カテゴリー別アーカイブ: 06 スポーツ

腹はくくれているか

 土曜日の朝方、長野道を走っていると妻からメールが。

 「今強い地震きましたが、大丈夫です。びっくりした……」

 ひとまず普段通りの日常が始まった聞き、ほっとしました。

 朝方の地震はどうしても、阪神淡路大震災の朝を思い出してしまいます。

 私は奥志賀高原へ向う途中でした。昨年に続きiceteeの試合に出場するためです。

 昨年は家族全員で来たのですが、今年は長男と父の3人でした。娘は従妹と体操教室へ行くほうがいいと。

 子供が大きくなるにつて、親の意見は弱くなっていくのだなと。特に父親は。まあ、それも成長なのだと思いますが。

 20代の頃、冬になると毎週のように、試合に、練習に行っていました。

 学生の頃に達成できなかった、国体出場の夢を捨てきれ無かったのです。

 久し振りに試合へでても、すぐに熱いものが蘇ってきます。蘇ってくるのは気持ちだけですが、それもでも言い訳無用のレースは最高に楽しいものなのです。

 今日はスタッフ2人と滋賀へ行っていましたが、帰りの車で、1995年1月17日の朝の話をしました。

 東京の友人から「阪神高速が倒れてるけど、大丈夫か?」という電話が掛かってきました。しかしその時思ったのは「毎日遅いんだから、頼むから寝させてくれ」でした。心配して電話を掛けてきてくれたにも関わらず。

