カテゴリー別アーカイブ: 09 家族・私

花嫁の父は

 日曜日は、京都に行っていました。母方の従姉妹が結婚したのです。

 朱塗りの大鳥居で有名な平安神宮で挙式しました。

 それを終えると、主役の二人は人力車で登場です。

 披露宴会場は平安神宮のすぐ南。疎水のほとりにある、静かなレストランでした。

 京都市動物園の辻向かいで、疎水越しに中が覗けます。時折キリンの姿が。子供達はすぐに退屈してしまうので、こんなことが有り難いのです。

 式の最後には、花嫁から両親へのメッセージ。

 花嫁の父は、私にとっては叔父です。小さい頃は本当に良く遊んで貰いました。

 心優しい人で、つい私も目頭が熱くなりました。

 従姉妹は勿論泣いています。叔父もやはり……泣いていないのです。

 娘を送り出す父は、ただ辛く寂しいものだと思っていました。しかし現実はそれだけでは無いのかもしれません。もう少し思い出してみると、号泣していた人など居なかったような気がします。

 花嫁の父。哀愁を秘めた、なんとも奥ゆかしい言葉です。

初宮参りに思う

境内の中の家」という作品が完成したのがこの2月。

 昨日、その神社へ長女の初宮参りに行って来ました。クライアントとして色々な話をしましたが、神職者としても尊敬できる方だったからです。

 長女が生れて3ヵ月。初宮参りが遅くなったのは入院があったからです。

 一般的に出産後は5日ほどで退院です。生れて一週間経った頃、24時間の看護体制があるところに移った方が良いという事になりました。

 ある数値が不安定だったのです。即日救急車で移送されることになりました。

 急なことだったので、妻も動転しています。私も一緒にバタバタしてしまってはと、自分にまあ落ち着けと言い聞かせました。

 それから1ヶ月過ぎた頃に2つ目の病院を一旦退院。一週間後の検査でまた安定せず再び転院。そこは市内でも有数の規模を誇る総合病院でした。

 結局原因は分からずじまいでしたが、数値が徐々に安定しだした4月の中頃、3つ目の病院を退院したのです。

 これだけ医療が進んでも、分からないことは沢山あるそうです。それを聞いて何かホッとする部分もあります。しかし進んだ医療のおかげで、原因が分からないことが分かったのです。

 3歳未満の子供の医療費は、概ね月額の上限があります。保護や保険はバイタリティーを奪うという気持ちは変わりませんが、その手厚い補助は、必要に迫られタクシーに乗ったりと、出費がかさむ私達にとって、有り難いものでした。

 娘が入院している間に、気付いた事がありました。

 3つ目の病院には、重篤な子供も多く入院していました。両親は寝泊り出来ない規則なので、夜の8時に帰らなければなりません。

 2、3歳の子供は、母親が帰る時には勿論泣きます。そんな光景を見るのは辛いですが、それが日常である彼らにとって、いちいち悲観している暇など無いのです。どんな状況であれ、泣き笑いしながら逞しく生きているのです。

 「かわいそう」はあくまで、人事と感じての視点です。それはそれでも良いのですが、私も入院する娘を持つ身となり、初めてそれが分かったのです。

 それから「~でなくて良かった」とは考えなくなりました。また考えないようにしました。誰かと何かを比べることで、自分を納得させている姿は、恥ずかしいと感じたのです。

 在る、だけで幸せ。不幸と感じても幸せ。在れなければ、そう感じることさえ出来ないのですから。

 「何故生きるのか」という問いにはいくつもの答えがあります。しかし今はどんな状態であれ、人は生きる為に生きるのだと思っているのです。

プレゼントのストーリー

 先週金曜日の夜。事務所に70cmはある大きな小包が届きました。

 送り主を見ると愛媛県にあるショップのようで、その名前しか無い。誰が送ってくれたのだろうと、電話しましたがもう閉店のあとでした。それで、問い合わせのメールを出しておきました。

