カテゴリー別アーカイブ: 05 芸術・エンターテイメント

ちょっとピンボケ

 いよいよ、暮れも押し迫ってきました。

 今年もあと4日です。

 前々回UPした飛田新地の「鯛よし百番」。現地から、携帯で写真を送りました。

 当日、一眼レフも持っていたので、その写真をUPします。

 エントランス横にある顔見世の間。以前は、ここに遊女が並んでいたそうです。

 昭和45年までは遊郭として営業していました。私が生まれる以前、全く違う世界がここにあったのです。

 先日、竹原義二、貴志雅樹、堀部安嗣、3人の建築家の講演を聴きました。その中で竹原氏がこのような発言をしました。

 デジカメになり直接ファインダーをのぞかなくなったから、自分の眼でそのアングルを見ていない。それで、写真、建築とも重心がおかしくなっているのでは。
 
 それを受けて、堀部氏の話は以下のようなもの。

 ある映画監督が「映画館で映画を観るのは、お母さんの胎内で観るのと同じ」と言った。従来のカメラでファインダーをのぞけば、真っ暗の中からアングルを探している。少しキザに言えば、それは心の眼で見ていることになる。

 この話は、すっと心に入ってきました。以来、一眼レフを出来るだけ持ち歩いています。

 このエリア、基本的に撮影はご法度です。

 もし、この建物以外にアングルを向けたなら……

 緊張感をもって撮りました。

 建物中心には中庭が配置されています。

 中央には、石で出来た巨大なオブジェ。

 私達の部屋は、三間続きの大広間。

 最も装飾が豪華な部屋です。

 調理は関東風すき焼きでした。

 甘め、濃い目の割したなので、早めに引き上げるほうが良いかもしれません。

 乾杯の後、3時間半があっという間に過ぎました。
 
 沢木耕太郎か、報道写真家、ロバート・キャパの記述だったか、忘れてたのですが、このような話がありました。

 カメラは構造上、像を焼き付ける間シャッターが下りる。厳密に言えば、自分が撮りたい画は観ていない。よって、そのイメージこそが写真と言える。

 この話はデジカメの出現によって、根底から覆されました。写真家からみれば、2つは似て非なるものなのかもしれません。

 物創りとは、そこに物がない中で、創り進めていくものです。これは建築設計においても同じ。未来の像を、自ら創れるのか。そこに掛かっていると言えるのです。

 ロバート・キャパの名著は「ちょっとピンぼけ」。ノルマンディー上陸作戦の写真が、手の震えで不鮮明になった、というのがタイトルの由来です。

 1枚目も2枚目もちょっとピンボケです。キャパと同じとは言いませんが、私なりに緊張していたのです。

 マニュアル撮影なら、腕、気分が反映されるのです。まさに、カメラとは心の眼。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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気品

 昨日は、設計相談会でハービス大阪に居ました。

 3時までの相談会が終わった後、梅田の北東エリアを歩いて来ました。

 NU茶屋町周りのライトアップは、年末気分を盛り上げています。

 JR大阪駅周辺は大きく変わりました。百貨店戦争と言われる通り、買い物をするには便利になったと思います。

 しかし、東京の表参道のように街歩きの楽しみはありません。キタなら、そんな可能性が残るのは、この茶町エリアだと思います。

 そのはしりは梅田ロフト。その頃から比べると、随分賑やかになりました。

 相談会には3組が訪れました。うち2組は「旧知の人(もしくは友人)に設計を依頼しているが、気になる点を見て欲しい」という内容。

 作品をネット上で見かけ「出来るならお願いしたのですが」と言ってくれたのは、ともても嬉しい事です。しかし、このケースはとても難しいとまず伝えました。

 第三者の意見に、どこまでの真剣みが有るのかという事です。セカンドオピニオン側が、その意見に責任が取れる仕組みになっているかが問題だと思うのです。

 建築士会の社会貢献活動の一環としての場なので、アドバイスをするのが仕事なのですが、無用に混乱させたくないという気持ちもあるのです。

 更に南に足を延ばしてお初天神へ。

 正確には露天神(つゆのてんじん)

 近松門左衛門の「曽根崎心中」の舞台で有名です。

 江戸時代、人形浄瑠璃、のちに歌舞伎の人気演目になったとあります。

 人形浄瑠璃、歌舞伎ともに詳しい知識がある訳ではありませんが、中村勘三郎さんの訃報を聞いて思う所があります。彼の語る姿を見るたびに「品」というものを考えさせられました。

