カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

広く、遠く、深く‐1151‐

■■■ セブンドリーマーズ・ゴルフシャフト・梅田ラボ ■■■
「オープニングレセプション:UMEDA GALA PARTY」

時間:3/27(金)18:00-21:00
場所:〒530-0001 大阪市北区梅田 1-2-2 大阪駅前第2ビル 1F
飲み物・食べ物:無料
設計:アトリエm

 今日の大阪は雨でした。

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 しかし温かい雨で、一気に春めいてきました。

 今日はグランフロントのショールへ打合せに行っていましたが、大阪駅から北に向かうと、天井の高いアトリウム広場があります。

 アプローチしてくると一気に視界が開け、晴れの日は最高に気持ちがいいのです。

 しかし、屋根が途切れている箇所があり、微妙に傘が必要となります。もう少しガラス庇が伸びているといいのですが。

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 グランフロントから、スカイビルに挟まれる再開発エリアを見下ろします。

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 森のような公園となる予定で楽しみですが、かなり水が溜まっていました。

 この辺り、昔は湿地帯で、埋めたてて田んぼにしたので「埋田」と呼ばれていました。それが転じて「梅田」となったようです。

 この景色を見ると納得します。

 梅田1丁目は、工事真っ只中の「梅田ラボ」周辺です。しかしキタエリア一帯を梅田と呼びます。

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 初代、阪急梅田駅だった部分の広いコンコース。

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 ショーケースの中は春の花が満開でした。

乗る人がいなくて赤字になるなら、乗る客を作り出せばよい。それには沿線に人の集まる場所を作ればいいのだ。

 阪急東宝グループの創業者、小林一三の言葉です。

 乗客を作り出すために、世界初、駅が一体となった阪急百貨店、宝塚歌劇団をつくりました。

 梅田を梅田たらしめたのは、彼の功績によるところが大きいのです。

 昨年の7月から正スタッフとなったマルコ。ウェルカムパーティーと、田辺さんの誕生会を開催しました。

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 誕生会は良いとしても、入所してから9ヶ月も経ってから、ウェルカムもないのですが。

 せめてもの償いにイタリアから一緒に来ている、彼女にも参加してもらいました。

 彼女は国立大学で、先生をしており、英語、日本語も達者。イタリア人陽気で話し上手。3時間など瞬くまに過ぎました。

 「広く、遠く、深く」を実践するように心がけています。

 すぐに現出来ることは、私達以外の人が実現します。人が避けて通りたくなるような所にこそ、可能性や価値があります。

 外国人を雇用するには、ビザ取得も大変で、なにより言葉の壁があって……と想像していたので、積極的に採用しました。しかし、全くの杞憂でした。

 建築設計を生涯の仕事としたい。時間に耐えうるような素晴らしい建築を創りたいという考え方が一致していれば、障害は全くありません。

 金がないから何もできなという人間は、金があっても何もできない人間である。

 こんな言葉に背中を押されながら、仕事をしてきましたが、ようやく、続き、育って来たという実感があります。

 今年は、更に遠くへ行きたいと思います。

器‐1144‐ 

 先週土曜日は、大阪商工会議所にいました。

 北隣にある、マイドーム大阪は2つのヴォールト屋根が印象に残ります。対照的に、規則正しいグリッドが、その名前にピタリときます。

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 京セラ名誉会長の稲盛和夫さんが、経営を指南してくれる場が、盛和塾ですが、自らの経営体験を発表することになりました。

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 7階にあるホールであったのですが、300人くらいは入っていたでしょうか。

 建築を語るならいざ知らず、経営を語るとなると、非常に緊張しました。自分が描いていたイメージとは、程遠い出来でした。

 発表が終ったあとの後悔。

 もう少し時間があったら……あの話は余計だった……自分に酔っていたんじゃないか……

 言い訳ばかりが頭に浮かびます。

 先々週、神戸へ行った際、元町駅前を通りました。この細長い、5階建てのビルは、30歳の1年間を休業したあと、再開初めの仕事です。

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 新築ではなく、正面、エントンランスのやり替えという仕事でした。

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 そのまま南京町へ抜けようと南へ回ると、外壁に落書きがありました。

 こんな時、イラストレーター、黒田征太郎の言葉をいつも思い出します。

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 ミナミ、アメリカ村のシンボルとも言えるこの絵は下部は、勿論彼が描いたのではありません。

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 この落書きが問題になった時、ビルオーナーが「黒田先生の作品に失礼だ」というコメントを出しました。