 その小包を家に持って帰り、妻に「誰からやろう?」と。少しだけ包みを破ると、乗って遊べるパワーショベルなのです。このプレゼントのセレクトはあの方……

 子供はもう寝ていたので、その晩は開封せずにおきました。翌朝、子供に破った所から覗かせ、

 「誰が送ってくれたんやろう」と聞くと、「ん~、ヒゲのおっちゃん!」

 1歳のクリスマスにはキャタピラーのブルドーザー、2歳の時にはパワーショベル&運送用トラックの玩具をプレゼント下さった方です。

 「やっぱりそう思う?じゃあもう開けてしまおうか!」となったのです。

 ヘルメットもいたく気に入ったようで、いろんな物をすくいまくっています。

 明けて月曜日の朝、「備考欄にお名前を書き忘れてしまい……」と連絡が。やはり私達が想像した方でした。
 
 3年前のクリスマスの事。ホームパーティーに招いて頂いた上、家族皆にプレゼントを。私には芯ホルダーという筆記用具でした。

 聞けばイタリアで買ったと。確かイタリアに行っていたのはその年の9月。3ヶ月も前のことなのです。

 お呼ばれする時「何もっていったらええやろ~」とか言っていた自分が情けなくなりました。 

 絵画、写真、建築もそうですが、人の心を動かすプラスアルファーは、背後に感じるストーリーだと思っています。

 プレゼントも同じかもしれません。長男のパワーショベルには重機ストーリーが、私の芯ホルダーにはイタリアンストーリーが流れているのです。

今年の桜

日曜日とは打って変わって、今日は気持ち良い天気です。この週末に、先月生まれた長女が帰って来ました。入院していたのです。

結果的に、何かの治療をした訳では無ありませんが、ある数値が低く、入院して様子を見たほうが良いとの判断からでした。

出産は近くの病院でしたが、少し離れた総合病院へ転院したので、妻は毎日授乳に通っていました。

産後の母親は消耗しているので、随分大変だったと思います。

娘が一ヶ月半を病院で過ごす間、感じた事は「私には何も出来ない」でした。

ミルクを与える訳でなく、おむつを変える訳でなく。毎週日曜日に、3:00pmからの面会時間に行って2、30分抱っこするだけ。

深刻に考えてはいませんでしたが、それでもぼんやりした無力感があります。「今まで間違った事をしてこなかったのか?精一杯生きて来たのか?」等と自問したりもします。私自身が間違っていようが、いまいが、娘の症状に影響するはずも無いのに、そんな気分になるのです。

しかし、結局は自分の役割を精一杯果す事しかないのだな、と思うようになりました。一所懸命仕事をする。ただそれだけです。

桜が咲く頃までには、というのが願いだったので、今は心から喜んでいます。

やっとこれから家族4人での生活が始まります。しつこいですが、彼女が嫁ぐまで。

今年の桜は、嬉しくもほろ苦く感じられるのです。

実家、実家

 土曜日の昼間は、春一番を思わせるような温かい風でした。ようやく春かなと思うと、夜からは雪。

 長男が水疱瘡にかかってしまい、急遽、妻の実家で面倒を見てもらっていました。日曜の朝、高槻へ迎えに行くと、ちょとした雪景色。

 今年は本当に良く雪が降ります。こんなに降った記憶がありません。

 数年前までは、スキーに良く行っていました。今年はちょっと難しそうです。

 日曜日はいつもの事で私の実家へ。父が「今年は、1回もスキーに行かへんねやったら、孫連れて、ソリ遊びでもしに行ってくるか」と。

 「是非、連れていったって!」が本音ですが、「そやな。時間あったら頼むわ」と私。父子の関係は大体そんなものでしょう。実家と実家。最近はとっても助かっているのです。

一時大家族

 先週はバタバタとした一週間でした。

 妻は出産の後も、明日のまで入院の予定です。その間、私と長男は実家で生活しています。加えて、母方の祖母が久し振りに香川から出てきて、4世代で実家に暮らしているのです。

 少し前の日本なら、当たり前の事だったのでしょう。私の両親は共に田舎から出てきているので、いわゆる核家族でした。家系的には長寿傾向なので曾祖母に会った記憶はあります。しかし遊んで貰った記憶はありません。

 それを思うと、非常に良い機会だと思います。実家は大きな家ではありませんが、家族4人だったので、私達兄弟には自分の部屋がありました。小さい頃は嬉しいことでしたが、親の加護の元にいるのにプライバシーが完全に保たれているというのも矛盾する気がします。

 仕事人として考えると、個室が無いほうが良いとは思いません。しかし、快適を上回る経験はあると思うのです。むしろ快適でない時にこそ、学ぶことが多いのかもしれません。例えば、ウソをついて遊びに行った帰りは気が重くなるように。