 また、地下鉄が動いていないと聞き「もしかして、仕事が休みになるかも」と思ったのです。本当に恥ずかしい、罰当たりな社会人1年生でした。

 幸せな仕事人生を送りたいなら、好きな事を仕事にするか、仕事を好きになるか、しかありません。好きこそものの上手なれで、好きなら努力しているとさえ思わないものです。

 自戒の念も込めてスタッフに問います。腹はくくれているのかと。

皆でいくスキー

 日曜日は朝4時に起きて、長野県木曽福島へ。

 全国的に雪予報で、中津川ICからの19号線もかなり降っていました。

 ノロノロ運転を横目に、特急しなのが通り過ぎて行きます。

 はやる気持ちもありますが、情緒ある景色だなとも思いながら。

 日帰りにつき、近場も考えました。

 しかし前日から弟家族が行っている事もあり、今回もきそふくしまスキー場になりました。

 弟のところは7歳、5歳、3歳の男・男・女。

 子供の年恰好も良く似ているのです。

 弟家の下2人も、リフトへ乗れるようになりました。

 7歳の小学生コンビは、リフト券を与えておけばどこでも滑ります。

 5歳コンビは、互いをライバル視。

 正月までは娘がリードしていましたが、今回で同じくらい滑るようになりました。

 男の子は、きっかけが掴めると上達が早いのです。

 スキーがいかにお金が掛かるスポーツ、遊びか。

 自分一人の時はさほど気になりませんでしたが、今は骨身にしみます。

 地元名物「すんき汁」の無料サービスにはすぐ並びました。

 このスキー場には、無料休憩所があり、お湯のサービスもあります。

 普段は与えていないカップラーメンですが、こんな時はOKします。

 長男がこれを凄く楽しみにしているのは複雑な気もしますが。

 5人の子供達が滑って行くのを見ると、感慨深いものもあります。

 小学生の頃、正月にバスを借り切って行くスキーツアーを楽しみにしていました。

 家族だけなら、ここまで記憶に残っていないかもしれません。

 競ったり、喧嘩したりしながら、揉まれ、成長して行くもの。核家族化が進む中、集団行動がより大切になってくるのかもしれません。
 

 なかなか余裕がなく、普段は付き合いの悪い私ですが、冬のスキー、夏の海は最優先します。懲りずに声を掛けて貰えれば……

スポーツの賞罰

 昨日は、2年生の長男が初の対外試合事でした。

 地域のサッカーチームに入っているのです。

 ミニゲーム形式で1勝5敗。

 得点も、勝った試合の1点のみと、コテンパン。力の差は歴然でした。

 皆で楽しく、という雰囲気なので仕方ないのですが、一方的になるとやはり可愛そうだと感じます。
 
 若者が自らの命を絶つという、最悪の結果が発端となった体罰の論争。
 
 多くの意見がありますが、この問題を考える時、作家・玉木正之の言う、「体育」と「スポーツ」の違いという観点は外せないと思います。

 「スポーツ」の語源で最も有力なのは「deportare」。

 ラテン語で「portare」とは運ぶという意味。荷物を運ぶ人をポーターと呼ぶように「仕事」を指します。「de」は否定で「仕事をではない」。つまり「遊び」という意味です。

 「体育」は、軍事教育の名残もあり、心と精神を鍛えるという側面があります。規律を重んじる等、良い面ありますが、あくまで教育の一環です。

 スポーツは教育の一環ではなく楽しむのが基本。学校のクラブ活動がその意味で、非常に難しいという話です。

 子供のサッカーを見ると、出来れば勝たせてあげたいと思います。それには、トレーニングも必要。特にチームスポーツは総合力で勝敗が決まるので、厳しい規律があった方が良いはず。

 イコール体罰とするのは性急ですが、大きな構図はこのようなものだと思います。

 もし、賞罰が必要なら、勝った時に共に喜ぶ、負けた時に悔しい思いをする、で十分だと思うのです。ある賞状には、こんな文言がありました。

 「希望と力に満ちた青春の日に、君が情熱を燃やし、創意をこらした結果をここに讃える。
 願わくは、スキーを生涯の友とされん事を」

 
 大学時代、どうしても欲しいと思っていた賞状ですが、残念ながら手にする事は出来ませんでした。

 教育という仕事が、本当に難しくなる中、現役の指導者は大変だと思います。しかし、ずっと好きである事に、勝るものが無いのも間違いありません。

勝つ価値、負ける価値

 今日は体育の日で、運動会シーズン真っ只中です。

 長男の小学校は先週、娘の保育園は昨日でした。長男のほうは見に行けなかったのですが、今年の徒競走は初めての1位。さて娘は。

 まずはお遊戯の出番待ちを見つからないよう、撮りに行きました。

 やや緊張の面持ちか。

 保育園の運動会は、異様なまでに熱気に包まれます。

 そいう言う私も、その1人ですが。

 年中組のお遊戯は ♪アイウォンチュー♪ AKBです。

 小2の兄とも、ダンスはとっても好きなようです。

 動きにもキレがあり、ばっちり決まっていました。

 徒競走は、同じく組に早い子がいると、聞いていました。

 スタートダッシュはまずまずの2位。

 1番手の子はグングン前に行き、激しい2番手争い。

 ん!今、手で押された!!進路妨害じゃないか!!!

 結果は惜しくも3位。でも良く頑張りました。

 運動も勉強も、勝ったり、負けたりしながら、自分に何が出来るのかを知って行くのだと思います。

 その中でも、一生懸命やって負ける事が大切だと思うようになりました。

 「自分らしいとは少々の困難があってもやり遂げたいこと」

 と聞きました。この考えが正しいなら、人に勝ることが、自分らしいとは言えません。負けても、困難でも、長く挑み続けられる。それが自分らしい事になります。人生は一
瞬の勝負ではないのです。

 先週、就職希望の若者がオープンデスクに参加することになりました。2日目の朝、出所時間を過ぎて、オープンデスクを辞退するというメールが届いていました。

 20日間のオープンデスクを完走する学生が、この数年、かなりの確率で減りました。概ね5、6割といった所でしょうか。

 辞めたい人に来て貰う理由はないので、一向に構わないのですが、私達がよほど理不尽な応対をしたのでない限り、そんなことを何度繰り返しても同じだと思います。

 辛い、大変だという過程を経ないと、自分らしい事が何かは解らないからです。

 先月あるクライアントに、私の成長を最も即したのは、スタッフを採用したことでは、と言われました。そう言って貰ったのが、まずは嬉しい事ですが、もし必要でなければ、または事務所の目標になければ、人を育てる事などやっていなかったと思います。

