カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

秋の根来寺‐1328‐ 

 昨日は勤労感謝の日でした。

 世のお父さん、お母さんは感謝して貰ったでしょうか。

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 年賀状の家族写真がないと、慌てて紅葉狩りへ。近場で探したところ、根来寺にしました。

 しかし、色づき始めの情報通り、少し早かったようです。

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 緑があるのも美しいのですが、やはり紅葉は晴れに限ります。

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 根来寺のwebサイトにはこうありました。

 高野山の学僧でもあった覚鑁(かくばん)上人によって開創された新義真言宗の総本山。

 興教大師の御廟(お墓)を守り続けております。開山以来、約900年の伝統を誇り、山内には日本最大の木造の『大毘廬遮那法界体性塔』(だいびるしゃなほっかいたいしょうとう)通称「大塔」のほか、大伝法堂には重要文化財の本尊大日如来(だいにちにょらい)・金剛薩埵(こんごうさった)・尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)の三体が奉安されています。

 また、こうもあります。

 空海が入定後、約300年後高野山で真言密教を修めた覚鑁は、教学復興の拠点として現在の位置に根來寺を開かれました。

 その後、多くの大徳が覚鑁の教えを守り、その学風は隆盛を極められた。天正の頃、勢力の拡大を恐れた豊臣秀吉に攻められ多くのお堂や経文、宝物を焼かれてしまいました。

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 1585年の秀吉の攻撃によって、根来一山はほとんどの建物が焼失しましたが、この大塔は戦禍を免れました。

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 1547年に完成した、高さ36mに巨大な木造建築で、国宝に指定されています。

 「勢力拡大を恐れた豊臣秀吉に攻められ」とありますが、秀吉とて、ただ信仰に厚いだけの寺を攻める必要はありません。

 根来寺では、根来衆と呼ばれる僧兵集団が形成されていました。

 更に西、紀の川河口あたりを拠点とする雑賀衆とともに、いち早く鉄砲を取り入れたことで、傭兵集団として何度か戦国史に顔を現します。

 寺院に傭兵集団は褒められたものではない気がしますが、信長、秀吉を恐れさせた寺があったなど、痛快な気さえします。

 信仰、信念、使命感など、心が人をそこまで強くするのでしょう。

 もう20年以上も前、当時流行っていた動物占いで、「馬」は「仕事」を表すと聞きました。

 言い得て妙だと思います。

 その馬が、道産子であれ、ポニーであれ、ロバであれ、自分の仕事を信じ、駆け抜けると決めるしかありません。

 信じるものは救われる。

 信じた全員が救われるかは分かりませんが、信じないものが救われないのは間違いありません。
 

押し、押し、押しの一手だ‐1324‐  

 ドナルド・トランプ、アメリカ合衆国大統領が誕生しました。

 「第二次・安倍内閣誕生」と一面にあっても驚きませんが、今朝の新聞は二度見してしまいました。

 新聞コメントの揚げ足をとるのが趣味ではありませんが、アメリカ人タレントが「アメリカの経済をリセットして欲しい」とコメントしていました。

 実行力のある、強いリーダーは必要です。しかし人類とは誕生した時から綿々と受け継がれてきた命ですし、経済活動もまた同じ。

 ゲームではないので、リセットなど勿論できません。

 良い所は活かしながら、負の遺産があるなら、現在生きる私達が補うしかありません。誰かが解決してくれる訳ではないのですから。

 トランプ氏の話はまた最後に。

 先週の日曜日は、年内2日しかない長男の休日でした。

 どこに連れていこうかと考えた末、四日市まで出掛けることに。

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 三重県四日市市は、県庁所在地である津市を凌ぐ人口をかかえます。

 名古屋からも近く、室町時代にはすでに「四」の付く日に、市が立っていたとあるとおり、交通の要所でもありました。

 私達の目的は、鈴鹿山脈の麓に広がる、四日市スポーツランド。

 「東海アスレチック部門、第2位」の文字に惹かれました。

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 身軽な小学生2人。

 段々、ついていくのがやっと、という感じに。嬉しい反面、情けなくもあり……

 1周50分。歯ごたえ十分のアスレチックでした。

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 昼食は炉を借りてバーベキュー。

 園の人に「四日市って、どんな町ですか」と聞くと、「お茶が有名かなあ」と。

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 伊勢茶で知られる通り、あたりの水沢(すいざわ)地区は、「被せ茶」が有名なようです。

