願いします。
 
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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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最後の色街

 忘年会シーズンもそろそろ終盤。私の参加回数は5回程度と、かなり少ないほうだと思います。

 その中で、最も楽しみにしていたのが「鯛よし百番」ので忘年会。先輩の建築家、石丸信明さんが主催する勉強会の忘年会です。

 何故、鯛よし百番になかなか行く機会がなかったのか。それは、飛田新地の中にあるからです。

 最近、書店に平積みで置いてある本に「さいごの色街 飛田」があります。読んではいないのですが、昭和の色街の匂いを色濃く残した街。それが飛田新地です。

 場所で言えば、通天閣の南、ジャンジャン横丁を南に下って行き、更に43号線を超えて10分程。最近活気のあるあべのキューズモールの西側あたり。

 煩悩、猥雑、淫靡、そんな言葉を建築にした街。写真撮影は一切禁止ですし、撮れる雰囲気も全くありません。

 しかし、鯛よし百番はOKでした。建物は大正末期に遊郭として生まれ、現在は料亭として営業しているのです。

 いままでに、飛田新地は1、2度通った事があります。大人の男の私も、緊張してしまうというか、大人の男だから緊張してしまうというか……

 この街は、完全に時間が止まっています。本物のタイムマシンでした。

 街にA面とB面があるとしたら、この街はB面の街。その表現さえも昭和の名残と気づいた私。

 「さいごの色街 飛田」哀愁のフレーズです。

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席を譲る、その作法

 先週土曜日は、茨城県に行っていました。

 千葉で住宅を設計中なのですが、施工会社が茨城県にあるのです。
 
 柏市を超えたあたりから、急に視界が開けてきました。

 茨城県取手市、藤代駅。

 茨城県を訪れるのは、おそらく初めてです。

 これで未体験は、沖縄、栃木、福島の3つになりました。
 
 クライアントとの打合せは昼からで、施工会社の担当者、社長と昼食に出掛けました。

 関西なら、立ち食いうどんですが、関東なら立ち食いそばです。

 そばはやはり関東でしょうか。

 こちらのつゆも、やや辛目でかなり美味しかったのです。

 茨城の名物を聞くと、あんこう鍋、納豆、偕楽園と上がってきました。

 冬のあんこう鍋。いつか食してみたいものです。

 上野から藤代までは常磐線で50分。

 出来れば座って、一仕事したいところです。空き席もあり快適な電車の旅を楽しみました。

 ちょっと足元のヒーターはちょっと熱すぎですが。

 これは聞いた話です。

 行楽シーズンの新幹線でのこと。東京―新大阪は自由席しか切符がありませんでした。勿論東京駅からほぼ満員。その人も通路に立っていたそうです。
 
 すると、新横浜から老夫妻が乗車。車内に入ってこられました。

 それを見て、ある20代のカップルが席を譲りました。大阪までなら約2時間、名古屋まででも1時間半は立ったままです。

 これを見て、とっても清々しい気分になったと言います。つい「今の若者は」と言ってしまいそうですが、その場で自分が同じ行動をとれたかどうか……

 先日読んだ「強育論」には、席を譲られた相手が、譲られたかどうか分らないのが、最もスマートな席の譲り方、とありました。

 譲られたお年寄りに強く遠慮された時。また、同乗していた友人に見せつけたいが為に、席を譲っていると感じた時。それに気付いた、とあったはずです。

 隣の車両に、気になる広告を見つけたかのように、席を譲れたら。これはもう美学です。

 どちらの話にもいたく感心したのは、自分がその域にいないから。トライしてみようと思います。

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長州岩国で、歴史を思う

 土曜日は朝から新幹線で、山口県の新岩国駅へ。

 大阪工業技術専門学校、校友会の中国支部総会に呼んで貰いました。1時間ほどで何か話をして欲しいという事。

 岩国と言えばやはり錦帯橋です。

 会場のホテルもすぐ近くで、見に行って来ました。

 5連の反り橋は、日本三名橋に数えられます。

 蛇行する錦川は山城である岩国城の堀の役割も果たします。

 この川幅200mの錦川に掛けられた木造の橋が錦帯橋。初代岩国藩主・吉川広家が完成させました。300年前の技術の粋を集めたものなのです。

 「おはん」で有名な作家・宇野千代もこの地の出身。昭和の女流作家のさきがけと言えます。

 生家が復元されていました。

 初めは通り過ぎるつもりでしたが、塀越しの紅葉に誘われ立ち寄ってきました。

 今年の紅葉は美しいという話ですが、間違いなさそうです。

 紅葉は赤きをよしとするものですが、淡い赤になる種が数本植わっていました。

 これが非常に上品な色づき加減で、大変美しい庭でした。

