価格破壊‐1086‐

 月曜日に、「柏の家」のクライアントから梨が届きました。

 千葉県の白井市とあります。確かご主人の出身地。
調べると梨の名産地のようです。

 千葉県が収穫量日本一という事も初めて知りました。

 直販所などから送って貰ったのでしょうか。瑞々しく、爽やかな甘さ。
結構な値段だったのではと気になります。

 このところ、城山三郎の経済小説を3冊続けて読みました。

「粗にして野だが卑ではない」 1988年
「男子の本懐」 1980年
「価格破壊」 1969年

 時代を遡るように読んだのですが、最後の「価格破壊」が群を抜いていました。

 町の薬屋から流通業界に革命を起こした矢口。ダイエーの創業者、中内功がモデルと言われます。

 フィクションとは言え、いかにして彼が流通革命を起こしたかが、綿密に描かれています。

 1950年代、薬品、家電など、メーカーの力が圧倒的に強いものでした。卸、小売業者に販売価格を指示し、守らせていたのです。再販売価格維持、いわゆる再販維持制度です。

 また、値引き巾も上限を決めれており、これを破ると商品を卸さないなどのペナルティーが課されました。

 メーカー、問屋、小売の3者が安定した利益を得る為、足並みを揃えていたのです。

 作中、矢口率いるスーパー「アロー」は、決められた値引き巾を大きく越え、目玉商品を売り続けます。やがて、製薬会社は商品を卸さなくなります。

 それでも全国の現金問屋をめぐり、商品を仕入れ、販売を続ける矢口。消費者の支持をえ、販売力が増すと共に、業界への影響力も増して行くのです。

 ダイエーの売上げは伸び続け、1972年に三越を抜き小売業日本一になります。しかしバブル崩壊後の経営悪化は周知の通り。

「ダイエーは何でもあるけど、欲しいものは何にもない」

 晩年、中内は「消費者が見えなくなった」と言ったそうです。

 消費者には二面性があります。安いほうがいい。価値があれば、少々高くても欲しい。どちらも本心で、時代の気分、それぞれの状況によって、その間を揺れているのです。

13  コンビニまで100円とは、本当に物の安い時代になりました。
支持され続ける為に、最も必要なものは。

 真っ直ぐに現実を見れる目と、変化する勇気。この2つなのではと思っています。

 矢口の原動力は、激戦地フィリピンで生死の境をさ迷った経験から来るものでした。

 どんな運転技術があっても、車が動いていなければ、その価値はありません。

 明治、大正から昭和初期のエネルギッシュな成功者に共通しているのは、この「動く」ということに尽きると思います。

 自ず、物に恵まれた時代に生れた私達に欠けやすいものだと思います。

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