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さすが江戸っ子‐1369‐

 「さかたファミリー歯科クリニック」の現場へ行くのに、JR学研都市線に乗る機会が増えました。

 今日はポカポカと気持ちがよく、気づくウトウトと居眠りを……

 春眠暁をおぼえずで、気持ちのよい季節になりました。

 春になったので、そろそろ船を出そうと免許をみると、有効期限が切れています。

 小型船舶操縦免許は5年に一度、講習を受ける必要があり、失効講習を受けてきました。

 会場は新大阪にある大阪市立青少年センター。

 旧称は 大阪市立青少年文化創造ステーションで、佐藤総合計画の設計。2003年の作品のです。

 ユースホステルが入っていますが、外観はまさにホワイトベース。

 ややがらんとした印象でしょうか。

 講師の話によると、車の運転免許証は都道府県公安委員会が発行している公文書。

 小型船舶操縦免許は国土交通省が発行している公文書。よって、罰則などは小型船舶操縦免許のほうが重いそうです。

 2時間半の講習を受け、ようやく操船できるようになりました。

 帰りに新幹線の高架沿いを歩いていると、フリーマッケトが催されていました。これがなかなかの活気。

 格好良くて清潔より、ラフで猥雑なところに人が集まることはよくあるものです。

 先月のことですが、 以前オープンデスクに参加していた女の子から、長男の合格祝いにと、本と手紙が届きました。

 合せて、手作りクッキーまで同封してくれていましたが、これは子供達がすぐに食べてしまいました。

 本のタイトルは「銀の匙(さじ)」。

 なかなか歯ごたえのある本で、これは腰を落ち着けて読まなければなりません。

 早速、子供2人にお礼の手紙を書いてもらいました。

 娘はクッキーのイラスト付きですが、私の手紙が最も遅く、ようやく4月の初旬に郵送したのです。

 手紙の中には彼女の近況報告もあり、「昨年、念願の一級建築士を取得しました」とありました。

 働きながら資格をとるのは大変だと思います。ひとまず肩の荷がおりたでしょう。

 資格とはそもそも何でしょうか。

 まずは最低限の能力を担保するものです。しかし、担保は成長を生まないのがこの世の鉄則。

 さらに先を目指さなければ、成長を鈍化させることもあるかもしれません。

 東京で仕事をした施工会社の社長が、建築工事請負契約書を指して「こんなものは紙切れだと思ってるんで」と言いきりました。

 どうでもよいと言っているのではありません。

 クライアントに満足してもらえなければ、そんなものを振りかざしても何の意味もないと知っているのです。

 「さすが江戸っ子」と言いたくなりました。

 人生は攻め、攻め、攻め。そしてまた攻めです。常に前へ進むしかありません。

 彼女はこの日記を読んでくれており、「道標になっている」と書いてくれました。

 「よく頑張ったね、おめでとう」という気持ちと、「さあここからがスタート」という2つの気持ちがあります。

 20年の先輩として、少しでも役に立てるよう、なんとかそれを体現したいと思うのです。

2度目の人生‐1368‐

 今日の朝、神社の桜も満開でした。

 その下を歩くのは1年生か2年生か。

 今日から新学期という学校がほとんどでしょうか。

 土曜日はあいにくの天気でしたが、長男の入学式でした。

 中学校の制服姿を見ると、まずは大きくなったなという感慨があります。

 そして期待と不安。これは本人も同じでしょう。

 子を育てるというのは、人生を復習、追体験することに近い気がします。

 もう30年以上前のことですが、確実に自らの記憶がよみがえってくるものです。

 私は小さい頃、初めての環境が特に苦手でした。

 自分から声をかけることができず、なかなか友達が出来ないタイプだったのです。

 中学に入ってすぐも、なかなか遊びの輪の中に入っていけなかったことを覚えていま。

 そんなこともあり、長男にこう伝えてみました。

 「まずは自分から声をかけてみたらどうかな。みな緊張しているから、ちょっと勇気を出したら相手は喜んでくれると思うよ」

 この歳になって分かるのですが、初めての環境が得意な人などいません。
 
 ところが、視野が狭く、自分のことばかり見ているので、簡単に「苦手」とか「得意じゃない」とか言ってしまうのです。

 中学1年のときから、積極的に声を掛けられる生徒がいたとします。

 彼は元からそういう性格だったのではなく、過去に自ら行動を起こして良かったという経験を持っているのだとしたら……

 個性尊重の時代で、人はそれぞれといいます。

 しかし本当の意味での個性とは、厳しい現実に削られて、削られて、ようやくにじみ出してくるものだと思います。

 いずれにしても新たな門出です。

 楽しいことは問題ありません。厳しいこと、難しいことが起ったら、それらが自分を磨く砥石だと思えれば、少しは我慢強くなれるでしょうか。

 それが成長への1本道です。

 2度目の人生。私も成長できるよう、その砥石を積極的に拾いにいかなければなりません。

なんてったって、はじめてですから‐1367‐

 先週末、「長田の家」の1年点検に行ってきました。

 竣工は2016年の3月。撮影は6月でした。

 コンセプトは「白いダイヤモンド」。

 東大阪市の長田は工場地帯です。この街に白いダイヤモンドを浮かび上がらせてみたい。そう思ったのです。

 敷地は角地で、トラックの往来が多いことから、1階北側は1mほどセットバックしています。

 音対策に加えて、トラックからの見通しも考えてのこと。

 道路側の窓は高い位置にきっていますが、これも音対策。十分期待に応えてくれているようです。

 南に高い社屋が建つこともあり、中庭型の住宅を提案しました。

 玄関前の長い庇は車の乗り降りの際、雨に濡れないよう考えたものでしたす。

 クライアントはメーカーの創業家に生まれ、何れは経営者となるでしょう。

 同じ街に住居を構えることを指し「働く覚悟」と言いました。

 子供さんたちは、いつかお父さん、お母さんの覚悟を感じてくれるでしょうか。

 撮影から10ヵ月経っても変わらず美しく、新たに加わった黄緑のソファと座布団がよく合っています。

 時計もシンプルなものを探してくれたとのこと。

 この家に愛情を注いでもらっているのが伝わってきます。

 以前の課題で、2階トイレで水を流すと、近くにある手洗いでウォーターハンマー現象が起こっていました。

 封水が引っ張られる現象ですが、これは手洗いに通気弁を付けることで解決しました。

 玄関ポーチ前の長い庇には、雨樋をつけようという課題もでました。

 いくつか改善点は上がりましたが、基本的にはとても楽しく暮らしていると言ってもらったのです。

 最後は、監督によるお掃除講座。

 汚れの取り方を、奥さんにレクチャーしてもらいました。

 この日、上2人のお子さんは外出中。

 一番下の次男君が途中で帰ってきてくれました。

 打合せ時は生後数カ月。いつもベビーカーに乗って、来社してくれたものです。

 彼がお母さんにおねだりしたのは、元祖ゴーストバスターズ。

 もう完全に大人です。

 クライアントと3時間は話していたでしょうか。

 その中で、一番記憶に残っているのが「なんてったって、はじめてですから」という言葉です。

 一生に一度、さらに最も高い買い物を、私達に任せてくれるというその期待と不安。

 こうしてクライアントの話を聞いていると、多くの気付きがあります。

 webサイトにも「長田の家」をUPしたので良ければご覧ください。

 「1年後の感想」も、かなり詳細に書いてもらいました。私が一番笑ったのは、訪れた方の感想です。

 芸能人のお家か!

