カテゴリー別アーカイブ: 09 家族・私

医師という仕事

 ゴールデンウィーク真っ只中の5月3日。今日は憲法記念日です。

 年の祝日は15日。約1/4にあたる4日がこのゴールデンウィークに集中しています。

 ツツジも満開で気持ちの良い季節になりました。

 自然と人の動きも活発になる訳です。

 一昨日の夕方から首が重たいなと思っていました。

 翌朝、痛くて目が覚めると、ピリットした痛みが首から背中に走り、首が動かなくなりました。

 念の為病院へ行くことに。

 近所の総合病院に来たのは久しぶりです。

 ケアマネージャーをしている母が、あそこの整形外科の先生は、はっきりしてるよと、教えてくれたのです。

 担当は院長。40代後半の感じでしょうか。

 まずは問診ですが、ハキハキとした説明で快活な人です。
 
 レントゲンを撮る事になりました。

 レントゲン写真を見ると小泉今日子のポスターを思い出します。

 アルバムか何かの特典に、全身レントゲン写真があったはずです。

 持ってはいませんでしたが、タレントビジネスというのは、よく言えば考えられているなあ、悪く言えば何でもありだな、と思っていたのです。

 それなら貰えるのかと思っていたので、聞いてきました。

 それは難しいけど写真で撮っても十分鮮明ですよと院長。

 レントゲンを見ながら、3つ位の可能性が考えられると説明を受けました。

 1. 神経の通るところが比較的細いので、骨が圧迫している。
 2. 同じような姿勢を長く続けていると、筋肉が硬直し血流が悪くなる。 
 3. ストレスなども、肩こり、頭痛の原因になる。