 「被せ茶」とはその名の通り、収穫前に日光を遮り、渋みを減らす生産技術。

 抹茶や玉露なども、この方法で作られるそうです。

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 もうひとつは、「やはり、四日市ぜんそくなんだろうね」とも。

 四大公害は、熊本の「水俣病」、新潟の「第二水俣病」、富山の「イタイイタイ病」、そして「四日市ぜんそく」です。

 1960年代、四日市市には日本で初めて本格的な石油コンビナートがつくられました。

 石油精製にあたり発生する有害物質が、深刻な喘息を引き起こし、犠牲者は1000人にのぼりました。

 福島原発の問題も、四日市ぜんそくも、私の住む大阪に、直接の被害があったとは言えません。

 しかし、同じ地球で暮らす以上、空も海も繋がっています。実数値は別にして、やはや影響はあります。経済活動で言えば、確実にあったと言えます。

 アメリカ国民が決めた結論を日本人の私がとやかく言う権利はありません。

 近所の住民と家族のどちらが大事かと言えば勿論家族ですが、ご近所さんも、親類も二の次でという考え方が、輸入輸出で成り立っている現代社会ではたして成立するのか。

 2012年発売の「人生はワンチャンス!」という本にトランプ氏の言葉が載っていました。

 経験と実績がない場合、エネルギーと情熱を売り込むべきだ。

 求めるものを手に入れるためには押し、押し、押しの一手だ。

 -ドナルド・トランプ-  アメリカの不動産投資家 

 本の中では不動産投資家だった肩書が、「アメリカ合衆国第45代大統領」に変わりました。

 松下幸之助翁も「この世に起こることは全て必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる」言っています。

 自らの言葉を地で行き、アメリカンドリームを手にした70歳の富豪を称賛すべきなのでしょうか。

 批判が目的ではありません。醜い舌戦はここまでにして、そのバイタリティを(多少お下品でも)アメリカの、世界の明るい未来に活かして欲しいのです。

施政者、太閤・秀吉を見習うべき‐1323‐

 ブラブラ、タモリが歩くからブラタモリ。

 なんとも安易なタイトルですが、楽しみにしている番組です。

 先週土曜日は大阪でした。

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 NHKによる圧倒的なリサーチと、専門家によるアテンドで、面白いに決まっているのですが、私が理想とする街の歩き方でもあります。

 地形、歴史から街を解き明かしていく過程が、最高に面白いのです。

 大阪のスタートはあべのハルカスからでした。

 60階の展望台から、上町台地を望みます。

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 縄文時代の地形と合わせ、上町台地の両岸が海だったという説明がありました。