 タレントさんの家も設計させて貰いましたし、決して芸能人を馬鹿にするつもりはありません。

 芸能人の方の家より、いいものになったのではと勝手に思っているのです。

壁は扉に変わらない‐1366‐

 4月に入り、新年度が始まりました。

 現在進行中の計画で、釣り好きのご主人が2人います。

 ともに「忙しくて、全く行けていない」と聞いているので、ちょっと書きにくいのですが、七色ダムへ行ってきました。

 七色ダムは奈良と三重の県境にあり、大阪から2時間半ほど。

 随分道もよくなりました。

 山桜は一番進んでいるもので7分咲きくらい。

 来週には満開になりそうです。

 すぐ北にある池原ダムとともに20年通っていますが、七色というくらいなので、本当に色鮮やかな湖です。

 これらの写真を撮ったことで、私の目的は半分が達成されているのです。

 残り半分の釣りですが、ボートの数はさほど多くありませんでした。

 寒い冬から春に向かい、水温が上がりはじめるこの時期。

 三寒四温と温度の変化も激しく、なかなかに釣り辛い時期でもあります。

 一昨年、昨年と、年初めの1匹を釣るまでに、2、3回の釣行を要しました。

 例年の反省も踏まえ、最も条件が良いと思う場所で徹底的に粘るというプランをたてました。

 めぼしいところをチェックした後、決めたのはダム最上流部から初めに大きく曲がっているエリア。

 春を意識した魚が、ユラユラと行き来するのが最も多く見えた場所です。

 今日はこの場所で心中と決めたのです。

 朝の10時頃、確かな生命感がロッドに伝わってきました。

 慎重にとりこんだのはコンディションのよい35cmのブラックバス。

 気が向いた時に来れば、いつでも私と遊んでくれる唯一の親友です。

 手を離せば、急いで水中に帰って行きますが。

 「春は最上流部」はバス釣りの鉄則です。

 このエリアをフラフラと動き回るのですが、水温が低いので目の前にルアーを持っていかなければ食べてくれません。

 私が心中と決めたのは、岸から3mほどにある大岩が沈むポイント。

 この岩が魚の回遊ルートを狭め、かなり限定してくれると考えました。

 また、大岩の後ろにボートをつけることで、こちらの気配も消すことができます。

 岸と大岩の間にルアーを置き、回遊してくる魚をとことん待つと決めたのです。

 釣りなど全く興味がない、という人がここまで読んでくれることは無いかもしれませんが、バス釣りの面白さが少しは分かっていただけたでしょうか。

 扉に変わるかもしれないという、勝手な希望にとらわれて、壁をたたき続けていてはいけません。
 
 -ココ・シャネル-

 現実の情報が、願望によって曲げられているケースは、仕事の場面でも、遊びの場面でもよくみられます。

 色眼鏡でみる、という表現もある通り、現実をできるだけ正確に、透明な目でみることは、全てにおいての第1歩です。

 シャネルをトップブランドに押し上げた要諦なのかもしれません。

 また、孤児院で育ったココ・シャネルにとって唯一の願いだったのではとも想像するのです。

大善は非情に似たり‐1365‐

 当社の隣では「平野西のアパートメントハウス」の工事が進んでいます。

 職長が、新入り君らしき若者を叱る声が聞こえてくることもしばしば。

 中学校をでて、すぐくらいの年齢でしょうか。

 小さい体で頑張っている姿をみると、まずは「頑張れよ」と思いますが、他の気持ちも湧いてきて、複雑な気持ちにもなります。

 1人では無理だが、2人いれば出来ること、が現場にはあります。

 どんなに長けた職長でも、人の手を借りないとできないことが多々あるのです。

 若手の教育はどの業種でも大きな課題ですが、なれ合いが命にかかわることがあるかもしれません。

 やはり、現場とは上品だけではやっていけないところです。

 私の仕事がら、現場に是正を求めることがあります。

 現場チームと仲良くするのが目的なら、是正を求めるのは気が重いことです。

 実際、楽しいことではないかもしれません。

 しかし、最終的にクライアントに喜んで、感激して建物を引き取って貰えないとしたら、全ては無になります。

 多くの時間と情熱をかけて創り上げたものが、そうなることを誰も望んでいません。

 それを考えると、是正を求められた人の立場においても、厳しく監理したほうが最終的には幸せにつながると確信しているのです。

 稲盛和夫さんの著書、「成功への情熱」にこんな挿話が載っています。

 IBMの創始者、トーマス・ワトソンがよく社員に話したそうです。

 ある湖のほとりに、老人が住んでいました。

 この湖は、野鴨が暖かい地方に渡っていく途中に、立ち寄る場所になっていました。

 ある年寒波がやってきて、食べ物がなくなり、数羽の野鴨が立往生してしまったのです。

 かわいそうに思った老人は、毎日彼らに食べ物を与えました。

 その後、年ごとに老人の優しさを頼る野鴨は増え、最終的には群れの全てが移動しなくなってしまいまいした。

