市内を流れる川は、護岸をされているものが殆どです。
平野川に合流し、大阪城あたりで第二寝屋川に注ぐこの今川もそう。
普段なら、無粋な矢板鋼板が目につきますが、これだけ色があれば全く気になりません。
むしろ引き立て役かなというくらい。
桜は春も見事ですが、紅葉もそれに負けていないのです。
近鉄南大阪線の今川駅から少し西へ行くと、地下鉄田辺駅があります。
その駅前にある須田画廊で「生誕90年開高健特別展」が9日(水)13時まで催されています。
1958年に「裸の王様」で芥川賞を受賞した開高健は、天王寺区に生まれました。
7歳の時に現在の東住吉区北田辺に引っ越してきます。
その縁で発足した「北田辺開高健の会」がこの展示会を主催しているのです。
開高は1989年に58歳で病没展示しました。
亡くなる1年前、これまで記録に無かった大阪での講演原稿が発見され、今回展示されています。
これは「北田辺開高健の会」の世話人を務める、こちらの白髪の方、吉村さんのもとに持ち込まれたものでした。
1978年11月、母校である天王寺高校での講演の音声も聞くことができました。
「講演は嫌いだけど、20数年振りに引き受けた」とあり、小、中、高を過ごしたこの北田辺界隈や母校への愛情を感じます。
開高が暮らした昭和初期の長屋を、実測して復元した模型も展示されていました。
現在はもうないのですが、吉村さんに聞くと、近鉄北田辺駅のすぐそばだったと教えてくれました。
近鉄今川駅のひとつ北が北田辺駅です。
駅のすぐ西側に記念碑がありました。
「耳の物語」から、昭和13年に北田辺に引っ越してきた行が碑となっていました。
「耳の物語」は大阪で過ごした青春時代を「音」によってたどる自伝的小説です。
詳細までは思い出せませんが、面白かったことは覚えています。
これは私の好みですが、開高健は小説も良いのですが、エッセイは更に素晴らしいと思っているのです。
吉村さんに聞いた場所を訪ねてみました。
この昭和初期に建った四軒長屋の向こう側に、先程の模型が建っていたそうです。
文字で、大人やお酒や遊びを教えて貰った、大好きな作家、開高健がここで暮らしたという景色をしばらく眺めていました。
すぐ近くの商店街はこの通り。
まっすぐ南に下った駒川商店街の活気と比べると、寂しい感は否めません。
開高が作家として成功する前は、壽屋(現サントリー)の宣伝部に在籍していました。
そこで、コピーライターとしてその才能を開花させます。
「屋台にハイボールが並ぶまで、書いて、書いて、書きまくる」と言ったように、行動を起こし続ける以外に、持続も反映も無いのです。
展示にあったパネルは何度か見たことがあるので「どこに保存してあるのですか」と世話役の吉村さんに尋ねてみました。
母校である大阪市大の倉庫に保管されているそうです。
そのパネルから一節抜粋してみます。
シンシンの夜は
チクチク飲んで
オレはオレに
優しくしてやる
そうすることに
してある
チクチクとな
トリスでナ
(1967年1月 トリスウィスキー広告)
その事実に、何故か開高健の偉業を強く感じますし、このコピーに哀愁と、優しさと、お酒への愛情を感じるのです。
私の何かが、母校に保存されるのか……
ふたつの意味を込めて「まだ、まだ!」と自分に言い聞かせるのです。
■■■9月11日発売『リフォームデザイン2020』に「回遊できる家」掲載
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』を「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞
■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました