カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

フィクションだが真実‐1072‐

 梅雨とは名ばかり。久々の徹夜あけに、太陽がまぶしすぎます。

 良いコンディションをキープするのがプロなら、徹夜は完全に失格。イチローはこう言います。

 「寝ずに考えたんだけどは信用しない。大事な決断こそ良く寝て朝に、ですよ」

 プロポーズも朝したそうです。

 よって、イチローには遠く及んでしないのですが、たまには若い頃を思い出すのも良いものです。

 作家・山崎豊子が亡くなったのは昨年9月。

 1月から「大地の子」を読み始めましが、5ヶ月掛かってしまいました。

 彼女は船場の出身で、初期の作品はそれらを題材にしています。

 その実家は、老舗昆布屋の小倉屋山本でした。

 小倉屋山本と言えば、オーガニックビルのオーナーです。

 『住まいの設計 2011年3月号』で「地元建築家がガイドする名建築」にナビゲーターとして寄稿しました。

 チャレンジ精神旺盛な大阪らしい建築として、このビルも取り上げました。

 山崎豊子はその大阪を離れ、より大きなテーマで小説を書くようになって行きます。

 「大地の子」は、中国残留孤児が描かれています。兄妹の悲惨な幼少期、青年期は、もう目を背けたくなる話ばかり。

 途中で辞めようかとも考え、間に数冊の本を挟みました。

 読み進む時、何度も浮かんでくるこの言葉。

 この作品は、多数の関係者を取材し、小説的に構成したもので、登場する人物、関係機関なども、すべて事実に基づいて再構成したフィクションである。

 出来れば嘘であって欲しいとまで思います。フィクションだが真実。

 一体、本に何を求めているのだろうと考えさせられました。

 知識、感性など得られるものは沢山ありますが、明日へ向かうエネルギーなのかなと思います。ただ、読み終えて1週間経ちますが、心の整理がついていないと言うか……

 しかし圧巻の長編だったのは間違いありません。

ストッパーを外せ、タガを締めろ‐1070‐

 梅雨は、梅の実がなる時期にかけたという説もあるそう。


 短期間で辞める若者が続くと、心も梅雨空のよう、と言ってみたくなります。

 経営とは、樽に水を溜めるようなもの。樽を構成する一枚の板でも無ければ、一滴の水も溜まらない。「足らない板」「短い板」を探し、そこに手を打つ。

 さらに樽には「箍(たが)」が必要。いくら、いい板が揃っていても、それを束ねる「箍(たが)」が無いと、樽として成立しない。

 「箍(たが)」とは、経営者そのもでもあり、企業理念そのもの。

 始道塾塾長、恩田さんの言葉です。

 長所を伸ばすのは重要なこと。しかし、水が溜まらないほど短い板があっては、リーダーなど勤まらない。短い板を少しでも延ばしなさい、と。

 現在、入所試験中のイタリア人青年は27歳。スチューデントビザで入国しています。

 間もなく日本語学校を卒業すると、その資格はなくなります。よって、ワーキングビザへの切り替え手続きを始めました。

 取り組む姿勢は非常に熱心。そこだけクリア出来れば、採用するつもりです。

 朝のミーティングの時間に、事務所の哲学の話をします。

 「デザインとは良心にうったえかけるもの。誰かを幸せにしたいという意思なんだ」という話をしました。

 彼は「良く分かる」と言いました。(多分) 良心は人類共通。同じ方さえ向いていれば必ず分かりあると思っています。

 彼が加わっても4名の事務所。それでも箍(たが)の緩い樽など無用の長物です。安っぽいストッパーなど外し、タガを締めろ、です。

 しかし、電話口からたどたどしい日本語が聞こえてきたら、なるべくゆっくり話てやって下さい。

2人旅‐1069‐

 子供が小さい頃は、全て私のスケジュールで動けました。

 長男が4年生になり、クラブだったりテストだったりと、休みが合わなくなって来ました。

 昨日は休みが合ったので、池原ダムへ2人旅。

 今回は、前夜からの池原入り。

