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内野安打

 今日は敬老の日。朝から、爽快な秋晴れです。

 岡山と香川で暮らす2人の祖母。亡くなった祖父達。そして代々命のたすきを渡してくれた全ての先祖に感謝します。

 先週はじめ、イチローが9年連続200本安打を達成しました。長いMLB(メジャーリーグベースボール)の歴史の中で、誰もがなしえなかった記録です。

 この記録が、アメリカではほとんどで取り上げられていないと伝わってきますが、そんな事はどうでも良い事です。彼が日本人であるだけで、誇らしいのですから。

 その特集番組を録画していました。一昨日それを見て、拳に力が入ると言うか、自分に激を飛ばしました。彼がずば抜けた結果を出すのは、能力は勿論ですが、その考え方から来ていると痛感したのです。

 2004年の年間262安打は世界記録と言って良いでしょう。この記録こそ、イチローが世界一のヒット職人であることを示しています。

 その彼は番組内で言いました。

 「唯一、数字で目標をあげるとすれば、安打数、200本ということになるでしょうか。もし打率を目標にすると、この打席は立ちたくない、向かいたくないと言う場面が必ず来ると思います。しかし、安打数を目標にすれば、そんな気持ちにはならない。打席に向かいたくなる。いつも楽しく野球が出来る」

 彼のヒットのうち、1/4近くが内野安打です。一般的に内野安打とは、投手に打ち取られ、詰まった打球になり、一所懸命走った結果それが安打になったという感じです。

 しかしイチローは、詰まらせてヒットにする技術があると言います。事実、難しい球はそうやってヒットにしているのです。

 ボールを捉える技術、一塁まで掛け抜けるスピード、共にメジャートップレベル。その彼が、誰もがその感覚を嫌う、詰まった当たりの内野安打までも、積極的に狙っていったなら……

 一本でも多く安打を打つのが目的なら、イチローにとっては当たり前の事なのかもしれません。しかし彼は、世界で初めて、本気で内野安打をも狙った一流打者では、と思ったのです。

 そう考えると、年間262安打、9年連続200本安打も、必然のストーリーなのかもしれません。彼はこうも言います。

 「重圧には弱いほうだと思います」

 今年3月にあったWBCの不調を指しての言葉でしたが、それでも最後には結果を出しました。何故この記録が達成できたかという記者の問いに

 「野球が好きだった事と、常に今がベストだと言える状況で、臨んでいる事が僕の強みでしょうか」

 と答えました。

 あらゆる可能性を捨てず、限界まで追求する。これを実行するのは、簡単ではありません。

 5年程前に、MLB経験のある現、楽天の中村紀洋選手がイチローに「セーフティーバントみたいな、せこい事をするな」とメッセージを送っていました。彼の意見も分からなくはありません。しかし、どちらが目的に純粋かは明らかです。

 彼は、常々準備が大切と言います。「ベストの状態で臨んでいる」と発言する事は、「言い訳しない」と言っていると同じことです。彼こそ侍。

 MLBの100年を超える歴史の中で、誰よりも目的に純粋だったのがイチローだったのでは、と思ったのです。

伊良部

 仕事を始めた時、晩酌にはビールを飲みながら、プロ野球中継を……という夢がありました。

 しかし現実はバタバタとした毎日で、適わぬまま10数年が。その間に、野茂やイチロー達のアメリカでの活躍もあり、プロ野球への興味が薄れて行ったのです。

 一昨日、小さな記事を見て、久し振りにワクワクしました。伊良部、横浜で日本球界(NPB)復帰か?とあったのです。

 伊良部秀輝は恵まれた体格を生かした本格派速球投手でした。現在も国内日本人最速は、彼の投げた158km/hです。

 ロッテのエースとして活躍。その後アメリカへ渡り名門ニューヨークヤンキースへ。メジャー数球団を経て、再び日本に戻り阪神タイガースへ。そして引退していたのです。

 引退後、5年経った今年の春、膝の故障が癒えた事もあり、アメリカ独立リーグで現役として復帰。そしてこの夏、四国・九州アイランドリーグの球団に入団していました。

 スポーツの楽しみ方には、地元チームを応援する、圧倒的なパフォーマンスが見たい等、色々あると思いますが、ストーリーを見るというのもあると思うのです。

 選手の生い立ちや、人となり、ここに至るまでの経緯や確執など、全て含めて、その人自身に興味があると言えば良いでしょうか。

 日本で最も速いボールを投げた伊良部は、無骨で無愛想です。メディアがそうしたとも言えますが、扱いはいわゆるヒール。その彼が、月給15万円の独立リーグを経験し、日本球界に復帰となると、色々な事が想像出来ます。

 野球がやれるだけで幸せ?球速は?球種は?あの態度は?オールドルーキーは通用するのか?

