一級建築士事務所アトリエm 守谷 昌紀 のすべての投稿

大阪市平野区、設計事務所。建築家 守谷昌紀

絶品アジフライin谷六‐2209‐

エレベーターのあるリハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」【ゲンバ日記チャンネル】Episode1を、昨日公開しました。

4階建てになってくると、かなりの高さです。

ドローンで撮った、鳶の職人技と合わせてご覧ください。

地下鉄、谷町六丁目駅の東側は、戦争時の空襲から逃れた住宅が結構残っています。

空堀商店街を中心に、そんな住宅街の中にもポツポツと飲食店があります。

未だ、平野と上町の2拠点生活が続いており、急遽谷町六丁目あたりで外食することになりました。

「橋の湯食堂」はアジフライが人気のお店。

アジ好きの娘は絶対行きたいというだろうなと、引越し前からリストアップしていました。

カウンター席とテーブル席が2つ。

並ぶかもと思っていたのですが、1つ残っていたテーブル席に座れました。

銭湯のような雰囲気をテーマにしているそうで、壁の画もいい感じです。

グラスはサッポロですが、スーパードライが無かったので、マルエフを初めて頼みました。

1986年からあるアサヒの生ビールブランドだそうですが、なかなか飲みやすいビールでファンになりました。

おばんざい的なメニューも豊富。

まずは有機ほうれん草のおひたしを頼んでみました。

出汁がしっかり効いていて、かなりいけます。

看板メニューは、長崎の松浦港産のアジフライ。

塩とタルタルソースを頼みましたが、まずは塩から。

ざっくりとしたパン粉はカリッと揚がっています。間違いのない味です。

タルタルソースは、期待を遙かに上回る美味しさ。

私的には、塩よりタルタルソースでしょうか。

刺身とカルパッチョ。

トマトの和風ロールキャベツ

豚の角煮。

妻と娘はアルコールを飲んでいないとは言え、3人で1万円はかなり満足です。

「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」計画ですが、少しずつ前進しています。

アトリエなどの一部を使いながらのリノベーションは、引き継いでくれた工務店もやはり大変です。

私達家族もなかなか落ち着きません。

そんな時のために、『あまから手帖』の「谷町1から9」を購入しました。

この本を眺めながら、完成後の楽しい暮らしを思い描いて頑張っています。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