 今日首を動かせるようにしておきたい用事があったので、最も痛みが取れる方法でお願いしたいと言うと「それは分かりません」と院長。

 「色々やってみて、これは効かなかったという情報を得るのも含めて治療です」と。なるほど。

 更に「あくまで元気になっていくお手伝いするという感じです」とも。これは「伊東内科クリニック」の院長の意見もほぼ同じでした。

 では具体的にと聞くと、痛み止めの薬をのむ、神経と筋肉の緊張をほぐす薬を飲む、シップを貼る、神経ブロック駐車を患部に打つ、などが考えられます。

 最後のはぎょっとしました。太い針を、腰骨の間に打つのをイメージしたからです。

 細い針を患部に刺すだけと言われお願いしたのです。

 ついでに写真を撮ってもらいました。
 
 先生、看護師さんも笑っていましたが。

 ちなみに私は注射が大嫌いです。腕に打つ時はよそを向いています。

 誤解を恐れず言えば、病院はネガティブな人が集まるところです。

 そんな中、身体的問題、精神的悩みまで相談を受けるのですから、まず普通で居る事が大変な事です。

 世の流れがそうであるように、権利の主張は際限なく拡大していく傾向にあるでしょう。その中で、優秀であればあるほど、悩みや障壁も多くあるに違いありません。

 勿論ビジネスという側面もありますが、そんな環境の中で、世の為に働く医師という仕事は、まさに聖職者と言って良いと思います。

 「どうですか、少し良くなりましたか」と院長。

 「ハイ。随分楽になりました。有難うございます」

 「そうでしょう。そんな魔法をかけるのも私達の仕事ですから」

 院長はかなりのロマンティストだったのです。こんな感じは大好きです。

坐骨神経痛

 昨日は大学時代の友人と会っていました。

 場所はお初天神商店街にある「ニューミュンヘン本店」。

 名物のから揚げも合わせて、由緒正しきビヤホールという趣です。

 若者のビール離れもあり、こんな店は減る傾向にあるようです。

 4人ともが設計事務所を経営しているので、必然的に仕事の話になります。

 全て話しが合う事はないので、ヒートアップしてくる場面も結構あります。

 4時間に渡って話が尽きることはありませんでした。次回は春先の現場見学会になりそうです。

 先週の金曜日。何と表現して良いのか分からない、痛みを感じました。腰から膝の裏側にかけて、ムズムズ痛いというか、広範囲に鈍痛が続くのです。

 その日は仕事を早めに切り上げ、早くに布団に入りました。妻に痛みどめを貰い、子供のように「痛い、痛い」と言いながら、何とか寝ました。

 土曜日も良くならず、日曜日の東京行もあったので、病院に行くと「坐骨神経痛」ではないかと。

 原因は色々あるが、腰に負担が掛かり神経を圧迫、更に寒さで血流が悪くなり、腰から下に痛みで出ているようだと。

 本当に痛かったので、処方して貰った薬をクリニック内で飲みました。30分すると何も無かったかのように痛みは消えたのです。

 これで仕事が出来ると、健康の有難さを実感すると共に、薬の威力の凄さに少々恐れを頂きます。

 「血流を良くする薬」は、どんな部分を、どう刺激すればそんな事が出来るんだろうと考えます。

 医療と薬のおかげで何とかなったのですが、根本を解決しないとどうしようもありません。事実4時間ほど経つと、痛みはまたぶり返してくるのです。

 ある知人が、病気を治すより、その病気の元になった生活習慣なり、食習慣を治さないと意味がないと言っていました。その通りだと、心から納得したのです。

 今回の原因は、現場行の服装が、あまりにも軽装だった事だと思います。

 明日は、首にマフラー、中には長袖シャツ、ズボンの下にはレッグウォーマー。そして腰には貼るカイロで挑みます。

 何より、規則正しい生活が一番のはずですが。

暮れは元気にご挨拶 2011年

今年最後のゲツモクになりました。2011年は今日も合わせて111記事を投稿しました。

普段のゲツモク版が105回、それに、メディア告知や旅行のイレギュラー版が6回。この中には3月12日(土)は東日本大震災についても書きました。

各月ごとに振り返ってみます。

1月 -地元建築家がガイドする名建築-大阪編

建築を評論するのは大変難しかった、というのが本音です。

しかしそれ以上に、大阪の建築を再度見て回るのは、なかなかない機会だったと思います。

2月 毎日かあさん

スキー部時代の先輩が、この話題作の監督を務めました。

やはり刺激になります。

3月 『月刊ハウジング』に「ドタバタ広場のある家」掲載

月刊ハウジングは初掲載です。

更に、「ドタバタ広場のある家」は、この1年で3回取り上げて貰いました。

4月 『住人十色』で「光庭の家」放映

この番組で取り上げて貰ったのをきっかけに、奥さんの仕事が世の中に広く認知されました。

5月 フェリーで行く九州

フェリーの旅はとても快適で、結局、お盆も九州へ。

6月 Let’s Go To The Dentist! (歯医者へ行こう!)

その後、ホワイトニングのセットを貰っているのですが、いまだ出来ておらず……

7月 キッズデザイン賞

大企業がひしめく中、「Ohana」で受賞できたことは、とても嬉しいことです。

8月 香港建築科学出版社

海外の一流建築家の中で取り上げて貰ったことは、自信になります。

9月 『住まいの設計』 に「イタウバハウス」掲載

建物もそうですが、その家づくりの全金額を公開で出来たことは、意義のあることだと思っています。

全てはクライアントの理解があってこそ。

10月  ジョブズ

この流れの速い現代社会を、彗星のように現れ、逝ってしまった天才。

グラミー賞受賞は驚いたとともに、粋なはからいでした。

11月
アメリカ 1日目 2011年11月3日(木)
アメリカ 2日目 2011年11月4日(金)
アメリカ 3日目 2011年11月5日(土)
アメリカ 4日目 2011年11月6日(日)
アメリカ 5日目 2011年11月7日(月)