 私の経営理念は「人類の幸せと、文化的、文明的発展に貢献する建築を創造すると共に、逞しく活力ある仕事人を育成する」です。

 何度も若者を採用しては辞め、また採用してと繰り返しているのは、案外自分らしい事なのかもしれません。

 自分らしい。得意は好きの近くにある。荒行は続きます。

 辛いと大変と経験したい若者へ。事務所の門戸はいつも開いています。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

適者生存

 8月に入り、本当に暑い日が続きます。

 昨日はPLの花火。

 「あちこちでお茶できる家」のクライアントが、写真を送ってくれました。

 この家には、大きなルーフバルコニーがあるのです。

 この花火が、その成立に影響を与えているのですが、距離が距離だけに、なかなかの迫力ということでした。

 ロンドンオリンピックも、開幕してはや一週間。結果を新聞で見るくらいですが、やはりスペインを破ったサッカーは気になります。

 また、3大会連続の2冠を目指した水泳の北島康介選手。

 残念ながら平泳ぎ100mは5位、200mは4位。それでも3位には彼の背中を追ってきた、立石選手が入りました。

 テクニックが大きく影響する平泳ぎとは言え、29歳は体力的ピークは過ぎているはずです。それでも世界の4位ですから、素晴らしいのは間違いないのですが、もしかすると、という期待もありました。

 2年程前ですが、北島康介のメンタルをサポートした、脳科学者・林成之氏の本をまとめてみました。

 ポイントとしては、①ゴールを決めない ②コツコツやらない ③結果を求めない ですが、根源的な脳の本能、「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」に逆らわないというのが印象に残っています。

