8/7(月)の続きです。
夕食の後は、心地よい疲れもあってすぐに就寝。翌朝は5時に目が覚めました。
早めの朝食の後は、前の砂浜で海水浴です。ウチの子供は、とにかく”水好き”なのです。
父が浮き輪に乗せて引っ張っるとキャッキャ、キャッキャと声を上げて喜びます。
見ていると、自ら顔を浸けて海水を飲んでいるよう。
それくらいの”水好き”なのです。
10時頃、岡山のホテルを後に、母の郷里、香川へと向いました。
お昼は讃岐うどんの有名店”やまうち”へ。
私と妻で、いなり寿司も付けて1000円ほど。
(詳しくは2004/10/4)繁盛店だけあって今回も納得のお味でした。
その後、満濃町にある祖父のお墓へ。
祖父は戦争の前、東京で働いていました。
戦後、郷里であるこの地に戻ると電気屋を始めます。
都会で使った便利な家電を、重労働に苦しむ農村の女性へと考えたのです。
孫の私が言うのも何ですが、本当に真っ直ぐで正直な人でした。
その理想を実現する為、起こした会社は”生活改善社”。
今ではその理念を母の弟、私の叔父が継いでいます。
祖父、叔父とも自らが扱う日立の製品を愛していました。
生活改善社から貰う日立製品の中で育った私にも、やはり愛着があります。
シャッターには、60年代の終わりから、カラーテレビ普及のため活躍したキャラクターが残ります。ポンと押せば、パッとつくから”ポンパ”。
剥げたポンパを見ると、祖父とここで過ごした夏休みを思い出すのです。
先週末は恒例にしているお墓参りに、岡山と香川へ行ってきました。
父、母、弟家族、私の家族、総勢8人には2人の1歳児を含みます。
まずは倉敷にある父方の祖父のお墓へ。
高台にあり、瀬戸内海の島々を見下ろす景色は、猛暑を忘れさせてくれます。
その後、下津井名物のタコを”ふく仙”で頂きました。ここのタコの造りは絶品です。
そこから私達3人は別行動で、妻の友人宅へ向かいました。
岡山市内までは、高速で小一時間ほど。妻とご夫妻は以前、同じ職場で働いていたのです。
7ヶ月のお子さんとウチの子供の話を中心に3時間ほど喋りっぱなしでした。
”3年ぶりだけど、全くブランクを感じなかったワ。あ~楽しかった”と妻。話に夢中で写真を撮り忘れてしまいました。
Hご夫妻、もしいい写真があれば是非お願いします。
その晩は、祖母の卒寿を祝う為、海岸沿いのホテルに宿泊です。
王子ヶ岳のふもとにある渋川海岸へ。
数えで90歳。
元気だった祖母も、さすがに歳をとりました。
祖母はずっと昔ですが、胃の大半を切り取っています。
それが、この晩は”お腹一杯”と言いながらも、お造りから、お肉、シャーベットまで、ほとんどの料理を平らげてしまいました。
これは元気なはずです。
さらに一杯だけですが、ビールも頂くのです。
夕焼けにビールで祖母の健康に乾杯しました。
これだけ暑いと、その味もまた格別・・・・・・
幸せな一時を過ごしました。続きはまた木曜日に。
36歳になりました。
もう3回目の年男。子供はすっかり夢の中で、妻にイチジクがのった小さなタルトで祝ってもらいました。
この機会に、仕事イスを買うことにしました。先日書いた10年来のイスを使っても、事務所のイスが足りなくなったのです。
粗大ゴミの有料化が決まって、街にはくたびれた家具が山積みです。これを機に家の中が見直され、不要なモノが減れば、暮らしはより快適になるでしょう。
空間が広がり、美しくなると頭の中までスッキリし、整理されたような気分になります。おそらく”気”だけではないはず。
しかし、捨てる、ゴミを出すという行為は望ましいものでは無いはず。
”捨てる”事にお金が掛かれば、長く使えるモノが選ばれるようになるでしょう。
特に家具などは一生付き合えるものを、と考える人が多くなるかもしれません。
値段の高い安いだけでなく、よく考え、悩んで選んだ家具なら愛着も一入。悩むことが、モノをゴミに変えない一番の秘訣かもしれません。
今回の仕事イス、今までと比べると結構なお値段なのです。
しかし”一生の付き合いよ”と思い切って発注しました。
なので今日の話は一般論と言うより、自分に言い聞かせている話なのです。
届くのを待っている今は、短くも、最も幸せな時間。
この何日かの雨は凄まじいものがありました。