 そしてある冬、老人は亡くなりました。

 エサをもらえなくなった野鴨は、何百羽もが飢え死にしてしまったのです。

 「小善は大悪に似たり」の1例です。

 数羽の野鴨といえ、それは命です。

 この否定できない真実があったとき、これらの間違いは起こりやすい気がします。

 命を救うこは正しいことです。しかし、族、種別が滅びることは誰も望みません。

 「大善は非情に似たり」なのです。

 非情を簡単に理解してくれる人などそうはいません。

 リーダー業とは基本孤独なものだし、それで当たり前なのだろうと思います。

 さらにいえば、行きたいところがあることが、何より幸せなことなのだと思うのです。

「どうせ」はやめた‐1364‐

 先週の金曜日、中高の先輩に声をかけてもらい、京都へ行っていました。

 20歳ほど上の先輩が、2件目に連れていってくれたのが「カルシウムハウス」

 京都で35年続くニューハーフのショーパブです。私も名前くらいは聞いたことがありました。

 こちらのオーナー、梶子ママはかなりメディアに露出しているそうで、高槻中高の先輩でした。

 何期上かは彼女(彼?)の商売柄を考えて控えておきます。

 お土産にもらった、「なにわのおばちゃん&おネエの牛すじカレー」。

 右が梶子ママです。

 見た目は美しいですが、声は完全に酒やけしたダミ声。もちろんそれも商品のはずですが。

 その翌日、ご一緒したその先輩から、「ビフォーアフターに 貴兄が出てますね」とメールをいただきました。

 土曜日の午後2時から、「住之江の元長屋」の再放送があったようです。地上波放送は今回で3回目だったと思います。

 テレビ局側から再放送に関して連絡はないので、全く知りませんでした。

 放送後「 明かりも大切ですが、私は 風が抜ける設計を評価しますね。 通風性の重要さを思い付かない方が多いし、解決策が 見事です」とメールをもらいました。

 ニューハーフのオーナーママあり、建築好きの税理士ありと、改めて母校の奥行きを知ったのです。

 この春から、長男が中学校へ行きます。

 部活は必須だそうで、候補にしている卓球を一度やってみようとなりました。

 妻がカミ卓球場というところを見つけてきました。

 加美は平野区なので、車で5分くらい。

 また、2006年の作品「加美の家」も近いので土地勘はあります。

 住宅っぽい門扉の先にあるのは元作業場のよう。

 それらを改修し練習場となっていました。

 中には卓球台が4台ありました。3人で2時間借りて3000円。

 子供達は、実家にある小さいテーブルで練習を重ねているそうで、思った以上でした。

 長男は左打ちなので、結構いけるかもしれません。

 娘も負けず嫌い感をだして頑張っていました。

 壁には、福原愛、石川佳純、伊藤美誠とオリンピック選手の色紙や写真が飾ってありました。

 こちらのコーチは、先日結婚した福原愛ちゃんの練習相手をしていたそうです。

 ここで練習していたのかは分かりませんが、トップ選手ながら、卓球をとりまく環境も楽ではないのだろうと想像します。

 ベスト4まで進み、盛り上がりを見せていたワールド・ベースボール・クラッシク。予想以上の活躍を見せ、注目を集めたのが巨人の小林捕手です。

 彼の談話が載っていました。

 「『どうせ』って言うのはやめました。僕は下手くそなんで必死にやるだけ。がむしゃらに。それだけです」

 巨人のレギュラーである小林捕手にしても、超エリート集団にはいると「どうせ」と言いたくなるのです。

 ということは、どんな分野の、どんなレベルであれ、同じことが起っていると想像できます。

 入社試験を1日で辞退。

 それは個々の生き方なので自由です。

 イエール大学の建築学科卒なら別ですが、エリート街道という言葉がある通り、私達に舗装道路など残っているはずがありません。

 でこぼこで水たまりだらけの泥んこ道を行くしかないのです。

 大した努力もしてきていない非エリートの私達が口にしてよいのは「どうせ」ではありません。

 「せっかくなら」以外ありえないのです。

彼岸にわたる‐1363‐

 今日でお彼岸も終わり。

 暑さ寒さも彼岸までと、公園の花水木もほぼ満開です。

 そして菜の花も。

 「お彼岸」とは彼岸会(ひがんえ)の略で、春分・秋分の日を中心に前後3日間におこなう仏事を指すそうです。

 「彼岸」を広辞苑でひくと「生死の海を渡って到達する終局・理想・悟りの世界」とありました。

 反対に、生死を繰り返す迷いの世界が「此岸(しがん)」。私達が生きるこの世の中です。

 お釈迦さまは、此岸(この世)から、彼岸(悟りの世界)に到達することを波羅蜜(はらみつ)といいました。

 そのために必要な修行が六波羅蜜です。

六波羅蜜

1 布施 人を助ける。
2 持戒 戒律を守る。
3 精進 努力をする。
4 忍辱(にんにく) 耐え偲ぶ。
5 禅定(ぜんじょう) 心身をおちつける。
6 智慧 学ぶ。