 言葉が特別に丁寧な訳ではありません。ややもすれば江戸っ子特有のべらんめえ調で、下品になってもおかしくない程。しかし漂う気品。

 大阪では文楽に対する助成金打ち切り問題も話題になりました。

 歌舞伎界の由緒正しきサラブレッドを見ると、続くことによってのみ、踏襲されることもあると解ります。

 全く関わりのない人間に、何らかの影響を与えるという事実。

 これが芸能者の醍醐味なのでしょうか。

 祖父もそうだったのですが、肺の病気は最期が辛いと聞きます。ご冥福をお祈りします。

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モンゴル’93

 長男が小学2年になって、サッカーチームに入りました。

 チームスポーツをするのは、とっても良い事です。しかし、私のスケジュールだけで予定を立てられなくなってきました。

 昨日の練習は昼から。

 それで、午前中に「モンゴル恐竜化石展」へ行ってきました。

 大阪市立自然史博物館は長居公園にあります。

 趣味、遠出の私にとってはやや物足りませんがそうも言っていられません。

 タルボサウルスは、約7000万年前のゴビ砂漠で、最大の肉食恐竜です。

 子供のものですが、ほぼ全身の骨格が見つかっています。

 実物で復元されていました。

 今回の展示は、多くがレプリカでなく実物なのです。

 獣脚類の卵の化石も勿論本物。

 昨日は、実際に発掘に参加している、調査員への質問コーナーがありました。

 それもあって、朝一番で行ったのです。

 子供も本物の発掘作業は興味があるようで、飽きずに見入っていました。

 注射針のようなもので、廻りを削りとり、刷毛で丁寧にその土を払います。

 

 しかしその場は、いつの間にか「大人」の恐竜ファンによる、熱い質問コーナーに。

 私も質問しましたが、色々な事が分りました。

① 化石とは、骨と石の成分の置換によって出来るもの。よって石のように固く、重い。
② モンゴル、ゴビ砂漠の化石は、砂に埋まっているので、泥より軽い分、保存状態の良い。
③ 発掘自体は、100年程前から行われているが、当初は冷戦の影響もあり、ロシア、中国が主導することが多かった。1992年、93年あたりから、欧米、日本なども本格的に参加。よって、比較的新しい場所とも言える。
④ 日本から参加している隊は、株式会社林原という民間企業がもつ、生物化学研究所から派遣されている。国などの金銭的サポートがある訳ではない。

 皆で話をしていると、子供がそろそろ帰ろうと言いだしました。

 大人が質問ばかりするので、調査員の手が止まり、見ていても面白くないと言うのです。なるほど、申し訳ない。

 でも、子供のように、いや、それ以上に。

 調査員へ向けた、キラキラした眼差しに免じて、許して上げてくれ、という気分でした。

 将来の日本を背負うのは子供達です。

 しかし、今の日本を、世界を良くするのは、現役の大人。

 子供の教育問題以上に、大人の覇気のほうが大切かもしれません。

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生き方 映画俳優の場合

 高倉健81歳。俳優業は56年目。

 これまで、その日常がさらされることはありませんでした。その番組も「初めての密着取材」というキャッチコピーが踊っていました。

 番組の冒頭で「遅すぎたのかもしれないけど、本音をそろそろ」と話している姿が、やや寂しげでもあり……

 「網走番外地」は1965年、日本映画史上最も過酷なロケと言われた「八甲田山」は1977年。その伝説的逸話は聞こえてきますが、1970年生れの私はリアルタイムでは観ていません。

 少し近いところでは「鉄道員(ぽっぽや)」1999年などもあります。しかし、実際に観たことのある映画は「南極物語」(1983年)と「夜叉」(1985年)とだけ。

 「夜叉」に至っては、当時大好きだったビートたけしが、出ていたからにほなりません。

 北九州の炭鉱の街で生まれた小田少年は、生きていく為、芸能プロダクションのマネージャーになります。

 しかし、その容姿を買われ映画俳優となるのです。その芸名が高倉健。あっと言う間に、任侠映画でスターとなり、華々しい俳優人生が始まります。

 映画については

やっと気心がしれて来た頃に終わり。映画は1回性の切ない仕事。恋愛だよね。

 と語っていました。45歳を機に独立。以来、納得できる仕事だけをするようになります。

 映画俳優っていうのは良い仕事で、こういうのはいい人間だよって、ずっと教えて貰ったのかもしれない。

 こういう人生もあって、みなさんどうですかって。こういう生き方も悪くないんじゃないですかってちょっと見せたい。

 唯一無二の映画俳優としての栄光、そしてその悲哀。「肉親の葬式だって行った事がない。自分が言えば撮影が4、5日止まる。そういった部分は捨ててるよね」という言葉に集約されています。