 大坂城は上町台地の先端に建っています。

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 この地形が分かると、大阪の街歩きは更に面白いのです。

 これらのことは何度が触れたことがありますが、ここからの展開が流石でした。

 秀吉が整備した城下町は、天満橋、北浜へと西へ広がっていきます。

 これらの町は、通りを挟んだ南北が同じ町名になっています。町の境界は建物の背中側になっているのです。

 通りとの反対、背の部分に町の境界があるので「背割」。

 そこに通っていた下水が「背割下水」または「太閤下水」というのです。

 言葉は知っていましたが、理由を聞きいて、「流石は太閤・秀吉」と膝を打ちたくなりました。

 向かい同士で同じ町名のほうが一体感がでるだろうし、見せたくないものを裏手に回す、都市計画だったのです。

 現在工事中で、このような条件の現場があります。

 元々通りの反対側に、下水があったそうです。

 その道の専門家ではありませんが、地域的にみても太閤下水だった可能性もあるのではと思っています。

 この建物、現在の法の下では新築もままならない中、何とか躯体を残しフルリノベーションをしている最中でした。

 しかし、市から「敷地境界を越境しているのではないか」とストップがかかりました。

 確かに公図を調べると、裏路地は市の所有となっています。

 しかしクライアントに聞くと、官民の境界など元々なく、慣習で路地を残しているとのこと。

 元の通り建てるだけなので勿論越境などありませんが、境界が明確でないのに越境とはどういうことなのか。

 最終的には、現状を説明し、問題なく工事を再開したのですが、行政とはいったい何なのかと思います。

 倒壊の危険がある建物を何とかしたいというクライアトを助ける為、現場は懸命に動いています。

 しかし、簡単にクライアントや現場を呼び出し、ストップをかけます。

 そもそも、税金を払っているのはこちら側で、足を運ぶのはそちらではないかと思うのです。

 豊洲市場の問題は、新聞以上のことは知りませんが、石原慎太郎が「東京は伏魔殿だ」と言ったとありました。

 また、田中真紀子元議員も「外務省は伏魔殿」と言いました。

 誰が正しいのかは分かりませんが、伏魔殿とは、広辞苑にこうあります。

 悪魔の隠れている殿堂。悪事・陰謀などが陰で絶えずたくらまれているところ。

 本当にそうではないと、市民、都民、国民が思えるとよう、本気で考えて貰いたいのです。

 繰り返しますが、その給料は一般市民が払っている税金からでているのです。

 信長も秀吉も、楽市楽座の通り、少しも多くの商人を、城下町に集める為、知恵を絞ったはずです。

 施政者、太閤・秀吉を見習うべきだと思うのです。

美濃に燃ゆ、信長の野望‐1322‐ 

 11月に入り、今年も残すところ2ヵ月となりました。

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 今日、文化の日は朝一番の新幹線で岐阜羽島へ。

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 車では通過するものの、本格的に岐阜に来たのは学生時代以来でしょうか。

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 赤い車両の名鉄に乗り、岐阜の中心へ向かいます。

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 まずはアクア・トト ぎふへ。

 世界最大級の淡水水族館です。

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 淡水ゆえ、派手さはありません。

 しかし、それはそれでのんびりした雰囲気も悪くありませんでした。

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見せ場はやはり世界最大の淡水魚ピラルクー。

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 その深いシワは老人のようでもあり、なかなかの迫力。

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 エサやりタイムは更に迫力がありました。

 魚の切り身を食べる姿は、まさに獰猛なワニそのもの。

 肉食魚で、作家・開高健はルアーで釣り上げていましたが、これは引くでしょう。

 アクア・トト ぎふは、かなり良い評判を聞いていたので、正直言えばもっと期待していました。

もうひと押しを期待したいところです。
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 ここからは私の趣味に娘に付き合ってもらいます。

 長良川沿いに建つ、長良川国際会議場。 安藤忠雄の設計で、1995年の完成です。

 安藤の提案していたアーバンエッグは鹿児島大学だけで実現したのだと思っていました。

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 外観はモザイクタイルが貼られていましたが、これは竣工当時のままなのか。

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 鹿児島大学の稲盛会館のように卵型の空間があるのかは確認出来ませんでした。

 それはやや残念でしたが、存在感は圧倒的でした。

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 そこから長良川を挟んで見上げる金華山。

 その頂上に見えるのが岐阜城です。

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 ロープウェイで登れるのですが、標高329mにまさにそびえたっています。

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 山頂駅を降りてからも険しい階段が続き、こんなところを、攻め落とせる訳がない気がしてきます。

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 1567年、信長はこの城を攻め落とし、美濃を制定しました。

 そして「天下布武(てんかふぶ)」の印を使い始めます。

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 地名も「岐阜」と変え、武力で天下統一を果たすという意思を世に示したのです。

 長良川と濃尾平野を見下ろす景色は、まさに天下統一を目の前に、信長が見た景色でした。

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 司馬遼太郎の「国盗り物語」は、一介の油売りから身を起こした斎藤道三が、美濃の国を盗み取るのが前半。

 後半は、娘婿となった信長が、天下統一への道をひた走るという歴史小説です。

 司馬遼太郎作品の中でもベスト3に入る面白さだと思っていますが、岐阜は間違いなく日本の中心だったのです。

 一日岐阜を回り、本当に美しい、豊かな町だと感じました。

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 見渡す限りの広大な平野に、突然緑深い山が現れます。

 その間を縫うように、長良川が流れる景色は、由緒正しき日本と言えます。

 広く、美しく、水が美しい。

 海運だけがウィークポイントでしょうか。

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 金華山はもとは青葉山と呼ばれていました。

 燃えるような夕日を浴びた姿をみて、金華山と改めたそうです。

 私なりに、美濃に燃え立つ、信長の野望を感じた旅でした。

 名古屋にしろ、岐阜にしろ、なんとも魅力的な街でした。東海地方もなかなか面白い。

『住人十色』放送後のたくらみ‐1319‐

 10月21日(金)14時7分に、鳥取で震度6弱の地震が発生。

 熊本地震から半年が過ぎたというニュースがあったばかりでした。

 現在、全壊2棟、半壊3棟は、家屋の強度、地盤の良さが影響しているのではというコメントがありました。

 しかし、5つの家族にとっては大変なことです。支援活動の要請があれば出来るだけ参加したいと思っています。

 鳥取は、3年前の夏休みにゆっくり回りました。

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 境港の水木しげるロード。

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 草原に浮かぶ大山。

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 皆生(かいけ)温泉で食べた魚は本当に美味しかった。

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 東伯郡三朝町にある投げ入れ堂。

 長男と険しい参道を登ったのですが、白壁が落ちたという報道があった倉吉町のすぐ南です。

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 そして鳥取砂丘。アリジゴクを探す旅でもありました。

 地震国日本。その厳しさと私達日本人は付き合って生きてきました。宿命は背負う他ありません。

 家族で出掛けた旅を考える時、何故かこの旅を思い出すことが多いのです。

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 山陰の、美しさ、寂しさ、切なさが心に残ったと言えば、地域の人に失礼でしょうか。

 この危機に負けず頑張って欲しいと思います。

 話は変わって告知です。今週土曜、「阿倍野の長屋」の放送があります。

 すでに『住人十色』のwebサイトで、紹介されていました。

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■『住人十色』毎日放送(MBS)10月29日(土)17:00~「阿倍野の長屋」放映予定■

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 工事中からストーリー満載で、ご家族がOKしてくれたなら、取材はあるだろうなと思っていました。

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 メディアに関して「雑誌はいいけど、テレビはちょっと……」と言う方がほとんどです。

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 こちらのご家族は、もしテレビのオファーがあれば考えてみる、という感じでした。

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 実際にオファーがあってからも迷っておられたのですが「守谷さんのためなら」と一肌脱いでくれたのです。

 女性陣2人を含めて、まさに男気。

 これだけのリノベーションをさせて貰ったのですから、ご家族は勿論懸命に働いておられます。

 ご主人は整骨院を経営されており、とても繁盛しています。いつも遅くまで仕事をされているのです。

 治療に来られる患者さんの一人に、いつも前週の『住人十色』の話しをする方が居られるそうです。番組の大ファンのよう。

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 計画の途中から、ご主人と「テレビの放送が決まっても、その方には黙っておきましょうね」と、密かに企んでいたのです。

 来週あたりでも、その患者さんが治療に来られた時のことを、是非聞いてみたいと思っているのです。

 撮影現場は見に行けなかったのですが、ナビゲーターの春香クリスティーンさんも、なかなかに活躍されているタレントさんとのこと。

 その端正なルックスとは対照的な汚部屋タレントと、奥さんのやりとりが楽しみです。

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 ストーリー満載の「阿倍野の長屋」。時間のある方は是非ご覧ください。

日本一の兵‐1317‐ 

 昨日、電車で室生寺へ行こうと思い、近鉄上本町に向かいました。

 着くと、人身事故でいつ復旧するか分からないと。今朝の新聞に、全盲の男性がホームから転落したという記事が載っていました。

 日本の鉄道は、世界で最も安全対策が進んでいると思います。しかし、全ホームに安全柵となるとかなりの時間と、費用が掛かるでしょう。

 鉄道会社、そして利用者も、本当に難しい判断を迫られるのだと思います。

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 目的地を和歌山の九度山に変更し、難波まで移動しました。

 南海高野線の特急こうやで、橋本までは40分程。

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 ここのところ寝不足だったので電車にしたのですが、金剛山地を抜けるあたりから、車窓の景色は飽きません。

 結局昼寝はできず。

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 橋本からは、高野山行きの単線に乗り換えて20分。

 駅に着いたのがすでに16:00でした。

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 大河ドラマでも九度山が登場しているそうで、それなりの人出を覚悟していましたが、さすがにこの時間は人もまばら。

 ミュージアムも16:30に閉まるとのことでした。

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 真田の抜け穴伝説はここにもあり。

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 関ケ原の合戦では豊臣方に参加。少数で徳川方を苦しめた真田家はその名を全国に轟かせます。
 
 にも拘わらず、敗戦後は九度山への配流ですんだのは、幸村の兄、信之が徳川方についていたからです。

 兄弟で袂をわかってまで、真田家の存続を願っての策でした。

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 父・昌幸と幸村が隠遁生活を送っていた真田庵。

 ここでの生活は非常に苦しかったようで、兄・信之にお金だけでなく、酒の無心までしているのです。

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 真田紐という甲冑などを結ぶ紐を制作、販売するなどして、生活の助けにしていました。