 興味津々です。

 一度辞めた選手の復帰するなど、まるで漫画の世界。少し前の日本球界なら考えられない事です。伊良部秀輝40歳。まだ調査段階のようですが、39歳の私は全面的に応援しています。

WBC連覇 誇らしく思う日本人として

 一昨日はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)決勝戦。見事、日本の連覇で幕を閉じました。私が振り返るのも何ですが、興奮さめやらぬ一人として。

 決勝の視聴率は36%。私の事務所でも、テレビで応援しました。

 3対2で迎えた9回裏。日本はダルビッシュにマウンドを託します。しかし韓国の粘りは強烈で、2アウトを取ったものの、1、2塁のピンチが続きます。ここで韓国は執念のレフト前ヒット。あと一歩のところで優勝がスルリと……。しかし、続くサヨナラのピンチをよく凌ぎました。

 延長戦はどう言っても先攻が不利。日本は是非とも早いうちに決着を着けたいところです。早速10回表にチャンスがやってきます。

 先頭バッターの内川がヒットで出塁。送りバント、岩村のヒットで1アウト1、3塁。代打は小技の効く川崎。絶好のチャンスでしたが、あえなく内野フライ。ため息が残る中、イチローの登場です。

 途中、岩村が2盗して2アウト2、3塁に。普通なら歩かせるこの場面で、韓国は勝負を選択します。試合後のコメントで、ベンチは勝負を避ける指示だったそうですが、そのコメントが必要だったかどうか……

 韓国バッテリーは早々に2ストライクまで追い込みます。速球をファールで粘ったイチローは、沈む球をセンター前に糸を引くよう打球。一挙に2点を勝ち越しました。

 続く10回裏。1人のランナーを出すも、ダルビッシュが抑えて連覇の偉業を成し遂げたのです。

 ずっと話題になり続けた不振のイチローもこの日は4安打。最後の最後はやってくれました。MVPは3勝負けなしの松坂。本人もコメントしていましたが、私なら岩隈、中島、青木あたりをあげたいところです。それでも数字上、妥当なところが逆に凄いとも言えますが。

 WBCの魅力は、超一流の選手が真剣であることに尽きると思います。

 例えば、ピンチの場面で内野手がマウンドに集まった時。通常のシーズンなら談笑している場面もあります。しかしこの大会ではそんな場面は見られません。皆が熱い眼差しで檄を飛ばしているのです。

 国を背負い、後が無い状況で、世界一を目指すという目標が、アスリートの心をかき立てるのでしょう。その姿は美しく、優勝を決める瞬間は、観る側にもビリビリと緊張感が伝わってきました。テレビ解説の清原和博は「僕も23年間やってきたけど、こんな場面は見たことがない」とコメントしていました。

 もうひとつ上げるなら、刹那感と言えば良いでしょうか。負ければチームは解散です。その先のない感じが何とも感情を刺激します。ショートの中島は「もっと一緒にやりたいという思いもある」とコメントしていました。

 チームワークが大切な団体競技で、一ヶ月で結束し、世界一になった日本代表。各選手の能力が一番ですが、根底には「和をもって貴しとなす」という精神があったのかもしれません。

 原監督は帰国後の会見で「スタートした時、金色や茶色だった髪が自然と黒くなったし、長い髪も短くなった。侍には、礼儀、礼節があると1つになってくれた」とありました。金髪が駄目とは思いませんが、それより大切な関係があるとしたら、それは幸せな事だと思うのです。

