タグ別アーカイブ: ゲツモク日記

ゆるかわも描く、変幻自在の天才絵師‐2066‐

地下鉄四つ橋線の肥後橋駅から土佐堀川沿いを西に歩いて3分。

筑前橋からは公共建築が連続して見えます。

大阪市立科学館、国立国際美術館、そして大阪中之島美術館です。

日曜日は、朝こそ冷え込みましたが、日中はすかっと晴れました。

2022年2月の開館で、設計者は遠藤克彦さん。

長きに渡るコンペで勝ち取ったのですが、私は初めて訪れました。

中央にあるエントランスホールからとにかく大きい。

4階、5階にある展示室まで、巨大な吹き抜けの中に2本のエスカレーターがあります。

ここまで贅沢に吹き抜けを使っている美術館はあまり見たことがありません。

4階で開催されている長沢芦雪の特別展示を観にやってきたのです。

入口横にはヤノベケンジさんの作品。

アートには、良いとか悪いとかそういったものとは違う次元の価値がある。

そんな感じでしょうか。

朝一番に行ったのですが、最終日ということもあり館内はすぐに一杯になりました。

残念ながら会場内で撮影可能なのはここだけ。

芦雪は様々な動物を描いていますが、群れているものが多くあります。

江戸時代中期、1754年に丹波篠山の下級武士の家に生まれたのですが、幼い頃に淀へ養子に出されています。

その寂しさが、こういった群れる動物たちを描かせたと考えられているそうです。

それまでになかった写実主義によって、日本の絵画を変えたと言われる円山応挙に若くして弟子入りします。

早くにその技術も習得し、奇想の絵師と言われるようになりますが、その転機は応挙の名代として串本にある寺に赴いてからでした。

南紀の温暖な気候がそうさせたのか、無量寺の襖に描かれた虎図と龍図は最高傑作とも言われます。

こちらは前期のみの展示だったようで、是非無量寺まで行ってみたいと思います。

私は長い掛け軸に描かれた、タコの絵がとても気に入りました。

牛の絵にあるように、大胆な構図がとても刺激的ですが、こういった「ゆるかわ」な動物も沢山描かれています。

この絵は、濃い色の背景に、明るく描かれた子犬が2匹。

スポットライトを浴びているような効果があると解説にはありました。

猿や子犬の柔らかそうな毛、きりっと描かれた虎や龍の髭、そしてぬめっとした光沢を墨の濃淡で描き切った蛸。

変幻自在の天才絵師の名に相応しいと、大満足の特別展でした。

1799年、大坂で客死し、45年の人生を終えるのですが、もっともっと彼の絵を見てみたかった気がします。

帰りに北側へ回ってみると、ここにもヤノベケンジワールドが。

「アートには、良いとか悪いとかそういったものとは違う次元の価値がある」と書きました。

このネコちゃんの前で、多くの人たちが記念撮影していました。

楽しくなければアートじゃない。

そう思っているのですが、残念ながら我が家の子供達にはあまり伝わらなかったのが、少し心残りではありますが。

点青三昧

点青=絵を描くこと。三昧=それに打ち込むと。

芦雪はよくこの言葉を好んで使ったそうです。

彼の絵を観て、やはり私はアートが大好きなんだと認識しました。

やる気十分でアトリエに帰って、私も点線三昧です。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

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10年は乗るので、これからも宜しくお願いします‐2065‐