 戦の天才、昌幸は無念にも、ここで65年の生涯を終えます。

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 ドラマ放映が決まってから出来上がった真田ミュージアム。閉館ぎりぎり、滑り込みセーフでした。

 幸村はその生涯の中で、この地で暮らした時間が最も長かったとありました。

 1614年、大坂冬の陣で秀吉の子、秀頼に請われ豊臣方として参戦。続く1615年の大坂夏の陣でも、無類の強さを発揮します。

 しかし最後は、天王寺の安居神社あたりで討ち取られます。、相手方に「わしの首級をあげ、手柄にされよ」と自らの首を差し出したとも言います。

 その時の戦いぶりを、「薩摩藩旧記雑録」で島津家久(忠恒)は以下のよう記してします。

 5月7日に家康公の本陣へ真田左衛門佐(幸村)が攻撃を仕掛け、旗本衆を追い散らし、討ち取ってしまった。

 旗本衆の中で三里もの距離を逃げた兵だけは、みな生き残ることができた。三度目の攻防で真田(幸村)も討死した。

 真田(幸村)は日本一の兵であり、古今の物語にもこれほどの武将はいない。概ね言いたいことはこれだけである。

 34歳から48歳という壮年期。戦国の世、戦上手の真田として知られ、ただ隠遁生活を求められた彼の気持ちはいかばかりだったのか……

 事後とはいえ「日本一の兵(つわもの)」と言われる程の能力があったのですから。

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 当時の九度山は、高野山への入り口としての役割はあったものの、本当に辺鄙なところだったそうです。

 ここで過ごした13年の不遇の時期があったからこそ、彼は日本一の兵へと醸成したのではないか。

 帰りの電車でそんなことを考えていました。

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 故秀吉への義を貫いたこと、世の絶対的権力者をもう一歩のところまで追い詰めたこと等が、幸村人気の基礎となっていると思います。

 あの島津家の当主に、歴史上も含めて日本一と言わせたその兵。

 冬が来れば春がくる。

 止まない雨はない。

 明けない夜もない。

 どんな時も腐らず、諦めず。そして男なら日本一を目指す。そんな気持ちにさせてくれます。

近鉄特急で行く名古屋の旅‐1309‐

 今日は、急に車が使えなくなり、近鉄特急で名古屋へ行くことに。

 娘と2人での小旅行です。

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 朝7時のアーバンライナーはガラガラでした。

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 大阪上本町から2時間で名古屋に到着。

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 まずは名古屋城。

 「伊勢 は津でもつ、津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」

 「名古屋観光情報」というサイトに、三重県伊勢地方の民謡「伊勢音頭」にも歌われている有名なフレーズ、と紹介されています。

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 鯱は雨を呼ぶという伝説があり、火事除けとして飾るようになったそうです。

 しかし、残念ながら戦争の焼夷弾にはきかず、現在の天守閣は昭和34年に再建されたもの。

 大きいな、というのが第一印象でした。大阪城より一間は大きい感じ。

 プロポーションなら大阪城のほうが優れているでしょうか。

 このあたりが、秀吉が天才建築家と言われる所以です。

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 関ケ原の合戦で勝利を収めた家康は、豊臣家との対決に備え、近畿、東海の城を整えて行きます。

 尾張の中心である清州城は規模が小さく、度々水害に見舞われていました。

 そこで、北と西が断崖となっているこの地に名古屋城を築城。完成は1612年で、大坂夏の陣の3年前のことでした。

 豊臣家滅亡までの最後の布石となったのがこの名古屋城で、立派であることが重要だったです。

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 名古屋と言えばひつまぶし。 城の北西にある「しら河」という店へ行ってみました。

 電車でガイド本を見た程度のリサーチなので、早めに到着。11時にはもう一杯という感じでした。

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 本格的な名古屋が初めてなら、ひつまぶしも初めて。

 なるほど、なかなかに美味しいものです。

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 特に最後のお茶漬けがよかった。

 鰻好きの娘はペロリと平らげていました。

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 娘と来た以上、水族館は最優先です。

 名古屋港水族館は都心部に近いにも関わらず、国内最大級の大きさとのこと。

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 シャチのショーを見たのはかなり久しぶり。

 昔、白浜のアドベンチャーワールドであった気がするのです。

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 最近のイルカショーは洗練されており、シャチのショーがなくなるのも理解できます。