 俳優の高倉健さんが亡くなる前に語っていた言葉が好きです。

 「俳優という仕事には、生き方がやっぱりでているよね。テクニックではないんでしょうね。

 柔軟体操なら、いいトレーナーにつけば体を壊さずに柔らかくなる。いい本を読めば知識はつく。

 しかし、最もでるのは普段の生き方。偉そうなことを言うようですけど」

 六波羅蜜をみれば、お釈迦さまであれ、私達一般の市民であれ、すべきことは大差ないのがよく分かります。

 それは、高倉健さんのいう日々の行いであり、一過性のものではないのでしょう。

 この陽気に誘われて、早咲き桜もポツポツと花開き始めました。

 花はすべき時に準備をし、ほこるべき時に咲きほこります。

 桃源郷という言葉がある通り、理想の世界にはいつも花であふれています。

 この時期に先祖を参るのが彼岸参り。

 岡山と香川、高槻と和歌山を訪れなければと思うのです。

白川郷でみた「結」の本質‐1362‐

 昨日は、岐阜の荘川高原スキー場に行っていました。

 東海北陸道の高鷲インターを過ぎ、ひるがの高原サービスエリアの次のインターチェンジが荘川。

 かなりローカルな感じのスキー場ですが、ここにしたのには理由があります。

 ひとつは、久し振りにスノーボードをするためです。

 長男に水をあけられたボードですが、私の練習のため、広く、すいているところがよかったのです。

 まだ時々こけますが、娘のボーゲンにはついていけるようになりました。

 ようやく長男と同じくらいまできたでしょうか。

 なんとも昭和の匂いがするレストハウス。

 このほうが落ち着くのは昭和45年生まれなので当り前か。

 席の確保に苦心する必要もなしで、気楽に午後2時まで滑りました。

 ただ「シニア券(50歳以上)」の表記にたじろいでしまいました。

 もう数年で、ついにシニアなるというのが現実なのです。

 荘川まで北上してきたもうひとつの理由は、白川郷に寄るためです。

 前回白川郷に来たのは2008年の秋。娘が生まれて半年くらいでした。

 家族で47都道府県制覇を掲げていますが、いずれも4人で回るのが前提です。

 今年の夏休みには達成できそうですが、その次は日本の世界遺産制覇にしようと思っています。

 私は満足しているけれど、子供には記憶がない。

 これでは目的を果たしていないので、記憶にないところは、再訪しなければと思っているのです。

 夕方3時半に着きましたが、この時間でも続々と観光客が訪れます。

 私達もそのひとりですが。

 2008年にも訪れた、明善寺の庫裡に入ってきました。

 1階には囲炉裏があります。

 電気やガスなど無い時代、寒い冬は炉を中心とした暮らしがありました。

 内部は5層構造になっており、中央はすのこ状の床になっています。

 囲炉裏の暖気が登ってきて、茅葺屋根の内部を燻します。

 それらは、虫を駆除する役目もはたしているのです。

 また、茅葺屋根なので、窓は妻面(屋根のかかっていない側面)にしかありません。

 光はより貴重なものだったでしょう。

 2~4階はカイコを養殖する空間です。

 長い冬、大きな屋根裏を養蚕工場として活用されていたのです。

 1階にあるこの囲炉裏は暖をとるだけのものではなく、全ての中心でした。

 茅の葺き替えは、片面だけで1千万円以上かかるそうです。

 また、100人から200人の人手も必要になってきます。

 その膨大な人出は、「結(ゆい)」という労働交換によってまかなわれます。

 豪雪地帯である白川村は、長く他の地域と隔離されるため、それぞれの家庭だけで生きていくことは不可能でした。

 互いが助けあうことが、どうしても必要だったのです。

 「結」は日本各地にありました。沖縄では「ゆいま~る」です。

 「結」という思想は、農業国であった日本の原風景といえるのです。

 彼岸をむかえ、茅葺きの屋根からは雪解け水が茅の1本1本からしみ出し、滴となってしたたり落ちます。

 村内に張り巡らされた水路の流れは、春の訪れをしめすよう。

 本格的な春を迎える彼岸は、現代とは比べられない程、待ち遠しいものだったのではと思います。

 現代社会が失ったものを、簡単に断ずることはできません。

 しかし、若者の「まずは自分の権利があってこそ」という姿をみて、果たしてそれでよいのだろうかと思います。

 その時間そこにいれば、今度の葺き替えの時に手伝って貰える訳ではありません。

 役にたってこそ、屋根を葺いてこそなのです。