ミース、ライト、マンハッタン。全てが刺激的でした。

12月  急に今日の話です。

午前中の打合せの後、妻と子供たちが事務所に来ました。

学校が終わり、前日から泊まりに来ていた、長男の友人も一緒です。

3人で、キャッキャ、キャッキャと言いながら、イス、床を拭いてくれます。

とても綺麗に出来ており、彼らの成長を感じたのです。

建前上、今日が仕事納め。しかし年賀状書き、この時期にしか来所できない方の初期相談、現場視察と、年末まで仕事をします。

これも、求めてくれる方が居るから。心から有難いと思えます。

最後に。今年もこのゲツモク日記、また現場日記にお付き合い頂き、誠に有難うございました。心より感謝申し上げます。

2011年は色々な事がありましたが、全てを教訓とし、更にバネとし、2012年が素晴らしい1年になる事を確信しています。

皆さんが素晴らしい新年を迎えられますことを、心よりお祈りしています。

2011年12月29日 守谷 昌紀

足の速さは遺伝するか

 昨日は運動会の小学校が多かったようです。

 長男の学校もその一つで、暑すぎずで最適の気候でした。

 小学1年なので初めての参加ですが、6年生にもなるとなかなか立派な体格です。

 私の母校でもあり「運動会の唄」も一緒に口ずさめます。

 妻に「オリジナルの唄があるの」と聞かれました。

 考えた事もありませんでしたが、意外と珍しいことかもしれません。

 開門は朝の7時から。5時半にジヨギングで通りかかるとすでに待っている人も。

 父兄の熱気もただならぬものがあります。

 しかし見ていて、それは理解できます。

 真剣勝負を見て、熱くならない親などいないのです。

 長男もいくつか出場しましたが、何はともあれ徒競走を楽しみにしていました。

 保育園の頃から1着をとった事はないのですが、練習では「いっつも一番やで」と言うのです。まだ6歳なので、話半分で聞いていましたが、楽しみにはしていました。

 ちなみに父は6学年中、4回くらい一着。母、弟、妻とも6回とも一着だと言います。弟はリレーもアンカーでごぼう抜き。運動会ではヒーローというタイプでした。

 しかし私は一番になったことがないのです。親は「一着だった事もある」と言うのですが、全く記憶になく、大体2番か3番だったと思います。さて、長男はどうなのか。

 いよいよスタートの順になりました。パーンという炸裂音と共に、スタートダッシュはOK。これは初めての一番か?中盤までは僅かにリードしています。

 しかしゴール直前で若干スピードが鈍り、すんでのところでかわされたように見えました。終わってから聞くと「僕の方が早かったで」というのですが……微妙なところでした。

 筋力というのは基本的には筋肉の断面積決まります。更に筋肉は、速筋と遅筋の2種類に分かれています。瞬発力は白い速筋、持久力は赤い遅筋が受け持ちます。魚の刺身で見るとが分かり易く、白い速筋がタイ、赤い遅筋がマグロ。それぞれの特性も示しています。

 私はマラソンなら学年で4番くらいだったので、遅筋の比率が高いのだと思います。長男はどちらの筋肉を多く受け継いでいるのか。結論を出すのはもう少し先で良いのですが。

 私も相当に熱が入っていたので、徒競走の写真はなく玉入れだけ。

 来週は保育園の運動会。

 娘は年中組で、同じく練習では自分も一番だったと言っています。

 とても楽しみにしています。

 その晩は約束通り、ご褒美の外食。

 長男のリクエストはいつもギョーザ。

運命という縦糸

 動きの遅い台風によって、大きな被害が出た近畿地方。

 十津川村、田辺市など、よく訪れていた場所で、その映像を見ると痛々しいばかり。明日からは晴れ空が戻りそうで、少しでも早い復旧を祈るばかりです。

 現在進行中の計画で、四柱推命に詳しいクライアントが居ます。

 詳しいと言うよりは、鑑定の依頼があったり、今も勉強会にも参加したりと、大変熱心な人で、専業ではありませんが専門家と言えます。

 言葉は聞けど、四柱推命が何を意味するか解っていませんでした。

 生れた、年、月、日、時という4つの柱をもとに、その人の運勢を推察するもので、中国に古来よりある、陰陽五行説が元になっているそうです。

 打合せの合間に、少し教えて貰っただけで、何が分かった訳ではありませんが、聞いていてとても気持ちが良いのです。

 その理由は至って簡単。
 
 時刻までは公開していませんが、生年月日はいたるところに公開しています。それを見て専門家が足を運んでくれたという事は、良い運命と判断してのことなのです。勿論それだけが理由ではないと言っていましたが……

 生年月日(時)は変えれませんから、気にしても仕方がありません。しかし、良いと言われれば嬉しい以外にないのです。

 その先の対策もいたってシンプルです。本来は何でも何真ん中辺りが一番良いそう。良い流れの時は調子に乗り過ぎず、良くない時はぐっと堪えるという考え。これらも体感的に納得できます。