車は、新車なら3年、それ以外は2年ごとに車検があります。

八尾にあるサイトウ自動車サービスへ車を引き取りに行ってきました。

今回で3回目の車検ということは、先代の緑のディスカバリーから丸7年乗ったことになります。

大体が過酷な環境に連れて行くので、メンテナンスはしっかりしてあげたいと思っています。

今回は、スタッドレスタイヤへの交換と、ボディのガラスコーティングもお願いしました。

車好きのクライアントから、「まるで新車みたいになりますよ」と教えて貰ったのです。

社長の斎藤さんもでてきてくれ、「だいぶ気合入れて磨きましたよ!」と。

ガラスコーティングも、前段階の下処理が大切だそうです。

何でも同じなんだなと思いながら、空が映りこむほどのピカピカさに、感激したのです。

道を挟んだ向かいにある店舗兼工場は、JUNKY’Sブランドとして展開しています。

池原ダムで初めて知った時は、バスフィッシングの専門店だけでしたが、現在はリフトアップした車や、アウトドアグッスの販売も好調だそう。

何度か紹介したのですが、いつも天気がいまいちだったので、再度、恰好いいところを上げておきます。

いつもニコニコ斎藤さんですが、先日はNBCという団体のバスフィッシングの試合で、関西の代表として試合に出ていたそう。

ゴルフ、ソフトボール、キャンプと、とびきり元気な社長ですが、奥のスワンボートを買ってみたり、手前のワンちゃんを買ってみたりと、遊び心も満載です。

池原ダムで、このスワンボートから釣りをしている光景を見た時は、思わず笑ってしまいました。

最近加入したらしいこのワンちゃん。金額を聞いてびっくりしましたが、何より売っていた店の店主が、売れたことに驚いたそうです。

まさに看板犬です。

長く乗るだろうなと思っていたので、2代目ディスカバリーは3万キロごとにオートマオイルも換えてきました。

換えるなら定期的に、換えないなら全く換えないのが良いそうです。

前回はディーラーで換えて貰いましたが、今回は無理を言ってサイトウ自動車でお願いしました。

専用の工具まで買ったそうで、そこは申し訳なかったのですが。

車は、5年くらいで買い替えるのが、経済効率的には良いとされますが、この代のディスカバリーより好きな車が全くありません。

10年くらいは絶対乗ると思うので、今後の車検も、オートマオイルの交換も宜しくお願いします。

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戦後日本の甘酸っぱい味わい、りんご‐2064‐

街のあちこちで木々が色付き、秋が深まっていくのを実感します。

今年の夏は暑かったからか、ツタ類もしっかりと色付いていました。

庭先に成っているのはボンタン類でしょうか。

我が家のバルコニーには干し柿が。

果物が美味しい季節です。

昨日、会社で仕事をしていると宅急便が届きました。

「山形のりんご」とあります。

開けてみると、立派なりんごが……

手紙が添えられていました。

2月に届いた和紙の手紙。

その宮城の社会保険労務士の方からでした。

宮城から大阪まで足を運んで頂いたのに、ちょうどクライアントと打合せ中で、お会いできなかったのです。

手紙には「果樹園を営む義母の実家に毎週末足を運んで……」とあります。

今日の3時に、1つ頂いてみました。

中心部に見えるのは蜜と言われる部分でしょうか。

酸味も程よく、爽やかな甘さがすっきりとした味わいです。

最近の果物は甘すぎると感じることも多く、何とも日本らしい果物だと感じました。大変美味しかったです。

「赤いりんごに くちびるよせて」で始まる、「りんごの唄」は1945年(昭和20年)の発表。

並木路子が歌い、戦後のヒット曲第1号と言われます。

また、「りんごの花びらが 風に散ったよな」で始まる、「りんご追分」。

1952年(昭和27年)に15歳だった美空ひばりが、主演映画の主題歌として歌った大ヒット曲です。

戦後の貧しさから復興していく時代の雰囲気と、りんごの持つどことなく切ない甘酸っぱさがマッチしたのでしょうか。

日本復興のシンボルだったのだと思います。

戦後最大のスターとなった美空ひばりのデビューのきっかけとなったのが、NHKの「素人のど自慢」。そこで歌ったのも、「りんごの唄」だったそうです。

ラーメン > そば

メロン > りんご

食べた後の罪悪感の比較です。あくまで個人の感想ですが。