 それを受けて「私の絵は、落書きしたくらでは何も変わりませんよ」と答えたのです。

 調べてみると、このビルは関西電力の持ち物なので、関電がそんなコメントをしたのか、うる覚えの話です。

 しかし、この話が嘘でも本当でもよく、考え方が好きなのです。

 街にあれば汚れもするし、落書きされることもあるはず。

 できるなら、愛着や敬意を抱いて貰える建築を創りたいですが、許容力のあるものであってほしいと思うのです。元町のビルオーナーには申し訳ないでのですが。

 大きな器を演じるのでなく、あらゆることを許容するのは、かなり難しいことです。

 今までの人生で最大の屈辱は、ある女性にこう言われたことです。

 「男のくせにケツの穴の小さい」

 建築家として、経営者として、つぎは言い訳のない、発表をしたいと思います。

自然という必然‐1143‐ 

 カレンダーに、2月19日は「雨水」とあります。

 雪が雨にかわり、農耕の準備を始める頃、という意味のようです。

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 確かに、庭の梅が咲き始めました。寒い寒いと思っていても、自然は確実に春へ向かっています。

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 昨日は、大学時代の同級生で集りました。4人とも、設計事務所の経営者。

 年に2、3回集り、情報交換をしますが、同業ゆえ喜びも悩みも同じ。4時間くらいはあっと言うまです。

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 全員ビール好きなので、店は必然的にビアホールとなります。

 また、1月に大学時代の写真をUPしたら、10年振り、20年振りの後輩から連絡がありました。

 20年振りは、写真を撮り忘れました。音楽業界で働いているので、東京へ行った時に、会う約束をしました。

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 10年振りは、ハワイで鍼灸医をしていた2つ下の後輩。

 海外で資格を取り、鍼灸院を立ち上げるなど、並大抵のことではありません。

 しかし、そこは先輩風を吹かして「こっちでも頑張れよ」と言っておきました。他大学の後輩ですが、人生の分岐点には顔を出してくれる、かわいいヤツです。

 和歌山に帰るというので、この時は10時頃散会しました。

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 折角梅田に来たしと、その足で北新地へ。

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 店主は、建築学科の同級生。私にとって唯一の馴染みの店です。

 これまた変わり者で、国立の小中高を出て、一浪して近大。 建築学科に入ったにも関わらず、卒業後は東南アジアを放浪。

 そして現在はバーのマスターです。

 「出会い」は、偶然ではありません、必然です。それも、意外と簡単な必然のようでもあります。

 蝶は、蝶に出会います……

 ハエは、ハエにしか出会いません!

 自分がハエでありながら、蝶との出会いを求めても、叶うものではないのです。

 必然なのです 厳しい、厳しい、必然なのです。「自然」と呼ばれる、厳しい、厳しい、必然なのです。

 始道塾の恩田さんのに教えて貰いました。

 もしあの出会いが無かったらと考え、感謝をするのは素晴らしい事だと思いますが、全てが必然と考えたほがうがすっきりします。

 なぜなら、必然に言い訳は通用しないからです。

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 北新地からの帰りは、1人空心町ラーメン。

 普段なら、900円もするラーメンなど食べませんが、飲んだ後は大体だめです。

 アルコールを分解する際、糖分と炭水化物が不足します。よってラーメンも必然。

 誰も言い訳など聞いてくれませんが。

「マエストロ」を観にいこう‐1137‐ 

■■■相談会■■■
2月1日(日)12:00pm~3:00pm グランフロント大阪北館・5F
「サンワカンパニー」にて

大学時代、競技スキーをしていました。

スキー部は、合同で練習する慣習があります。1992年の12月初旬、北海道の北大雪山スキー場で練習をしていました。

関大、関学、大阪学院などが同じ宿舎で、そんな時期から練習に来ているのは、よっぽどの負けず嫌いか、ボンボンだけ。

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そこで知り合った、関学の後輩を、甲南大の合宿に連れて行くことになりました。すぐに決断できる彼は勿論後者です。

飛び切りのボンボンは、大概可愛いというのが私の持論なのです。

その移動の際、北海道の山奥で、車を止めて撮りました。「新調したフォグランプを見てくれ」の図です。

若いって、バカなのです。

同じく、スキー部の先輩、小林聖太郎さんが監督した作品、「マエストロ」が今週末から上映です。

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1993年3月の写真ですが、流石はエンターテイナー。ど真ん中に居ます。ちなみに私は左斜め後ろ。