 特に「仲間になりたい」という本能は、

 地球の歴史の中で絶滅した生物の共通点は、周囲にいる仲間とうまくやっていけなかったこと

 という話を聞いた時、非常に考えさせられました。

 自分だけが良ければ良いという考えは、長期的な視野では成立しないのです。金メダルを取りたいから、ライバルや他の競技者は消えてなくなれば良い、とはならないのです。

 「弱肉強食」ではなく「適者生存」。

 昨日は岸和田へ行っていました。帰路に着くと虹がでていました。

 前回オリンピックだったか、「栄光の架け橋」という曲があったと思います。

 おそらく北島は引退するでしょう。栄光の頂点を極めた彼は、今後どのような行動を起こし、どのような人生を送るのでしょうか。

 一流のアスリートは、儚く常に尊敬に値する存在です。

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清武

 6月30日(土)は清武弘嗣の壮行試合。長居スタジアムへ行ってきました。

 ドイツ1部リーグ、ニュルンベルクへセレッソ大阪から移籍するニュースは、各紙賑わせていました。

 ロンドンオリンピック代表のエースでもある清武は、今注目の選手。

 昨日の「情熱大陸」でも取り上げられていました。

 「野球じゃなく、サッカーの清武で皆さんに知って欲しい」とは、なかなか気の利いたコメントです。とても聡明な、気持ちの良い青年でした。

 長男が小学校からチケットを申し込み、当選したのが2週間前。それが、偶然この試合だったのです。

 ともてラッキーでしたが、その分観客は凄かった。来場者数は、今季ホーム最多の36,723人。

 入場ゲートから伸びる列は、1周2.8kmある外周ランニングコースの3/4くらいまでは伸びていました。歩いても歩いても、最後尾が見えずと言う感じ。

 やっとたどり着き、雨の中列に並ぶこと1時間。ようやく入った時は、試合開始から5分後でした。

 今回は長女も初めてのサッカー観戦。グズグズ言いながらも、時々お菓子を与え、何とか機嫌よく並べたのです。

 試合はのほうは、浦和レッズの鈴木啓太が先制。

 オリンピック代表の原口元気、柏木、安部、サブに元日本代表のFW田中達也とタレント揃いで、さすがに強いな、という印象。

 壮行試合のプレッシャーでガチガチだったとは、清武の弁。その言葉通り、いつもの切れはありませんでした。

 後半36分、清武はベンチに下がったのです。しかし、負けは避けたいセレッソ。ロスタイムに柿谷が何とか押し込んで同点。

 スタジアムは一気にヒートアップしたのです。

 試合後のセレモニーでは、香川真司が登場しました。

 前の背番号8だった彼も、この7月に、ドイツでの成功を引っさげ、マンチェスター・ユナイテッドに移籍です。花束を渡しエールを送っていました。

 その後、清武の挨拶があったのですが、とても晴れやかな笑顔でした

 壮行セレモニーが終わったのは10時頃。長男も見たいと言い、手を振ってスタンドを回り終えるまで、スタジアムに居たのです。

 清武弘嗣22歳。

 昨年の12月、初めて試合を観た時からファンになりました。
この試合では、密集したゴール前をトリッキーなドリブルで横に流れ、シュートを決めました。

 完全に、動きの次元が違うレベルでした。いつか海外で活躍するのだろうと思っていたのです。なので敢えて言いたいのです。

 「真司君にできるなら、僕にもできる」ではなく「僕にはできる」と言って欲しい。

 本田圭佑、長友佑都、イチローらがこのようなことを発言することは無いはずです。頑張れ清武。ホントに応援しています。

スキーのない人生

 月曜日はスキーの事を書きました。

 今でこそ、年に数回行く程度ですが、20代の頃は試合に出るため、毎週のように出掛けていました。また、現在の仕事にも大きく関わりがあります。

 父の趣味が夏は海、冬はスキーでした。

 3歳ぐらいから何となく滑っていたと思います。

 近所でスキーをしている友達は皆無。

 父に彼らを一緒に連れていって貰った事が何度かありました。

 当然私が一番上手いことになります。

 大学に入るまで自分より上手い同級生はいないと思っていました。

 知らないという事は悪なのです。

 大学受験の際に一浪。あきらめ悪くもう一年仮面浪人しました。
 
 しかし希望の学校には合格せず。

 すでに1年通っていた近畿大学の建築学科に通うことになります。

 絶対建築家になりたいと思っていましたが、大学では体育会に入ろうとも思っていました。丸坊主が嫌で、中学で野球を辞めてしまったことを、後悔していたからです。

 それなりに自信のあった、野球、ゴルフ、スキーをピックアップしました。

 ところが近畿大学の体育会は非常にレベルが高く、概ね日本のトップレベル。2回生から入りたいという私を受け入れてくれる所はありませんでした。

 スキー部には、当時木村公宣という選手が在籍していましたが、彼はオリンピック選手だったのです。

 現役で大学に入った友人から、競技スキーはとっても面白いと聞いていました。どこも受け入れてくれなかった事を話すと「じゃあ一緒にやれば」と、声を掛けてくれたのです。

 それから、週に3回甲南大学に通うという生活が始まりました。1991年、大学2回の春の事です。

 そんな経緯で、正規の大学の試合に出れない私は、国体出場を目標に据えました。

 大阪府から国体へ行けるのは3名。
 
 大学を出てからも、30歳手前くらいまで頑張りましたが、ベストリザルトは4位。

 未だ国体へは行けていません。

 まだ諦めた訳ではありませんが、学んだこと、得たことは沢山あります。

 他大学の体育会に付いてまわるという微妙な立場で、自分の存在を認めて貰いたければ、一生懸命練習するしか無かったこと。

 もう一つは、競技スキーという割にマイナーなスポーツであったが故に、普段では知り合う事のない、多くの大学、色々な世代の人と知り合えたこと。

 これは、競技スキーに打ち込んでいると言う共通項があったからに他なりません。

 私が独立するきっかけとなった「羽衣の家」はスキー部の先輩の両親の家です。

 続く「白馬の山小屋」は、私を可愛がってくれた先輩の両親が持つ山荘の改修。更に「spoon cafe」は、スキー部の後輩の店、「生野の家」もスキークラブの先輩の家なのです。

 これらのクライアントが居なければ、早くに独立することは無かったと思います。これら競技スキーの存在を教えてくれたのが、iceteeの代表を務める中学からの友人なのです。

