
20日程、大阪に駐艇していた愛艇ですが、先の連休中に池原ダムに戻してきました。
大阪を発つ前にもう一度UPします。
何度もすみません。
ちなみに船名は『Char』。
そう、赤い彗星の『シャー』から取ったのですが、その由来が気になる奇特な方は以下をご覧ください。
スケジュールの関係で、この日は行って帰るだけ。

純粋な山道ドライブです。
行きは吉野川を左手に169号線、熊野街道をひたすら南下。

帰りは吉野川を右手にひたすら北上します。
紅葉とはいかないまでも、広葉樹は葉が色づき始め、風も爽快です。

何百回と往復した、通勤路のような道程ですが、快晴時に走るのはやはり格別。
大阪に近づくと、徐々に建造物が増えてきます。
ここは何度か紹介したことがありますが、2013年の大滝ダム完成後に地すべりが発生し、村ごとの移転を強いられたのが白屋地区。

住民の生活道路となる予定だった立派な斜張橋が、より哀愁を漂わせています。

連休中だったので、渋滞につかまるのを避けたく、とんぼ返りで明日香村あたりまで戻ってきました。
それでも169号線が少し混みだしたので、県道にそれて、遅めの昼食を取りました。
その時の周辺風景の美しかったこと……
再出発して、車窓を楽しんでいると「水平社博物館」という看板が見えました。
抜け道も、ありとあらゆるルートを通っているので、その存在は知っていましたが立ち寄ったことはありません。

「水平社」については、教科書にも出てきたと思います。
早めに戻る予定でしたが、この機会を逃したら一生訪れないかもと思い立ち寄ってみました。

1922年3月3日、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と高らかに人間の尊厳と平等をうたい上げて、全国水平社は創立されました。
水平社博物館のWebサイトの説明は、この文章から始まっています。
その際に発せられたのが「水平社宣言」です。
「人間は生まれながらにして平等な存在である」という理念から「水平社」と名付けられ、宣言の最後はWebサイト冒頭の言葉で結ばれます。
これらは、日本で最初の人権宣言といわれます。

創設者のひとりだった西光万吉(さいこうまんきち)の実家である西光寺は、水平社博物館の真向かいにあります。
被差別部落の問題は、繊細な話なのでなかなか議論しにくいものがあります。
浅はかな知識で書くべきではないかもしれませんが、人が住む地域や、職業によって差別される理由は微塵もありません。
ましてや、人が嫌がる仕事を引き受けていた人に対して、差別をするなど言語道断なのは、子供でも分かる話です。

Webサイトには、1985年「水平社博物館(当時は「水平社歴史館」)」の設立の経緯も記されていました。
1986年、水平社発祥の地、奈良県御所市柏原で地区改良事業が着手され景観が変貌するにつれ、水平社魂の希薄化が危惧されました。ここ柏原をぬきに水平社を語ることはできず、それゆえにこの地の闘いの歴史を永遠に残したい気持ちに駆られるのは当然のことであろうと思われます。
見れば見るほど美しい農村風景。まさに日本の原風景と言ってよいものだと思います。
この地にそんな理不尽な過去があったとは信じがたいですが、史実であることを目の当たりにしてきました。
人を見下したい人がゼロになることは無いでしょう。また、自分の中にそういった心がゼロだと、胸を張って言える自信もありません。
ただ、それが格好悪いと思っていることは間違いありません。
名を名乗り、素性を明かし、差別を受けている人たちのために戦った「この地の闘いの歴史」をみることは、何事にも少し勇気を与えてくれる気がします。
素晴らしい景色とともに、是非一度訪問ください。
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