一番心に残ったのは以下の話です。

 俳優という仕事には、生き方がやっぱりでているよね。テクニックではないんでしょうね。

 柔軟体操なら、いいトレーナーにつけば体を壊さずに柔らかくなる。いい本を読めば知識はつく。

 しかし、最もでるのは普段の生き方。偉そうなことを言うようですけど。

 他人から学ぶ事によって人は成長できます。しかし、自分自身に最も大きな影響を与えるのは、普段の暮らし、考え方に他なりません。

 この番組を観るまで、私にとって高倉健は特別な存在ではありませんでした。

 しかし、時代の一番前を走ると言う事は、ここまで人を成長させるのか、というのが正直な感想です。偉そうなことを言うようですが。

 番組の中で、映画撮影の合間に岡村隆史とのやりとりが映っていました。

 岡村隆史と言えば、最も露出が高く、テレビの達人と言っても良い芸人です。僅かな時間でしたが、その彼をテレビカメラの前で、手の上で転がし、けむに巻き、また笑わせる、というくだりは圧巻でした。

 一切の嫌味が無く、人間として、俳優としてのスケールの大きさと、愛情を感じたと言うか。ビートたけしを始め、名だたる芸能人を、ファンにしてしまうその魅力を垣間見ました。

 映画の主人公を演じる事によって成長し続けて来たという高倉健。彼こそ、日本の良心なのかもしれません。

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いい日旅立ち

9月も中旬にはいり、夜は寒い日さえ。

朝起きる時刻が、ようやく日の出を追い越しました。

急速に秋が進んでいることを、実感します。

夏の庭先の主役だった朝顔。そろそろ終わりの時期が近付いてきました。

週末からの連休は、日曜日に広島でセミナー、祝日の月曜日はジュンク堂京都店で建築相談会があります。

興味のある方は、是非お越し下さい。

■9月16日(日)中国新聞リフォーム・エクステリアフェアにて
セミナーを開催①11:30②15:00広島産業会館西展示館
■9月17日(月・祝)ジュンク堂京都店 13:00~15:30
JIA×JUNKUDO 共催「住宅無料相談会」に参加

土曜日には千葉へ行く用件もあり、何となく頭の中に ♪昨日、今日、明日~♪ と「三都物語」が流れます。しかし、JRのキャンペーンソングと言えばやはり「いい日旅立ち」でしょうか。正確に言えば当時は国鉄。

稲盛和夫氏と五木寛之氏との対談、「何のために生きるのか」という本にこんな記述がありました。

山口百恵以来、皆で口ずさめる歌が日本にはない。

例えば、平安から鎌倉にかけて「万葉集」や「古今集」のように、芸術性の高い歌集があり、もう片方に「梁塵秘抄」という巷の歌集があった。

これによって日本の文化は厚みを帯びて感じられるわけです。だから流行歌をばかにしちゃいけない。

「いい日旅立ち」が流れてくると、つい口ずさんでしまいます。あのへんまでですよ。日本人の歌の中でいい歌があったのは。

子供から大人まで世代を超えて口ずさめるような日本人の歌と言える歌がどこにもない。

それが日本人のこころが乾いてしまっているひとつの原因なのではないかと思っているのです。

こう五木寛之は語っています。「シクラメンのかほり」で有名な小椋佳の曲、「泣かせて」にはこんな詞もあります。

『泣かせて』 作詞・作曲:小椋佳

 あなたの言葉より

 今は安い流行歌のほうがまし

中学年時代からサザン、ハウンド・ドッグ、米米クラブから始まり、マイケル・ジャクソン、イーグルス、ドン・ヘンリー、マービン・ゲイへ。

しかし、不意に口をついて出てくるのは、小学生時代に聞いた歌謡曲だったりします。改めて「赤いスイトピー」は歌は素晴らしい曲だったんだなと思ったりするのです。

「いい日旅立ち」をを聴きかえすと、情緒あふれる歌詞に、緩やかなメロディライン。これこそ皆が口ずさめる流行歌だと解ります。

1978年の発売で、当時私は8歳でした。山口百恵の魅力が解る歳ではありませんでしたが、これほど無色に近い、透明感のある歌い手は、なかなか居ないのだろうと感じます。