 もし手伝って貰えなければ、その先にあるものはたったひとつなのですから。

直感を信じる勇気、失敗を許容する寛容さ‐1361‐

 塾でテストがあった日、娘はたこ焼きを食べに行きたいと言います。

 大阪で、たこ焼きの昼食は「あり」ですが、娘は会社近くにある店「チャッピー」限定。

 確かに、ここのたこ焼きはまわりがサクッとしていて、なかなかに美味しいのです。

 おじさんは「ちょっといい粉を使ってます」と言っていましたが、多めの天かすも理由かもしれません。

 しかし、ここまで好きだとは分かっていませんでした。

 店のおじさんに、手紙を書くと言い出したのです。

 たこ焼きのイラスト付。

 先日「冬になってお客さんが減ったと、おじさんが言ってたよ」という話になりました。

 「あの店がなくなったら、もうあのたこ焼きが食べれない。自分が食べに行かなくては」と、気が気でなかったようなのです。

 大阪のたこ焼きで、美味しくないところもそうありませんが、よければ食べてみて下さい。

 8個300円。味は私が保障します。

 一応、地図も貼っておきます。

 おじさんは、店を辞めても手紙は置いておくよと言ってくれました。

 この高度情報化社会、SNSやインターネット網に引っかかれば勝者、そうじゃなければ敗者というような風潮です。

 娘の舌がすごく肥えているとは言いませんが、彼女にとって手紙を書きたいほどの店。

 客足が遠い現実をみて、何が正しいのだろうかと考えます。

 彼女の好物はアジの刺身で、醤油を付けずに食べます。また、味の濃いラーメンなどは「辛い、辛い」と全く食べません。

 味覚はは小学4年生くらいが最も鋭いようなので、案外一番味が分かっているのかもしれません。

 たまの外食は「やっぱり美味しかったね」が理想です。

 しかし、飛び込みの店で「見ためより美味しかったわ」や「完全に見掛け倒しだったねえ」も、もちろん「あり」です。

 誰しも失敗は嫌ですが、長い(短い)人生、失敗の数こそが、そのまま成長への係数になるような気がします。特に若い頃は。

 長男がスマホで検索する姿をみて、どうしても寛容な気持ちになれないのは、このあたりにあるのかもしれません。

 はずれの店もよし、時にはぼったくられるのもまたよしなのです。

 ネットで検索して、知ったような顔になっていないか。自分の目、直感を信じる勇気をもっているか。

 そして、多少の失敗を許容できる寛容さをもっているか。

 これらは、大人側の問題だと言えそうです。

苦味あってこそ‐1360‐

 長男が何とか希望校に通ったので、お礼参りに行ってきました。

 北野天満宮は学問の神様、菅原道真公が祭られた、天神社の総本山です。

 言わずと知れた、ですが。

 1月3日は、混雑を避けて早朝に到着しました。

 今回は午後2時の到着でしたが、梅の名所でもあり、かなりの賑わいでした。

 朝日があたるここがいいんじゃない、と奉納させてもらった絵馬掛所の一角。

 前回より、さらに絵馬が盛り上がっています。

 後半生、不遇だった道真公はこう遺言を残したそうです。

 自らの遺体は牛に車を引かせ、立ち止まったところに葬って欲しい。

 それで、天神さまのお使いは神牛となりました。

 本人は「僕も結構頑張ったんやで」と言っていますし、もちろんそうでなければ合格しないと思います。

 それでも、少し後押しがあったように感じるのは、私が親になったからでしょうか。

 梅苑も散策してきました。

 道真公は博学であるがゆえ、時の天皇に疎まれるようになっていきます。

 そして、大宰府へ左遷されそこで一生を終えるのです。

 大宰府天満宮へは、2014年の夏に訪れました。泣き出しそうな空だったことを覚えています。

 東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花

 主なしとて 春を忘るな

 京を去る際に、詠んだ歌です。

 小ぶりな梅の花が切なげに、慎ましやかに咲き誇ります。

 梅は枝の形がさまざまで、紆余曲折のある人生のようにも見えてきます。

 梅は枝と合わせてみるものではと、この歳になって気づきました。

 今日、2時間程かけて入社試験の面談をしました。

 若い彼らに、苦味と喜びの両方を経験させてあげられたらといます。

 博学を疎まれるほどの経験がないことを、喜んではいられませんが、それなりの屈辱も経験してきました。

 しかし、ビール、コーヒー、サンマのはらわたと、苦味の無い人生は、それはそれで味気ない気がするのです。