 この個人主義の時代に、野球は日本が世界に発信出来るスポーツなのかもしれません。

 最後に、今大会でもその存在が唯一無二で有ることを証明した松坂とイチロー。その言葉を再度転記しておきます。

松坂の座右の銘

 「目標がその日その日を支配する」

イチローの言葉

 「体がでかいことにそんなに意味はない。僕は見てのとおり、大リーグに入ってしまえば一番ちいちゃい部類。日本では、中間クラスでしたけども、大きな体ではない。そんな体でも、大リーグでこういう記録を作ることができた。これだけは、日本の子供だけではなく、アメリカの子供にも言いたい。

 『自分自身の可能性をつぶさないでほしい』――と。

 あまりにも、大きさに対するあこがれや、強さに対するあこがれが大きすぎて、自分の可能性をつぶしてしまっている人がたくさんいる。そうではなくて、自分自身の持っている能力を生かすこと、それが可能性を広げることにもつながる」

さあスキーへ

およそ2年振りにスキーへ行きました。本当に久し振りです。

 義妹の実家は長野県の木曽福島に別荘を持ちます。

 私達は今回で2回目。親族一式、総勢10名でむかいました。

 早朝に大阪を出ると、10:00am頃には到着。本格的なログハウスで、森に佇む雰囲気はなかなかのものです。

 居残り組は母と我が家の娘。

 妻は1歳の娘を母に預けてゲレンデ組。そのくらいスキーが好きなのです。

 きそふくしまスキー場までは20分程。

 気温は0℃前後で、雪質もなかなか良かったです。

 長男と甥っ子は、父のソリに引かれて、もちろんおおはしゃぎです。

 1歳の甥っ子は、完全にクマのぬいぐるみ。

 長男に、スキーをはかせてみました。

 最後はこけますが、意外と上手に滑るのです。

 むこうには雪を頂いた御嶽山。

 快晴の雪山より気持ちの良いものはそうありません。

WBCは第2ラウンドへ

 月曜日の夜は、WBC(ワールドベーボールクラシック)、第1ラウンド<東京>の決勝戦でした。

 念の為まとめておくと、野球世界一決定戦の第2回大会は、第1ラウンドに16カ国が参加。東京、メキシコ、カナダ、プエルトリコに分かれて変則トーナメントを戦い、上位2チームが勝ち抜け。第2ラウンドはアメリカのサンディエゴとアイアミに4カ国ずつ分かれて再び変則トーナメント。勝ち抜いた2カ国がロサンゼルスで決勝戦を戦うのです。

 日本、韓国、中国、台湾での第1ラウンドでは、一旦コールド勝ちをした韓国と決勝。試合は観れなかったのですが、0対1で惜敗。2位通過となりました。

 決勝進出時点で、第2ラウンド<サンディエゴ>行きを決めていますが、勝敗にも意味がありました。第1回大会で、日本は初代チャンピオンに輝いていますが、第1ラウンド、第2ラウンドで共に韓国に敗れているのです。

 決勝トーナメントでは勝利、優勝したのですが、大会後「韓国と日本は2勝1敗。真のチャンピオン決定戦を開催しよう」と主張があったくらいです。今回も再びあいまみえる第2ラウンドが見ものです。

 WBCという国際大会を、アメリカのMLB(メジャーリーグベースボール)が主宰するという、問題点もあります。しかし仮に、2大会連続で日本の優勝となると、発祥の国アメリカ、キューバ、ドミニカ、そして北京オリンピック金メダルの韓国も、おもしろいはずがありません。

 そんな事を書いているうちに、第1ラウンド<プエルトリコ>で、オールメジャーリーガーのドミニカを、オランダが破るという波乱がありました。

 ドミニカはMLB最高年棒28億円をほこるA・ロッドが欠場になったとはいえ、松阪とチームメイトでレッドソックスの主砲オルティスを始めとするオールスターチーム。随分紙面を賑わしていましたが、スポーツは何が起こるか分かりません。

 当面の目標は第2ラウンドの通過。次戦は日本時間3/16(月)5:00amから。頑張れ日本!

