カテゴリー別アーカイブ: 09 家族・私

伯父

昨日は、午後から葬儀に参列していました。

 昼過ぎに事務所を出て、岡山の児島へ着いたのが3時半。

 すでに式は始まっていました。

 父の兄。享年69歳。交通事故でした。

 伯父は祖父の創業した材木屋を継ぎます。

 父の3つ上で、子供は男の子2人。私達従兄弟どうしは歳も近く、小さい頃はよく児島に来ました。

 伯父は、日展に数度入選する書家であり、水墨画の作家でもありました。アトリエにはいつも膨大な作品が置いてありましたが、昨日はそれらが葬儀場の壁をうめていたのです。

 消防団、保護監を行う保護司、民生委員、交通警察協助員など、いつも地域の為に中心となって活動してきた。そんな人だったのです。

 伯母さん、従兄弟にとっては急過ぎて、悲しむ間さえ無かったと思います。

 今から未来を見たとき、人生には無限の岐路があります。

 しかし人生を振り返ったとき、道は1本しかありません。

 過去の人生は、全てが最高のものだったと言えます。たった1つしかないのですから。

 葬儀場の裏はすぐ海。祖父、祖母、そして伯父を送る時、3度この景色を見ました。

 静かな内海に浮かぶクジラ島。昔、皆で泳ぎに行ったことを思いだします。

smail

 仕事始めから3日目。

 出し忘れていた年賀状も送り終え、そろそろ一段落という感じでしょうか。

 今年の年賀状、事務所用は11月に竣工した伊東内科クリニック。家族用は七五三にしました。11月にOhanaで撮ってもらったものです。

 昨日届いた年賀状に「今年一番の笑顔でした」とコメントがあったのです。

 順番は別にして、褒めて貰えると本当に嬉しいものです。

 撮影後、カメラマンの石井さんから「家族写真は、僕がいいのを選んでおきますから」と言われました。

 流石はプロ。とてもいい写真を選んでくれました。

 若いころから、生きていくのに精一杯の生活を続けてきたので、まさか家族で撮影に行くなど、考えたこともありませんでした。

 大して余裕ができた訳ではありませんが、仕事をきっかけに家族で写真を撮って貰う喜びを知ったのです。

 今年の目標の一つに、笑顔をあげました。使えば使うだけ増えるのが、勇気と笑顔。しかし笑顔は難しい。特に仕事中は。

 皆笑っているように見えますが、本当は「笑かされている」のです。

一級建築士事務所 アトリエm
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

マイベストプロ大阪

 今日は失礼して私の写真から。

 先月の末、メールが届きました。件名は以下の通り。

 読売新聞 マイベストプロ大阪 「大阪において一級建築士の先生を少数名募集させていただいております」

 このwebサイトに参加しないかというものでした。

 サイトを見に行くと『困ったときに、大阪で活躍するプロを簡単に探すことができる、地域密着のwebガイド』とありました。

 説明を希望すると、すぐ事務局の方が来所してくれたのです。
 
 何か問題があった時、webサイトも多すぎてどこに相談して良いか分からないという、読者の声がある。そんな時、読売新聞が審査した専門家を紹介するサイト、という話でした。

 オープンは1年前だったのですが、その時は応募→審査という形式でした。今回アンケートで一級建築士が不足しているという意見があり、探していたところ、当事務所のwebサイトを見つけたとのこと。

 このサイトは読売新聞のTOPページにも小さくリンクが貼られ、読売新聞の関西版サイトにもバナーが貼られています。

 掲載して貰うのに全く問題ありませんが、サーバーのレンタル代だけはこちらで負担しないといけません。しかし、利益を求めているような金額ではないのです。事務局の人に読売新聞がこのwebサイトを運営するメリットは何か聞いてみました。

 新聞とはそもそも、読者の知りたい地域に密着した情報を伝えるのが役目。その役割を果たし、更に他紙と差別化するためです、と。

 すべて納得したのです。早速お願いすると、次は読売新聞サービスというところから取材日の連絡がありました。

 当日現れたのは、60歳を少し過ぎた紳士。聞けば読売新聞のスポーツ欄担当記者だったそうです。50歳中頃のカメラマンも、元・高知支局長。

 何となく若い人をイメージしていたので、一瞬驚きましたが、話し始めると興味を持って質問をしてれ、話は盛り上がったのです。支局長撮影の写真が初めの一枚。

 記事はその記者が書いてくれたもの。専門の情報だけは少し校正しましたが、出来る限り元の文章を尊重しました。初めて接した、新聞記者という仕事に敬意を払ったつもりです。 