世界最古の果物とも言われるりんご。寒い地域で作られているのがまた良い感じがするのです。

ご自身が住む宮城から、山形まで足を運び、実際に手間暇掛けて生産して下さったりんご。とても滋味深い味わいでした。

妻に「売ってるりんごって、なんかピカピカしてない?」と聞くと、「贈答品なんかは磨いてると思う」と。

そう聞いて磨いてみました。

確かに少し光沢がでました。

私にできることはこのくらいですが、山形のりんごを応援したいと思います。

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阿倍野で、新旧建物探訪‐2063‐

昨日は11月22日。

「いい夫婦の日」は天王寺駅で降りて阿倍野界隈へ。

「あべのキューズモール」の向かいにある、「あべのハルカス」は長らく日本一高いビルでした。

しかし、明日2番目に高いビルに変わります。

厳密に言えば、「森JPタワー」はすでに完成しているので、もう抜かれていることになりますが。

ハルカスのすぐ南にあるのが「HOOP」。

間にある道は一方通行でかなり狭いのです。

それで、見上げるとこんな景色になるのです。

ただ、阿倍野という街との相対的な高さで言えば、やはり日本一かもしれません。

「HOOP」の西にある巴通りを南に抜けます。

レンガ色の建物は「あべのand」。

その東隣にあるビルで、ドローンの国家試験を受けてきました。

先月、民間の資格は取得できたので、実技試験は免除。

筆記試験だけの受験です。

試験だけを受託している会社で受けるのですが、ペーパーでなくパソコンでの試験でした。

不要な選択肢を鉛筆で消せないのは、ちょっとやり辛いなと思っていました。

三択50問を30分で、正解率70%が合格ラインです。

試験が終わるとすぐに結果が表示され、無事合格。

ほぼ一夜漬けでしたが、国家資格一発合格をキープできてほっとしたのです。

会場を出るとすでに夕方。

そのまま南に下ると元「村野・森建築事務所」の建物があります。

ハルカスの前に建っていた近鉄百貨店も村野東吾の作品です。


その旧事務所ですが、現在はテナントとして利用されています。

ハルカス、HOOP、andそして、旧村野・森建築事務所。

阿倍野の新旧建物探訪問でした。

見返すと夕日に照らされるハルカスが。

ハルカスの外観デザインの監修はシーザー・ペリです。

古美る(ふるびる)という概念は、日本独特のものです。

超高層ビルには合わないのは間違いありません。

ナショナリズム、地元愛も入っているかもしれませんが、私はやっぱり村野派かなと。

そんなことを思いながら、1駅南の阿倍野駅に向かったのです。

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なんでもある街、尼崎。玉子巻140円なり‐2059‐

阪急電車園田駅です。ある計画の初期調査にやってきました。

兵庫県で最も東にある駅だそうですが、初めて下車しました。

大阪行きホームの北にあるホームは、園田競馬の開催日に使用されていたようですが現在は閉鎖されています。

駅の北側は想像以上に整備されており、人通りも盛んです。

道幅は狭いものの、駅前商店街も活気がある印象。

更に歩くと、銭湯が見えてきました。

駅前の銭湯はかなり珍しいと思います。

駅の南側も道が広く、視界が開けています。

待ち客のいるお寿司屋さんを見つけました。

年配の大将がひとりで切り盛りしているようですが、金額を見て驚きます。

玉子巻、梅しそ巻、きゅうり巻はいずれも140円。6貫入っているようです。

コンビニおにぎりより安いとは……

何とか機会を作って食べてみたいものです。

そのまま南へ歩くと藻川に当たります。

わずか4.8kmの一級河川。理由は後で書きます。

南へ歩いて、名神高速の高架を通過。

1kmほどで猪名川との合流点に着きました。

その三角州の先端は公園になっています。

東からみると、公園の先に小さな島が見えます。

豆島とありますが、なかなか不思議な光景。

東に流れる猪名川と4.8km先で分岐した藻川は、ここで再度合流するのです。

川に囲まれた「戸ノ内」では鯉は神の使いとし、殺したり食べたりしなかったとあります。

藻川には大きな鯉がかなり泳いでいたのはそのせいなのでしょう。

猪名川の上流を阪急電車が通っています。

その上を、伊丹空港にランディングする飛行機。

更に南に歩くと、神崎川との合流部には山陽新幹線。