博覧会の時代の後‐2208‐

昨日、関西万博が開幕しました。

それを記念して、ブルーインパルスが大阪城上空を2回通過するとのこと。

近所の方も、難波宮跡公園へ向かっているようです。

予定時刻は11時50分と、11時56分。

時刻が近付くにつれて、雨がやや強くなってきましたが、「関空を離陸したよ」という声も聞こえてきました。

ワクワクして待っていると、今度は「中止になったみたい」と。

徐々に、皆が帰路についたのです。

大阪では35年振りと聞いていたので残念です。また機会を作って貰えると嬉しいのですが。

直前まで、万博の盛りあがりをあまり感じていませんでした。

しかし、折角の地元開催なので前売チケットを買ったのは先週のこと。

高島屋東別館で「EXPO 博覧会の時代」という企画展があると知り、のぞいてみました。

難波の大阪高島屋から言えば、南西にあたる堺筋沿いにあります。

エントランスも立派。

2020年にリノベーションし、2021年には国の重要文化財に指定されています。

タイトルからすると「博覧会の時代」と言われた、1990年代の万博の歴史を紐解く内容を想像していました。

しかしここは高島屋資料館なので、高島屋が出品した室内装飾品などの展示がメインでした。

考えてみれば当たり前ですが、こちらが万博モード過ぎていたようです。

それでも、万博に関する資料もいくつかありました。

第1回目は1851年、ロンドン万博ですが、最も知られているのは1889年のパリ万博ではないでしょうか。

フランス革命100周年を記念し、開催にあわせて完成したエッフェル塔は、現在でもパリのシンボルです。

資料には、エジソンの蓄音機が大変な人気を博したとあります。万博の果たした役割がうかがい知れます。

また、1970年の前回大阪万博では、お祭り広場と太陽の塔がシンボルとなりました。

どちらにおいても、建築は主役的な役割を担ってきました。

1970年生まれの私は、この万博が開催中に55歳になります。

建築家としても十分キャリアを積んできたつもりですが、今回の万博に全く関われなかったのはとても残念です。

大小さまざまなコンペがあったのですが、何一つ参加できていないので当然と言えば当然ですが、それでも忸怩たる思いがあるのは間違いありません。

公共建築で指名を受けたければ、実績を積み重ねていくしかないので、ひとつずつの仕事で結果を残していくしかありません。アトリエ移転もきっかけとして、ギアを上げて行きたいと思います。

高島屋東別館があるあたりは、でんでんタウンと呼ばれ、家電量販店、電気部品店等が並びますが、現在は「オタロード」なる名前も付加されています。

アニメ、フィギュア、同人誌を扱う店が多くあり、「西の秋葉原」とも言われているのです。

以前とは全く風景が変わり、メイド喫茶も沢山あります。

その店員さんが道に並んで、店の案内?客引き?をしていました。

私が学生の頃は、オーディオオタク、家電オタクが集まる場所というイメージでしたが、時代が変わればこれだけ変わるのです。

加えて言うなら、これだけ情報があふれていると、「観る」というアトラクションでは、刺激が足りないのだと思います。

USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)にしても、メイド喫茶にしても体験型です。

そう考えると、 「博覧会の時代」と言われた、1990年代後の万博は、なかなか難しいものがあると思います。

日本橋と難波の境目あたりにある、焼売(シュウマイ)の名店「一芳亭」。

黄色い皮の焼売(シュウマイ) は、美味しくかつリーズナブル。

長らく行っていないので、帰りに前を通ってみました。

体験型アトラクションの最たるものは、やはり「食べる」につきるでしょう。

向いにあるメイド喫茶には長蛇の列ができていました。

金額もそれなりだったので、時代を感じずにはいられなかったのです。

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しょうがない、はない、オシムの言葉‐2207‐

一昨日の火曜日は、兵庫県太子町の「ささき整形外科クリニック 増築計画」の現場に行ってきました。

花粉と黄砂でしょうか、道中の大阪湾を見渡すと春霞のようです。

4階建てのかなり細長い建物ですが、増築計画なので法申請ではかなり苦労をしました。

追って、ゲンバ日記のほうもUPしていきたいと思います。

ライオンに追われたウサギが肉離れを起こしますか?要は準備が足りないのです。

サッカー日本代表も率いた、イヴィツァ・オシムの言葉です。

はじめてこの言葉を聞いた時、思わず笑ってしまいました。
同時に、この人からは逃げられないな、とも感じたのです。

「オシムの言葉」は、ノンフィクション作家・木村 元彦の丹念な取材によって紡がれた一冊でした。

例年、年始に前年に読んだ本を、当社のサイトにUPしています。

昨年はあまり本を読めていなかったのですが、アトリエ移転でバタバタしていたので、4月までずれ込んでいました。

この本は、比較的早くに読んでいました。しかし、感想を書くのは簡単でないなと思っていました。その人生があまりにも重かったからです。

巻末の「解説」にはこうあります。

オシムという凄い男の底の底まで理解したい、という情熱に裏打ちされたジャーナリスト魂と、「5つの民族、4つの言葉、3つの宗教、ふたつの文字、を内包するモザイク国家ユーゴ」でサッカー選手として育ち、1989年のベルリンの壁崩壊に続くユーゴ共和国での民族主義の高揚、やがて残酷な内戦の勃発、家族離散……などに遭遇しながら、ユーゴ代表監督やギリシャのクラブ監督をつとめたオシムのサッカー魂が、見事に触れあい、火花を散らす取材の結実が『オシムの言葉』であった。