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 このあと栄あたりを回るつもりでしたが、時間切れ。

 先ほど大阪に戻りました。

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 明治維新が、薩長土肥によって成し遂げられたなら、戦国の世を終わらせたのは、東海地方の英雄達です。

 信長、秀吉とも偉大なリーダーでしたが、260年に渡って太平の世を治めてきたのは家康。

 政治力、忍耐力も秀でていたのだと思いますが、家康が部下にひどい仕打ちをしたという話はあまり聞きません。

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 名古屋城築城の手伝いを命じられたのは、秀吉が可愛がっていた、福島正則、池田輝政、加藤清正達です。

 石垣が美しいことで知られる熊本城の城主であり、城郭建築の名人、加藤清正が名古屋城の石垣を完成させています。

 大きな天守閣を支えるのは、立派な石垣。石の上に乗り、工事を鼓舞する像まであるのです。

 松下幸之助を「人たらし」と呼ぶように、家康はどこか憎めないリーダーだったのだと想像しています。

 実は、今年の12月で当社のマルコが辞めることになりました。

 イタリアから日本に渡ってきて3年。半年日本語学校へ行ってから、当社に来たので2年半働いたことになります。

 初めて外国人と働いたのですが、分かり合えたこと、うまく伝えきれなかったこと、どちらも沢山あります。

 もう少し規模の大きい組織事務所も経験したいという希望を、私が止める権利はありません。

 最長5年と言っていたので、彼が居てくれる間になんとかその次の世代をと思っていましたが、それもまた振り出しに戻りました。

 三歩進んで二歩下がるではないですが、成長の歩みとはなんと遅々としたものか。

 家康が天下を収めたのは60歳の時。汗かき、べそかき、365日歩を進めるしかありません。

星が降る街‐1308‐

 建築設計の仕事は、土地に関わる仕事でもあります。

 現在の私達の職場は、北は京都、東は枚方、南は岸和田、西は豊中。それらを結んだ四角形の中にあります。

 今日は、京阪電車の交野線に乗って打合せに行きました。交野線は初めて乗ったのかもしれません。

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 交野市のwebサイトを見ると「星」にまつわる地名、伝説が載っていました。

 稲作が始まった頃、この地をあまの(甘野)といい、川水を甘野川と呼んだ。

 平安時代、宮廷人が歌合せの際に、「天の川」になぞらえたため天野川と呼ぶようになった。

 天野川にかかる橋は「逢合橋」(あいあいばし)と呼ばれ、織姫をまつる機物(はたもの)神社、彦星をまつる中山観音寺跡(なかやまかんのんじあと・枚方市)の中間点にあり、七夕の夜に二人が出会っていたという伝説の場所。

 また、星田という地名も、水不足で水田にできず、牧場にされたことから「乾し田」と呼ばれた。八丁三所の降星の伝説から、「星の田」と改称されたといわれている。

 「八丁三所の降星の伝説」とは、弘法大使が念仏を唱えると3か所に星降り、それらが八丁(約900m)の三角形で結ばれることから、そう呼ばれたといいます。

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 市の中央を流れる天野川。

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 同じ田んぼでも「乾し田」より「星田」のほうが、雰囲気があります。
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 サン・テグジュペリの「星の王子さま」は、飛行機乗りでもある彼が、砂漠に不時着した体験をモチーフにした小説です。

 小説の中では、星の王子さまが現れ、「僕」との心の交流が描かれています。

 おとなは数字が好きだから。新しい友だちのことを話しても、おとなは、いちばんたいせつなことはなにも聞かない。

 「どんな声をしてる?」とか「どんな遊びが好き?」「蝶のコレクションをしてる?」とかいったことはけっして聞かず、「何歳?」「何人きょうだい?」「お父さんの収入は?」など聞くのだ。

 テストの点がどうだった、偏差値がどうだった。聞いてしまいます。

 家に帰って、毎日「お父さん、今日の稼ぎはいくらだった?」と聞かれて、楽しい人は居ません。(いるかもしれませんが)

 カレンダーを見れば、今日は中秋の名月。

 今週はよく降りましたが、今晩は晴れそうです。

 仕事帰りには、空を見上げてみよう。そして、ウサギを探してみよう。

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子供はなぜスタンプラリーが好きなのか‐1304‐

 今年の大河ドラマは「真田丸」。

 我が家の子供も、日曜の夜を楽しみにしています。

 大阪市交通局は、現在「幸村が駆け抜けた大坂スタンプラリー」というイベントを開催中です。

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 完成には幸村ゆかりの地、大阪市内6か所のスタンプが必要になります。