2006年12月2日。デビュー作「かぞくのひけつ」が公開。それをテレビのニュースで知った妻は、かなり興奮していました。

長編2作品目は「毎日かあさん」。2011年、小泉今日子と永瀬正敏の元夫婦をキャスティングし、話題になりました。

facebookでは「友達」です。

映画というのは「初めの土日+1週目の成績で上映期間や回数等が、決まります」そうなのです。

3作目の「マエストロ」の出演は、松坂桃季、miwa、西田敏行。「マエストロ」を観にいこう、です。まずは自分ですが。

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親の趣味から始めたスキー。

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28歳頃まで、目標は大阪一。更に関西一と本気で目指していました。私にとっては青春そのものでした。

 

集合写真に居る関大の後輩は、現在ホノルルで鍼灸院を開いています。

とっても可愛がっていた、大阪学院の後輩は、突然死で亡くなってしまいました。もう11年前のことです。

彼とは、小学校の頃に、一緒に滑った事があったと、大学で再開してから分かりました。

人生は何が起こるか分かりません。スキーが与えてくれた縁を大切にしながら、全力で生きなければと思います。

 「私たちは、つねづねこうなりたいと望んでいるものになれる」 アール・ナイティンゲール

「マエストロ」を観にいこうと思います。出来れば来週末までに。

○○○を人間通と謂う‐1133‐

 当事務所は、弟宅の1階にあります。

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 白い外壁にオレンジを使っています。11年前に私が設計しました。

 熟れた柿をイメージしたので、正確には柿色。柿は古来から日本にある果物で、それが街にあっても良いだろうと考えました

 建築は自由なんだという主張と、街が少しでも明るくなればいいと考えていました。

 今日のような冬の雨の日。1人でもそんな事を感じてくれる人が居ると嬉しいのですが。

 昨年、野村克也の「人間通」という本が出版されました。しかし、元祖は谷沢永一です。

 これまでにも、「可愛気」「評判」「狐色」の項をとりあげました。

 裏表紙に1996年 15刷とあるので、買ったのは26歳の頃。18年前のことです。

 いま読むと、撃たれたような衝撃ですが、当時のことは全く覚えていないのです。表紙には、著者の言葉が綴られています。

 40代あるいは50代に至って人生に関する若干の知見を得ました。
そのたびごとに、このような思い至りがもう10年早く脳裡に浮かんでいたら…… (中略) それを早い目に読者へ伝えたいというのが本書執筆の動機でした。

 また、タイトルとなっている「人間通」の項にはこうあります。

 現代および近未来の主要人物(キー・パースン)は特技の人である必要はない。極言するなら人間の器量としては凡人でもよいのだ。世に尽くす誠意と熱情があればそれで十分である。

(中略)

 組織の要となり世の礎となりうるための必要条件はただひとつと言える。それは他人の心がわかることである。ただそれだけである。

 (中略)

 自分が周囲から認められているという手応えを得たときの喜びは何物にも替え難い。他人の気持ちを的確に理解できる人を人間通と謂う。人間通を身近かに見出せることは幸福の最たるものであろう。

 26の時に読んでいながら「教えてあげたい」という筆者の気持ちを感じきれなかった事が痛恨の極み。

 他人の気持ちを的確に理解できる人が人間通なら、程遠い人間だったのです。

 受け入れる勇気を持ちたいと思いますが、そうするには少しの自信も必要だったと今は分かるのですが。

スピードは説得力‐1131‐

初日の出の一日前は、最終日の出でよいのでしょうか。

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大阪を発った大晦日の朝、丁度日が昇り始めました。

昼頃、上信越道の上田・菅平インターを降りました。国道を走っていると、カーナビに「真田家屋敷跡」と表示が。

30歳の時、仕事を休んでいた1年間、色々な本を読みました。一番記憶に残っているのが、池波正太郎の「真田太平記」全12巻です。

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真の天下統一を目指す家康は、豊臣方へ難癖をつけ、大坂の陣にもちこみます。

一方的な展開となる中、豊臣方で一人気を吐いたのが真田幸村(信繁)。六文銭のノボリと、赤備え(朱に塗った鎧)で知られた真田家。勇猛で、戦国随一の戦上手としても知られます。

少ない手勢で、家康をもう一歩の所まで追い詰めますが、最期は天王寺にある安居神社で討ち取られるのです。

作中には忍びの者が登場します。猿飛佐助、霧隠才蔵など、真田十勇士は、太平の世が続いた江戸時代に、講談として脚色されたものと言われます。しかし、その実力に偽りはなかったようです。



