木の音楽ホール

 昨日の朝、9時頃に新横浜駅に着きました。

 稲盛和夫さんが若手に経営を教える盛和塾の世界大会に参加する為です。

 会は昼からなので、早めに来て横浜の建物を見に行って来ました。今回はJRの桜木町駅へ。山手へ徒歩5分。紅葉坂を登れば、神奈川県立音楽堂が見えてきます。隣接する県立図書館と共に前川國男の設計で、完成は1954年。戦後初めての、公共音楽ホールなのです。

 内部は木でできており当時の新聞には、「東洋一の響き」という記載もありました。

 電話で見学の予約をしていたので、ホワイエ、ホール内とスタッフが案内してくれます。

 この建物は、約10年前に建て替え計画が持ち上がります。

 その計画に反対したのが、このホールを愛する音楽家や、この建築の価値を知る建築界の人達でした。客席は1,000席程で、一席がやや小さいという問題もありますが、現在の音楽ホールと比べると残響時間が短いそうです。

 それが、時間差なしに全ての観客へダイレクトに音が伝わると、一流の音楽家の間でも、非常に評価が高いそうなのです。

 館のスタッフも、是非一度聴きに来てくださいと言っていました。

 ステージの上にも、立たせて貰いました。

 結局、建て替え反対の署名が多く集まり、存続が決まりました。そして3年前に耐震工事が終わったのですが、それを機にエントランス部分を、完成当初の黄色に塗りなおしたのです。

 戦後すぐは、カラフルな色が音楽堂らしくないという意見があったのか、50年を経てオリジナルの色合いに戻った訳です。

 これら詳細は、全て案内してくれたスタッフ、また館の責任者の方が、資料を出してきて、熱心に説明してくれたものです。最後は、面白いものがあるんですと、地下倉庫まで連れていってくれました。

 「これは、前川さんオリジナルデザインのポスター立てで、これはコントラバスチェアなんです」と。座面の裏には、昭和29年10月と書かれてありました。

 地域の人に愛されて、この建物は残ったんですという言葉通り、彼らの愛情をひしひしと感じました。冷たいお茶まで入れてくれて。

 前川は戦後、復興に向かう日本を牽引した建築家です。

 戦後10年たらずに完成したこの建物は、DOCOMOMOより「日本の近代建築20選」にも選ばれています。(DOCOMOMOは、近代建築の記録、保存の為にできた国際組織)

 「前川國男 現代との対話」松隈 洋 編のあとがきに、彼の言葉が紹介されています。

 「建築家はその精神の自由を確保して、時流にも、営利にも権力にも、悪徳にもゆがめられることなく、刻々のきびしい決断を集積してその建築を築かねばならない職能人だったはずなのです。(中略)人間における不易なもの、そして建築家において不易なもの、それを守り続ける意気地がなくて、どうして人間に生まれ建築家を志した効がありますか」
 
 堅苦しくもありますが、読めばなにかソワソワしてきて、居ても立ってもいられない気持ちになります。

 戦前、東京大学を卒業するとすぐにル・コルビュジエに弟子入りします。2年の修行を終え日本に戻ると、アントニオ・レーモンドに師事します。初期の作品にはその影響が色濃く出ているのです。

 その影響に解放された傑作が1961年の東京文化会館や、1977年の熊本県立美術館なら、その影響を受けながらの傑作が、神奈川県立音楽堂と言えるかもしれません。

 その色使い等にも、コルビュジエの影響が色濃く表れています。 

 作品は前川事務所によるものですが、時代の流れ、気分のようなものが織り込まれているのが建築です。

 それが私の心を、一気に60年をさ遡らせるのです。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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