 真田好きとしては、勿論一通り訪れていますが、最後の1つが全興寺(せんこうじ)とのことでした。

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 平野区にある全興寺は、これまでに何度か紹介しました。

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 6世紀後半、聖徳太子が建立した仏閣で、大阪に初めて出来た集落は、この平野だとも考えられているのです。

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 最後のスタンプを押し、何日かに分けてスタンプラリーを完走しました。

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 無事6つ揃ったので、景品交換所のある地下鉄平野駅へ。

 「六文銭」の入ったハンドタオルを貰いました。

 これまで色々な所へ連れて行きましたが、兄妹が一番喜んだ旅は、境港でのスタンプラリーだったと思います。

 境港の水木しげるロードには沢山の妖怪の像があります。

 それを頼りに、購入した「妖怪ガイドブック」にスタンプを押して回るのですが、100万部を売り上げたとありました。

 子供のスタンプラリー好きには、我が家に限ったことではありませんでした。

 もし、平野駅に6つのスタンプがあったなら、これ程執着することはないでしょう。

 反対に、日本全国を回るなら、こちらが諦めてしまいます。

 更に、ご褒美を貰えることが、子供心をくすぐります。

 しかし、ハンドタオルには貰った瞬間から興味が失せています。また、どんな景品であったとしても、子供が文句を言ったことはありません。

 簡単では駄目。難しすぎても駄目。ある程度の苦労を伴い、ご褒美があり達成感が味わえる(と期待できる)。

 面白いのは、ご褒美にその達成感が比例しないことです。

 いや、分からないというのが、最も価値あるご褒美なのかもしれません。

フィンランドの旅③ <人、街、番外編 >‐1303‐ 

 8月も最後の月曜日になりました。

 少し時間が空きましたが、フィンランドで出会った人のことも少し書いておきたいと思います。

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 フィンランドの首都ヘルシンキは、港町であり、観光都市でもあります。人も優しく、旅行者には大変過ごしやすい街でした。

 8月25日にフィンランド政府は「ベーシック・インカム(最低所得保障)」制度を導入すると発表しました。560ユーロ(約6万円)を一律に支給するという制度です。

 北欧は社会福祉が充実していますが、それらは28%という高い税率によって支えられています。よって、物価は日本よりやや高め。

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 国鉄は、全て人と物が集まるヘルシンキの中央駅と結ばれています。

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 2日目には電車で3時間半、北東300kmにあるユバスキュラへ行きました。

 アルヴァ・アアルト設計のタウンホールを見に行きましたが、ここは彼の出身地でもあります。

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 バックパックを背負ってウロウロしていると、日本人の青年が声を掛けてくれました。

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 ここには、アアルト本人が泊まる為に設計した部屋があるそうで「泊まっているので見て行きますか」と。

 東京で大手組織事務所に勤める26歳の青年でした。

 好感の持てる若者で、ラッキーだったなと思いながら、バス停で待っていると、80歳くらいのお婆さんが話しかけてきました。

 「若い頃イギリスに留学していた。アアルトは街の誇りだ。フィンランドは戦争が多かった。日本は伝統のある興味深い国だ」などと言っているようです。

 私は建築家でアアルトを尊敬していると言うと「バスが来るまで時間があるから、家に来てお茶を飲まないか」と言います。

 バスの時刻を正確に把握しておらず、気長に待つつもりだったので迷いましたが、行ってみることにしました。

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 どうも、家ではなく知り合いの画家が個展を開いているので、お茶もあるから観に行かないか、と言っていたようです。

 彼女は漢字がデザインされたスカーフをしていました。

 旅行者の相手をしてくれるのは、お年寄りか子供だけ。こういったふれあいが旅に何かを付け加えてくれるのです。

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 何故か、多くのフィンランド人のお年寄りに見送られながらバスに乗り、次の目的地「夏の家」に到着しました。

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 20人くらいのツアーで、ガイドが説明をしてくれます。

 イタリアで建築出版をしているという、黒いサングラスをしている女性も「アンドウ、クマ、イトオは素晴らしい」と言って、話しかけてくれました。

 日本人も4名程おり、愛媛で設計をしているという女性と、現場監督を20年しているという女性2人組が参加していました。

 私がここにくるまで25年掛かっているので、立派だなあと感心していたのです。

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 その日はタンペレという内陸の街に泊まり、翌朝ポリという西端にある街まで電車で1時間半。

