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博覧会の時代の後‐2208‐

昨日、関西万博が開幕しました。

それを記念して、ブルーインパルスが大阪城上空を2回通過するとのこと。

近所の方も、難波宮跡公園へ向かっているようです。

予定時刻は11時50分と、11時56分。

時刻が近付くにつれて、雨がやや強くなってきましたが、「関空を離陸したよ」という声も聞こえてきました。

ワクワクして待っていると、今度は「中止になったみたい」と。

徐々に、皆が帰路についたのです。

大阪では35年振りと聞いていたので残念です。また機会を作って貰えると嬉しいのですが。

直前まで、万博の盛りあがりをあまり感じていませんでした。

しかし、折角の地元開催なので前売チケットを買ったのは先週のこと。

高島屋東別館で「EXPO 博覧会の時代」という企画展があると知り、のぞいてみました。

難波の大阪高島屋から言えば、南西にあたる堺筋沿いにあります。

エントランスも立派。

2020年にリノベーションし、2021年には国の重要文化財に指定されています。

タイトルからすると「博覧会の時代」と言われた、1990年代の万博の歴史を紐解く内容を想像していました。

しかしここは高島屋資料館なので、高島屋が出品した室内装飾品などの展示がメインでした。

考えてみれば当たり前ですが、こちらが万博モード過ぎていたようです。

それでも、万博に関する資料もいくつかありました。

第1回目は1851年、ロンドン万博ですが、最も知られているのは1889年のパリ万博ではないでしょうか。

フランス革命100周年を記念し、開催にあわせて完成したエッフェル塔は、現在でもパリのシンボルです。

資料には、エジソンの蓄音機が大変な人気を博したとあります。万博の果たした役割がうかがい知れます。

また、1970年の前回大阪万博では、お祭り広場と太陽の塔がシンボルとなりました。

どちらにおいても、建築は主役的な役割を担ってきました。

1970年生まれの私は、この万博が開催中に55歳になります。

建築家としても十分キャリアを積んできたつもりですが、今回の万博に全く関われなかったのはとても残念です。

大小さまざまなコンペがあったのですが、何一つ参加できていないので当然と言えば当然ですが、それでも忸怩たる思いがあるのは間違いありません。

公共建築で指名を受けたければ、実績を積み重ねていくしかないので、ひとつずつの仕事で結果を残していくしかありません。アトリエ移転もきっかけとして、ギアを上げて行きたいと思います。

高島屋東別館があるあたりは、でんでんタウンと呼ばれ、家電量販店、電気部品店等が並びますが、現在は「オタロード」なる名前も付加されています。

アニメ、フィギュア、同人誌を扱う店が多くあり、「西の秋葉原」とも言われているのです。

以前とは全く風景が変わり、メイド喫茶も沢山あります。

その店員さんが道に並んで、店の案内?客引き?をしていました。

私が学生の頃は、オーディオオタク、家電オタクが集まる場所というイメージでしたが、時代が変わればこれだけ変わるのです。

加えて言うなら、これだけ情報があふれていると、「観る」というアトラクションでは、刺激が足りないのだと思います。

USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)にしても、メイド喫茶にしても体験型です。

そう考えると、 「博覧会の時代」と言われた、1990年代後の万博は、なかなか難しいものがあると思います。

日本橋と難波の境目あたりにある、焼売(シュウマイ)の名店「一芳亭」。

黄色い皮の焼売(シュウマイ) は、美味しくかつリーズナブル。

長らく行っていないので、帰りに前を通ってみました。

体験型アトラクションの最たるものは、やはり「食べる」につきるでしょう。

向いにあるメイド喫茶には長蛇の列ができていました。

金額もそれなりだったので、時代を感じずにはいられなかったのです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

日本橋で見る狭小住宅‐1495‐ 

 中学に入学して、一番うれしかったのは定期を持ったことだったかもしれません。

 梅田、なんば、天王寺で自由に乗り降りできる、まさにゴールデンチケットでした。

 この3駅以外で、一番降りた駅はおそらく日本橋です。

 千日前通と堺筋が交差するのが日本橋1丁目。通称「日本一」。

 マクセルのカセットテープ、UDⅡが1円でも安い店を探して「小鉄」という友人と、このでんでんタウンを何往復もしました。

 当時面影を残す店も残っています。

 しかし、現在はネット社会となり、小売店舗は減小。

 ゲーム・アニメ・コスプレカフェなどサブカルチャーで知られる「西の秋葉原」となりました。

 でんでんタウンの西にあるこの通りは、通称「おたロード」と呼ばれるようです。

 たしかにメイド?のコスチュームで客引きする女性も。

 愛着のある街なので、寂れるよりは……と微妙な気分ではあります。

 この界隈に、有名な狭小住宅が2軒あります。

 いつ「美園」がなくなったのでしょうか。

 ただの「ユニバース」を通り過ぎます。

 1軒目は、安藤忠雄設計の「日本橋の家」。

 1994年の完成の個人邸ですが、現在はギャラリーとなっています。

 1979年に個人住宅で初めて日本建築学会賞を受賞した「住吉の長屋」が最も有名ですが、それより更に間口は狭く2.5mとのこと。

 しかし、この日は閉館日だったのか、入館できませんでした。

 また機会を改めます。

 もう1軒の「日本橋の家」は岸和郎の設計で1992年の完成です。

 日本建築家協会新人賞を受賞した作品で、氏のサイトによるとこちらの間口も2.5mとあります。

 外壁は鉄骨にセメント成形版を直接取り付けてあります。

 そのディティールは何度も住宅誌で見ましたが、本物を見たのは初めてでした。

 現在も個人邸だと思うので、写真はここまでにしておきます。

 4階に住居部分があり、それがふわりと持ち上げられています。

 何と言えばよいか「これは本物だな」と感じました。


 
 狭小住宅で言えば、「住吉の長屋」が西の横綱でしょう。

 対して、東の横綱は東孝光の自邸、1966年完成の「塔の家」でしょう。

2008年の3月に、表参道を雨の中ひた歩き見に行きました。

 すでに日が暮れていましたが「これこそが本物」という迫力でした。

 建築家として生きたいと思ったのは、学歴をものともしない安藤忠男の活躍があったからです。

 仕事をしていて、時には理不尽なことも起ります。

 そんな時「僕は安藤じゃない」と自分に言ってきかせます。

 誰もが認めてくれる所までたどり着けてないという意味です。

 人は誰もが同じではありませんし、価値観も違うと言えます。しかし、一番は一番です。

 その道のりの遠い事……

 しかし、その足跡をたどって歩いた時、「まだまだ」という気になります。

 可能性がある限り、すべてを振り絞って働くだけだと吹っ切れるのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

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【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

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