 ある時「守谷さんはとてもいいんですが、この頃にちょっと大変な時期がありましたか」と聞かれました。独立して3年が過ぎ、我武者羅だけでは通用しないと感じていた頃で、自分なりにあがいていた時、ピタリでした。

 だから信じるという訳ではありませんが、自分でコントロール出来ない部分が有っても、人に何らかの傾向があっても、不思議ではないと思います。

 地球は一日一回、規則正しく回転しますし、一年で太陽を一周します。太陽は生命の源ですから、それらが影響を与えていていないほうが不思議かもしれません。

 但し、それが運命であっても、それだけで人生が決まるとも思っていません。

 「人生とは、運命と言う縦糸と、因果応報と言う横糸が紡ぎだすもの」と稲盛和夫氏は説いていました。

 因果応報とは、良い行いは良い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生むという考え。30年等というスパンで見ればこれはもう明らかとも合わせて記されていました。

 少し話がそれましたが、こちらのクライアント、当然風水にもこだわっています。近いうちに現場日記にUP出来ると思います。

 どれがこの計画か……分かる人は専門家か、よほど勉強熱心な人のはずです。
 
守谷 昌紀 1970年7月28日 11:58am 生れ

すきま

 6月に入って2日目。雨は降ったり止んだり。

 子供達も家の中で遊ぶ機会が増えます。この時期、特に縁側の有難味を感じます。

 我が家は築38年の木造住宅。庭に面して、2.7m×0.9m の縁側があります。

 縁側から、雨に濡れる草木を見るのは、この季節ならではの楽しみ。

 長男は何故か踊りながら……

 どうも学校では「おちょけ」で通っているようで、ふざけたり、踊ったりで人を笑わせるのが好きなのです。

 私達にはあまり無い要素で、一体誰に似たのかと思ったり。

 縁側には25cm程の隙間があり、子供達はこぞってここに入ります。

 お隣の子供も来ると、総勢4人。

 障子を閉め、ひしめき合って遊んでいるらしく、その結果は必然です。

 誰かがのぞいていると、それを取り合い、更に穴は広がる一方。

 長嶋茂雄は国民的スターですから、家は田園調布にある豪邸です。

 子供が小さい頃、壁は落書きだらけで、それを叱ったことがないと聞きました。

 のびのびと育てるのも大事、躾も大事。どちらかが正しという答えはありません。

 確か長嶋家には3人のお子さんがいます。うち2人はテレビ関係の仕事をしているので、私達も知っています。自由な子育ての結果と言えば叱られますが、それを知る事が出来るのは、稀有なケースかもしれません。

 お子さん2人を見て、それもふまえ「障子を破らないように!」とは言いますが、あまり叱らないようにしました。

 建築に関わるものとして、物を大切に、良い空間を良い状態で保って欲しいといく気持ちはあります。

 しかし小さい頃は誰も、すきま、端っこ、秘密基地、そんな所が好きなものです。その楽しみを奪うのはどうかと思いますし、家の中にそんなところは必要だと思っているのです。
eferrer”>アトリエmの現場日記

ハイラックスサーフ

1991年の春、20歳の時に車の免許をとりました。初めて乗った車は、父からのお下がりで、トヨタ・カムリでした。

世はバブル景気真っ只中。実家のガラス屋も順調で、新車を買って貰うことに。甘えに甘えきっていたのです。

「どんな車を」となった時、海、スキーを考え、四駆が良いなと。三菱パジェロと悩み、決めたのがトヨタ・ハイラックスサーフ。1991年12月の事でした。私にとっての初代サーフです。