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のどかな里山風景を走ると、館跡がありました。

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石積は当時のままのよう。

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小さな社がありました。家紋の六文銭が見てとれるでしょうか。六文銭は三途の川の通行料。それを家紋にしたのは、死をも恐れないという表れです。

真田家は、武田家が滅亡するまで家臣でした。その後、信長、秀吉と主君を替えて行きます。

1月3日は甲府に寄りました。折角なので、武田神社を参ろうと車を近づけると大渋滞。

それと比べると、なんとひっそりとしたものか。六文銭を知らずとも、風林火山を知らない人はいない訳です。

 疾(はや)きこと風のごとく

 徐(しずか)なること林のごとく

 侵掠(しんりゃく)すること火のごとく

 動かざること山のごとく

今年の、事務所のテーマは「スピードは説得力 (Speed can persuade) 」です。

考えていると思っている時間が、言い訳を探している時間にはなっていないか、というメッセージです。

勇気を持った全力の決断に、時間など要らないと思のです。

A面、B面‐1123‐

■■■12月14日(日) 1:00pm~4:00pm
天六・住まい情報センターにて「建築相談」に参加■■■

 今日は朝から、スタッドレスタイヤに交換しに行っていました。

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   ディーラーがなにわ筋沿い、湊町のすぐ南にあります。おしゃれで、はきはきとしたスタッフが、いつも応対してくれるのです。

 他の外車ディーラーもあり、ディープ浪速区とは一線を画しています。

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 浪速区と言えば、通天閣。すぐ前を通ります。

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 ちょっと降りると、看板には村上ジョージ。

 「どぅーん」は英語で鼻水の意味なんだと、友人が力説していたことを思い出しました。大阪のA面とB面です。

 若い女性スタッフが応対してくれたのですが、初めてみる顔だったので聞くと、この春入社だそう。

 「結構入れ替わりが早くて、皆さん1年から2年で辞められるんですよ」と言っていました。

 「まずここで頑張って、認めて貰って、次のステージに行かないといけないね」と言うか迷い、結局言っていません。

 この夏、スタッフのマルコが、本をプレゼントしてくれました。セネカの「生の短さについて 」です。

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 「われわれにはわずかな時間しかないのではなく、多くの時間を浪費するのである。人間の生は、全体を立派に活用すれば、十分に長く、偉大なこと完遂できるよう潤沢に与えられている」

セネカは、私たちは命の短さを嘆くわりには、たいしたことに命を使っていないと言います。彼は1世紀頃のローマの哲学者です。

さらに遡ること500年。ギリシャの医師、ヒポクラテスは

 「人生は短く、術のみちは長い」

 といいました。

 仕事を替えるもよし、続けるもよし。ただ、水面下の水かきではないですが、どんな事も、外から見るとの、現実は違うものです。

 セネカはこうも言っています。

 「難しいからやる気が出ないのではない。やる気がないから難しいのだ」

 長いも短いもなく、A面もB面も関係ない。まさに至言です。

危険とスリルに満ちたもの‐1121‐

 12月に入り、梅田阪急のショーウィドウもクリスマス仕様。

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 子供達はすぐにかじりつき、大人たちはすぐに写真を撮ります。いつから写真を撮るようになったのか。

 私もそうですが、まずは自分の目でしっかり見るようにしたものです。

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 紅葉していたヤマボウシも雨で散り。日も短くなり、初冬は物悲しい季節でもあります。

 養老猛司が「手入れという思想」という本で「知る」ということについて書いていました。

 「例えば自分の余命が3ヶ月と告知を受けたとき、あなたの考えは今までと同じではないでしょう」と言います。少なからず何かが変わるのではないかと。

 しかし、現在の知識とは自分とは少し離れたところにあると、警鐘を鳴らしています。その引き金になったのが以下の話です。

 東大のある医学部生が「先生、尊師が1時間水槽の中で座禅を組むから、立会人となってくれませんか」と頼みにきました。

 5分間、酸素の供給が断たれれば、脳がどんな損傷を受けるか、知識としては知っている。しかし、それと現実が一致しない。

 教育が普及し、誰もが望めば教育を受けることが出来る。学ぶことは良いことで、安全なことだと信じきっている。しかし、知るということは変化することなので、もちろん危険も害もある。

