カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

建築の詩人

 一昨日は、ヴェネティアから電車で1時間程のカステル・フランコという街へ。

 昨日はミラノへの道中にあるヴェローナで途中下車しました。ともに、カルロ・スカルパの作品があります。建築の詩人と言われるその建築とは。

 カステル・フランコ駅からバスで20分。

 郊外にある、ブリオン・ベガ(ブリオン家の墓)は、私が今までみた建造物のなかで最も詩的、かつ静寂をたたえ、美しいものでした。一時、偉大な先人との対話を楽しんだのです。

 ある人に「建物を見る楽しみがあって、旅が楽しそう」と言われた事があります。旅の目的は、知らない街を歩いてみたい、と自分との対話です。仕事を始めて、強くそう思うようになりました。

 一足先に妻の友人宅に来ていた家族とミラノで会い、友人家族に本当に親切にして貰いました。今から1人でスペインに向かい、翌朝にはバルセロナに入ります。

 あと4泊でこの旅も終わり。続きは、日本に戻ってからUPします。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

ヴェネティアより愛を込めて

 8月9日(木)の夜、ローマに着きました。

 翌日は朝から、パンテオン、ナヴォーナ広場、システィーナ礼拝堂等を回りました。翌朝、電車でフィレンツェへ。今朝はヴェネティアに移動してきました。子供たちにとって、私にとって、全ての風景が刺激的です。

 中でも、ヴェネティアの街並みには感動すら覚えました。

 ROMAをさかさまに読めばAMOR。「愛してる」です。しかし、愛をささやくなら、ヴェネティアのゴンドラの上に勝る所は無いかもしれません。

 明日からは妻、子供達と別行動です。少々心配ではありますが、1人スカルパの作品を見て回ります。

 これはこの旅のテーマのひとつ。

 次の木曜日は、ミラノからUPの予定です。

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ローマへ


 関空に来ました。

 今回は家族4人、皆で搭乗ゲートをくぐりました。

 目指すはローマ、フィウミチーノ空港。長男が2年生になり、娘が4歳になりました。

 娘がもう少し大きくなってからという気持ちもありましたが、果たして来年の夏にこの休みが取れるか。事務所の休みは明後日からですが、今日9日(木)から20(月)まで、休ませて貰う事にしました。

 ローマからイタリアを少しずつ北上し、まずはミラノを目指します。そこから私はバルセロナへ向かいます。

 旅の目的はいつも同じ。知らない街を歩いてみたい。

 子供と歩くローマ、フィレンチェ、ミラノとはどんなものなのか。今までとは違った期待もあります。

 この日記も現地で2度UPする予定。良ければまたのぞいて下さい。

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ある中2の女の子

 昨日、事務所を出ると物々しいヘコプターの騒音。

 見上げると、かなり低いところに5、6機は見えます。

 かなりの台数のパトカー、救急車、消防車が小学校の前に止まっています。
 
 校門の前には人だかりができ、レスキュー隊の姿も見えてただならぬ雰囲気。

 近くに居た警官に聞くと、食中毒があったとの事。

 騒然とした雰囲気でしたが、そこまでの被害ではかったようです。

 その程度と言えば当事者に失礼ですが、色々なことを想像したのでややほっとしたのです。

 小学生というのは社会的には弱者と言えます。よって、地域の住民も何かしら気にはなっているのです。

 ところが、中学校になるとがらっと雰囲気が変わると感じるのは私だけでしょうか。

 自宅の近くには地域の中学校があります。自転車通学は禁止されていますが、付近まで乗って来て乗り捨てていく学生もいます。

 新学期も落ち着き、この時期になると急に増えてくるのですが、もし現場を見たら呼び止め、注意します。反省をしていると感じたらそのまま帰します。そうでなければ中学校に連絡し、先生に引き渡します。

 数日前にこんな事がありました。

 ここのところ、数台の自転車が止まっているなと思っていました。夕方自宅に寄った際、数人の女子生徒が、その自転車に分乗して帰ろうとしていました。
 その場で呼び止め「ここに自転車を止めて、学校に行くのが、いい事か悪い事か分かっているね?」と聞きました。