すぐスキー部の合宿地、北海道へフェリーで行きました。

冬はスキー板、春夏秋はボートを載せ、山、海、湖、どこへでも。

2003年の5月。友人と釣りに行こうと家をでると、ボンネットの前部から「ボンッ!」という大きな音。

白煙が上がり、止まってしまったのです。11年で11万キロを走っていました。

ディーラーに連絡すると、5千円で引き取られて行ったのです。

すぐに車を探し、考えた末再びサーフに。

改めて、この車が好きだと分かったのです。

2代目サーフがやってきたのがその年の6月。今度はシルバーにしました。

早速キャリアーを付けて海へ。

33歳を目の前にして、恥ずかしながら初めて車を買ったのです。

雪道の時も。

思わぬ場面に出くわした時も。

甥っ子を連れた時も。

若干切れ上がっているフロントライトも、大きなタイヤも。全てが好きだったことに今気づきます。

しかし、乗り換えることにしました。

走行距離は12万5千キロ。それでも30万円で引き取られて行きました。

次にやってくるのはサーフではありません。北米での販売は続くもの、日本では一昨年に終了したのです。

先週の旅行は、最後の時間という気持ちでした。

今は新しくやって来た車のことより、20年を一緒に過ごしたサーフとの思い出に浸りたい気分です。

私のサーフは、今はどこを走っているのか。

北国なのか、ロシアなのか、中東なのか。

さらば、愛しのハイラックスサーフよ。

ハイラックスサーフ(Hilux Surf)は、トヨタ自動車のSUV型の自動車である。設計は日野自動車主導で、開発と生産は日野とトヨタの共同となる。北米などへは「4Runner」(フォーランナー)という名称で輸出されている。
初代 1983年10月米国にて販売開始。フロントキャブ屋根上にはチルト式のサンルーフが付き、ハードトップとサンルーフを外すと、オープン・エアを楽しめるオープンカーにもなる、多用途レジャー仕様だった。
1984年5月、日本国内で販売開始。日本国内では、屋根を取り外しての公道走行は運輸省の認可が降りなかったが、着脱は可能な構造になっている。全車4ナンバーのライトバン扱いとなった。
2代目 (1989年-1995年) 1989年5月 フルモデルチェンジ。 日本国内向けのエンジンは、5ナンバーのワゴンが従来型と同じ3Y-E型ガソリン2.0L・97馬力と2L-T型ディーゼルターボ2.4L・94馬力、4ナンバーのバンは3L型ディーゼル2.8L・91馬力を設定。
1990年8月 一部変更。性能でテラノに一歩遅れをとっていたことで、輸出用と同じ、V型6気筒ガソリン3.0Lの3VZ-E型を追加設定。ハイラックスサーフ初の3ナンバーとなる。
3代目 N180系(1995年-2002年)
2.7 スポーツランナー1995年12月登場。パワーウインドウとドロップゲートの組み合わせで使い勝手が悪く、日本国内からは改善要求の多かったバックドアは、窓部も一体の跳ね上げ式に変更されたが、ウインドウガラスが電動で上下できる機能は残された。1998年8月 マイナーチェンジ。
4代目ハイラックスサーフ (前期型、2002年10月 – 2005年7月)2005年7月マイナーチェンジ。
 2009年8月7日公式サイトからの記載がなくなり、国内販売が終了した。この結果日本国内でハイラックスの名は完全に消え、41年の歴史に幕を閉じた。
Wikipediaより

赤ペン

 ラジオから、今年は何連休?という話題が聞こえてきます。

 今週後半からはゴールデンウィーク。♪夏も近づく八十八夜♪ 一年で最も気持ちの良い季節になりました。

 長男が小学校に入り、そろそろ「勉強」という単語が、聞こえてきます。
 
 少子化の中、教育教材の競争は激しさを増すのか、反対に参加する企業は激減しているのか、現状は分かりませんがベネッセという会社は流石だなと思います。

 長男が赤ペン先生を始め、添削を見て驚きました。

 先生の字の美しいこと。

 いったい誰がやっているのか。またその教育システムがあるのか。

 自分で字を教えるのは辞めようと思いました。

 私が小さいころは、「科学と学習」という教材を取っていました。学研だったと思います。

 夏休み前にはカブトガニの孵化キットが送られてきたり、分厚い読み物特集が送られてきたり。

 その封筒を見るだけでワクワクしたものです。

 ベネッセの教材にはそんな要素も多分に入っています。

 今月はひまわりの観察キット。

 一方は日当たりの良いところに種を置き、もう一方は暗い室内で育てます。

 どちらが早く発芽するか比べるというもの。

 陽向キットには、水を掛けるコップまで付いていました。

 今朝、芽を出していましたが子供達はまだ知りません。

 日影キットは、何と透明のゼリーの上に種を。

 地中の様子が見れるのです。

 2日で根が出て来たとき、子供たちは歓声を上げていました。

 その気持ちよくわかります。

 道端にはタンポポが。

 在来種のようです。外来種より茎の短いのが特徴。

 どこにでも同じドラマは起こっているのに、むしろ誰の手も借りず花をさかせているのに、自然の営みをどう切り取るか、どう伝えるかで、子供の感じ方は全く違うものになります。