僅かに東へ行けば、阪神高速の池田線。

阪神高速、名神高速、阪急電車、山陽新幹線、藻川、猪名川、神崎川。

そして隣街の豊中には伊丹空港と、これだけ色々なものが集まっている場所はなかなかありません。

後に見えているのは、神崎川と旧猪名川が合流する水門です。

もすりん橋公園は、大雨時には貯留施設になるとあります。

これだけ河川が集中していれば、洪水との闘いだったことは想像に難くありませんが、この公園は凄いなと思いました。

更に遊具のひとつはボルダリングです。

危険を少しでも感じる遊具は撤去されていく風潮の中、ボルダリングを採用するとは……

尼崎、攻めてるなあと感じました。

そのまま神崎川駅まで歩いたのですが、沖縄料理店が多くありました。

多くの移住者が居られるのでしょう。もう少し歩いてみたいところです。

なんとも気になる街、尼崎でした。

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池原ダムで三原プロに遭遇。スキルアップはプラグの日、ワームの日‐2058‐

先週金曜日の文化の日から日曜まで、池原ダムへ行っていました。

前半2日はほぼ快晴。

飛行機雲がすぐに消えていきます。

土曜日は、現地で打合せだったので、釣り3、仕事1くらいのワーケーションでした。

世は三連休で、湖上は結構な数のボートで賑わっています。

いつもお世話になっているトボトスロープにも、東京ナンバー2台に香川ナンバーの車もありました。

常連組としては、バスフィッシングの聖地、池原ダムまでようこそという気持ちです。

ただ、池原ダムは秋が一番厳しい。何とか良い魚が捕れると良いのですが。

そう言う私も、かなり苦労してこのサイズが最大。

大物を見つけていたのでチャンスはあったのですが……

紅葉の初期で、景色は最高です。

魚は釣れませんが、動物たちは活発。

猿は10匹くらいの群れで騒がしく通過していきました。

ニホンカモシカも見かけました。

地元の人に聞くと、親子連れは珍しいそうです。

ニホンカモシカは、動きがのっそりしていますがこの日はきびきびと移動していました。

更に楽しかったことがもうひとつ。

バスブロの三原直之さんが、自身のオンラインサロンの会員さんと池原ダムで釣りをするという企画で来られていたのです。

三原さんはトップトーナメンターで、2019年の4月に池原ダムのすぐ南にある七色ダムでの試合で優勝しています。

その際も、キモとなる釣り方をすぐに全て公開されたのです。

その試合の1週間後だったかに、私は全く同じポイントで、全く同じ釣り方で、50cm以上ある魚を釣ることができました。

感激して、「トップってやっぱり凄い」という記事にしたのです。

その三原プロですが、先日トーナメンター引退を発表されました。

理由としては、バスプロとして生きていくために、次なるステージへ進むということでした。

「トーナメンターとしてお疲れさまでした会」が、トボトスロープで開催されるとのことで、私もトボトの常連組として誘って貰ったのです。

熊野の名店、「なんき」で買ってきたというお肉を炭火で焼くのでもう最高。

皆ビールも進みます。

三原さんには色々な事を質問したのですが、どんなことでも気持ちよく答えてくれました。

飄々とした風貌からは想像がつかないくらい、サービス精神も旺盛。

少しお目々が小さめなのを(失礼!)逆手にとって、このポーズ。

元々ファンでしたが、更に応援したくなりました。

どんな仕事でもトップの人には、以下のような質問をしています。

「釣りが上手い人は沢山居るとおもいますが、その中でなぜそので自分がそこまで上り詰めれたと思いますか?」

「ん~、ぶっとんじゃってるからじゃないですかねえ」と笑っておられましたが。

ただ学生時代のエピソードは面白かったです。

三原さんは鳥取の境港出身で、ブラックバスが釣れる野池と小さなダムがひとつずつありました。

そこへ釣りに行くときは、「プラグの日」と「ワームの日」を交互にすると決めていたそうです。

プラグというのは、例えば魚の形をした硬いルアーで、ワームというのは柔らかい素材でできたルアーを指します。

一般的にワームの方が釣れやすいので、ついついそちらに頼ってしまうものです。

ある「プラグの日」、曇りか雨でいかにも釣れそうな雰囲気だったので、「今から釣りにいくから帰るわ」と言うと、卒業に必要な出席日数が足りなくなるので、先生や友達に強く止められたそうです。