 良ければまたサイトものぞいて下さい。 

ランドセル

 長男は来年から小学校です。

 色々要りようですが、昨日はランドセルを見に行って来ました。

 イクタランドセルは、大阪市生野区にあります。

 この辺りには、すぐそばに他のランドセル会社もあるのです。

 店内は白とこげ茶で統一され、とても上品にまとめられています。

 ランドセルがカラフルになったと聞きますが、実物を見るとなんとも華やかで、なかなか良いものです。

 昼一番に行ったのですが、7組ほどの家族連れで賑わっていました。

 古い裁縫機械がディスプレイしてあったので、色々聞いていると「工場を見られますか?」と。

 そっちの方に興味があるので、すぐ案内して貰ったのです。

 裏が工場で、6人程が作業をしていました。

 一番忙しい時なのに、質問には丁寧に答えてくれます。

 とても好感が持てました。

 もの造りの過程を見ると、更に愛着が持てるはずです。

 今のランドセルは、素材も合成皮革、牛革、馬革と様々でした。

 それぞれメリット、デメリットはありますが、革製にしました。少しぐらい重くても、傷がついても良いと思っています。

 色は長男に聞くと「紺」が良いと。

 尊重してあげたい気もしますが、6年間持つものだし……迷いました。

 今回はこちらの意見を押し付けることにしました。それで黒に。ただし縫い糸は青。長男も、黒が良いと思う理由を説明すると、納得したのです。

 黒の革に紺色のステッチが入っているランドセルは掛け値なしに美しいものでした。それもそのはず、数万円しました。私の仕事カバンが2つ買えます。

 それでもこのランドセルにしました。買ってくれるのは、義理の父ですから。

七五三の草履

 長男が5歳、長女が2歳。数えで3歳ということで、七五三参りへ。
 こういう行事は、行くまで気が重いものですが、行ってしまえばなかなか良いもの。

 実家で義妹に着付けをしてもらい、地元の神社へ。
 長女が嫌がるかなと思ったのですが、上機嫌でした。まさに晴れ姿。
 着物は妻が着たものなのでもう30年もの。月末の日曜日に、Ohanaで撮影して貰うことになっているのです。
 長男もなかなか立派な感じ、で本人も誇らしげでした。
 ただ2人とも、砂利敷きというのもあり、草履が駄目で拝殿へいっこうに進まないのです。
 痺れをきらして「すり足の感じで」とか「昔の子供はこれで走ってたんやで」と急かすと「ほんま?」と聞き返されました。
 確かに本当かどうかは、分からないので「ん~多分そうやったと思う」と答えたのです。
 普段使いの草履はもっとしなやかだったにせよ、靴の機能性と比べると雲泥の差です。今と同じ感覚では歩いたり、走ったりしていなかったのかもしれません。
 全ては必然。そこには、本当のスローライフがあったのかもと思うのです。 

秋の最後の運動会

 昨日は保育園の運動会の予定でしたが、雨で順延に。

 今日は快晴になりました。長男にとっては、保育園最後の運動会。

 「今年のかけっこ勝ってくれよ!」と思っていると、年長組はリレーのみ。

 若干拍子抜けしました。

 来年からは小学生。

 もう立派にと言うか、親の立ち入れない、子供の社会があります。

 恒例の風船もこれで5回目。
 
 さあ始まるという気分になるものです。

 親のヒートアップ振りもなかなかのもの。

 とは言え、最後は自分も子供の正面を求めて移動するのですが。

 長女は「おどるポンポコリン」に乗ってのダンス。

 どうしてか、下の子を見る目は甘くなってしまいます。

 運動会のメインイベントは年長組のパレード。

 練習はハードらしく、家に帰っても疲れ過ぎで、とても機嫌が悪いと妻がぼやいていました。

 20分に渡る演技で、なかなか見応えがあったのです。

 運動会最後に、長男は挨拶がありました。
 
 3組から一人ずつが、各パートを担当します。長男は一番最後。

 風呂のシャワーをマイクにみたてて、練習を重ねていました。

 私も保育園、小学校と何度か挨拶をしましたが、練習しすぎて、ただの音になっているというか、1度とちったことがあるのです。

 上手くいっても経験、失敗しても経験。「元気にな」とだけリクエストしました。

 とはいえ、いざその時になると、やはり出来が気になります。私の心配をよそに、上手にスピーチできました。

 後で聞くと大して気にしている風もなく「前の子が終わったら、あっ僕の番やって思ってビックリした」とのん気なことを言っていました。

 何はともあれ、今は無事終えてほっとしています。こんな経験が意外と自信になったりするものです。

40歳

 なるものはなる、準備は出来ている、と一応は思っていました。

 昨日の7月28日。40歳になりました。

 スタッフの女性が、チーズケーキを焼いて、プレゼントしてくれました。

 仕事で時間の無い中、本当に嬉しい限りです。とても美味しかったです。

 自分自身としては、前日と目に見えて違うくらい、成長していれば嬉しいのですが、当然の事ながらほぼ同じ。

 しかし、この歳を迎えるにあたり、意識していた言葉もあります。

 一つは、孔子の言う不惑。

 われ、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従えども矩をこえず。

 論語を習うのは、中学校の古文でしょうか。しかし実際に「不惑」を意識したのは1988年、私が18歳の時です。

 門田博光は、ソフトバンクホークスの前身、南海ホークスのスラッガーでした。当時、門田は40歳。数年前、アキレス腱断絶の大怪我を克服しカムバックしていました。南海ホークスが無くなるこの年、ホームラン王、そしてMVPに輝くのです。