タイトル通り、オシムの言葉が中心にありますが、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の解体や、先日まで隣人だった人々同士の凄惨な内戦の様子も、オシムやオシムの妻の言葉で詳しく語られています。

実際に内戦が始まった時、オシムは現セルビア共和国の首都ベオグラードに滞在していました。当時は同じユーゴスラビア社会主義連邦共和国内でしたが、新ユーゴ連邦=セルビア側が現ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の首都サラエボを包囲した結果、妻と娘と2年半も会えなかったのです。

バルカン半島がヨーロッパの弾薬庫と言われますが、その複雑な現実を私達日本人が理解するのはかなり難しい気がしました。

ユーゴ解体の直前の代表を率いたオシムは、1990年のワールドカップイタリア大会でベスト8までチームを導きます。しかし、解体、内戦に抗議する形で代表監督を退きました。

その実績を見て、あまたのビッグクラブからのオファーがあったのですが、それらを断っていました。

理由をこう説明しています。

私はビッグクラブ向きの監督ではない。
スター選手を外したら、監督のほうの首が飛ぶ。

実際にオファーがあったレアル・マドリードについても語っています。

ビッグクラブにしてみれば、監督という人種はそういう大きな所から話が来れば、すぐに引き受けるだろうと思っているだろうが、それは違う。ジダンやベッカムやロナウドやいろんな人間を集めても、じゃあ彼らのためにいったい誰が走るんだ?だからあのチームは、スペインでもヨーロッパでもチャンピオンには成れないだろう。

2003年、ジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任することになりました。クロアチアリーグでプレー経験のある通訳の間瀬秀一はオシムをこう称しています。

監督をやっているんじゃなくて、監督という生き物。

そしてオシムはこう語るのです。

言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。 (中略) 新聞記者は戦争をはじめることができる。意図を持てば世の中を危険な方向へ導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある。

ジェフユナイテッド市原・千葉で結果を残し、2006年には日本代表の監督に就任。そして、「考えて走るサッカー」を浸透させていくのです。

母語が異なるにも関わらず、選手の信望を得ているのは、言葉の重さを誰より知ってるからでしょう。

そして、その核心に著者・木村元彦が迫る場面があります。

-監督は目も覆いたくなるような悲惨な隣人殺しの戦争を、艱難辛苦を乗り越えた。試合中に何が起こっても動じない精神、あるいは外国での指導に必要な多文化に対する許容力の高さをそこで改めて得られたのではないか。

「確かにそういう所から影響を受けているかもしれないが……。ただ、言葉にする時は影響を受けていないと言ったほうがいいだろう」オシムは静かな口調で否定する。「そういうものから学べたとするなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……」

悲痛とも言える言葉でした。

最後に、オシムが日本人選手やコーチが使う言葉で嫌いだと言ったものを取り上げます。

『しょうがない』と『切り替え、切り替え』です。それで全部誤魔化すことができてしまう。『しょうがない』という言葉は、ドイツ語にもないと思うんです。『どうにもできない』はあっても『しょうがない』はありません。これは諦めるべきではない何かを諦めてしまう、非常に嫌な語感だと思います。

私も『しょうがない』で自分を慰めるのは止めようと思います。

日本代表監督に就任した2年目、オシムは脳梗塞に倒れやむなく退任。その後を引き継いだ岡田武史監督が、2010年ワールドカップ南アフリカ大会で、はじめて決勝トーナメントに進出したのは誰もが知るところです。