そのくらい釣りが好きだということと、スキルアップのために、自分で決めたルールをしっかり守っていたことが分かりました。

2019年の記事でも、どんな世界でもトップまで上り詰めるのは何でも公開する人と書きました。

この日は、64cmのデカバスをゲストの人に釣らせたのですが、その展開も包み隠さず全て教えてくれました。自分で釣るのではなく、人に釣らせるのは何十倍も難しいのです。

三原さんは現在32歳。次のステージへ行くのにはとても良い年齢だと思います。

40歳になっても、50歳になってもバスプロでおられることを心から応援していますので。

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変わる天王寺、西成。ただ、オールのっぺり反対派‐2057‐

近年、変わり続けてきた天王寺エリア。

2011年には「あべのキューズタウン」が開業。あべの筋を挟んだ東側の「あべのハルカス」は2014年にオープンしています。

そして43号線を挟んだ北側に広がるのが「てんしば」です。

2015年10月1日に有料だったエリアを、芝生広場を中心として無料解放しました。

それまでは、有料ゲートの前で将棋をする年配の方が多くいて、下町風情が醸し出されていました。

それが現在の景色はこうです。

店舗も立ち並び、完全におしゃれスポットです。

青々とした芝生は、実は養生中のもの。

遠く西側に通天閣が見えていますが、散水しての手いれ中でした。

実際の芝生広場はこうでした。十分気持ち良いですが。

天然芝は気持ちよいですが、こういったメンテナンスが大変です。

ただ、こういったお金の使われ方なら、多くの人は納得でしょう。とても良い変化だと思います。

これらのエリアに囲まれるように建つのがアポロビルです。

村野藤吾の設計で、竣工は1972年。

近鉄グループと関係が深かった村野は、天王寺に多くの作品を残しています。

間もなくパネル展がはじまるようです。

この界隈にも多くの名作が残りますが、 アポロビルは私が2歳の時に完成しているので、よく映画を見に行きました。

久し振りに写真を撮ってみると何だか違和感が……

その点については、最後に触れてみたいと思います。

アポロビルの前を走る43号線を西に望むと、大きく道が下っているのが分かるでしょうか。

上町台地西端にあたり、このあたりが天王寺区と西成区の境になります。

西に歩いて行くと雰囲気は一変。

まず単純に物が安くなります。ラーメン600円。

日本広しといえども、1泊1500円の宿はそうないはず。

元はドヤ街ですが、現在は海外からのバックパッカー御用達です。

ただ、インバウンドが盛り返してきたので、それ目当てのホテルも多くあります。

着物を貸してくれるのでしょうか。

それで4000円ならやっぱり安い。

このディープ大阪のど真ん中にある駅が阪堺電鉄の新今宮駅。

駅前にもかかわらず、寝転がってリラックスしている人が時々います。

それは見えていないことにしてスルーしましょう。

あいりん地区のシンボルと言えるあいりん労働福祉センターは建て替えが決まっています。

ここが建て替わればかなり印象が変わると思います。

はじめに紹介したアポロビルですが、これは2015年8月に撮った写真です。

てんしばがオープンする直前のタイミングですが、ガラスのカーテンウォールの横、袖壁に和を連想させる模様がデザインされています。

大阪が誇る巨匠、村野お得意の無国籍感が醸し出されるディティールですが、その部分がノッペリとなっていました。

安全の為にそうしたのでしょうか。何だか残念です。

あいりん労働福祉センターの北側に、星野リゾートの「OMO7大阪」もチラと見えていたのですが、何故かあまり写真を撮る気になりませんでした。

安い、汚い、危ない西成が、大きく変わることを、どこか心が拒んでいるのかもしれません。

勝手なこと言いますが、どこもかしこもおしゃれスポットになってしまうと、それこそ町がのっぺりしてしまう気もするのです。

超ディープ大阪は、なかなかに面白いですが、それなりに危険も起こり得ます。

若干緊張感をもって遊びに行って下さい。

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還暦から3年勝負!のち、葛城の古民家で、十割そばと絶品天ぷら‐2056‐