 一番楽しみにしていたのが「岩国徴古館(ちょうこかん)」。

 佐藤武夫の設計で1945年(昭和20年)3月に竣工しています。

 戦時下の傑作と言われて、そのサイドストーリーがなかなか興味深いもの。

 鉄が貴重だった為、鉄筋でなく「竹筋」の入った、竹筋コンクリート造という話があるのです。

 内部の柱も独特のフォルム。

 竹が入っているからこうなるのか、戦時下で、自分の意思を通したものなのか……

 やはり建築は条件が厳しければ厳しい程、傑作が生まれるものなのか……

 講演は問題なく終わりました。

 その日は岩国駅前のホテルに泊まり、帰りは山陽本線で、広島まで移動する事にしました。

 瀬戸内を望む鈍行の旅。なんとも贅沢な時間、と思っていたら高校生の集団が乗車してきました。

 修学旅行でしょうか。

 山陽の言葉の通り、このあたりは山に日の当たる地です。とても明るいイメージを受けました。

 明治維新は、薩摩、長州、土佐、肥後などの地域の藩が中央の政権を倒したものです。

 日本の近代化は、地域の力によって実現されたものなのです。

 革命は小より起こる。さて、この年末「小」は日本を変えれるのか。

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梅田のこれから、これからの買い物

 先週の木曜日は10月25日。現場の帰りに梅田を通りました。

 長らく工事中だった阪急のコンコースが、ようやく開かれていたのです。

 少しのぞくと、阪急百貨店も結構賑わっている感じです。

 広角カメラを持っていたので、写真を数枚撮りました。

 このコンコースは、初代、阪急梅田駅のホームだったところです。

 映画「ブラック・レイン」では、松田優作がバイクで登場しました。

 梅田の発展と共に、変遷を遂げて来た場所なのです。

 今回の工事に入った時に、その歴史をまとめてみました。興味のある方は2005年10月31日の記事を。この風景が、梅田の、大阪の顔となりえるのか。また7年経ってから、何か書いてみたいと思います。
 
 翌日、新聞を読んでいると、百貨店のリニューアルオープン初日だったと知りました。

 記事には、朝早くから多くの人が列を作り、かなりの混雑だったとあります。しかし、私が通った夕方は、そこまでの特別感はありませんでした。

 JR大阪駅界隈は、百貨店のオープンが相次ぎ、人出は増えましたが、実際の消費は目で見てとれる程、冷え込んでいると感じます。

 人口が減り、高齢化社会が進み、安い労働力を求め企業が海外移転を進める中、以前のような消費型社会に戻る可能性はないはずです。では、日本はどこへ向かうのか。

 作家、曽野綾子が新聞に以下のような発言をしていました。

 自立の気構えが全ての基本。自分達にかかる費用は払い続ける。シルバー割引を使わない。健康保険も使わない。

 ここまで出来る人が、何パーセント居るかは別にして、その考え方には惹かれるところがあります。彼女の考えは、高齢者をイメージしての事だと思いますが、これまでの「買う」に対しての警鐘とも言えます。

 相応の対価を、納得して払う。得をするから、今買わないと損をするから、ではない。

 そんな事だと感じるのです。

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岸和田だんじり祭り

 昨日の台風17号は、日本列島を縦断。午前中に三陸沖へ抜けたようです。

 土曜、日曜はイベントがあり、ASJの岸和田スタジオに行っていました。その前を、だんじりの試験曳きが通りました。

 台風が最も近畿へ接近した昨日の昼過ぎ。

 雨であれ、風であれ、祭りの男たちには関係ありません。

 交差点をかなりのスピードで曲がる「やりまわし」。

 岸和田だんじりならではのハイライトです。

 屋根の上で舞っている人は、大工方と言います。彼らが踊る間は、直進。曲がるときに合図を送るのがその役割だそうです。いわば、指揮者なのです。

 考えてみれば数トンもあるだんじりに、ハンドルがついる訳ではなく、曳き綱をだけでコントロールするのが、簡単なはずがありません。方角は「山、海。大阪、和歌山」で表現するそうです。

 山→東、海→西。北→大阪、南→和歌山。

 なるほど、この街と限定すれば、そので暮らす人が聞けば、最も間違いがなさそうです。曲がり角手前で一旦待機。合図と共にスタートし、見事成功させました。

 時にはけが人が出る程で、緊張感が漂っていました。方角の表現も、間違えば大事故となりかねないからこそ、伝統が息づいているのでしょう。一度本番を観てみたいものです。

 常に危険と隣り合わせ。そんな緊迫感が、より生を強く感じ、人を熱狂させるのではないかと思います。

 経営コンサルタントの石原明氏は「一生懸命仕事をすれば成長し、より多くのお金が貰える。成果を出さないとお金を貰えなくなるのが資本主義社会の良い所」と発言していました。

 実社会では「わりまわし」のような場面はなかなか無いとも言えます。反対に、いつもそうだとも言えそうです。

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