だからこそ、皆が自分自身を投影で来たのではないかと。

「三都物語」と共に、作詞・作曲は谷村新司。とても深夜ラジオ「ヤングタウン」で話していた姿からは想像できない上品さです。

決して馬鹿にしているのではないのですが、人の才能は、見た目、話し方だけでは解らないものです。

五木寛之はこの対談の中で「日本人皆が口ずさめるような曲をつくろうと、詞を書いているんです」とも語っています。この本の初版が平成17年なので、それは未だに達成出来ていないようです。

そんな歌がいつかは出来るのか。もう皆が愛する事の出来る歌など出来得ないのか。また、日本人の心は乾いているのか……氏の言葉がとても気になります。

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男たちの挽歌

 DVDを借りても、結局観ずに返してしまうものも結構あります。

 何度も観ずに返していたのが「男たちの挽歌」。ようやく観ました。

 1986年、ジョン・ウー監督の作品です。
 
 26年前の作品だけあって、ファッション、メイク等はやや見れない感もあります。

 香港映画の良さとも言えますが、演出、演技も大げさ。

 途中まで「これ大丈夫?」と感じていました。

 1998年に始まった「笑う犬の生活」というコント番組がありました。

 この深夜番組のリーダーの内村光良は、何度も「男たちの挽歌」を模したコントを作っていました。

 また、本人の発言からも監督ジョン・ウーが好きなんだなと思っていたのです。

 同じく1998年。松本人志の「 VISUALBUM 」が発売されました。コントの作品集で、3巻続けてリリースされたのです。

 松本人志のコンセプトには、いつまでも見続けられるような作品を創りたかった、とあったはずです。その中に「男たちの挽歌」を意識した作品があったと分りました。

 「男たちの挽歌」は香港のマフィアの権力争いを中心に描かれています。
  
 よって見せ場は暴力シーン。銃を使っての戦闘シーンは、アップ、スローモーションを駆使した映像は、確かに美しくさえ感じました。

 20代の終盤、内村、松本に笑い「また明日から頑張るか」と元気を貰いました。彼らも、20代の頃ジョン・ウーに影響を受けたのは間違いないはず。

 素晴らしいものは、時代、国、ジャンルを超え引き継がれていくのです。
 
 この作品には、素手での戦闘シーンも多くあります。こちらは、ジャッキー・チェンの映画を観るようで、ややコミカル。これがもしハリウッド映画なら、許容できないはずです。

 これは、由緒正しき香港映画の血統。そう思えるのも、受け継がれているものが有る証拠。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 
7月8日(日) 7:58pmから8:54pm
「匠」として出演します 

陽のあたる教室

 このところの寒さで、桜の開花はやや遅れ気味。

 それでも昨日の日曜日が、人出はピークでしょうか。

 近所の神社でも、9分咲きという感じ。

 休日の夜、7歳、4歳の兄妹が、今一番見たいDVDは「こびとづかん」です。

 まずは本が欲しいと言っていたのですが、どこからかDVDもあるらしいと聞いてきたのです。

 もちろんですが「こびとは居る」という設定で全てが進みます。

 そのキャラクターが気持ち悪いというか、何と言うか……子供たちはほぼ、居るんじゃないかと思っています。

 本ならまだしも、DVDで「こびと」は難しいんじゃないかと思っていると、意外に何とかなっています。気持ち悪いの好きな人は観てみて下さい。

 「こびとづかん」を借りにレンタルショップへ行った際、ふと目に入ったのが「陽のあたる教室」。

 長らく名作と言われる映画を観ていないなと思い、借りてみました。

 バンドマンだったグレン・ホランドは30歳の時、生きる為にしかたなく音楽教師になります。1965年のことです。

 学校、教育が嫌いだった彼が、何とか生徒に音楽を好きになってもらおうと、懸命に教え始めます。
 
 作曲がしたいが為、時間がとれるだろうと始めた教師にのめりこみ、音楽の素晴らしさを伝える事に打ち込んでいく30年間が描かれているのです。

 生れてきた自分の子供は耳が聞こえず、それらの事から起こる家族内の葛藤。

 州の方針で、退任をせまらた後に用意された、ドラマティックな場面。

 そして初老教師と教え子との淡い恋ごころ。所々に挿入されている音楽もよく、飽きる場面がありません。

 音楽教師ホランドを演じるのはリチャード・ドレイファス。30歳から60歳までを1人で演じているるようなのですが、もしかすると別人、と思う程でした。こんな人を名優というんだなと納得できます。