 
 すると3台のうち1台の自転車は逃げて行ったので、他の1台のハンドルをつかみ、再度同じ質問をしました。名札には中学2年△組○○と書いてあります。見た目は2人とも普通の女の子。

 背の高い方の女の子は開き直った感じで「足に大けがをしているから、お母さんが乗って行きなさいと言った」と言います。

 もう1人の小さい方の女の子は「ところであなた誰ですか」と食ってかかってきました。その時は、すでに名札を胸ポケットに隠していました。

 「2人とも間違ってないと言うなら、自分の口で先生に説明してみなさい。その上で、もし僕が間違っていたなら、必ず謝るから」と言い、中学校に連絡しました。

 先生が来るまでの間「自分がしている事がかっこ良いと思うなら、その行動を貫いたらいい。ただ、名札を隠さないと、人に何か言えないなんて、かっこ悪くないか」と伝えました。

 大きい方の女の子は、体を斜に構えて、更に私を睨みつけてきます。こんなのを見ると、法治国家って、本当に良いもんなんだろうか、とも思いますが。

 小さいほうの女の子はやや反省している様子だったので「もし間違っていると分るなら、謝るべきじゃない。犯罪を犯した訳じゃないから、反省してくれればそれでいい。今やってる事はかっこ悪い。もし目立ちたいなら、もっとほかの事で頑張れば」と言いました。

 少し経って、小さい方の女の子は「すいませんでした」と謝ってくれました。

 先生達が数人で来たので、ありのまま話しました。背の高いほうの女の子は、最後まで斜に構えたままでしたが。

 自分が褒められた中学生だった訳でもありません。また、小さい子は良くて、大きな子は駄目だったという問題でもありません。

 今、間違っていると思った事を言わない、見ていないふりをするのは、性に合わないのです。

 子供だけでなく、人は自分の意思と環境によって成長していきます。環境には、街に住む人々の態度も含まれていると思うのです。

 正義漢振るつもりはありませんが、こちらが真剣であれば、必ず分かってくれると思います。勿時々中学生と接し、実感としてそう思います。

 「人生って、総懺悔でしょ」と言っている人がいました。感覚的にはそんな感じです。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 
7月8日(日) 7:58pmから8:54pm
「匠」として出演します

名は体を表す

 昨日は、ASJの建築家展に参加していました。
 

 会場は、和泉佐野市役所すぐ南にある泉の森ホール。

 泉佐野市は、今朝の新聞でもネーミングライツ問題で取り上げられていました。

 「時の市」とも言えるでしょうか。

 土地の名前、読み方、漢字などは、その変遷やストーリーに意味があるもの。

 今、財政難だから名前を売ります等、あり得ない話です。

 ヨーロッパのサッカーチームや、メジャーリーグのように、日本の野球やサッカーのチーム名から、企業名を外してはという論議まである中、完全に倫理観が逆行していると感じます。