 寝袋で遊んでいるうちに、寝る時間が遅くなってしまいました。

 結果、朝一番の良い時間を、船の上で寝るはめに。

 放っておおくと、起きたのは3時間後。

 しかし起きてからは、ほぼ飽きることなく釣れ続けました。

 一日釣って9匹。

 この日は、長男のガイド役に徹しました。

 釣り暦33年。

 秘密のルアーから、禁じ手まで。

 あらゆる引き出しを開けました。

 釣りは、魚にとって命がけの戦い。釣れさえすれば、面白くないはずがありません。

 休みの日は、できれば屋外で過ごして欲しいと思っています。この日は、任天堂DSとの戦いだったのです。

 まもなく開幕するワールドカップ。伝説となる雰囲気を漂わせているネイマールですが、幼少期のコーチがこう言っていました。

 「子供に勝つ責任はない。しかし、楽しむ責任はある」

 子供と大人の、仕事と勉強の違いを、これ程的確に表した言葉は聞いたことがありません。楽しむことを伝えることが、大人の責任ということになります。

 しかしネイマールは、本当にいい笑顔をしています。彼の父親が素晴らしい人物でした。この話はまたの機会に。

嫉妬心は狐色に‐1067‐

 先週は、早朝キャッチボールに付き合っていまいた。

 小学校のスポーツテストに、ボール投げがあります。得意な子は30m以上投げるそう。

 長男は練習で12、3mだったようで「教えて欲しい」と言ってきました。自発的に取り組んでくれるなら、前日が遅い日でも、喜んで早起きします。

 「~しなさい」に比べると、もう雲泥の差。結果、19mで本人も喜び、私も喜べました。

 谷沢永一の著書「人間通」から、「狐色」という項を抜粋してみます。

 嫉妬心は人間の本性であり、いつも心のなかにわだかまり疼いている。それを除きとり消しさる方法はない。

 それらがあまり跳梁せぬよう手綱を引き締める方法があるとするなら、人並みに嫉妬心が強いのだと顧みて自覚することだ。

 松下幸之助は「嫉妬は狐色に程よく妬く」と言った。黒こげまで行くと宜しくない。狐色に妬くと、かえって人間の情がたかまる」。

 一代名言ではないだろうか。

 ポジティブとは、マイナス要素を遠ざける事ではないのです。 一見マイナスの要素も、プラスへ行くための逆項として必要、と考えるべきなのかもしれません。

 何より、松下翁に嫉妬してよいと言われるだけで、世界が明るくなります。

 2014年も前半最終月に入りました。

 狐色でいきたいと思います。

やってみる、などない‐1065‐

 大阪は昼前から雨が降り出しました。

 植え込みのツツジも、雨濡れて尚鮮やかに。

 この3月、プリッカー賞の発表がありました。建築界で最も権威あるされる賞で、今年の受賞者は坂茂でした。

 1979年にハイアット財団によって設立された同賞を、日本人は7名が受賞しています。

1987年 丹下健三
1993年 槙文彦
1995年 安藤忠雄
2010年 SANAA(妹島和世、西沢立衛)
2013年 伊東豊雄

 坂茂の作品では、阪神淡路大震災のあと、神戸に紙管で作られた教会が記憶に残ります。建築は、権力者のためだけのものであってはならない、という哲学が貫かれているのです。

 新聞で彼がこう語っていました。

 世界でも稀なことに、日本人の学生は授業をさぼる。学生時代は楽しく過ごし、社会に出れば鍛えてもらえるとでも思っている。

  考えてみてほしい。野球でもサッカーでも、プロを目指す人は日々、厳しいトレーニングをする。建築も同じ。繰り返し課題に取り組みトレーニングをしなければ、プロにはなれない。

 真剣勝負を繰り返している彼からすれば、学生の態度が目に付くのだと思います。

 しかし、どのような基準をもってプロとするのか。何をもって真剣勝負と呼ぶのか。自分で決める他ないのです。

 先日、入所試験に来た若者は、2日目で辞めました。このようなことを繰り返していると「間違っているのは自分なのか」と思えてきます。一方、27歳のイタリア人は、黙々と穏やかに仕事を進めていきます。