 もし私の人生にスキーが無かったら、という想像はしません。あらゆる縁に感謝しながらも、全ては必然だと思っているからです。
 
 また、現実こそが唯一最高の結果。それ以外は全て仮定でしかないからです。

 それらに迷いが生じたら、すぐに行動を起こすだけ。これもスキー、仕事に教えて貰った事なのです。

障がい者スポーツ

 週末は奥志賀高原へ行っていました。

 久し振りに、スキーの試合にエントリーしていたのです。

 この日の予報は晴れ。

 快晴のゲレンデほど気持ち良いところはそう無いはず。

 iceteecupの試合に出るのは2年振りです。

 この試合はハンディキャップを抱えた人と、健常者が同じセットで勝負する数少ない試合なのです。

 チェアスキーは1本の板を体重移動だけで操るのですが、皆本当によくトレーニングしています。

 驚く程巧みに、旗門を通過して行くのです。

 幼児からマスターズまで幅広い年齢層が参加するのもこの大会の特徴。

 チェアスキーのすぐあとは、幼児から小学校3年生までの部門です。

 スタート前ですが、気持ちよく長男と写真を撮ってくれました。

 ここに来ている人たちは、とにかく明るい。

 彼らの滑りを見たあと、すぐ後に長男の出走。

 小2なりに緊張していました。

 彼の名誉の為に言うと、写真で見るより斜面はきついです。

 2本合計の勝負ですが、両方とも完走しました。

 私も完走しましたが、妻は1本目で転倒。下の娘はやっぱり怖いと出走しませんでした。

 順位は今後の課題にして、来年は家族4人で出たいと思っています。

 試合の後、子供達がゴンドラに乗りたいと言いだしました。

 志賀高原は本当に広い。

 父も一緒に行ったのですが、子供たちの世話をしながらも、楽しそうに滑っていました。

 父は仲間たちとスキー倶楽部を作っていました。

 年末年始はその集まりで、ずっと志賀高原で過ごしていました。

 本当に懐かしいところなのです。

 今回で下の娘も、中級コース位まで滑れるようになりました。

 この試合を主催するiceteeは、私の友人やその仲間たちが1999年に立ち上げ、運営しています

 スタッフの多くが、大学時代のスキー部の仲間なのです。

 完全なボランティア団体で、webサイトにある理念のままに運営されているのです。

 例えば、街中を車いすで移動している人を見たとき、どこまでの気持ちでそれを見ているかは疑問です。

 同じバーンで、同じ試合に出るチェアスキーの選手を目の当たりにした時、色々な事を考えます。

 自分で家から車を運転して、ホテルにつき、チェックインして、スキーの準備をして、この急斜面にあるスタート地点まであ上がってきて……

 そんな事を考えると、愛情のようなものが湧いてきます。一所懸命生きているんだなあと。

 見る。関わる。触れる。だから感じる。

 何も手伝いは出来なかったのですが、出来る限り参加を続けようと思います。

 この場を提供し続けてくれる事に感謝しながら。

イチバーン

 昨日の夕方。近畿道に乗って高槻へ。

 妻の実家で、子供たちを預かって貰っていたのです。

 さっと雨が降り、空気が澄んでいるのが分かります。

 着くと、風呂に行って、夕食も食べて行けば、という事になりました。

 近くに銭湯は、と聞くと、高台の新興住宅街にそれはないと。

 で、スーパー銭湯に行くことになりました。先週といきなり話が合わないのですが、無いとどうにも……

 玄関先に着くと、中から力士が出てきました。

 そういえば春場所は大阪で、この日は千秋楽。

 間もなく結びの一番という時、ここに居るので、まだ正式な関取ではないのかもしれません。

 それでも大きい。

 続いてまた2人出てきて、子供はかなり喜んでいました。

 出来れば一緒に風呂に入りたかったところです。

 高槻にある「かじか荘」が宿になっているそうで、辺りには沢山ののぼりが立っていました。

 相撲の巡業は、多くのパトロンによって支えられています。そんな人がタニマチ。 

 諸説ありますが大阪市谷町に住む医師が、相撲取りからは治療代をとらなかったことが語源とも言われます。

 日本で一番高い山は?と聞かれば「富士山」と誰もが答えます。標高は3776m。では2番目に高い山は?