 話題だけでも注目度が上がったという評価が、正しい経営をしている市町村の評価がを上回るなら、誰が真面目に仕事をするのでしょう。

 この件は賛否のレベルではない気がするのです。

 さて。建築家展は今回で4回目。

 大分慣れてきました。

 しかし慣れた時が何とかで、この日はあまり当事務所のブースに人が止まりませんでした。

 やや課題が残りました。

 森の泉ホールでも、キンシバイが咲き始めていました。

 この花は公共建築物にもよく植わっています。

 公共建築物に植わっているという事は、比較的タフで、手間がかからず、金額もそこそこという事です。

 そういった花は総じて葉が分厚く、風にそよぐというタイプではありません。

 好みと言ってしまえばそれまでですが、その中で、キンシバイは一際目をひきます。花弁の色が鮮やかで、初夏の訪れを伝えてくれる花。

 ただし、見ごろが過ぎれば、次は梅雨がやってきます。

 キンシバイはおしべが金の糸のように見えることと、梅ににている事からその名がつきました。

 名は体を表す、です。

 京都が財政難になったとして、ニンテインドウ京都市を名乗ったら、古都めぐり気分は台無しです。

 関空が、世界とつながる窓口だという事も含めて、泉佐野の市長はよく考えたほうが良いと思うのです。

和歌浦はインカとつながる

 5月12日、13日の土日。和歌山へ行っていました。

 ASJという「建築家と家をつくろう」というネットワークがあり、各地でイベントを開いているのです。

 ビッグ愛という施設での開催でした。

 泊まりだったので、朝は和歌山城までジョギング。知らない街を走るのは楽しみの一つです。

 8人の建築家がパネルや模型を展示し、チラシなどを見た来場者にその家づくりについて説明します。

33 - コピー

 私は今回で3回目。ようやく慣れてきました。

 今回は和歌山スタジオが主催するイベントだったのですが、面白い話を聞きました。

 一緒に参加していた建築家の1人は和歌浦近くに事務所を構えています。その地名の由来のことです。

 和歌浦は、ポリネシア語の「ワカウルワ」が語源で「小舟の多い入り江」という意味だそうです。他にも、御坊(ごぼう)、由良(ゆら)などもポリネシア語から来ているとか。

 遥か遠方の南洋から渡って来たポリネシア人が、太平洋沿岸部に住みついたからという話でした。

 その証拠に、和歌山は当て字で、江戸時代までは若山と併用されていたそうです。

 ポリネシアとはハワイ、イースター島、ニュージーランドあたを結んだ三角形内を指します。

 子供頃読んだ本に「コンチキ号漂流記」がありました。ポリネシア文明は南米のインカ文明と共通点が多いことから、同じ起源をもつのではないかという仮説を証明する話です。

 その説を唱えた考古学者は、帆をつけただけの筏で、チリからポリネシアにたどり着きます。その可能性を実証したのです。

 途中、筏をより大きなジンベイザメがゆらりと登場する場面に、ドキドキしたことを今でも覚えています。小学校3年生ころだったでしょうか。

 これらの話が全て事実なら、太平洋湾岸部に住む人々は、南米に起源をもつ人もいることになります。
 
 船で渡って来た人々は当然操船にも長けていたはずです。その子孫が、熊野水軍、九鬼水軍、村上水軍、根来衆などを形成していたとすれば……

 更にその子孫である漁師に、目鼻立ちのはっきりした人が多いところまで、全て納得できるのです。

 日本人と言っても、大陸から渡って来たモンゴロイド、ポリネシア系と様々な先祖を持っている可能性がある訳です。

 週末、こんな事を考えていたのですが、考古学や人類学等、過去をたどるのは非常にロマンを感じます。

 そう言えば、本好きの長男には「コンチキ号漂流記」を勧めなければ。

ミュージアム in 北陸

連休明けの月曜日。ペースは戻ったでしょうか。

5月4日、5日のスケジュールが空いたので、急遽宿を探しました。北陸を中心に見ていると、和倉温泉に1部屋空きをみつけました。

4日(金)の早朝、大阪をでると、スムースに金沢まで来ました。

しかしかなりの雨量で、まずは能登半島を北へ移動することに。

かほく市にある「西田幾多記念哲学館」へ寄りました。

西田幾多郎の「善の研究」は、明治以後、日本人が初めて読む哲学書と言われます。

ここに来るまでには読んでおくつもりでした。持ってはいるのですが、まだ手をつけておらず……

館はの設計は安藤忠雄。今年で開館10年目とありました。