 「12ダンメマデ、カイダン、チョクセンデスカ?」

 イタリア、スイスで2年の実務経験があり、コミュニケーションこそ片言ですが質問は的確です。反対に、建築設計図面は世界共通だと、私に分からせてくれるのです。

  Do, or do not. There is no try. – Yoda
   「やる」か、「やらない」かだけだ。「やってみる」などない。

 銀河系を守るなら、このぐらいの言葉が必要なのです。

 では、私たちの目指すところは。勿論、やる以上は一番を目指します。

イタリアンがやってきた‐1063‐

新緑がまぶしい季節。

庭に咲くこの花は「かきつばた」のようです。

先の住人が残していたったもので、花弁が細く、美しい花。

沖縄入梅のニュースもあり、限られた季節を満喫したいものです。

先週は「遠里小野の家」の3ヶ月点検でした。

中庭のヤマモミジも青々とした葉をつけていました。その前を泳ぐ鯉のぼり。 四万十川でみた景色を思い出します。

今月初め、1年2ヶ月働いたスタッフが退職しました。入れ替わるように、2人の若者が入所試験中です。

1人は年始にイタリアから来日。現在日本語学校と掛け持ちです。

もう1人は、2年間アメリカへ留学していました。

これを機に、事務所の公用語を、英語に変えようと思います。冗談ですが。

先日、オープンデスク中の女子学生が私に模型を見せに来ました。「ここがちょっと汚いね」と修正を求めました。

すると「これから直すつもりでした」と、プイッとむくれてしまったのです。これでは、流石に事務所に置いておく訳にはいかず、丁重に辞めてもらいました。

イタリア人の彼は、カルロ・スカルパが学長をしたことのある名門大学出身。イタリアの建築士免許も所得済みで、模型も修正しれくれます。

日本人のようと言えば、イタリア人に失礼ですが、やる気さえあれば言葉の壁など、越えられると思っています。

宮大工、西岡常一は法隆寺改修で知られ、「鬼」と呼ばれます。その弟子、小川三夫はこう教えられました。

「諸々の技法は神徳の恵みなり、祖神忘るべからず」
「人に任せ、人に譲ることで、伝統は生きたものとしてつないでいける」

伝えられる伝統を持っているかは分かりませんが、仕事は分かち合ってこそ。2人の若者に期待しています。

人の世は評判の市‐1057‐

 ゴールデンウィークが始まりました。

 今日はあいにくの雨ですが、土日は天気にも恵まれました。

 1周年を迎えたグランフロントは、来場者数5300万人。スカイツリーを上回ったそうです。 

 しかし、私のセミナーは事前申し込みが各1組づつと聞いていました。昨年、広島でのセミナーは150名の参加がありました。

 しっかりとした報酬を貰い、相応の緊張感を持って臨みましたが、良い経験になっています。正直言えば、1人でも多いほうが嬉しいのですが……

 蓋をあけてみると、両日とも10名以上の参加がありました。

 今回のテーマは「建築家とつくる住まい」。

 「ゆっくり・繰り返して良い・反応を待つ・聴く人の幸せを願って」
講演の度に心掛けてきたことです。

 イメージの7割くらいは出来たかなと思います。

 2日目は、スタッフの田辺が手伝いに来てくれました。参加者、主催者も喜んでくれ、ややほっとして会場を後にしました。

 グランフロントは1周年イベントが開かれていました。

 大きな吹き抜けにキティーが無数のリボンで表現されたアートワークがあります。

 誰の作品だろうと見てみると、谷尻誠とありました。東京、広島に事務所を構える、私より若い建築家です。

 先日も書いた、文芸評論家・谷沢永一の「評判」を引用してみます。

 人間の値打を定める最終の決め手は評判である。もちろん業績なくして評価はありえない。しかし成しとげた成果は誰かの認めるところとなってようやく浮かびあがる。

 (中略)

 評判は多分に時の勢いがもたらす僥倖であって、神の悪戯とでも言いたい要素が認められる。しかし人の世は評判の市である。この世に公平無私などありえない。あらゆる時代の誰も彼もが、歴史と称されている根拠薄弱な評判の記録を信用してきた。そして今の世においてもまた評判に頼って万事を判断している。つまるところ人は評判を好むのである。

