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全身全霊匍匐前進‐1941‐

「大阪梅田」は阪急電車の起点となる駅です。

観光客に分かりやすくという配慮で、2019年に「梅田」⇒「大阪梅田」と駅名が変更されました。

中学・高校と、阪急京都線で「高槻市」まで通学していたので、やはり「梅田」のほうがしっくりきます。

好きすぎて、ここでも「阪急梅田駅の歴史」「続・阪急梅田駅の歴史」と2度に渡って語らせてもらいました。

今でも、阪急マルーン色の外観と、ゴールデンオリーブのフカフカしたシートが、私鉄の中では一番のお気に入りです。

ただ、入学してすぐの頃は、地下鉄「南森町」で乗り換え、「淡路」経由で通学していました。

阪急千里線は「柴島」の手前で淀川を渡ります。

柴島浄水場の北側に、京都線の「崇禅寺」が見えています。

「淡路」で京都線と千里線が交差するのですが、2028年度には高架によって立体交差が完成するそうです。

長い間工事をしているなと思っていたのですが、2008年に工事が始まっていました。

20年に及ぶ大工事です。

駅周辺では、その姿がかなり見てとれるようになりました。

運行を続けながらの工事で、余計に時間が掛かるでしょう。

小さな会社を経営する私からすれば、20年先のことなど、全く想像もつきませんが。

ある朝のジョギング中。街路樹の下で、モゾモゾと何か動いているのが見えました。

風で飛ばされたのでしょうか、小さな青虫でした。

目が見えるのか、見えないのかも分かりませんが、全身を使って必死で前進しています。

徒手空拳で仕事を始めた私としては、その姿が全く他人事とは思えなかったのです。

20年に及ぶ工事も、勿論のこと日々の積み重ねです。

何の本だったか忘れましたが、こんなことが書いてありました。

必ず迷路を脱出する方法はある。片側の壁に沿って、出口が見つけるまで進み続けることだ。

なかなか先が見通し難い時もありますが、いくらハンドルを切っても車が動いていなければ位置は変わりません。

青虫君を見習って、全身で匍匐前進あるのみです。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

メディア掲載情報

必ず駿馬をつれてくる‐1830‐

8月初めから本格的にスタートした、アトリエmのwebサイトリニューアル計画。

web製作会社ドアズのある三宮詣でが続きます。

中学・高校と高槻市駅まで通っていた私は阪急っ子です。

駅名こそ「梅田」から「大阪梅田」に変わりましたが、JRでなく、阪神でなく、できれば阪急でいきたいのです。

電車自体の乗り心地も良いですが、緑のシートは他を圧倒する座り心地です。

しかし何と言っても景色でしょう。

南を見れば、遠くには六甲アイランドとポートアイランド。

岸壁沿いに建つ、巨大な赤白のキリンが見えています。

北を見れば、王子公園や六甲山の緑豊かな風景。

子供が小さい頃はよくパンダを見に来たものです。

新しくなった阪急の三宮駅。

こちらの駅名も「神戸三宮」に変わりましたが、びっくりするくらいの高層ビルにも生まれ変わりました。

それでも北側の商店街は、学生時代の印象のまま。

この雑多な景色が、私にとっての三宮です。

ドアズのある東へ向かって歩き始めると、妻が「あっ、忘れた!」と。

妻がwebを担当しているので2人で訪れるのですが、車内に日傘を忘れたのです。

急いで駅に戻り、その旨を駅員さんに伝えました。

すると大きな運行表を持ってきて「その電車なら、今はここですね」と。


ダイヤグラムと言われる、あれです。

鉄道おたくという訳ではありませんが、何ともプロ感がでていてワクワクします。

テキパキと処理をしてくれ、出てくるかなと思いながら「帰りにまた寄ります」と言って、打合せに向かいました。

3時間後、駅に戻ると「出てきてないですね」と。

何ともったいないことを……と思っていたら、翌日は娘がiPhoneのイアホンを電車に忘れてきたと。

備品のイヤホンでなくAirPodsです。


全くウチの女性陣は、と思っていたら翌日問い合わせると「出てきました」とのこと。

無くさなければ良いのですが、無くして出てきた時の有り難さといったら……

日本に生まれたことを感謝するのです。

前漢の時代、北方の砦(塞)に住む翁が飼っていた馬が逃げてしまいました。すると塞翁は「これは幸となるだろう」と言います。

数カ月後、この馬は立派な駿馬をつれて戻ってきました。塞翁は「これは禍になるだろう」と言います。

息子がこの駿馬に乗っていた時、落馬して足を骨折してしまいます。塞翁は「幸となるだろう」と言います。

1年後に戦争が始まりますが、この怪我のため徴兵を免れたのです。

人間万事塞翁が馬。幸せも禍も間違いなく起こります。

禍があった時は未来を信じで希望を持つ。幸せな時は、調子に乗り過ぎず、禍を最小とするよう努力する。

