タグ別アーカイブ: 昭和

昭和な町、昭和町で昭和を考える‐1620‐

 9月9日なので「救急の日」。これは容易に想像できます。

 陰陽思想では奇数を陽とすることから、また9が極数であることから「重陽(ちょうよう)」というそうです。

 奇数が重なる日は強すぎて不吉。反対に吉。両方の解釈があるようです。さて、今日はどちらの一日だったでしょうか。

 先週金曜日、昭和町に行く用事がありました。

 あびこ筋と松虫通りの交差点に地下鉄の駅があります。

 「阿倍野の長屋」の現場に通う際、いつもこの前を通っていました。

 北西角にある「ハンバーグレストランBOSTON」。とても気になっていたのです。

 古き良き洋食屋さんといった感じで、入ってみたくなります。

 webサイトを見ると、昭和27年創業で系列店が10店舗ある老舗店でした。

 特にハンバーグが好きな訳ではありませんが、雰囲気、漂ってくる芳ばしい匂いに誘われるのです。

 隣の「大阪ヨーグルトケーキ」も同じ系列店でした。

 裏通りをのぞくと、趣のある長屋が見えました。

 登録有形文化財の「寺西家阿倍野長屋」でした。

 名前は知っていたのですが、どこにあるかは知らなかったのです。

 昭和7年の建物で築89年。

 近くには蔵を改装した蕎麦屋さんも。

 西へ向かって歩いていくと、1m程の大きな段差があります。

 その突き当りにも店舗が並びます。

 「坂の上のそばや」とは、なかなか気の利いたネーミングです。

 出汁の香りが漂ってきます。

 ハルカスまで御堂筋線で一駅。

 街遊びが好きな人にはとても住みやすい所だと思います。

 私は昭和45年生まれなので、昭和を18年、平成を30年、令和を4ヵ月生きました。

 昭和が63年と長かったので、3つの年号を生きるとは想像もしていませんでした。

 平成が30年と一番長いのですが、やはり昭和が色濃くしみ込んでいる気がします。

 昭和の香りと言いますが、それは「木の香り」であり「出汁の香り」かもしれません。

 トゲが立つかもしれない木が、むき出しで使われているのが当たり前。よって香りは立ちます。

 くたびれた畳のイグサがズボンにつくのも当たり前。ズボンという表現も、昭和でしょう。

 昭和は「自己責任の時代」だったとも言えそうです。

 令和でも、ホテルでも出汁は取ると思いますが、民宿に泊まった時、夕飯時に漂ってくるその香りにホッとするのです。

 今日は、グランフロントの サンワカンパニーでの「無料相談会」にでていました。

 パネルなども持参するので、結構な荷物になります。

 キャリーバッグも引いていたので、エレベーターを待っていると、80歳くらいの女性一行が、私の前に回り込み、先に乗ってしまいました。

 別に法律違反でもありませんし、ムッとするほどのことではありませんが、この年代の人には結構あることだと思います。

 電車に乗るときも同じで、お急ぎならお譲りしますが、子供達の見本になりましょうね、とは思います。

 若い人でも順番を守らない人はいるので、一概には言えませんが、昭和は「競争の時代」だったと言えそうです。

 戦争、敗戦を経験し、その後の高度成長期を生きたのが、昭和前半生まれの人達。良く言えばバイタリティがある。悪く言えばモラルが低い。

 ここまで書いてしまって良いのでしょうか(笑)

 しかし、決して上っ面でない競争を経験してきたのは間違いないでしょう。

 それなら順番ぐらい譲ってあげなさいということになるかもしれませんが。

 これは昭和町でなく、平野で見た看板です。何故だか私にとっての昭和は、こんな感じです。

 メンテナンスが必要な家に住み、激しい競争にさらされ、出汁の利いた食事で育った昭和の人々。

 そう書くと、果たして自分がどっぷり昭和なのか分からなくなってきました。

 人を種類に分けることはできませんが、魚の味が水に左右されるように、時代の気分に影響されるのは間違いありません。

 昭和を語るキーワードは、競争と自己責任のような気がするのです。

■■■『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』2019年9月30日発売に「回遊できる家」掲載