 当時は、今ほど息の長い選手は少なく、全打席ホームランしか狙わないずんぐりむっくりのおじさんが、44本のホームランを打ちに打ちまくる姿に、感激というか、驚きました。彼をを見に大阪球場へ足を運んだのです。

 その頃、紙面に踊っていた文字が「不惑の大砲」。あんな歳で、一番になれるなんて……と思っていたのです。

 もう一つは「男は40歳になったら、自分の顔に責任を持て」

 奴隷解放宣言で有名な第16代アメリカ大統領リンカーンの言葉です。

 もし、惑わず、自分の顔に責任を持てるようになったか、と問われれば、はい、と答えます。今から別の人生を歩むこともありませんし、アンパンのように顔は付け替えられませんから。

 事務所を設立した25歳から、昨日までの15年間を修行の期間と位置付けます。

 これからの15年間は成長の期間とし、55歳からの15年間は収穫の期間としたいと思います。

 更にその先があるなら、社会への恩返しの期間にしたいと思っているのです。

 いつまで生かされるかは、神様が決めること。人生の折り返し点を通過する今、1日を過ごすでのでなく、生きたいと思うのです。

線香花火

 先週末から月曜日にかけて、平野区にある杭全神社の夏祭りでした。

 だんじりは、大阪府内で岸和田につぐ規模を誇ります。

 先々週にも近所の夏祭りに行ったのですが「もう一回スーパーボールすくいを!」とか「お面が欲しかった!」とかぐずっていました。

 文句ばかりなら、もう来ない!!……と言いたいのですが、普段はあまり面倒を見ていない引け目もあり、日曜日の夜、再度杭全神社へ。 

 楽しみにしていただんじりまでは結構な時間があり、今年は諦めました。

 夜は保育園の友達と、公園で花火。

 友達の彼は、5歳にして線香花火が一番のお気に入りと言います。

 見ていると、火の玉を落さず、小さな松葉の火花がでるまで、辛抱強く待っています。

 天気予報を見ると、長かった梅雨も今週末まででしょうか。

 連休は夏空が広がるのを期待して。

要る

 昨日はバレンタインデー。娘の誕生日でもあります。2歳になりました。

 実家でケーキを用意してくれました。近所で評判の、駒川中野にある「ミラベル」。生クリームが軽いというか、大人に人気です。

 当たり前ですが、ロウソクは2本。これがせめて20本になるまで、頑張らないとと思います。いつまで一緒に祝ってくれるかは、分かりませんが。

 こちらは全国共通のバレンタインデー。妻に「チョコレートは?」と聞くと「要る?」と。

 「そら要るワ」と言うと、「そしたら、子供達と一緒に買いにいってきまーす」と日曜の午前中、出掛けて行きました。

 大方はそんなものなのかもしれません。

 ハレとケ。ハレ(晴れ)は特別な日。ケは日常です。穢れるとは、ケ(気)がれる、気力が衰えるから来たという説もあります。

 ハレは、気を充電するため、日常を元気にする為にあると言えます。中国、日本では節目を大切にして来ました。その一つが、月初にあった節分です。

 節目、記念日=ハレは大切にするほうが良いのです。チョコレートが欲しいのではないのです……

風邪には柿

 事務所としては、今日が仕事納め。

 年末へ向けてラストスパートと頑張って来たのですが、つけが来ましました。昨日の昼くらいから悪寒がするのです。

 エアコン、デロンギ、電気スリッパ、マフラー、カイロと、思いつく限りの事をしたのですが、それでも寒い。目はかすむし、頭がぼーっとするわで、早めに仕事を切り上げて帰りました。

 熱を計ると37.8℃。普段あまり熱が出ないからか、びーびー言いたくなるくらい体がしんどいのです。昨晩は、市販の薬を飲んで9時半に寝ました。

 起きると少しましになりましたが、念のため病院へ。年内の診察は今日までで、先生に今年のお礼と、お疲れさまでしたと言うと「バンザーイ!」と言って、両手を挙げたのです。

 しんどい時は自分の事だけになりますが、先生だってそうなのです。

 妻と子供が里帰り中で、実家にいます。和室には干し柿がありました。

 母が言うには干し柿ブームらしく、わざわざ渋柿を買ってきて、干しているのです。風邪には柿がいいそうです。 

 今年亡くなった岡山の祖母も沢山作っていました。

 果樹園の木は大半が渋柿だったので、渋を抜く必要があります。焼酎につけるか、熟しきるのを待つかですが、やはり干し柿が一番です。

 もっとシワシワでしたが、あの歯ごたえと優しい甘みを思いだします。