2022年に亡くなった際には、ドラガン・ストイコビッチ、巻誠一郎など、多くの教え子が追悼のメッセージを発しました。

惜しみ、惜しまれ、逝ったオシム。その言葉は、世界各国で語り継がれるでしょう。

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生涯一、又兵衛桜‐2206‐

昨日の日曜日は、雨のち曇りの予報だったのが、意外に晴れています。

前日には諦めていましたが、急遽桜を見に行くことに。

南阪和道から桜井市の渋滞をかわし、166号線で宇陀市大宇陀へ。

ようやく目にすることができた、満開の又兵衛桜です。

2012年の4月に一度訪れたのですが、その時はかなり散っていました。

流石に凄い人出で、一旦車でアプローチしたのですが、大渋滞で諦めました。

こういった時は急がば回れ。

2kmほど離れた、道の駅に車を止めて歩くことにします。

のどかな景色を見ながらなので、20分くらいはあっという間でした。

入口で協力金の100円を支払い中にはいります。

ちょっと安過ぎる気もしますが。

夕方4時頃ですが、どんどん人がやってきます。

真下から撮った又兵衛桜。

見事な咲きっぷりです。

満開に青空。

これ以上望むものはありません。

背面にも回ってみます。

こちらから見ると、石垣との関係がよくわかります。

生えている位置が絶妙で、そのコントラストがとても美しい。

最後は正面に回ってきました。

桜と下草、スイセンと石垣。

桜ですが、桃源郷のような美しさでした。

一度は訪れる価値ありだと思います。

出店も控え目で、そこも奈良らしくて好感がもてました。

帰りは、渋滞を避けて名阪国道で帰ってきました。

本郷の瀧桜とも呼ばれますが、又兵衛桜は樹齢300年、幹回り3mの枝垂れ桜です。

その名は、戦国武将、後藤又兵衛から取ったもの。

彼は、最後まで豊臣家のために尽くしましたが、司馬遼太郎や、池波正太郎等の歴史小説にも度々登場します。

真田幸村らと共に、最後まで徳川方を苦しめ、夏の陣で自刃しました。

しかし生き延びたという伝説も残っており、その地のひとつがここ大宇陀なのです。

その後藤家の屋敷跡で、毎年見事に咲き誇る又兵衛桜。

300年の間に、どれほどの人を楽しませてきたのでしょうか。考えると気が遠くなります。

これまでにも色々な桜を見てきましたが、間違いなく最も美しい一本桜でした。

春に桜。日本人である特権です。

時間がない、時間がないなどと言っておらず、毎年一度は必ず桜を見に行くべし。

そう心に誓ったのでした。

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原曲『赤とんぼ』から醸し出される郷愁‐2205‐

JR大阪駅から姫路駅までは新快速で1時間です。

乗り換えまで時間があったので、久し振りに姫路の「えきそば」です。

店内が空になったタイミングでメニューを撮っておきました。

今回は、ごぼう磯部揚げえきそば530円。

黄そば+和風出汁を、たまに無性に食べたくなるのはなぜでしょう。

