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心へ放火‐1685‐

 4月8日に東急リバブルから『Sumikata』が発行されたと書きました。

 タワーマンションに住むクライアントへ届いたそうで、「ご活躍、心よりうれしく思います」とメールがありました。

 また、「滋賀の家」のクライアントからはこんなコメントも。

 青空に映える素敵な建物ってよく見たら(笑)

 とても茶目っ気のある方なのです。

 撮影の日は雲一つない快晴でした。

 左に見えるのは、元山城だったこの地を守るための土塁。

 その上に咲く老桜が満開でした。

 夕景も最高の条件で撮ることができました。

 夕焼けのご褒美付きです。

 元料理人のご主人もキッチンに立って下さり、遅くまで料理と会話を楽しませて貰ったのです。

 人の成長を心から喜べることは、自分の成長を促することになるのだと思います。

 反対の言い方をすれば、それだけ難しいこととも言えます。

 しかしクライアントだけは、私が何か少しでも結果を残せば本当に心から喜んでくれるのです。

 なかなか外出がままならないこの時期。

 この日記を読んでくれる人へ、私が出来ることは何だろうと考えました。
 
 そうだ、美しい!(と思う)写真をUPしよう。

 2018年5月の池原、2015年8月の鶴岡。2015年1月の富士山

 2017年5月の不老ふ死温泉、2015年9月の吉野ケ里、2018年1月の蔵王

 2014年5月の四万十川、2012年8月のブリオンヴェガ墓地、2019年10月の香港

 2015年5月の札幌、2014年9月の敦賀、2017年2月の郡上

 2011年5月の阿蘇、2012年8月のフィレンツェ、2017年2月の沖縄

 2012年8月のサグラダファミリア、2016年8月のセイナッツァロ村役場、2002年1月のアンコールワット

 1995年5月のロンシャン礼拝堂、2011年11月のファンズワース邸、2011年11月の落水荘

 2012年8月のヴェネツィア、2011年11月のタイムズスクエア、2002年2月のホーチミン

 1995年5月ロンシャン礼拝堂から、2019年9月の香港まで。

 24歳から49歳の間、日本と世界を旅する中で、「美しい!」だったり、「凄い!」だったり、私が心動かされた風景ばかりです。

 日記の最上部のヘッダーにランダムで表示するようにしました。

 体験と体感こそが私の財産です。「この騒動が収まったら出掛けてみたい」と思って貰えたら私の試みは成功。

 放火は重罪ですが、心への放火は無罪のはずです。

 ずっと先にでも、小さな灯台さえあれば人は荒波の中でも航海を続けられるのです。

■■■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に
巻頭インタビューが掲載されました

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【News】

■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞
■2月3日 『Houzzの特集記事』「阿倍野の長屋」が取り上げられました
■12月3日 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が5位に選出
■9月30日発売『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』「回遊できる家」掲載
■7月21日BS朝日『大改造!!劇的ビフォーアフター』「住之江の元長屋」再放送
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

アメリカの旅③ <シカゴ・ファンズワース邸編>

 前日の11月4日(金)は、遅くまで友人と飲んでいて、宿に帰ったのが明け方5:00am。

 この日はシカゴ行きの予定で、マンハッタンの西にあるニューアーク空港を7:55amに発つ予定。

 朝が早いので、友人が個人タクシーを予約してくれました。

 6:00amにタクシーが迎えに来た時は寝ていました。下で待って貰い、急いで身支度をして出発。

 何とかフライトに間に合いました。

 気を失うように寝て、アナウンスで起きるともうシカゴの上空。

 すぐにシカゴの超高層ビル群が見えてきました。

 シカゴのミッドウェイ空港には、定刻の9:30amに到着。予約してあったタクシー会社へ電話しました。

 ここから余談が長いのですがひと悶着。

 プリペイドの携帯電話を借りて持って行きました。それがなかなか繋がらず、ようや運転手と会えたのが10:00am。

 目的地はミース・ファン・デル・ローエ設計のファンズワース邸。相当に辺鄙な所にあるようで、先に全条件を伝え、所要時間1時間半で50$で交渉して貰っていました。

 しかしいざ乗ると、行先を聞いていないとか、住所を言えだとか。住所を伝えると、GPSに入れても表示が出ない、だからナビゲートしろだとか。まあ文句しか言わないのです。

 こちらも頭に来ていましたが、地図を渡し、ここに行ってくれと放っておいてのです。

 そんなに複雑でない道程ですが、地図をくるくる回しながら見て、全く分からないと嘆いているのです。無視していると、近くに来ていると判断すると(それも間違っているのですが)、曲がれそうな角を1つずつ曲り始めました。

 これでは着かないと思い、ひたすらに嘆く彼を励まし「ここは地図でココ。次の次を曲がって……」などという始末。

 もう最後の道に入っており、徐々に住所表示も近づいているのですが、シットだのファ○クだのと喚いているのです。

 適当な英語で、問題ない、真っ直ぐ行ってくれと更に励ましていると、ようやく到着しました。すると笑顔で、「グッド トリップ マイフレンド!」と。

 ふざけるな、と言いかけましたが、まあこれが旅の醍醐味です。何故か料金は79$でした。

 長いアプローチを歩いて行きます。

 本当に先にあるのかと思う程。

 ファーストコンタクトは東の側面でした。

 軽やかに持ち上げられた、小さな白とガラスの家が見えてきました。

 ミース・ファン・デル・ローエ設計、ファンズワース邸。1950年の作品です。

 webサイトにもあったのですが、ファンズワース邸は現在改修中。

 真正面に黒いビニールに覆われた工事部分。

 向かって左に伸びたトラバーチンのテラスには工事用の赤いコーン。写真的に、ここは切っておきます。

 ファンズワース邸はミースのアメリカにおける、最初で最後の独立住宅でした。

 建物を外部から支える8本のH鋼で、全てが持ち上げられ、限りなく自由なプランになっています。

 テラスも同様に待ちあげられています。

19 2011_1105_43柱 - コピー
その他で地面に接しているのは配管スペースのみ。

 快晴の林の中で、まずはディティールをつぶさに見て回ります。

 内部に入り、ガイドをしてくれるツアーでしたが、内部撮影は禁止。

 撮って良いツアーもありますが、今回は時間が合いませんでした。

 正面は南向きで、北側にはキッチンがあります。

 キッチンも至ってシンプル。

 しかし、工事としては大変な精度が要求され、費用は膨大なものになりました。

 クライアントとミースとの間では裁判になった程なのです。

 目の前は湖。

 内部からは開口部によって切り取られた景色が、我が物になるのです。心地よい余韻を残しながら、帰りのタクシーに乗りました。

 行きとは反対に、とってもフレンドリーな運転手はマイク。

 少し時間があったので、シカゴ市内にある、同じくミース設計の集合住宅、レイク・ショア・ドライブ・アパートントへ寄って欲しい、チップは出すと言ったのですが、遠いからと難色を示しました。

 滅多に来ることがないので、食い下がったのですが、私の英語力ではそこまで。ちょっと残念でした。

 6:30pm頃シカゴを発ち、9:30pm頃マンハッタンの西、ラ・ガーディア空港着。

 ニューヨークとシカゴには1時間の時差があり、しかもこの日を境に夏時間から冬時間へ移行したようです。

 何が何だかわからず、何時間掛かったのかもよくわかりません。

 まあ無事に戻れればそれでいいかと。バスに乗り宿に戻ったのが11:00pm頃でした。

 明日はレンタカーでペンシルバニヤまで車で500kmの旅。急いでベットに入ったのです。