 答えは「北岳」、3193mです。どの位の人が答えられるでしょう、という有名な質問です。

 1980年代、「イチバーン!」の雄叫びで人気者になったハルク・ホーガンというプロレスラーがいました。支援者の為にもやるからには1番を目指して下さい。これは当然自分にも言えることですが。

 ハルク・ホーガンは、アントニオ猪木との戦いで日本での人気を不動のものにして行きます。

 1984年、蔵前国技館では猪木をアックス・ボンバーで場外失神KOに追い込みます。猪木の悲願であった初代IWGPチャンピオンの座に就いたのはあまりに有名な話。(そうでもないかもしれませんが)

 その後、彼は「ロッキー3」にも出演。本当のハリウッドスターになります。「イチバーン!」を唱え続け、本物の一番になったのです。

世界基準

 昨日は、サッカーのU23が、ロンドンオリンピック行きを決めました。

 バーレーンに2対0で快勝。ニュースで見ると、セレッソ大阪の清武も1ゴールを決めたようです。たった1回、試合を見たのみですが、今後も含めて気になる選手です。次のステージへ早く行くべき選手だと思うのです。

 春休みに入り、オープンデスク、当事務所スタッフ募集等があり、何人かの若者が出入りしています。

 オープンデスク中の学生は、模型を創るのがとても早いのです。

 昨日も初期相談のスタディ模型を2つ仕上げてくれました。

 こちらは、大阪市内の狭小住宅。

 小学1年生とくらべると失礼ですが、質もなかなかのものです。

 狭小と言っても、厳密な定義がある訳ではありません。

 概ね20坪以下もしくは15坪下を指すことが多いのです。

 この敷地、12.5坪で間口は2.7m程、かなり縦長の敷地です。

 正面から見ると、その感じが良く分かります。

 サッカーの話に戻りますが、お気に入りのwebサイトがあります。

 作家、玉木正之のサイトで時々コラムが更新されるのです。

 随分前ですが、日本サッカーについて書かれたコラムがありました。以下に要約してみます。

 日本人の「世界観」はいつも変わらない。ことサッカーワールドカップになるとメディアは「世界と闘う」というフレーズを良く使う。

 日本が世界の外部にあるかのように。

 テクニックはあるが、得点力はない。決定力不足。ミッドフィルダーは育つが、フォワードは育たない。組織プレイは巧いが、個々の突破力は無い。それが日本人、日本社会の特徴。それが「世界」とは異なる日本文化……

 野球もかつて同じような事を言われていた。

 投手も本格派は「世界」に通用しない。横手投げと下手投げなら通用する。野茂の登場までこの論調は続く。

 打者もミートの巧い好打者なら「世界」に通用するが、中軸を打つスラッガーは無理。これも松井秀喜が覆す。日本的?なイチローは桁外れの「世界記録」をうちたてた。捕手だけは「世界」に通用しない。これも城島が覆してくれた。

 現在の常識も、おそらくこの程度の事だろう。単にサッカーが下手なだけ。これも運動神経に恵まれ、技術の高い選手が数人でてくれば、解決の方向に向うだろう。

 世界の外にいるのではなく「世界の一員」として闘えば、日本のレベルがわかる。わかればそこから新たな闘いを始めるだけ。スポーツとは、そういうものだろう。

 これは日本がワールドカップの決勝トーナメントに進む前のコラムで、現状はもっと進歩しています。しかし、日本だけが世界の外にあるという考え方はやはり存在します。それは個人のレベルでも同じように。

 「関西では、大阪なら、この地域には、○○家としては、私的には……」これらの考え方は、能力を伸ばすことに繋がらないと感じます。

 良いものは良い。駄目なものは駄目。
 
 この単純な考えを自分も実践したい。また、スタッフ、若者へ少しでも伝えたい。誰もが世界の一員。誰もが自然の一部。これは間違いありません。