間もなく開幕する万博では、「究極のえきそば」が3850円だそうです。

流石に私は食べないと思いますが。

姫路には世界遺産の姫路城があるので、インバウンド客も多いのです。

ただ、日帰りが殆どで姫路に泊まってくれないと地元の人が言っていました。

「他では何が美味しいですか?」と聞くと、「生姜醤油で食べるおでんは、なかなかいけますよ」と。

私もまだ未体験ですが、インバウンド客の皆さんも、宿泊のうえ是非お試しください。

姫路駅はハブ駅で、新幹線をはじめ多くの路線と繋がっています。

今回は、岡山県の新見駅とを結ぶ姫新線(きしんせん)に乗り換えます。

PiTaPaでタッチすると、アラーム音が鳴りだし少し慌てました。

播磨新宮駅までは交通系ICカードが使えるのですが、事前にチャージが必要でした。

ディーゼル列車の単線のようです。

2両ある車内は、出発前にはほぼ満席となりました。

最近は、廃線のニュースを良く見ますが、こちらは採算が取れているんだろうかと気になります。

姫路から離れると、所々にため池がある、東播らしい風景が広がります。

はじめて来たのに懐かしく感じるのはなぜでしょうか。

途中の本竜野駅には童謡『赤とんぼ』の歌碑がありました。

『赤とんぼ』はたつの市出身の詩人・三木露風が作詞をし、山田耕筰が作曲をした、誰もが知る童謡です。

1921年(大正10年)、 三木露風 が33歳の発表ですが、幼少期を過ごした、たつの市へ風景を思い浮かべながら作ったそうです。

少し調べてみると、 同志社女子大学のサイトで興味深いコラムを見つけました。

発表当時は、題名も歌詞の内容も少し違っていたそうです。

・発表時

赤蜻蛉

    一 夕焼、小焼の、山の空、負はれて見たのは、まぼろしか。

    二 山の畑の、桑の実を、小籠に摘んだは、いつの日か。

    三 十五で、ねえやは嫁に行き、お里のたよりも絶えはてた。

    四 夕やけ、こやけの、赤とんぼ、とまつてゐるよ、竿の先。

・現在

赤とんぼ

    一 夕焼、小焼の、あかとんぼ、負はれて見たのは、いつの日か。

    二 山の畑の、桑の実を、小籠に、つんだは、まぼろしか。

    三 十五で、姐やは嫁にゆき、お里の、たよりも、たえはてた。

    四 夕やけ、小やけの、赤とんぼ。とまつてゐるよ、竿の先。

題名がひらがなになっている他、一番の「山の空」が「あかとんぼ」に変わっていたり、一番と二番の最後の詞が入れ替わっていました。

負はれて見たのは、まぼろしか。

童謡の出だしとしては、表現が少しきつい気がしますが、元の詞の方がより郷愁を感じさせる気がします。

三木露風が詠んだ100年前の詞に、日本の原風景を感じることを不思議だとも思いますし、当然のようにも感じます。

何より原曲から醸し出される郷愁に感じ入ってしまいました。

いくつかの単語が入れ替わるだけで、これほど印象が変わるのが日本語です。

本当に奥深いものだと思うのです。

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暗さと不完全さを恐れないことを、北欧から学ぶ‐2204‐