 「マイレア邸」を見る為です。

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 ポリで会ったおじさんの傘がなかなかお洒落。

 前日、ユバスキュラで会った26歳の青年も同じガイドツアーに予約しており、大分から来たという女性2人組も電車で一緒になりました。

 雨がひどいので、4人でタクシーをシェアすることにしたのです。

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 1時間のガイドツアーが終わり、バスでポリ駅に戻ったのも私達4人だけでした。

 さあヘルシンキに帰ろうと切符売り場へ行くとクローズ。

 前日、自動券売機で購入していた私は「こんな時はこの券売機で買えば……」と張り切って説明していると、何故かこちらもクローズ。

 電車の出発が近付いてきたので、とにかく乗り込み、車掌からチケットを買うことになりました。

 すると行きのチケットの倍以上の値段で、しかも席代は別と言います。それならと、食堂車で帰ることにしたのです。

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 この時、おそらく4人の中で一番英語力のある青年が、車掌といろいろ交渉をしてくれました。

 仕事をしていて、若者を見た時に「立派だなあ」と思う機会は正直なかなかありません。

 キャリアが違うので、当たり前なのですが、旅先で出会った私より若い世代の人は、積極的に英語で話しかけていました。

 こういった姿を見ると、日本の若者も頼もしいなと感じるのです。

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 大分から来た女性は、1人が建築設計、1人は美容室の経営者。

 あとはヘルシンキに帰るだけでしたが、初対面の人も居るのでコーヒーを頼むと、美容師の女性はビールを。

 日本人の女性はいつも逞しいのですが、大分の女性は更に逞しいのでした。

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 最終日は、ヘルシンキ郊外にあるアアルトの仕事場、自邸を回りました。

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 ヘルシンキ郊外と言う事もあり、日本人の参加者が8人程いました。

 私と同年代の男性が流暢な英語で質問しているので少し聞いてみると、大学で英語を教えているとのこと。

 厚かましく、いくつかガイドに質問して貰ったのですが「専門家に解説して貰えて光栄だ」と喜んでくれたのです。

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 京都でデザインの仕事をしているという女性も参加していました。25、6歳でしょうか。

 「北欧って、ホントお洒落ですよね。でもこれを日本に持ち帰っても浮いてしまうし、ビビッドなカラーでも、北欧の空気なら映えるんですよね」

 彼女だけではなく、そんな話しは何度か聞きました。

 日本の若者が逞しいと思う反面、日本に自信を持っていないことも少し気になります。

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 例えば建築においても、大阪府の人口にも満たないフィンランドの建築は、とても平均点が高いのです。

 一般的な共同住宅も、しっかりとデザインされているものが殆どでした。

 しかし、北欧が良くて、日本が駄目という訳ではありません。反対も同じです。

 風土、民族性、経済状況、また法律などまで合わせて、文化は構築されていくものです。

 一朝一夕に出来上がるものではないから、それを見に旅に出るのだと思うのです。

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 先週末、大分の女性から、お礼にとカボスのジュースが送られて来ました。

 コーヒーの後、2杯程ビールをご馳走しただけなのに、申し訳ない気もしますが、有り難く受け取ることにしました。

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  24歳で初めて海外へでて、30歳の頃東南アジアを渡り歩いた時も、バックパック一つが私の旅のスタイルでした。

 バックパッカーのバイブル、沢木耕太郎の「深夜特急」を20代前半に読んでからですが、それが私に合っていると思っていたのです。

 良いホテルに泊まるより、美味しい食べ物を食べるより、少しでも色々な街を渡り歩きたい私にとって、バックパック1つの旅が性に合っていました。

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 しかし私も46歳。まだまだ元気なつもりですが、そろそろ、バックパックの重さが堪えるようになってきました。

 一番の理由は体力的な問題ですが、50歳になった時、その姿が見れないかなと思うようにもなりました。

 私のフィンランド行きを誰かに聞いて、大学時代の後輩から連絡がありました。

 2日目に泊まった、タンペレで働いているそうです。

 分かっていれば現地で会えたかもしれず残念ですが、仕事の舞台は世界なんだと意識させてくれます。

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 ヘルシンキは港町で、街中でもカモメがいます。

 ウィーン、メキシコシティ、オスロ、アムステルダム……

 行きたい街は沢山ありますが、ひとまずバックパックでの巨匠巡礼は今回で一区切りです。

 新しい旅のスタイルを模索します。