 メジャーリーガー、イチローの父は小学校から高校を卒業するまでの間、一日も欠かさず練習を見に行きました。やはり、愛情=時間という気もします。

 自分が足りていない分、両親に期待していると言う部分もありますが、頭を下げてでも頼みたい気持ちはあります。愛情ある目が多ければ多いほうが良いに決まっていますから。

WHAT A WONDERFUL WORLD

家族がもうひとり増えました。3060gの元気な女の子です。

長男が生れた時、頭に浮かんだのは、ルイ・アームストロングの「WHAT A WONDERFUL WORLD」。彼女にも、同じ言葉を贈りたいと思います。

「ようこそ、素晴らしきこの世界へ!」と。

初めて女の子と聞いた時は、やや驚きました。全くイメージしていなかったのです。

長男の時は逞しく生きて欲しいと願いました。今は、幸せになって欲しいと願います。その違いが何か解りませんが、確かにそう思います。

どこかで思っています。いつかは「花嫁の父か」と。出来るなら、この素晴らしき繋がりを続けて欲しいと願うのです。

雪の京都とプレゼント

 今年は本当に寒い日が続きます。

 昨日は京都にいましたが、寒さのレベルが違います。街中でも随分な積雪になりました。

 しかし午後からは晴れ、キリッと冬晴れに。

 加茂街道から、東山を望みます。

 山、川、盆地が、京都の景色を印象付けます。雪大文字がくっきりと浮かび上がっていました。

 今日はバレンタインデー。もうすぐ、世界で一番嬉しいプレゼントが生れてきそうです。

明けましておめでとうございます

2008年も始まって三日目。

今日は一回目の木曜日です。今年もゲツ、モクとUPしますので宜しくお願い致します。

私達一家は、新年を和歌山県加太の休暇村で迎えました。

母の還暦を祝う為、1ヶ月前からバタバタと探し始め、なんとか大晦日に大人6人、子供3人の宿泊を確保できたのがここ。

あちこちに電話していると”ああ、今ちょうど2部屋空きました。キャンセル待ち出来ないので、ついてますね”と。

そのシステムがラッキーです。その割りにと言っては何ですが、加太港や友ヶ島を見下ろす景色は抜群です。

31日は強風につき海は荒れていましたが、その分空気は澄んでいました。

四国や淡路島を背に、見事な夕日が瀬戸内海に沈んで行きます。

さよなら2007年!

その晩は、ささやかながら母へのお祝い。プレゼント無しでは味気ないので、自作で花束を作ってみました。

父も母も田舎の出なので、大阪にいる家族はこれだけです。しかし私達兄弟も結婚してこれだけに増えました。

なんと言って良いのか、有り難いことです。

還暦のいわれは良く聞きますが、もうひとつ理解していませんでした。十干(じゅっかん)は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10の要素からなり、十二支は子・丑・寅・卯・辰・
巳・午・未・申・酉・戌・亥の12の要素からなり、あわせて干支(えと)と呼びます。

10と12の最小公倍数は60なので、干支は60期で一周することになるのです。

明けて元旦はピッリと冷えましたが快晴。

ようこそ2008年!

今年も皆様にとって素晴らしい一年となりますよう。

暮れの元気なご挨拶

 2007年も今日で終わり。今年の大晦日は木曜日です。簡単に一年を振り返ってみました。

 年始に掲げた目標の一つに”ブラインドタッチ”がありました。その結果は……

 ”ほぼ達成”です。完璧とは言えませんが、現在も一応手元は見ていません。

 仕事では、2つの書籍で作品を紹介して貰いました。年が明けると他の2誌でも掲載の予定です。

 楽しみにしているのはテレビです。一度日記に書きましたが、住宅の建替え計画を、解体から完成まで取材して貰っています。

 今年の9月から工事が始まり1月末に完成予定。取材は月に1回くらいのペースで、クライアントと私にインタビューもありました。

 過程を映像で見れるのはとても楽しみです。2月に、20分くらいの枠で放送される予定なので、まず完成させなければなりません。しかし関東ローカルで関西での放送は無いのは残念なところですが……

 尊敬しているに聞いた言葉です。

 ”過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分だけ”

 常に自分に厳しくありたいと思っていますが、終わった事を悔いるだけでは意味がありません。

 至らなかった所は反省し修正する。良かった所はさらに伸ばせるよう工夫する。

 しかし大晦日の今日だけは、出来るだけ自分の良かった所を探し、褒めてやりたいと思います。

 そして、明日からは無限の可能性がある未来へ向けて、新たなスタートです。

 最後に、今年も一年本当に有難うございました。来年も素晴らしい一年となりますよう、心からお祈りしております。

 2007年12月31日  守谷昌紀