昨日は、晴れたり曇ったりの一日でした。

アトリエから、歩いて難波まで行ってみました。

妻のペースで25分くらいだったので、ひとりなら20分くらいでしょうか。

目的は、難波の高島屋で開催中の「北欧のあかり展」です。

チケットは1200円とそこそこしますが、沢山の人が訪れていました。

近代照明の父と呼ばれる、ポール・ヘニングセンがPHランプを考案してから100年を記念しての開催とあります。

入ってすぐの空間で、彼がデザインした、ペンダント、スタンド、フロアスタンドが出迎えてくれます。

この展示会は、一部を除いて、写真も動画もOKなのも嬉しいところ。

海外と比べて、日本はNGが多かったのですが、SNS時代に入り、そこは無視できないのだと思います。

ひと際美しいのは、やはりPH5です。

我が家でも愛用しているペンダントライトですが、いつまで見ていても飽きません。

アルネ・ヤコブセンのコーナーもありました。

冬が長く、日の出ている時間が極端に短くなる北欧。優れた照明や家具が数多く生まれました。

PH5、アリンコチェア、AJフロアランプ……

必要は発明の母と言ってしまえばそれまでですが、理にかなった上で、極めて美しい名作が、これ程生まれた地域は稀だと思います。

当社の打ち合わせのチェアは白のセブンチェアですが、こちらもアルネ・ヤコブセンのデザインです。

セブンチェアは色や素材のバリエーションも楽しいのです。

そしてフィンランドの国民的建築家、アルヴァ・アアルトのコーナーも。

私が最も好きな建築家のひとりです。


彼は照明デザイナーとしても、家具デザイナーとしても極めて優れているのです。

自邸の写真が飾られていました。

好きすぎて、フィンランドへも行ってきました。

2016年の8月にヘルシンキの自邸を訪れた際の写真です。

自分も含めてそうなのかもしれませんが、現在の建築家にはない、暖かさや遊びにあふれています。

もしかすると、不完全さと言ってもよいのかもしれません。世界の巨匠に恐れ多いのですが。

会場の冒頭にあったパネルにはこう記されていました。

「暗さを良しとして受け入れる」

暗さの中でこそ、その美しさは際立ちます。

それは分かっているのですが、住まい手に「暗い」と言われたくないという気持ちも、大きいのは事実なのです。

高島屋前の桜はほぼ満開でした。

谷崎 潤一郎の名著『陰翳礼讃』で、谷崎は日本人の感性を称えています。

軒の深い日本家屋の奥深くで、金襖や金屏風がほのかに光るさまに、日本の美を見出だしたのです。

光と陰。

そのドラマティックな要素を、いかに扱うかが、空間の質に大きく影響を与えるのです。

ふらっと出かけたのですが、とても刺激になりました。

照明は空間の最後の仕上げだと思っています。暗さと不完全さを恐れず、最上の空間を目指したいと思うのです。

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大阪より下町な東京‐2203‐

前回は、娘の関東大学巡りと、渋谷109前交差点について書きました。

大学巡りを終えたあと、JR中野駅で長男と待ち合わせていました。

少し早く着き、話題の中野サンプラザへ。

2023年に閉館し、再開発される予定でしたが、建設費が倍に膨れ上がることが分かり、中野区は計画を白紙撤回しました。

残念ながら、サブカルの聖地には一度も入ることなく閉館してしまったのですが、私の世代なら「サンプラザ中野」と合わせて、親近感を持っている人も多いでしょう。

ただ、建設費が倍と聞くと、他人事ではありません。

新築のイメージで土地を購入されていた場合も、古家が付いている時は、まずリノベーションの可能性を探ります。

そのくらい、建築費の高騰が急激なのです。

駅前の商店街、中野サンモールも歩いてみました。

渋谷もそうでしたが、こちらの活気もなかなかです。

そうこうするうちに長男がやって来て、夕食をとることに。

「寿司」とか「焼肉」とか言われたのですが、最終的に牛タン屋さんに落ち着きました。

長男のバイト先なのです。

焼肉よりは安いだろうと「好きなものを頼んでいいよ」と伝えると、娘は一番高いものをオーダー。

次が長男で、私が一番安いものを。

ただ、お勧めをかなり追加したら、そこそこの金額になりましたが。

牛タンのみを食べることもあまりありませんが、長男の東京での胃袋を支えてくれたのがこの店の賄いです。

感謝の気持ちも入っているかもしれませんが、かなり美味しかったです。

長男は1回生、2回生と大学の国際寮で暮らしていました。

かなり恵まれた環境で2年間を過ごしたのです。

何より寮生の友人が沢山いたのが心強かったはずです。ヒッチハイクでも帰ってきましたし。

今年の1月、その国際寮からほど近い新井薬師前に 新たな下宿 先を見つけてきました。

中野からバスで10分程移動。

駅から歩いて5、6分の場所でした。

行った時はもっと散らかっていましたが、かなり片付けてこんな感じだそうです。

男なので何の心配もしていませんが、子供が暮らす家に入れて貰うのは何とも不思議な感じです。

ただ、ここで新たな関係性を築き、自立へと進む過程を感じたのも間違いありません。

