スポーツの賞罰

 昨日は、2年生の長男が初の対外試合事でした。

 地域のサッカーチームに入っているのです。

 ミニゲーム形式で1勝5敗。

 得点も、勝った試合の1点のみと、コテンパン。力の差は歴然でした。

 皆で楽しく、という雰囲気なので仕方ないのですが、一方的になるとやはり可愛そうだと感じます。
 
 若者が自らの命を絶つという、最悪の結果が発端となった体罰の論争。
 
 多くの意見がありますが、この問題を考える時、作家・玉木正之の言う、「体育」と「スポーツ」の違いという観点は外せないと思います。

 「スポーツ」の語源で最も有力なのは「deportare」。

 ラテン語で「portare」とは運ぶという意味。荷物を運ぶ人をポーターと呼ぶように「仕事」を指します。「de」は否定で「仕事をではない」。つまり「遊び」という意味です。

 「体育」は、軍事教育の名残もあり、心と精神を鍛えるという側面があります。規律を重んじる等、良い面ありますが、あくまで教育の一環です。

 スポーツは教育の一環ではなく楽しむのが基本。学校のクラブ活動がその意味で、非常に難しいという話です。

 子供のサッカーを見ると、出来れば勝たせてあげたいと思います。それには、トレーニングも必要。特にチームスポーツは総合力で勝敗が決まるので、厳しい規律があった方が良いはず。

 イコール体罰とするのは性急ですが、大きな構図はこのようなものだと思います。

 もし、賞罰が必要なら、勝った時に共に喜ぶ、負けた時に悔しい思いをする、で十分だと思うのです。ある賞状には、こんな文言がありました。

 「希望と力に満ちた青春の日に、君が情熱を燃やし、創意をこらした結果をここに讃える。
 願わくは、スキーを生涯の友とされん事を」

 
 大学時代、どうしても欲しいと思っていた賞状ですが、残念ながら手にする事は出来ませんでした。

 教育という仕事が、本当に難しくなる中、現役の指導者は大変だと思います。しかし、ずっと好きである事に、勝るものが無いのも間違いありません。

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