今日は、急に車が使えなくなり、近鉄特急で名古屋へ行くことに。
娘と2人での小旅行です。
朝7時のアーバンライナーはガラガラでした。
大阪上本町から2時間で名古屋に到着。
まずは名古屋城。
「伊勢 は津でもつ、津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」
「名古屋観光情報」というサイトに、三重県伊勢地方の民謡「伊勢音頭」にも歌われている有名なフレーズ、と紹介されています。
鯱は雨を呼ぶという伝説があり、火事除けとして飾るようになったそうです。
しかし、残念ながら戦争の焼夷弾にはきかず、現在の天守閣は昭和34年に再建されたもの。
大きいな、というのが第一印象でした。大阪城より一間は大きい感じ。
プロポーションなら大阪城のほうが優れているでしょうか。
このあたりが、秀吉が天才建築家と言われる所以です。
関ケ原の合戦で勝利を収めた家康は、豊臣家との対決に備え、近畿、東海の城を整えて行きます。
尾張の中心である清州城は規模が小さく、度々水害に見舞われていました。
そこで、北と西が断崖となっているこの地に名古屋城を築城。完成は1612年で、大坂夏の陣の3年前のことでした。
豊臣家滅亡までの最後の布石となったのがこの名古屋城で、立派であることが重要だったです。
名古屋と言えばひつまぶし。 城の北西にある「しら河」という店へ行ってみました。
電車でガイド本を見た程度のリサーチなので、早めに到着。11時にはもう一杯という感じでした。
本格的な名古屋が初めてなら、ひつまぶしも初めて。
なるほど、なかなかに美味しいものです。
特に最後のお茶漬けがよかった。
鰻好きの娘はペロリと平らげていました。
娘と来た以上、水族館は最優先です。
名古屋港水族館は都心部に近いにも関わらず、国内最大級の大きさとのこと。
シャチのショーを見たのはかなり久しぶり。
昔、白浜のアドベンチャーワールドであった気がするのです。
最近のイルカショーは洗練されており、シャチのショーがなくなるのも理解できます。
このあと栄あたりを回るつもりでしたが、時間切れ。
先ほど大阪に戻りました。
明治維新が、薩長土肥によって成し遂げられたなら、戦国の世を終わらせたのは、東海地方の英雄達です。
信長、秀吉とも偉大なリーダーでしたが、260年に渡って太平の世を治めてきたのは家康。
政治力、忍耐力も秀でていたのだと思いますが、家康が部下にひどい仕打ちをしたという話はあまり聞きません。
名古屋城築城の手伝いを命じられたのは、秀吉が可愛がっていた、福島正則、池田輝政、加藤清正達です。
石垣が美しいことで知られる熊本城の城主であり、城郭建築の名人、加藤清正が名古屋城の石垣を完成させています。
大きな天守閣を支えるのは、立派な石垣。石の上に乗り、工事を鼓舞する像まであるのです。
松下幸之助を「人たらし」と呼ぶように、家康はどこか憎めないリーダーだったのだと想像しています。
実は、今年の12月で当社のマルコが辞めることになりました。
イタリアから日本に渡ってきて3年。半年日本語学校へ行ってから、当社に来たので2年半働いたことになります。
初めて外国人と働いたのですが、分かり合えたこと、うまく伝えきれなかったこと、どちらも沢山あります。
もう少し規模の大きい組織事務所も経験したいという希望を、私が止める権利はありません。
最長5年と言っていたので、彼が居てくれる間になんとかその次の世代をと思っていましたが、それもまた振り出しに戻りました。
三歩進んで二歩下がるではないですが、成長の歩みとはなんと遅々としたものか。
家康が天下を収めたのは60歳の時。汗かき、べそかき、365日歩を進めるしかありません。