変わる

 何年か前、車のCMで「変わらなきゃ」「変わらなきゃも変わらなきゃ」というシリーズがありました。

 その出演者のイチロー。野球の国別対抗世界一決定戦、ワールドベースボールクラシック(WBC)には並々ならぬ意欲を見せています。3年前、第1回大会の時も「なぜこの記念すべき大会に出ない人が居るのかが僕には分からない」「運命的なものさえ感じる」といったコメントもありました。

 予選リーグで韓国に負けた時の悔しがりようは、尋常ではありませんでした。その後、アメリカの思わぬ負けもあり、日本代表は決勝戦でキューバを下し初代チャンピオンに輝きます。

 今回の第2回大会では、昨年の北京オリンピックで敗退した日本代表チーム監督の星野さん続投の雰囲気を「オリンピックのリベンジの場でない」と暗に批判する場面もありあました。

 賛否両論ありますが、それを言えるのはキャリアのピークにあるイチロー以外に無かったはずです。

 第1回大会の監督は前ソフトバンクホークス監督の王さん。生涯ホームラン数868本。世界一多くのホームランを打った偉大な選手です。今回は体調と年齢のこともあり、日本代表相談役という立場となりました。先日テレビで、長嶋茂雄さんの長男、一茂さんとの対談が流れていました。

 「人は変わる。変われるでは無く変わるんです。調子がいいからずっと同じ状態でいたいと言っても無理なんです。ならいいほうに変わろうよと、僕はいつも言ってるんですよ」

 奥行きの深い、示唆に満ちた言葉です。まさに、諸行無常の響きあり……
 
 イチロー、海を渡った松坂と役者はそろいました。WBCは3/5が開幕。決勝は3/24です。楽しみになってきました。

タイヤ 交換

 学生時代、競技スキー部にいました。赤と青の旗門を交互に通過して、タイムを競う競技です。

 当時は真剣に打ち込んでいたので、12月初めから3月末までのほとんどを雪国で過ごしました。道具が多い事もあり、ほとんどが車移動。スパクタイヤが規制されスタッドレスに変わった
頃でもありました。

 私のスタッドレスデビューは散々です。先輩のタイヤを付け替えるよう頼まれました。慎重に作業したつもりだったのですが、目的地の信州が近づいて来た最後の山道。どうもタイヤまわりで変な音がするのです。

 もう少し走っていると、明らかにボディーに何かが当る音!急いで降りてみると右後輪を止めるナットが、6本中2本しか無かったのです!!

 近くのカーディーラーで分けてもらい、事なきを得たのですが、もしタイヤが外れていたら……。考えただけでもぞっとします。

 初めて自分の車をフェリーで持っていったのは大学2回生。舞鶴からフェリーで小樽まで当時は30時間程掛かりました。そこから初めの合宿地、大雪山の北部にある北大雪スキー場を目指します。

 こう言っては失礼ですが、もう辺境の地を目指す気分でした。

 250kmの道程のうち、初めの高速道路は良いのです。旭川あたりで地道に降りると、徐々に山深くなります。標高が上がるに従って、道はカチンカチンを通り越してピカンピカン。更に九十九折。聞くと寒い時は-25℃。荷物は満載で、4人がギュウギュウ詰め。ナビも無かったので、たどり着けるのか随分不安に思ったものです。

 一番長い宿所地は、道央の歌志内市にあるかもい岳スキー場。試合が集中する3月には信州への移動しますが、その他はずっと北海道でした。日本最北端の稚内方向にある名寄ピアシリスキー場、幌加内のほろたちスキー場など、クラブ入っていなければ絶対行かないようなスキー場を転々と移動しながら、正月も練習を続けたのです。

 重さが無い雪、冷え切った快晴の朝一番のゲレンデ、寂れた町の居酒屋。すぐにでも行きたくなりました。

 昨年シーズンは長女の出産もあり、初めてスキーに行きませんでした。今シーズンは何とか行きたいと思いますが、タイヤはディーラーで交換して貰います。

北海道内での位置

座右の銘

 大阪は快晴の朝。海の向こう、アメリカメジャーリーグではワールドシリーズが行われています。

 レイズの岩村、フィリーズの田口と日本人2選手も出場していますが、あと一歩のところで出場を逃した、レッドソックス松坂大輔投手について。

 今シーズンの成績は18勝3敗。メジャー2年目にして申し分のない成績です。今年6月の新聞記事にこうありました。

 レッドソックス入団を決めた2006年12月の会見で「夢がかなったか」の問いに「見ることはできてもかなわないのが夢。ぼくはここで投げられると信じて目標にしてきたからここにいるのだと思う」