天の気分で天気。
頼んで変わる訳ではありませんが、もうこのくらいで、とお願いしたいところです。
雨の影響もあり、現場も遅れ気味。
よって現場、事務所、家を往復する毎日で、仕事以外といえば、子供の事くらいで・・・・・・
ここで、子供が食べない、食べないと書いたので、いろんな方法を教えてもらいました。
その結果、いつもパクパクとはいきませんが、よく食べる日も出てきました。
水分の多いものが好きな事が分かってきました。
特にスイカとトマトが大好きで、凄い勢いで食べます。
まるで同じものを食べているように食べるのです。
私達にとっては果物と野菜ですが、最近のトマトは美味しいので、案外彼の舌のほうが正確なのかもしれません。
気分次第ですが、オクラをバクバクという日もあります。
前はアレが好きだったのに、2週間経つと食べなかったりと、こちらの思い通りには行きませんが、のんびりやって行くしかないようです。
うちの子供の話ですが、この4月から保育所に通っています。
馴染めないという事はないのですが、お昼ご飯をほとんど食べてこないのです。
保育所の先生もいろいろと手をかけてくれるのですがなかなか。
日曜日は、保育所に着て行く服がないと言うので吹田市の北千里サティーにある”アカチャンホンポ”へ。
しかし機嫌がいまひとつで、アンパンマンの乗り物に乗っても淡々とハンドルを回していました。
家でのご飯もたくさん食べる日もありますが、あまり食べない日も多く、妻は悪戦苦闘しています。私はブクブクになるまで食べていたそうですし、今でも食べろと言われればいくらでも、なので子供が小食というのがどうにも・・・・・・
先輩お母さん方には、対策を聞くのがクセになってしまいました。
答えはいろいろ。
”なんでもミルク味にしてみたら”
”納豆ごはんはどう”
”お好み焼きみたいにしてみたら”
”ホットケーキが好きかも”
”好きなものだけ食べさせれば”
”何でもお腹に入ってしまえばOK”
”ホントにお腹が空けばいつか食べるよ”
などなど。母強しです。
他にも”これを試してみたら”というのが有れば教えて下さい。
親は体重を気にし、子供はなんとか食べるものを探し。
なにかといろいろあるものです。
長男も一歳を過ぎて、掴まり立ちが出来るようになりました。曾祖母から「靴を買ってあげて」と御祝いをもらったので、百貨店へ出掛けました。
歩く前に履く靴(変な表現ですが)は頂きものが有りましたが、歩ける靴は初めてです。
「初めてお世話になるものだから」と、店員さんには色々な質問をし、散々試着した結果、私のスニーカーと同じメーカーのものにしました。
「いい買い物が出来たな」と妻と話していると、店員さんが「これを押せば、歩けるかも」とイヌが動く手押し車を持って来てくれました。
「まだムリだと思いますよ~」とか言いながら持たせてみると、キャッキャと喜びながら歩く歩く。何故かものすごい大またで、百貨店の広い廊下を行ったり来たり。こけてもすぐ立ち上がり、延々と往復していました。
寝返りえをうつ。座る。ハイハイをする。掴まり立ち。その境目はいつも突然やって来ました。本能とは言え、成長のスピードは親が少なく見積もってしまう程です。
もちろん嬉しい誤算ですが、限界を設定してしまうのは親のほうなのかも?と考えてしまいました。
昨日は長男、仁(じん)の誕生日でした。
あたふたしたり、戸惑ったりしながらも、ようやく一年がすぎました。
ありきたりですが、長かったような、短かったような・・・・・・兎にも角にも、仁は元気に育っています。
昨日の夕食は誕生日の特別メニュー。何が特別かと言うと「全て手づかみで食べれる」事だそうです。
夕食は先に妻と食べているので、カメラで撮っておいてくれました。特別メニューは一瞬にしてこうなったそうです。
私が帰宅してから、3人で誕生日ケーキを食べました。彼は上のイチゴだけ。
食後は最近覚えた歯磨きの”マネ”。実際磨いているはけではありませんが、何故かご機嫌なのです。
最近はいろんな遊びが出来るようになりました。中でも、大のお気に入りは”かくれんぼ”。
未だハイハイしか出来ないので、探しているマネを始めると、”高速ハイハイ”で飛ぶように逃げていきます。しかし、狭い我家の中ではすぐ見つかってしまう。