 成しとげた成果は誰かの認めるところとなってようやく浮かびあがる。

 人の世は評判の市。

 誰かに認められるには、攻めだるま以外に方法はありません。

酒の席‐1056‐

 飲み歩くのが趣味でもないので、夜、出掛ける回数は数えるほどです。

 ところが今月は良く出掛けました。

 大学時代の後輩とは、キタの居酒屋で。40分も待たされましたが怒りません。

 大人ですから。

 クライアントとは、現場近くの滋賀のお店へ。

 気さくな夫妻で、2週続けて。

 本来、酒の席は大好きなのです。

 大学時代の友人とは、お初天神のビヤホール。

 酒癖が悪いと言われたことはありません。

 しかし、アルコールが入ると、何か言いたくなるもの。

 「不言実行はかっこ良い。でも、有言実行は、誰かにプラスを与える可能性がある」と、やってしまう訳です。

 若い頃なら、後悔ばかりでした。しかし、歳とともに平気になっていきます。過去はもう変わらないから、と。

 行きつけの店も無いのですが、北新地に同級生がやっているバーがあります。

 散会したあと、久しぶりにのぞいてみました。

 マスターが「2年ぶりじゃない」と。

 しかしそこは同級生なので、2、3時間話し込んでいました。

 真理を知るには酒を飲みすぎてもいけない。飲まなくてもいけない。 -パスカル-

 多少アルコールの力を借りたとしても、夢は言葉にするほうが良いに決まっています。

 人に言った以上、実現する責任を感じ努力する上に、デメリットは一切jないからです。

 最後に。

 今週の土日、グランフロントのサンワカンパニーでセミナーが近づいてきました。

 エントランスには、当事務所の模型を展示しています。

 5月9日まで展示する予定のですので、近くに行った方はのぞいてみて下さい。

可愛気と律儀‐1053‐

 先週土曜日は、滋賀の現場へ。

 敷地に隣合う「矢場」の桜が見事でした。

 家の敷地にこれだけ咲けば、花見に行く必要がありません。

 土塁にはゼンマイの芽も。

 クライアントが言うに「食べ頃はもう少し前」とのこと。

 中々食べ物としては見れていないのですが……

 話は変わりますが、新聞で文芸評論家、谷沢永一の名前を見かけました。

 谷沢永一は著書「人間通」でこんなことを書いています。

 彼奴には至らんところが多いけれど、なにしろ可愛気があるから大目に見てやれよ、と寛大に許される場合が殆どである。(中略)才能も智恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてを引っくるめたところで、ただ可愛気があるというだけの奴には叶わない。人は実績に基づいてではなく性格によって評価される。

(中略)

 可愛気の次に人から好まれる素質、それは、律気、である。秀吉は可愛気、家康は律気、それを以て天下の人心を収攬した。律気なら努めて達し得るであろう。律気を磨きあげれば殆ど可愛気に近づくのである。

 秀吉も、家康も、会ったことはありませんが、肖像画を見る限りそんな気がします。

 「自分は愛される人間か、否か」と問うたことがあります。これまでの人生で、先輩に可愛がって貰ったという経験が、ほとんどないのです。

 しかし、これを読んだとき大いに納得し、律儀なら何とかなるかもと考えるようになりました。

 面白みも何もないようですが、これでしか勝負できないなら、それを磨くしかないのです。

うぶな眼‐1042‐

 心の琴線に触れる、という言葉があります。

 そんな言葉を、2005年からまとめてきました。その2つ目は、魯山人の言葉です。

 美の源泉は自然にある。自然なら美しいか。
 花を雨、日で育てるのも自然。
 木を一瞬にして焼き払うのも自然。
 自然がなにを目指しないを行わんとするか。 
 けだし我々人智のよく量りえるところではない。
           
-北大路魯山人- 書家・陶芸家

 答えがあるようでない。極めているようで、諦めているようでもある。解釈が幾通りも出来る言葉です。

 彼は、漫画「美味しんぼ」に登場する海原雄山のモデルとされています。書、陶芸、食とあらゆるものに通じ、一家言もっている。しかし、憎まれ口も叩き敵も多かったようです。

 先日読んだ、白洲正子の著書「ものを創る」にこうありました。

 結局、魯山人の芸術の特徴は、その素人的な所にあったと思います。素人というと、誤解を招くおそれがありますが、技巧におぼれず、物のはじめの姿というものを、大づかみにとらえていた。

 物を見る(うぶ)な眼と、職人の(熟練した)手というものは、中々両立しないものですが、その両方を備えていたといえましょう。 

 熟練した手は、ひたむきに取り組めば、近づける気がします。では、うぶな眼は。

 「うぶ」を辞書で引くとこうあります。 【初々しく世間慣れしていないさま。純情】

 熟練しているのに、慣れていない。やはり簡単ではありません。

 しかし、いつも進歩したいと思う。これならできそうな気がします。うぶなとは言わないまでも、新鮮な眼くらいは持てそうだと思うのです。

 眼の輝きとはよく言ったもの。死んだ魚の眼にはならないよう。