 他の出演作品は好きなものが沢山あります。「張り込み」「のるかそるか」。「スタンド・バイ・ミー」は言うに及ばず、いずれも間違いない作品です。

 ただ、観ている途中、名作と言われるドラマはもう観たくないなとも思っていました。

 映画というのは、観手の心を動かすことが目的と言えます。それを最も効果的にしようと思えば、際限なく色々な演出が出来る訳です。

 楽しい、悲しい、辛いなどの場面をこれでもかと見せられると、何と言えば良いか、心を誘導されているようにも感じます。正直に言えば、そんな違和感を覚えた場面が何度かあったのです。

 それさえも気づかない映画が良い映画なのか、そんな事を考える私がひねくれているのか。結論はありませんが。

 いずれにしても、最後はそんな事も帳消しにしてくれるくらいの名作であることは間違いありません。泣きたい人は是非。

過去とマイナー

 6500万年前に絶滅したと言われる恐竜。

 子供にとっては、常に憧れです。地球上最大の肉食動物、ティラノサウルスはその中でも特別な存在。

 長居の自然史博物館で特別展が開催されています。

 長居公園は自転車で行ける距離にあるのです。

 桜も個体によっては満開のものも。娘は今日が始業式。あっという間にそんな季節になりました。

 今回、この企画展の監修をしているのはジャック・ホーナー博士。氏は子供の頃に恐竜の化石を発見して以来、今では『もっとも”T-rex”(ティラノサウルス)に愛されている古生物学者と』と紹介されていました。

 ティラノサウルスを世界で一番多く発見し、映画『ジュラシックパーク』でもテクニカルアドバイザーも務めています。

 まずは世界最大のティラノサウルス・レックスの頭骨実物化石。今回の目玉です。

 これまでトリケラトプスとトロサウルスは、違う種だと考えられていました。

 しかし、実は成長したのがトロサウルスだと分かってきたとありました。

 恐竜の子供には毛が生えていた、という説も以前の説とは異なったものです。

 動くティラノサウルスは今まで見た中で、もっとも迫力のあるものでした。

 約2億3000万年に現れた恐竜は、絶滅するまでの1億6500万年のあいだ地球の覇者でした。

 絶滅の理由は、小惑星の衝突による爆発、粉じんなどによる気温の低下に、恐竜が適応できなかったという説が最も有力です。しかし、鳥がその子孫であるという説は、最近になって認知されたものです。

 また、ティラノサウルスが、実際に食糧としていたのは、死んだ動物の割合が高かったのでは、というのもホーナー博士の新しい説です。獰猛で、巨大で、俊敏なティラノサウルスであって欲しい気もしますが、事実を積み重ねることで過去の解釈が変化して行く考古学にはロマンを感じます。

 未来は現在の”影”でしかないが、過去は現在を知る宝庫でもある。私は人の過去にふれてみたくなる。はるかに刺激的で魅惑的である”過去”という事件。-山本隆司-
山本隆司。

 通称「ターザン山本」は週刊プロレスという雑誌の編集長だった人です。先週チラと書きましたが、学生時代は相当にプロレスが好きでした。というよりは、ターザン山本の「週刊プロレス」が好きだったのです。

 彼はマイナーである事、マイノリティーである事の自由さ、素晴らしさを、いつも説いていました。その考え方に、若い私は他の人にはない哲学と美意識を感じていました。

 恐竜の話から、つい昔のことを書いてしまいましたが、強く、メジャーであることより、小さく、マイナーであるほうが自由で豊かだと感じる事はあります。それは中国でも同じだったようです。故事にはこんな言葉があります。