考えた彼は、顔を布団などに押しつけると、じっとしているのです。自分からオニ(私)が見えないので、相手からも見えないと思っているのか、隠れているつもりのようです。
布団に顔をおしつけ、ちょこんとお尻を突き出している姿を見ると「純粋なことは、なんて素晴らしいことよ」とチチは微笑んでしまうのです。
2005年も残すところもあと3日となりました。
今年もいろいろなことがありましたが、我が家に子供が生まれたことで、大きく変った人がいます。
25日の日曜日は、急遽、私の実家で食事をすることになりました。
今まで、夫婦で実家に行くことはそんなに無かったので、孫を連れて来いということです。おじいちゃん、おばあちゃんにとって孫はかわいいものと聞きますが、これはもう想像をはるかに超えていました。
私の父は、孫の来る時間が分かっている時には、先に食事を済ませて待っています。少しでも多く遊べるよう、準備を整えて待ち構えているのです。
行くとやたらにだっこし、写真を撮りまくります。私の知る父とは全くの別人です。
この日は2ヶ月違いの弟の子供も来ており、クリスマスケーキの前で何故か撮影会が始まりました。もう紛れもないバカ家族です。
そうしていると、ウチの子供がケーキに手を突っ込んでしまいました。
誰かが怒った訳ではないのですが、みんなが一斉に「アーッ!」とか「あらら!」とか言われたのに驚き、泣き出してしまったのです。弟の子供は冷静なもの。
すると、おばあちゃんが「はい、はい大丈夫よー」とか言いながら、だっこして、どこかに連れ去って行きました。そこまでしなくても、という気もしますが、このたわいもない風景になんとなく幸せを感じるのでした。
これは以前にはなかった感じです。ということは、私もだいぶ変ったのかな?
先週、妻の実家で12年10ヶ月飼っていた犬の「マナ」が亡くなりました。
ゴールデンレトリバーという犬は大型犬で長生きが難しいそうですが、人に換算すると90歳の生涯でした。天寿をまっとうしたと言えるでしょう。
体調が良くないと聞いていたのですが、お昼頃に亡くなったという連絡が入りました。最期は苦しまず、眠るように息を引き取ったそうです。
その夜、実家のある高槻へ妻とお別れに行きました。私とは3年の付き合いでしたが、行った時にはよく散歩に出かけたものでした。
翌朝早くに家に帰ろうと玄関を出ると、カマキリを見つけました。かなりお腹が大きく、産卵場所を探して迷い込んだようです。もうすぐ新しい命が生まれるのでしょう。
お葬式の時には、無邪気に笑ったり、泣いたりする赤ちゃんに目が留まります。誰かが生まれれば、誰かは亡くなる。ごく当たり前のことで、永遠に続くものは何も無い。そんな時に「命は延々と受け継がれて行くものなんだ」ということを実感します。私も、その脈々と受け継がれる「命」を運んでいるとも言えます。
妻の家族にとって「マナ」はかけがえの無いない「家族」でした。「マナ」のことを話す時は皆が笑顔でした。「命」は唯一無二で尊いものです。ですから失われた時にその存在の大きさを実感します。しかし、その時にはどれだけ多くのものを与えられたかを反芻し感謝します。
死は悲しいものですが、決してネガティブなことだけではありません。死を見つめることによって、「生」が鮮やかに浮かび上がってきます。全ての生物の最期には、そんな役割があるのでは無いかと思っています。
先週末、やっと今年初めての海に行きました。場所は、日本海にある私が一番好きな浜で、小学校になる前から来ています。
「海」はここ一筋で、ここ以外で泳ぐこともほとんどありません。 水が綺麗で、景色が素晴らしいので、6ヶ月になった長男の初泳ぎ?もここに決めていました。
足を浸けてみると、不思議そうな顔をしていましたが、泣きもせず、笑いもせずでした。「まだ何も分からないか」と思っていたら、海から上がると何故か満面の笑みでした。
この日も私達家族の貸切状態でした。最近少し疲れ気味だったので良いリフレッシュになりました。
心地よい海風、美しい緑、澄んだ水。やっぱり海はいい!
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