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【Events】
■9月15日(日) 9:00~12:00 高槻高校文化祭にて
「頼れる卒業生」による無料相談コーナーに参加

【News】
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

昭和という時代‐1476‐

 先週は、木曜日と日曜日に撮影がありました。

 昨日は、トレジャーキッズたかどの保育園でした。

 一度、曇天で延期しましたが、やはり白い外壁の建物は青い空が望ましいもの。

 もっと青くても良いのですが、贅沢ばかりも言っていられません。

 芝生も根付きだし、青々とています。

 芝生のにおいに、バッタ取りをしていた40年前の記憶が一気に蘇ってきます。

 草むらのない時代、泥んこになって遊べる、大きな砂場と芝生だけの園庭としました。

 泥んこになった園児が、さっとシャワーを浴びれるスペースもあります。しかも温水付き。

 カートや三輪車も揃っており、子供たちの声が聞こえてきそう。

 しかし面積が600㎡を超えてくると、撮影はなかなかに大変です。

 何とか午前の部を終え昼食へ。

 昼食は、カメラマンの平井さんも一緒に取りますが、すぐに目に入った中華料理店へ。

 なかなか感じがでています。

 炭水化物+炭水化物のラーメン、焼き飯セットが600円。その他の定食は概ね500円とかなり安い。

 栄養は偏っていますが、こんな時はOKだろうと皆ラーメン、焼き飯セットを。

 昔ながらの醤油ラーメンと、焼き飯は少しウースターソースが入っている感じです。

 昔は何でもウースターソースを掛けたもの。(うちだけ?)

 創業40年とのことで、間違いなく昭和の味。当たりでした。

 食後すぐに現場に戻り、何とか一通り撮影を終えたのが夕方4時半頃でした。

 少し休憩をして、夕景の撮影が始まる前に、辺りをぶらっと歩いてみます。

 なぜこうも下町にときめくのか。

 確実に昭和40年代、50年代の雰囲気です。

 確実に、時計に価値があった時代がありました。

 この店の看板猫。

 さらに歩いていると、千林商店街が見えてきました。

 千林商店街といえば、ダイエー創業の地です。

 1957年、昭和32年に「主婦の店・大栄薬局店」がこの地にオープンしました。

 どこかに手掛かりがあるかなと探しましたが、何も発見することはできず、端まできました。

 ダイエーの栄枯盛衰に、再度触れるのはやめておきますが、夕日もあってか何となく物悲しい気分に。

 夕景を全て撮り終え、片付けが終わったのが8時前。

 朝からほぼ休みなく撮影し、もうヘトヘトでした。

 1989年、平成1年は18歳の時に予備校で迎えたので、私は昭和の人間と言えます。

 昭和という時代の表現は色々ありますが、私は「報われる時代」だと考えています。

 もしくは、「報われると考えることができる時代」と言い換えてよいかもしれません。

 ヘトヘトだとすれば、必ずいいことがあると思えます。

 反対の言い方をすれば、ヘトヘトでなければ、ちょっと物足りません。

 高度成長期の昭和の終盤、人口が減少曲線を描き始める平成の、両方を生きさせて貰ったから、余計に強調したくなるのかもしれません。

 勿論、昭和を生きなければ夢を見れない訳ではありません。それは、例えば大谷翔平選手が軽々と証明してくれます。

 要は、自分の生きた時代、また、自分の暮らしした環境の中で、自らのストロングポイントを探し、磨くしかないのです。

 世には五月病という言葉があります。

 新一年生には、そんな言葉なんかに微塵も左右されないくらい、懸命に働いて欲しいと思うのです。
 
 働くことが最も最も尊い行いなのは、いつの時代も変わらないはずですから。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記<</a