 革命は小より起こる

すべてをあなたに

■■■オープンハウス開催■■■

2月26日(日)午前10時~午後4時 ご希望の方はこちらまで

 バタバタと2月は逃げて行き、後半に入りました。

 先週のことですが、長女はバレンタイン・デー生まれなのです。実家で誕生日会を開いてくれました。

 ケーキのロウソクを、男連中は吹く気満々です。

 吹くのは構わないのですが、甥っ子は一緒にツバも飛ばします。

 それも笑って許せるのは血が繋がっている証拠でしょう。望んではいませんが。

 4歳になった娘は、先日お遊戯会を終えました。

 2歳の姪っ子に踊りを教えたらしく、一緒に踊ってくれました。

 観に行けなかった私としては嬉しい限りです。

 女性から愛を伝えるのがバレンタイン・デーなら 「Saving All My Love For You(すべてをあなたに)」より相応しい曲は無いかもしれません。

 2月11日(土)ホイットニー・ヒューストンが、ホテルの浴室で亡くなったと報道がありました。薬物などの話もあります。

 18日の葬儀は、ケビン・コスナーが弔辞を読み、ゆかりのスティービー・ワンダーが歌ったようです。

 1985年1stアルバム「Whitney Houston」が出た時、私は中学3年生。CDジャケットはトップモデルでもあった、彼女の真っ白な水着姿でした。

 ゴスベルがベースにあるその歌をきっかけに、チャカ・カーン、アレサ・フランクリンと、女性ブラックミュージックを遡っていきました。

 一流のアーティストが鎮魂の歌を歌うとき、音楽の本質を見る思いがします。心の叫びなのだと。

 小説家が鉛筆だけで人の心を動かせる職業なら、シンガーは自らの声だけで、人の心を動かせる、最も自由でプリミティブな仕事かもしれません。

 それだけに、栄光も失敗も、よりダイレクトに自身の体に響くでしょう。

 全てのミュージシャンが、健全であって欲しいとは思いませんが、刹那的、破滅的な人生の終え方は何とか避けて欲しいと思うのです。

 多くの要因は、対人ではないかと思います。誰もが羨む、賞賛と栄光に満ちた人生が、失敗と没落の人生に変わってしまった……本当はそうでないのに。

 スポーツ選手と同じく、若い時に栄光を極めた後、どんな人生を送るか、どのような枯れ方をみせるかは、大切な事です。

 枯れる時には枯れ、朽ちる時には朽ちる。

 それが生き物の礼儀である。

 人間は有限の生命体でしかも、消滅するのではなく衰弱するように出来ている。

 2005年 11月5日 産経新聞朝刊 ”阿久悠 書く言う”より
 
 おそらく彼も同じような事を感じたからこそ、この考えに至ったのだと思います。
 
 最大のヒットは「ボディーガード」の「I Will Always Love You」ですが、耳に蘇るのは、1stアルバムの「You Give Good Love(そよ風の贈りもの)」とジャーメイン・ジャクソンとのデュエット「Take Good Care Of My Heart」です。

 逝ってよい年齢などありませんが、48歳を天寿とは言い難いのです。

柳宗理

 今日から明日にかけて、20年に一度の寒気団が日本列島に流れ込むそうです。

 私の人生で、未だ2度目しか経験のない寒さ。解るような、解らないような……本日の最高気温も3℃の予想。スキー場並みの寒さです。

 近所の庭にあるサザンカが、花を咲かせていました。

 日本海側では記録的な大雪になっています。

 例えばそこで暮らす老夫婦は、雪下しも思うようにならず、不安な日々を送っていると思います。

 人は植物と違い、関係しあって生きるもの。

 自分も必ず歳をとります。情けは人のためならず。元気な若者はこんな時こそ、奮起して欲しいと思います。

 昨年の12月25日にプロダクトデザイナー柳宗理さんが96歳で亡くなりました。本当に長寿ですが、作品を見るとそれが納得できるから不思議です。

 ティースプーンとヒメフォークのセットは、結婚式の引き出物にしました。

 手の感覚を大切にし、ただ純粋に機能と美しさを追求していく。

 個性重視という風潮とは一線を画しています。

 父は民藝の提唱者、柳宗悦。

 無名の職人による、郷土、生活に密着した工芸品の美しさを見出しました。

 その反発もあり、まずは純粋芸術のピカソうやクレーに夢中になります。東京芸大に入ると、バウハウスで学んだ水谷武彦の講義に非常に感銘をうけました。

 1つは、これからは機会・科学の時代だという事。もう1つは、美術、デザインは社会のため、用途のためにあるべきで、社会との関係性の中で生きていくという事。

 彼は代表作、バタフライスツールから、レコードプレーヤー、橋、ゴミ箱にいたるまでをデザインしました。プロダクトデザイナー柳宗理が追求したのはアノニマス(無名性)と用即美
の精神だったのです。

 用途にあった完璧なモノというのは、非常に健全である。

 在りし日の穏やかに見えるその容姿を見れば、柳宗理自身にもあてはまると言えるのです。