特に欧米では、哲学的とも言われる安藤建築。

館の目的に完全に一致していると感じます。

安藤設計のミュージアムは沢山見ました。

下階に向かう階段と吹抜けの空間は、ヴォリュームが心地よく、最も美しいと感じました。

人は少なく、満足して更に北上します。

能登半島の中央部にあたる能登島。

「のとじま水族館」はその北端にあります。

こちらは開園30周年。

子供の為に来たのですが、古き良きという感じで、好感がもてました。

直前にキャンセルが出たのはビジネスホテル。

よって食事ぐらいはという事になり、寿司割烹の店へ行きました。

和倉温泉街にある「又五郎」。

大将はとってもいい感じの良い人で、家族で7千円くらいでした。

寿司、焼き魚、茶わん蒸し、いずれも美味しかったです。

下の娘はいくらでも刺身を食べるのですが、長男はマグロ以外をあまり食べず。肉派なのです。

翌朝も早起きして、砂浜を車で走れる千里浜なぎさドライブウェイへ。

どうしても走りたかったのですが、波が高く侵入禁止になっていました。

仕方なく、皆で走ることに。

南下して8時頃には金沢市内へ入ります。

金沢市は「パークアンドバスライド」という試みを実施しています。

市の人に聞くと10年程になるとのこと。

高速のインターを降りると駐車場があり、そこから市内をバスが循環しているのです。

車一台につき1000円で乗り放題。施設の割引もついています。

これを利用して、金沢21世紀美術館へ行ってきました。

レアンドロのスイミング・プールは凄い人気で、開館と共に一杯になりました。

子供はかなりテンションが上がっています。

上からは無料、下からは入館した人だけ。

この無料開放ゾーンが多いのもこの館の特徴です。

設計は、妹島和世と西沢立衛の建築ユニットSANAA。

2010年にはプリッカー賞を受賞しましたが、この館の評価が最も大きかったと言えるでしょう。

開かれた美術館というコンセプトは、収蔵作品にも反映されています。

円形の建物回りに、数多くの作品があり、子供たちも遊具のように遊び、触れています。

来る前は「また美術館」と文句を言っていた子供の気分を、ここまで変えのは、凄い事です。

駆け足で回った、北陸の旅。2つのミュージアムは印象に残りました。

強く、固い建築に、制限した光を落とす安藤。薄く、透明感のある建築を、更に街へ開くSANNA。

西沢立衛のプリッカー賞受賞のコメントは以下のようなものでした。

「建築と街に係わるものとして、とても嬉しく思います」

この言葉は時々頭の中に蘇ってきます。とても素直で気持ちが良い言葉です。

次回北陸に来る際は、再度なぎさドライブウェイにチャレンジします。これは昨年、現在の車に乗り換えたときから持っていたイメージの一つなのです。

雨の街道を行く

 昨日は一日雨の予報。どこに出掛けるか迷っていたのですが、奈良の大宇陀へ行くことに。

 10年来気になっていた又兵衛桜を見に行く為です。結果は残念なものだったのですが……

 奈良盆地の南部を車で走ると、大和三山がどこからも見えます。

 その1つが耳成山(みみなしやま)。

 古代から神聖視してきたのが、現在でも納得出来る雰囲気があります。

 そのまま166号線を東に進み、桜井から山間部へ。

 この初瀬街道は奈良と伊勢を結んでいます。

 里山風景の中に、遅咲きの桜が所々に見えます。

 市のwebサイトに、半分散っていると出ていましたが、それでも少しの期待感を持ちつつ。

 ほぼ散り終っていました。

 又兵衛桜は大宇陀にある、樹齢300年、幹回り3mの枝垂れ桜です。

 その名は戦国武将、後藤又兵衛から取ったもの。彼は講談等でも非常に人気のある武将でした。

 司馬遼太郎や、池波正太郎等の歴史小説にも度々登場します。

 槍の名手という点では一致しますが、描かれ方は様々という印象。

 真田幸村らと共に、最後まで徳川方を苦しめ、夏の陣で自刃しました。しかし生き延びたという伝説も残っています。その地がここ大宇陀なのです。
 
 この樹があるのも、後藤家の屋敷跡と市のwebサイトにありました。
 
 2000年の大河ドラマのオープニングに登場したことで、有名になりました。私もそのニュースをどこかで見たのか、ずっと満開を見てみたいと思っていたのです。

 残念は残念ですが、来年の楽しみが増えました。

 奈良を訪れると、京都より過去を身近に感じます。太古のままとは言わないまでも、観光の香りがしないエリアが多く残っているからでしょうか。