妻と娘は1泊させて貰い、翌日も大学を巡ります。

私は遅い新幹線を予約していたので、「じゃあ頑張って」と伝え帰路につきまた。

長男が暮らす町を見ておこうと思い、新井薬師前から中野まで歩くことにしました。

スーパーはこじんまりした、小規模店が主流だそうです。

何故か、長野の町を思い出します。

この駄菓子屋さんはなかなかでした。

レトロを狙っているのだと思いますが、それでも10円ゲームは懐かしすぎます。

町中華。

もつ焼き。

八百屋さんも個人商店。

「東京」なので、もっとお洒落な感じをイメージしていたのですが、なかなかの下町です。

というか、大阪より下町なのです。

20分程かけて、JR中野駅まで戻ってきました。

長男は大阪の方が暮らしやすいかなと言っていましたが、将来のことを考えると関東で就職することになるでしょう。

それは私には経験のないことです。

活気をみてもやはり首都東京が上だと思うので、それで良いと思います。

大阪生まれの私としては、下町と言えば大阪だと思っていましたが、東京の方がより下町だったとは……

そこは正直ショックでした。

50歳を過ぎても、大阪も東京も知らないことだらけ。人生は、日本探訪の旅とも言えるのです。

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関東大学探訪+日本の交差点を見て来春を思う‐2202‐

先週の土曜日は、朝から妻、娘と一緒に横浜へ向かいました。

新幹線の新横浜駅から、相鉄(そうてつ)に乗って、横浜国立大学へ。

最近の大学は、緑化をした建築が主流です。

しかし、それらが全く不要なくらい、緑あふれるキャンパスでした。

もう、森の中に大学があると言っても良いくらいです。

気温も20度を超え、完全に春の陽気でした。

娘は4月から高校3年生になるので、横浜、東京の大学を見て回ることにしたのです。

昨年春の東北大学視察は、残念ながら私だけ直前キャンセルでした。

今回は何とか参加できました。危ないところでしたが。

私が通う訳ではありませんが、流石国立大学という、ゆったりしたキャンパスはかなり好印象です。

今度は、ブルーライン、東急東横線と乗り継いで渋谷まで移動です。

国際連合大学の向かいにある青山学院大学までやってきました。

青山学院は文系の大学なので、私は初めて訪れました。

ミッション系の大学でもあり、立派なチャペルがあります。

あわせて、150年の歴史も感じます。

しかし、渋谷のど真ん中にこの空間は、ちょっと別世界です。

食堂が安くて美味しいのもかなり高得点。私は関係ないのですが。

先の国連大学のすぐ横に、岡本太郎の「こどもの樹」という作品がありました。

アートの香りが漂う街は、良い街と言えます。

バルセロナにあった、ミロのオブジェを思い出します。

最後の目的地を目指して、京王井の頭線の渋谷駅に向かいます。

渋谷109が見えてきました。

駅周辺が工事中で、もの凄い混みようです。

何とかJRの高架を抜けると、忠犬ハチ公像はチラとだけ。

ようやく渋谷109前までたどり着きました。

さすがの活気です。

「世界の交差点」をニューヨークのタイムズ・スクエアとするなら、「日本の交差点」と言って良いでしょう。

この活気こそが、東京の生命線なのだと感じます。

「渋谷109」の設計者は竹山実。

ポストモダン建築を最も平易に、世の中に伝えた建築家と言えます。

開口部ではなく、外壁のアルミパネルだけで、縦動線が納められた円筒とキューブの造形を表現しました。

完成は1978年なので、半世紀に渡って日本の顔となっているのです。

最後は、明治大学までやってきました。

明治は建築学科があるので、私は2回受験しています。2回落ちたのですが。

もう30年以上前なので、どこのキャンパスだったか忘れましたが、懐かしくはあります。

我が家の子供は、大阪が嫌いという訳では無いのですが、2人とも東京志向です。

金銭的には厳しいものがありますが、悔いを残すことだけはして欲しくないので、そこは全て尊重しています。

そう思わせる活気が、東京にあるのも間違いないと思いますし。

朝一番、新横浜に到着した時、娘が「受験にきたら、あの新横浜プリンスに泊まっていい?」と聞くので、「それは無い!」と即座に却下しておきました。

私がはじめて東京で仕事をした時は、格安のYMCAに泊まっていたくらいですから、ビジネスホテルでお願いします。

先週、甥っ子が志望大学に合格したと書きました。

来年のこの時期、娘もそうなると嬉しいのですが、神頼みで結果がでることもありません。

寒い冬から、いやもっと言えば、花が散った直後から、粛々と準備をしているからこそ、春花は咲くのです。

受検に失敗した親が言うのも何ですが、娘にとって、我が家にとって、勝負の1年が始まります。

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誰よりモノが好き‐2201‐

アトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」【ゲンバ日記チャンネル】Episode4を、一昨日公開しました。