 注意されること、修正を強いられることは、本来誰も望まないことのはずなのに、顔を知らない理想の先生像がそうさせるのか、直されることをむしろ楽しみにしているのです。

 ビジネスとして成立させないとダメなのでしょうが、教育の真髄を見た気がします。
 
 この夏、我が家の庭はヒマワリが咲き乱れることになるでしょう。

奪還

 4月になると、日本は本当に桜の多い国だと実感します。

 普段は控え目で、この時ばかりと咲き乱れる様は、やはり他の花にはないものがあります。

 葉桜も増えてきましたが、花を食べる動物も結構います。

 ヒヨドリでしょうか。

 桜の塩漬けなど、人も食べるくらいですから、ご馳走に埋もれているようなものです。

 5月を前にして、サツキも咲き始めました。

 春の恒例行事にしている、健康検診へ行ってきました。

 身長172cmは当然ですが変わらず。

 体重はベスト+1kg、ウエストはベスト+1cmとまあ許容範囲。

 私にとってのメインイベントは、何といっても視力検査。昨年の結果は左右とも1.5と前年より下がっていたのです。

 大変恵まれているとも言えますし「良すぎると、急に悪くなるよ」言われることもあります。

しかし、今年は気合が入っていました。Ohana石井さんの日記を読んだからです。

 気合十分でまずは右目から。順に小さなCを示されますが、最下段に来ても看護士さんの動きはスムーズなまま。2.0を確信しました。

 さあ左目。下から2段目まではスッときましたが、一度上へ戻りました。

 んっ、間違えたかな?と思いますが、折り返してすぐに最下段へ。

 ここで、右、左、右と3つ程指されました。最後は「上が空いているように感じます」と。これで検査は終了。ベストを尽くしました。

 結果を聞くと「両方2.0ですよ」と。小さくガッツポーズしたのです。ちなみに2.0以上の検査はあるのでしょうか。

 これで、来年への目標が出来ました。ウナギ、レバーを沢山食べます。

イメージ&チャレンジ

 4月に入って一週間。

 小学校の桜も満開です。

 朝から長男の入学式があり、少しのぞいてきました。

 2年生が校歌を歌ってくれました。

 今でも普通に歌えるのは、私もこの小学校出身だから。

 途中で退席したのですが、久し振りに見た校庭は思いのほか大きく感じました。

 話は変わって、先月の下旬のこと。船舶免許の更新に行ってきました。

 更新は5年に1度。車の運転免許と同じような感じです。

 こういった講習は、総じて退屈なものですが、今回の講師はちょっと違いました。

 子供と釣りへ行った時、ライフジャケットのおかげで助かった話。湖上で、若者が手を振っているのだと思ったら、正しい救難のサインを理解せず、助けを求めていた話しなど。汗をかきながら、熱心に話してくれるのです。

 講義の中で、どんな時に操船ミスをするかという話しがありました。

 キーワードは、単調や、慣れなど。例えば、慣れた航路で帰る時、干潮を忘れて浅瀬に乗り上げたり、という話です。

 これは操船だけの話ではありません。失敗をしたくないという気持ちが、今までと同じ道をたどらせ、消極的、慣れ、飽きからミスを誘発するのだと思うのです。

 人生はいつまでも挑戦。チャレンジにはミスという概念さえありません。今回の講師が、全く違って見えたのは、少しでも分かり易くと、高い目標を持っているからだと感じました。

 大切なのは向上心と創意工夫。行動に置き換えるならイメージとチャレンジです。

 新一年生、明日から頑張れ!まずは日本の為に!