奈良盆地の西端を走る県道が山麓線です。

東に奈良盆地を見下ろしながらの景色が気に入っています。

二上神社前、当麻寺と南に下ります。

南阪奈道路の葛城ICを越えたら、すぐ左手に「十割そば 玉竹」の駐車場が見えてきます。

駐車場脇の竹林には、趣のある石段が。

そこを下ると、立派な古民家が見えてきました。

立派な門屋。

燕さんじょう亭、そば処 玉竹

ちょうど1年前、橿原市の信号で止まった時に偶然見えたそば屋さんが「蕎麦屋 玉竹流」でした。

IT企業を60歳で退職し、3年前に開業したという大将。3年目で立ち退かなければならない場所で開業したそう。

「3年あれば、自分の仕事が認められるか、認められないか見極められると思いました」と。

その時、今年の4月に移転すると聞いていた場所がここなのです。

門屋をくぐって中庭へ。

立派な母屋の前にはすでにお客さんが。

11時開店の前に到着しましたが17人目。何とか1回転目に入れました。

80~90人前のそばが無くなった時点で閉店とあります。

チラと厨房をのぞくと、大将の他に5、6人のスタッフが働いている感じ。間違いなく繁盛しているようです。

女性スタッフの方に、新潟の「燕さんじょう」と関係あるのか聞いてみると、「元は新潟と関係のある薬商だったと聞いています」と、教えてくれました。

前店舗に行った旨も伝えると「あのブログを書いてくれた方ですか!」と。

大神神社の帰りに偶然寄ったことまで覚えてくれており、何とも嬉しい限りです。

雲丹小丼とざるそばのセットに、天ぷら盛り合わせを追加しました。

2700円です。

前回の燻製鮭小丼も美味しかったのですが、今度はこちらを頼もうと決めていました。

以前はなかった天ぷら。

いつか提供しようと、こちらも鍛錬を重ねていたのでしょうか。すばらしく美味しかったです。

えびも美味しかったですが、特にかぼちゃが絶品でした。

そして、何と言っても十割そば。

昨年聞いたときは、長野県小諸産とのことでした。朝霧がでるこの地域のものが甘いと教えてもらったのです。

天ぷらも頼んだので、1合盛りにしましたが、せめて2合にしておけばよかったかなと。

普段から小食の妻でも「1.5合にしておけば良かったかな」と言っていたくらいですから。

そのくらい美味しかったのです。

お客さんが帰る度に、厨房の奥から「ありがとうございました!」と、誰よりも大きな大将の声が聞こえてきます。

還暦からの3年勝負を制した、元IT企業の大将。

大繁盛につき、とてもお話をする時間は無さそうでしたが、応援しています。

香り高い十割そば、絶品天ぷら、濃厚な雲丹、最高のロケーション、趣ある古民家、そして人柄。

これだけ条件が揃うことは、そうない無い気がします。

私がする必要は無いかもしれませんが、絶賛お勧めしておきます。

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晩ごはん何?‐2055‐

10月も終盤になり、公園の木々も色づきはじめました。

谷村新司さん、もたよしのりさん、BUCK-TICKのボーカル、櫻井敦司さんと、この秋は立て続けにミュージシャンの訃報が届きました。

特に谷村新司さんは、深夜ラジオ「ヤンタン」で随分楽しませて貰いました。

心からご冥福をお祈りします。

私の祖父母は4人とも長寿を全うしましたが、3人は秋に亡くなっています。

夏の疲れがでる頃。自身の体調には十分注意したいものです。

夏から秋にかけて、クライアントから色々なお土産を頂きました。

この久世福商店「あんバター」、パンに塗るともう止まらない……

私は1回しか食べていないのに、この瓶があっと言う間に空になっていました。