 夢の語源は「寝(い)」+「目(め)」寝ながら見るもの。夢などというあまっちょろいものと違うという意思表示だったのだ。 

 松坂の座右の銘は後藤静香の詩「第一歩」にある「目標がその日その日を支配する」

 2008/6/3 産経新聞より

 28歳の彼は、いつもニコニコしていますが、流石に素晴らしい座右の銘を持っています。

イチローの発言などもあり、監督問題で揺れている来春のワールドベースボールクラシック。記念すべき第一回大会の優勝国として、そのMVP選手として、3年前を上回る活躍を是非期待します。

 「目標がその日その日を支配する」

そう、志が自分の人生を決めるのだと、再確認して今週の始まりです。

オリンピック閉幕、ある金メダルへの後日談

 この日曜日に、北京オリンピックが閉幕しました。

 ちらちらとニュースで見た位ですが、それでも短距離100m、ウサイン・ボルトの世界新記録、水泳マイケル・フェルプスの8冠など、その熱気は自然と伝わってきます。

 日本選手団では、平泳ぎで2種目2連覇の北島康介、女子ソフトボールの金メダルなどがありました。

 その女子ソフトボールチームが金メダル獲得するまでの軌跡をニュースで特集されていました。エース上野投手のインタビューがとても興味深かったのです。

日本チームは過去3回のオリンピックにおいて、あと一歩で金メダルを逃しています。おそらく最終関門は、3大会連続金メダルのアメリカ。それは現実となりました。

 アメリカチームのキャラクターは際立っています。エースはライズボールとドロップを操る身長187cmのサウスポー。4番打者は絵に描いたような巨漢ホームランバッター。2人ともアニメの世界から出てきたような雰囲気です。決勝戦でも、この怪力4番バッターは当てただけで、スタンドまでもって行きました。

 上野投手はその王者アメリカを倒す為だけに、自分のもち球に無かった「シュート」を練習します。そしてこの舞台まで一切を秘密にし、隠してきたと言うのです。

 そして決勝戦のここぞという場面でそのシュートを投げ、見事アメリカの強打者をねじ伏せました。

 もし、日本のプロ野球選手がそんなことをしたら「ペナントレースも全力で戦え」と、非難されるかもしれません。

 「スポーツ」の語源で最も有力なのは「deportare」だそうです。ラテン語で「portare」とは運ぶことで、「仕事」のこと。<de>は否定で「仕事をしない」。「遊び」という意味なのです。

 決して上野選手が遊びでそれまでの試合に挑んだという訳ではありません。しかし、もしソフトボールがプロ化されていたら、このような話は生まれなかったはずです。

 世界最高の舞台まで隠してきた秘密兵器で、最強の敵を薙ぎ倒す。そんな劇画のようなことが有りえるのだと、聞いているだけでワクワクしました。これこそスポーツの醍醐味、そして夢の祭典です。

 そのソフトボールと野球が次回から正式種目から消えてしまいます。こんな話しを、本当に夢にしてしまって良いのかどうか……

草野球

 昨日、長男と公園に行くと隣で、ソフトボールの試合をしていました。二人で少しの間、見ていました。

 中学校まではずっと野球部で、小学校の時はソフトボールも掛け持ちでやっていました。

 長らく試合などしていませんが、久しぶりにやってみたいと思いました。いい歳した大人が、最低でも18人集まるのは大変だと思いますが、互いに野次りあいながら進む試合が、とても良いものに思えたのです。

 野球はショートでした。三遊間のゴロを逆シングルで捕り、素早く一塁に送球すると、間一髪でアウト。体がどのくらい動くか分かりませんが、そんな想像をしていました。

 長男が大きくなったらキャッチボールでも、と思うのですが近頃の公園は大体球技禁止です。狭いところに赤ちゃんから小学生くらいまでが、ひしめき合って遊んでいるのですから仕方ありません。

 しかし、何とかしないとただでさえ少ない子供が、野球やサッカーをすることが無くなってしまいます。当たり前ですが、スポーツの醍醐味は、もし人に当たった……という場所では感じられないものです。