ちょこちょこ書いていますが、笑ってしまうくらい色々なことが起こり、まだ完成には至っていません。

それでもようやく外観があらわれました。よければご覧ください。

今日は春分の日。上町から西へ行くと谷町6丁目です。

「上」と「谷」が表す通り、周辺はかなりアップダウンがあります。

生活の基盤は、まだ完全に移せていないのですが、娘が越して来たらすぐに通学に使えるよう、電動自転車が要るねという話になっていました。

妻と娘で、からほり商店街のすぐ南にある「vianova 谷町店」ですでに購入済みとのこと。

引取りと支払いに行くようにと、司令がありました。

若い店長さんが、テキパキと準備をしてくれました。

子供を乗せられる自転車が何台か置いてあったので「このあたりは坂が多いので、電動自転車の需要は多いでしょう?」と聞くと、「はい、そうなんです」と。

「ただ、自転車の値段が上がって、なかなか大変です」とも。

確かに電動自転車は10万円くらいからなので、なかなかの金額です。

娘の自転車ですが、難波宮跡あたりから森ノ宮を回ってみました。

私が電動自転車に乗ることはあまり無いと思いますが、なるほど坂道はかなり快適です。

その後、再びからほり商店街に戻って、頼まれた買い物も済ませます。

このスーパー、野菜がかなり安い。

魚はこだわったものが多い感じでした。

ワクワクしてきます。

折角なので、新車の写真を撮っておきました。

私は基本的にモノが大好きです。

少しでも格好よく撮っておきたいので、難波宮跡まで行ったのです。

モノの中でも最も大きいと言える、建築をつくるのが私の仕事です。

より美しく、より快適なモノをつくりたいという気持ちだけで約30年働いてきました。

自分の家を建てる、またはリノベーションをするという事になり、改めて建築に対する期待はこれほど大きいものかと感じています。自分の心を通して。

現実は小説より奇なりと言いますが、この言葉も正しいと心底思います。

ただ、この状況を楽しんでいるだけでは駄目なので、来月の中旬までには必ず決着したいと思います。

誰よりもモノが好きな私のプライドにかけて、です。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

傘寿の祝いにサクラサク‐2200‐

昨日はしとしと雨でした。

昼前から、車で実家近くの木曽路へ。

父の傘寿を祝う会食でした。

東京で暮らす我が家の長男を除いて、弟家族と合わせて10名が集まりました。

詩聖、杜甫が詠んだ詩「人生七十古来稀なり」を由来とする古希。それをさらに10歳越えた訳です。

古希までは中国の風習が伝わったものですが、喜寿(77歳)以降は、日本で生まれたものだそう。

傘の略字が八と十であるのが由来と聞けば、確かに日本らしい感じもします。

間もなく両親とも80歳になるので、これからは外食にしようとなったのです。

今日は、午後から「ドッグランのあるタイル床の家」の3ヵ月点検でした。

クライアントは元パティシエで、お手製のマドレーヌをご馳走になりました。

手前から、紅茶、抹茶、チョコレート味。

流石のお味でした。

コーヒーはデロンギのコーヒーメーカーで煎れてくれた本格的なものです。

積もる話もあり、本当に幸せな時間ですが、その後に所用があり1時間半ほどで失礼したのです。(それでも1時間半ですが)

所用とは、車のタイヤ交換とメンテナンスでしたが、今回の代車はプリウスでした。

はじめて運転したのですが、何と燃費が21lkm/L。

預けた私の車の5倍です。

好きで燃費の悪い車に乗っていますが、技術革新は凄いものがあります。

私が80歳になるのは4半世紀先です。

初代プリウスの発売は1997年ですから、ほぼそれと同じ時間が経っていることになります。

もうその頃になれば、ドローンに乗っているのかもしれません。

ドローンの燃費は?

いや、リチウム電池で何時間飛べる?という世界でしょうか。

そうそう、甥っ子は1年の浪人を経て、志望校の国立大学に合格しました。

色々なことが起こるのが春ですが、こういった知らせは格別です。

サクラサク

日本語の粋、ここにありなのです。

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