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花鳥風月みな料理なり‐2018‐

この時期、梅が店頭に並び出します。

季節、季節の食材を売っている店は、見ているだけでも楽しいもの。

ビワ。

そして鮎。

鮎は妻に買って欲しい感を出しましたが「子どもが食べないので」と却下。

好き嫌いの全くない私。好き嫌いのある子ども。

どちらが優先されてるかは明らかです。

実は、長男が東京に行ったタイミングで、家族3人で私の実家に住んでいます。

この話もまた書こうと思っているのですが、母が梅を氷砂糖に漬けていました。

出来上がりが楽しみです。


『美の巨人』という番組を定期録画していて、時々思い出したように観ています。

「吉兆」の回がとても良かったです。

1930年に、大阪市西区で湯木貞一が開業。

誰もが知る名店ですが、30分間たっぷり楽しませて貰いました。

「日本料理は、日本の座敷で、日本の庭を眺め、しつらいを鑑賞し、季節を味わうことだ」

「工夫して心くだくる思いには花鳥風月みな料理なり」

料理が素晴らしいのですが、その景色がとびきり素晴らしいのです。

「料理にも絵ごころが大切です」

珠玉の言葉とともに、まさに極上の絵画のようでした。

美食家であり陶芸家である北大路魯山人の備前に盛られた稚鮎。

楽家11代目、慶入の黒楽に盛られた鯛鹿の子。

器も超一流です。

足しげく通った魯山人は、お代は払わず、沢山の焼き物を吉兆に送ったそうです。

楽焼の中でも、黒楽が一番好きです。

その中でも、先の慶入と3代目の道入(別名ノンコウ)が特にお気に入りです。

その器でこの食事を食べられるのなら、是非行ってみたいと思いました。

お代をWebサイトで調べてみると、6万6千円からのようです。

番組で使われていた部屋なら、10万円から。庶民には高くはありますが、一生に一回なら不可能な額でもありません。

妻に「何かいいことがあったら行こうか?」と言うと、「高いので、おひとりでどうぞ」と。

ひとりで行くのも何とも味気ないものです。

ただ、これだけワクワクさせて貰えただけでも得をした感じ。

眺めるのではなく、名器で食べる。

何とか実現したいと思うのです。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

座辺師友、環境こそが師‐1405‐

  京都へ行く際は、阪急電車にかぎります。

 他の電車より、景色とシートが京都気分を盛り上げてくれるのです。

 どのくらいの人が賛同してくれるでしょうか。

 京都現代美術館で、9月24日まで「北大路魯山人展」が開催されています。

 この美術館は何必館(かひつん)といい、館長が「何ぞ必ずしも」と定説を常に疑う自由な精神を持ち続けたいと名付けたそうです。

 ちらと寄ってきました。

 少し東へ行けば八坂神社。

 すぐ南には祇園、花見小路。

 京都の真ん中に、こんな美術館があったとは知りませんでした。

 朝一番に訪れたのですが、京都の夏は暑い。

 しかし、浴衣姿の女性が多いのは目にも涼やかです。

 北大路魯山人は、1983年、京都上賀茂神社の社家に生れました。

 陶芸家、書家、篆刻家、そして美食家。

 漫画「美味しんぼ」に登場する海原雄山のモデルとされています。その批評は極めて鋭いがゆえ、敵も多かったようです。

 以下は、何必館館長のことばです。

 傲慢、不遜、非常識と、生前の魯山人を知る人々は激しく罵る。彼の美における断罪の激しさは、そこに徹底した純粋さを求めるがゆえの、無邪気とさえいえる優しさの表現だった。

 魯山人の作品を、一度にこれだけ見たのは今回が初めて。

 特に焼き物は、彼の多彩さが一目でみれとれます。

 織部、備前、志野、青磁、楽焼となんでもありに見えますが、いずれも遊び心があり、対象となるものが映えるだろうと思います。

 何と表現すればよいのか、こちらが感情移入する余白を残していると感じます。例えるなら、古典音楽と流行歌の違いのような。

 白洲正子の著書「ものを創る」にはこうありました。

 結局、魯山人の芸術の特徴は、その素人的な所にあったと思います。素人というと、誤解を招くおそれがありますが、技巧におぼれず、物のはじめの姿というものを、大づかみにとらえていた。

 物を見る(うぶ)な眼と、職人の(熟練した)手というものは、中々両立しないものですが、その両方を備えていたといえましょう。

 写真撮影は禁止でしたが、館を出て扉越しに1枚撮ってみました。

 織部と備前の花瓶です。

 織部は鮮やかな緑に大胆な造形、備前は控えめに色つけがなされていました。

 魯山人は、身の回りに優れた美術品を常に置き、自らの眼を鍛え、先人の工夫を必至に学んだといいます。

 身の回りの環境によって人は作られるという考えを、座辺師友(ざへんしゆう)という言葉で表しました。

 魯山人がそうしたように、できれば身の回りの全てのものを自分が納得するものだけに囲まれて暮らしたいものです。

 「城陽の家」のクライアントは、気に入ったテーブルを買えるお金が貯まるまで、地べたの食事もいとわないといいました。

 納得できる机を買ったのは、竣工から2年程経った頃だったでしょうか。

 座辺師友。

 こういった言葉を、特別なことだと思わないようにしたいものです。

 夏の京都。

 路地の影が、人を誘います。

 しかし、館をでるころにはこの人出。

 行くなら朝一番に限ります。