バックパックに詰めて行くもの、置いていくもの

 週始めは雨予報だったのが、全て晴れ予報に。

 江戸時代なら間違いなく飢饉になっているでしょう。これは雨乞いが必要かもしれません。日本の自然崇拝の一端を見た気がします。

 この季節、蒸し暑い中を楽しく過ごす工夫が必要です。伊勢志摩のキャンプ場へ行った際、ハンモックがありました。

 南米の原住民が使っていた寝床ですから、この時期にはうってつけです。

 ハンモックに揺られると、いつも記憶は2002年2月のベトナムへ……

 2001年の4月、30歳だった私は事務所を閉め、無期限の休暇に入りました。

 周囲には「海外を見て回りたいから」と説明していました。事務所を立ち上げて5年が過ぎ、正直に言えば心身ともボロボロでした

 しかし、バックパックだけを背負い世界を旅してみたいという夢も持っていました。

 この年は911のテロがあり、出発はやや遅れたもの、2001年の暮れ、ようやくバンコクに飛び立ったのです。

 帰りのフライトチケットを持たない、宿をもない初めての旅。

 新しい街に着けば、まずはゲストハウスと呼ばれる安宿探しです。
 
 心細かったのは数日で、値交渉も楽しみの1つになりました。

 東南アジアの街々を放浪し、2002年の2月、ベトナムに入りました。

 現在、ホーチミンは経済で注目の的ですが、十数年前も人の多い、埃っぽい、熱を帯びた街でした。

 カンボジアからは飛行機での移動。

 空港に降り立つと、まずその人の数に圧倒されます。

 何故か両替が外にあり、多くの視線の前で、ベトナムの通貨のドンに換金しなければなりません。

 タクシーを捕まえ、ゲストハウス街の住所を告げ、降ろされた時に撮ったのがこの写真。

 見渡す限り、人人人。全員が私の財布を狙っているんじゃないかと、内心気が気ではありませんでした。

 あてにしていたゲストハウスが見つかり、ほっとしたのです。

 ホーチミンはフランスに支配されていた歴史もあります。

 よって、安宿でも練乳入りのコーヒーとパンが美味しいのです。もちろん、パクチーがちりばめられたフォーは最高でした。

 バラック街の中にある、ゲストハウスには屋上がありました。

 そこにハンモックが吊られていたのです。

 ある夜、市街地の中心から花火が上がり始めました。華僑が旧正月を祝う為に上げているとのこと。

 ハンモックに揺られながらそれらを眺め、そろそろ日本に帰って仕事がしたい、と思ったのです。事務所を閉めて、10ヵ月後のことでした。

 人生には色々な事があります。もう仕事を辞めたいと思っている若者が居るとしたら。

 どんな仕事でも同じですが、簡単に辞めてはいけません。しかし、もうこれ以上は無理、なら辞めざる得ません。

 そんな時はバックパックだけの旅を勧めます。

 本当に必要なものは、その小さなバックパックに全て入っているのです。

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