 帰りは高速に乗らず、165号線、166号線と乗り継いで大阪に戻りました。これは奈良と堺、住吉を結ぶ古代の大動脈、竹内街道と重なります。

 車や重機など無い時代。必然的に高低差の少ない所が街道として発展します。よって、最短をトンネルに頼る今の道より、景色が優しいと言えます。

 至る所に歴史街道。これは関西の魅力と言えます。 

鶴橋

 今週の火曜日、初期相談があり鶴橋へ。この辺りは、かなり懐かしい所。

 大学を出てすぐに入った設計事務所は1年でクビに。その私を拾ってくれたのは、4、5歳上の若い建築家でした。

 その人も独立したばかり。自宅兼事務所のマンションが鶴橋にあったのです。

 鶴橋の駅は、JR、近鉄のガードが交差し、交点を中心に商店街が四方八方に伸びています。

 地下鉄もあり、初めて地上に上がって来た人なら「ここはどこ」という感じだと思います。

 戦後の闇市から発展したこの商店街は、通路の狭さ、密集度で他を圧倒しています。言葉にするならまさにカオス。

 未だに戦後の香りが残っています。

 商店街というよりは、商店街群とでも言うべきこのエリアには焼肉店、韓国料理店、またそれらの素材を扱う店舗が多くあります。

 店頭ではキムチ、チヂミが至る所で売られており、何とも言えない香りが漂っています。

 この迷路のような巨大な商店街を、そこそこ知っている事はちょっとした自慢でした。
 
 その歴史については、鶴橋商店街振興組合のwebサイトで。

 ところが、久し振りに訪れて、一番驚いたのは、その観光客の多さ。

 女性のグループ、家族連れがとても多く、かなりの人出で賑わっています。

 これは通天閣下のジャンジャン横丁でも、同じ傾向でした。

 私が良く来ていたのは15年ほど前ですが、鶴橋の商店街はもっと暗く、ちょっと怖い位のイメージを持っていました。

 街は変化して行くものなのですが、この商店街も、阿倍野の再開発のようにいつかは区画整理されるのでしょうか。

 特区という荒業があるなら、可能な限り残して欲しいと思います。
 
 もし焼肉へ行くなら、私のおすすめは「空」。ホルモンとバラック感が良い感じです。

 少し離れて良ければ「新楽井」。雰囲気は抜群ですが、店内はモウモウと煙が充満しているので服はジャージで良いくらい。

 と言いながら、5年以上行っていないことに気が付きました。久々に行くなら「アジヨシ」のタレも結構良かった、冷麺も懐かしい……

 浅田次郎の「メトロにのって」では地下鉄がタイムマシンになっていました。

 千日前線鶴橋駅で降りればそこは戦後の大阪。ちょっと大げさですが、かなり楽しめると思います。

木曽福島 出張模型教室

この土日は、久しぶりにスキーへ。

 木曽福島に義妹家の山荘があります。

 父、弟家族と合せて計10人。

 自炊なので合宿のようなものです。

 しかし、いくら騒いでも怒られない。広い。

 子供達にとって、これほど楽しい場所は無いはずです。

 初日は雪がちらつきましたが、2日目は朝から快晴。

 西に向かい合う御嶽山は3067m。冠雪した山頂がくっきりと見えます。

 時々こんな景色を見れるので、またゲレンデに立ちたいと思うのでしょう。

 子供達は全部で5人。上が7歳、下が2歳です。

 それなりに皆見ていますが、4歳の娘の上達がとても早い。

 中級コースくらいなら下りて来れるようになりました。

 合宿の楽しみは夕食です。

 早く遊びたいので、急かせる必要も全くなし。

 そう言うと、普段から面倒を見ているように聞こえますが、世の父親と同様、そんな機会は極めて少なく……

 こんな時くらいはと思い、模型作りの準備をしてきました。

 事務所で出た端材ばかりですが、彼らにとっては想像力をかき立てるはずです。

 道具を取り合いながらも、黙々と作っていました。

 遊びつかれて、1人寝、2人寝。

 何を作りなさいと言った訳ではありませんが、どれも家のようです。

 そういう私も、出張模型教室を終え、8時半には布団に入りました。

 旅情報で言えば、お土産ならJR木曽福島駅近くの「田ぐち」。

 「御嶽もなか」はおすすめです。

 甘党でない人も大丈夫だと思います。

 日曜日で東日本大震災から丁度1年。

 スキー場でも2時46分には黙とうが捧げられました。

 その時、自分へ何を問うのか。多くの人の答えは同じだと思います。自分に出来る事を、毎日全力で取り組む。

 ただそれだけの事ですが、それが世の中を良くすると確信します。