こちらの桃、皮の色からしてもう宝石です。

和歌山産とのことで、果汁があふれてきます。

食べ物と言うよりは、もう飲み物に近いレベル。

大変に美味しゅうございました。

そして、「千葉の家」のクライアントが毎年送ってくださる「しろいの梨」。

沢山あるので、アルバイトに来ている女の子も一緒に頂きました。

梨が大好物だそうで、「過去一かも!」と、興奮気味だったのです。

「あんバター」に加えて「七味なめ茸」まで頂いたり、お中元に毎年スーパードライを送って下さるクライアントがいたり。

美味しいのは勿論ですが、「これなら喜ぶんじゃないか」という気持ちが嬉しいのです。

実は、もう1つ紹介したいお土産があったのですが、少し事情がありまた今度にします。


代わりに、一緒に上げようと準備していたヒマワリの写真だけUPしておきます。

あるクライアントのお母さまが、仕事帰りの娘さんから必ず「晩ごはん何?」とメールがくるという話を私にしてくれました。

娘さんはバレエダンサーで、「流石に、食に対してのこだわりが強いんですね」と2人で笑っていたのです。

しかし、最近私が妻に送るメールの大半は「晩ごはん何?」です。

全く同じ状況になっており、我ながら笑ってしまいました。

楽しみがそれくらいしか無いとも言えますが、世界では戦争、内戦、貧困に悩まされる人々が多く居る中、最高の幸せとも言えるかもしれません。

「これから新米が美味しい季節やもんねえ~」と言っているクライアントもいました。

とても実感がこもっており、微笑ましい気分になります。

私も、食欲の秋を、過ぎない程度に満喫したいと思います。

ちなみに、今晩は「牡蠣のアヒージョ シュウマイ アジのお刺身」との情報が上がってきました。

ヨシッ!今日は早めに帰ろう。


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ススキ、夕焼け、秋の奈良‐2054‐

週末、奈良へ行く用事があったので、平城京跡へ立ち寄りました。

近鉄電車の西大寺駅を越え、すぐ北のエリアにあります。

京都の平安京と違って、平城京は広大な敷地が歴史公園として保存されています。

北端あたりに再現されているのが第一次大極殿です。

奈良では曾爾高原がススキの名所ですが、かなり遠くまだ行ったことがありません。

秋になったので行ってみたいと思っていたら、平城宮跡がススキの名所だと知り、行ってみたのです。

日没は17時15分頃で、16時頃からは晴れる予報でした。

黄金に輝くススキを期待してきたのですが、厚い雲の間から時々日が差す感じ。

16時から待つこと1時間。

一瞬パッと周囲が明るくなりました。

厚い雲と生駒山の僅かな隙間から、日が差し込んできたのです。

何とかススキ越しの第一次大極殿の撮影に成功。

太陽光の角度が低く、完璧とはいきませんでしたが。

それでもススキだけの写真は、穂が黄金に輝く、美しい写真が撮れました。

駐車場の閉門が17時でした。

ギリギリの時間に夕日が差してくれたことに感謝しながら、平城京跡歴史公園を後にしたのです。

公園の南側へ回ると、朱雀門と若草山にも夕日が差していました。

奈良は京都よりも景色が穏やかなところが好きです。

更に日が沈むと、空はより濃い橙色に。

ススキ、夕焼け、平城京跡と、駆け足で秋の奈良を満喫してきました。

奈良で黄金に輝くのススキを撮るために、数年内にまたトライしてみたいと思います。

曾爾高原へ行くべきか、平城京跡を再訪するか、悩ましいところです。


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