 自分と離れたところにある、安全な勉強など楽しいはずがないと結んでありました。

 身近にあり、危険でスリルに満ちたもの。これは、間違いなく仕事です。仕事とは、生きることに直結しているもの、と定義できるので、子育ても勿論含まれます。

 私達はちょっと安全な勉強に慣れすぎてしまったのかもしれないと思っているのです。

過去という事件‐1115‐

■■■11月23日(日) 3:30pm~6:00pm 堂島アバンザ2F
ジュンク堂<大阪本店>にて「無料相談会」に参加■■■

 先週の日曜日、義父の里で子供が柿とりをしてきました。

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 柿は果物としては珍しく、日本の固有種です。

 イタリア語でも複数は「カキ」。ただ、1つなら「カク」と言うそう。

 庭のセンリョウも、赤い実をつけていました。よく見ると、セミの抜け殻が。

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 セミの鳴き声が聞こえなくなり3ヶ月。殻が音を立てるはずもありませんが、全く気がつきませんでした。

  空蝉の 身をかえてける 木のもとに

 なほひとがらの なつかしきかな

 (蝉が殻を脱ぐように、衣を脱ぎ捨て逃げ去ったあなた
  その人柄が懐かしい)

 過去に一度だけ関係を持った光源氏と地方役人の後妻だった空蝉。慎ましやかな空蝉に、光源氏は惹かれ、更に迫ります。

 しかし、その身分や立場ゆえ悩み、上着だけを残し、音も無く逃げたと言う場面です。

 「源氏物語」は紫式部が平安後期に書いた小説です。このような光景をみて着想を得たのでは……

 千年の時を遡り、紫式部と私はつながりました。勝手な想像ではありますが。

 火曜日には、明治時代だろうという住宅の調査へ行って来ました。その古びた瓦、土壁の中で、確かに人は暮らしていました。

 梯子のように急な階段。電気もなく、背割り排水による汲み取りのトイレで、人々は確かに暮らしていたのです。

 未来は現在の”影”でしかないが、過去は現在を知る宝庫でもある。

 私は人の過去にふれてみたくなる。

 はるかに刺激的で魅惑的である”過去”という事件。

 -山本隆司- エディター

 百年、千年の時を越えて人の過去に触れてみたくなる。そういう自分が確かに居ます。

水で満たされた器にお湯を注ぐ‐1111‐

 今回は、この日記は1111回目。

 つぎのゾロ目は2222で、10年と8ヵ月後。54歳のときです。その次は65歳。この位になってくると、ちょっと想像できません。

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 朝晩は冷えるようになりましたが、近くの杭全神社では、モミジが色づき始めています。

 読書の秋。ここ最近で、最も感じ入った本の話です。

 中村天風の口述を作家・宇野千代によって文章化された「中村天風の生きる手本」。

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 1876年生れの中村天風は、当時死の病であった結核を患い、人生を深く考えるようになりました。

 真理を求め欧米を歴訪。その帰り、カイロでヨガの達人と出会います。真の健康は「心」と「体」両方の問題であると教えられ「心身統一法」として実践哲学を確立するに至るのです。

 バルチック艦隊を撃破した東郷平八郎。「財を残して下、事業を残して中、人を残して上」と言った、初代東京市長の後藤新平。松下幸之助、稲盛和夫など。多くの識者にその「天風哲学」は支持されました。

 師との出会いの挿話をまとめてみます。

 肺を患う天風は、カイロの宿で「おまえを助けてやるからついて来い」とあるインド人に言われます。

 3ヶ月もあちこちに寄り道をし、ヒマラヤ山麓の村に到着します。更に2ヶ月が過ぎても、一向に何も教えて貰えません。

 ある日「いつになれば、私が助かる方法を教えてくれるのですか」と詰め寄ります。

 「私はここに着いた次の日から教える準備ができている。しかし、おまえの準備が出来ていない」と言われます。

 そんなことはない、私はずっと準備ができていたと反論する天風。

 そのヨガの達人が「では教えてやろう。その器に水を一杯に注ぎなさい」。更に「もう一つの器にお湯を一杯に注ぎなさい」。

 「水の器の上から、お湯を注ぐとどうなる」と問われます。

 「文明の民族は、水が一杯に入った器にお湯を注げば全てこぼれることを知っています」と毒づく天風。

 医学も学んでいた中村天風は、インドを少し下にみていました。屁理屈がいっぱいに詰まった頭では、何を教えてもこぼれるだけと、教えられたのです。

 ヨガの達人は「ようやく分かったようだな。今夜から俺のところに来い。生まれたての赤ん坊のようになって来いよ」と言ったのです。

 入る余地がなければ、新しいお湯が貯えられることはない。限りなく単純なこの真理。

 中村天風師にとって、ここが人生の分岐点なのだとしたら。大変なことを聞いてしまったような、ワクワクするような……