人生の原理原則です。

これまで、この日記では拘って「コロナ下」と書いてきました。

今日はあえて「コロナ禍」と書きます。必ず駿馬をつれて来てくれるはずですから。


■■■ 軒が深いから「おいでよhouse」 ■■■
9月12日(日) 11:00~15:00 オープンハウス開催

■■■「コンクリート打放し H型プランの平屋」 ■■■

9月20日(祝・月) 11:00~15:00 オープンハウス開催

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【News】

■■■ 【ゲンバ日記チャンネル】はじめました ■■■

■■1月27日 『Best of Houzz 2021』を「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞■■ 

■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀(著)

◆メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

広く、遠く、深く‐1151‐

■■■ セブンドリーマーズ・ゴルフシャフト・梅田ラボ ■■■
「オープニングレセプション:UMEDA GALA PARTY」

時間:3/27(金)18:00-21:00
場所:〒530-0001 大阪市北区梅田 1-2-2 大阪駅前第2ビル 1F
飲み物・食べ物:無料
設計:アトリエm

 今日の大阪は雨でした。

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 しかし温かい雨で、一気に春めいてきました。

 今日はグランフロントのショールへ打合せに行っていましたが、大阪駅から北に向かうと、天井の高いアトリウム広場があります。

 アプローチしてくると一気に視界が開け、晴れの日は最高に気持ちがいいのです。

 しかし、屋根が途切れている箇所があり、微妙に傘が必要となります。もう少しガラス庇が伸びているといいのですが。

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 グランフロントから、スカイビルに挟まれる再開発エリアを見下ろします。

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 森のような公園となる予定で楽しみですが、かなり水が溜まっていました。

 この辺り、昔は湿地帯で、埋めたてて田んぼにしたので「埋田」と呼ばれていました。それが転じて「梅田」となったようです。

 この景色を見ると納得します。

 梅田1丁目は、工事真っ只中の「梅田ラボ」周辺です。しかしキタエリア一帯を梅田と呼びます。

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 初代、阪急梅田駅だった部分の広いコンコース。

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 ショーケースの中は春の花が満開でした。

乗る人がいなくて赤字になるなら、乗る客を作り出せばよい。それには沿線に人の集まる場所を作ればいいのだ。

 阪急東宝グループの創業者、小林一三の言葉です。

 乗客を作り出すために、世界初、駅が一体となった阪急百貨店、宝塚歌劇団をつくりました。

 梅田を梅田たらしめたのは、彼の功績によるところが大きいのです。

 昨年の7月から正スタッフとなったマルコ。ウェルカムパーティーと、田辺さんの誕生会を開催しました。

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 誕生会は良いとしても、入所してから9ヶ月も経ってから、ウェルカムもないのですが。

 せめてもの償いにイタリアから一緒に来ている、彼女にも参加してもらいました。

 彼女は国立大学で、先生をしており、英語、日本語も達者。イタリア人陽気で話し上手。3時間など瞬くまに過ぎました。

 「広く、遠く、深く」を実践するように心がけています。

 すぐに現出来ることは、私達以外の人が実現します。人が避けて通りたくなるような所にこそ、可能性や価値があります。

 外国人を雇用するには、ビザ取得も大変で、なにより言葉の壁があって……と想像していたので、積極的に採用しました。しかし、全くの杞憂でした。

 建築設計を生涯の仕事としたい。時間に耐えうるような素晴らしい建築を創りたいという考え方が一致していれば、障害は全くありません。

 金がないから何もできなという人間は、金があっても何もできない人間である。

 こんな言葉に背中を押されながら、仕事をしてきましたが、ようやく、続き、育って来たという実感があります。

 今年は、更に遠くへ行きたいと思います。