カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

ことばの力-夫婦、家庭編-

 ことばの語源は言霊(ことだま)。

 古来より発するだけでも何らかの力を持っていると考えられて来ました。

 結婚式の忌み言葉などはその名残です。

 万葉集には、”言霊の幸ふ国(ことだまのさきはふくに)” とあります。

 言語の力によって、幸福がもたらされている国という意味で、日本を指すのです。

 日本語の奥深さは、他に類を見ないものかもしれません。

 今日は夫婦や家庭について、珠玉の名言(と思っている)をいくつか。

 「美しい笑いは、家の中の太陽である」サッカレー/作家

 「愛情には一つの法則がある。それは愛する人を幸福にすることである」スタンダール/作家

 「夫婦生活とは長い会話である」ニーチェ/哲学者

 「夢の行着いたところが結婚ではなく、結婚から夢の実現が始まるのです。それもほとんど妻の力で」 山本周五郎/作家

 「最良のワインから最強の酢が出来るように、最大の愛から最悪の憎悪が生まれる」 ゲーテ/作家

 「夫婦の愛情というものは、お互いがすっかり鼻についてから、やっと湧き出してくるもの」オスカー・ワイルド/小説家

 ワイルドの言葉は秀逸?

最後の試合には・・・・・・

 日曜日の夜は、日本中が歓喜の渦に!・・・・・・という訳にはいきませんでした。

 大事なクロアチア戦はスコアレスドロー。負ければ予選敗退がの崖っぷちから、最終戦に僅かな希望を残すことになりました。

 初戦のオーストラリア戦敗退から、満を持して挑んだ試合は、欧州予選を無敗で突破した強豪に互角以上の戦いでした。ペナルティーキックをGKの川口が止めた時には、ご近所からも「ウォー!!」という歓声が。勢いに乗って得点出来れば良かったのですが、決定機になかなかシュートが。

 それでも前半に見せた中田英寿のロングシュート、後半から入った稲本の強さなど、良い部分もたくさんありました。

 次戦は世界ランキング1位のブラジルに2点差以上の勝ちが必要最低条件です。

 6/22(木)28:00にキックオフ。ようするに金曜日の朝4:00からなので、明日から早起きに切り替えて行くつもりです。

 サッカーはチームスポーツという事を十分踏まえても、日本サッカーのプロ化からワールドカップ初出場までの最大の功労者が三浦和良なら、その後の3大会においては、中田英寿だったことは間違いないでしょう。

 彼は現在29歳。今大会で代表を引退するかも?と言われています。
 
 孤立を恐れない言動と、強い意志の現れる表情には”孤高”という言葉が良く似合います。次戦が多くの情熱を注いできたであろうサッカーの集大成となる事を願うのです。

 少し前ですが2004年12/13にテレビでジョルジュアルマーニとの対談がありました。尊敬と感謝の気持ちを込めてここに載せておきます。結びの言葉が現実となるよう……

アルマーニ:ファッション界ではあたりまえだけど、スポーツの世界でも間違いなく創造性を必要とするよね。

 でも私が思うに、日々の鍛錬が一番大事なんだ。

 どのように自分が生きたいかということを、日々考えることは、スポーツでもファッションでも重要なことなんだ。

 たまには周りの事を無視するのもいいと思う。一度自分の道を決めたら、それを進むべきだ。

 例えば、僕が新しいトレンドを作ったとする。すると自然に僕はファッション界で孤立することになる。

 でもその時初めて、本当の自分の仲間を見つける事が出来るんだ。リスクはもちろん伴う。

 でもあえて孤立することで自分のアイデンティティーを確立することができるんだ。そう思わないか。

中田:そうですね。でもそうするためには、自分が強くならなければいけないですね。

 はじめのうちは、自分に賛成しない人達もたくさんいるだろうし、批判もされるだろうし。でも最後には……

アルマーニ:(中田に合せて)そう最後には勝つ。主義を貫き通せば最後には報われる。

 しかも自分の業績が認められれば、さらに前進することが出来るんだ。

漢字バトンが

 mixi(ミクシイ)のほうにも日記をUPしています。最近web上ではやっている”漢字バトン”がまわってきたのでやってみました。

■好きな漢字
『渾』 勢いがあるさまをあらわすので。渾身-どうせなら精一杯。

■前の人が答えた漢字に対して自分の持つイメージは?
『奏』 優雅に楽器を弾く女性
『爽』 初夏のかぜ
『創』 自由と苦労(創るってたいへん)

■大切にしたい漢字
『信』 自分を信じたい。信念を持つ。

■漢字の事をどう思う?
漢字がもっと分かれば、言葉の感覚が良くなる。大変重要。

■最後に貴方が好きな四字熟語を三つ
『一所懸命』

 人の言葉を借りて「私はマルチを信じない」-宮崎駿-

『温故知新』

 また人の言葉を借りて「はるかに刺激的で魅惑的である“過去”という事件」-山本隆司-

『諸行無常』

 移り変わらぬものはない・・・・・・はかなくも楽しい人生

 ”漢字バトン”なので誰かに回さないといけないようですが、止めておきます。久しぶりに漢和辞典を引きました。

司馬遼太郎を訪ねて

 昨日、東大阪市にある司馬遼太郎記念館に行ってきました。

 司馬作品は中学生の頃からよく読んでいました。確か一番初めに読んだのは「国盗り物語」だったと思います。またあんな小説に出会ってみたいと願うのです。

 司馬遼太郎氏は1996年に72歳で逝去されました。記念館は生前暮らした自宅に隣接して建っており、自宅の玄関が記念館の入口を兼ねています。表札は直筆だそうです。

 書斎は亡くなった当時のままにされています。庭に面しており、これ言った趣味の無い司馬さんは執筆以外の時も、庭を眺めながらここで読書をしていたそうです。


 
 書斎の前を通りすぎ記念館へ。安藤忠雄氏の設計ですが、内部は撮影禁止でした。

 司馬遼太郎、本名、福田定一少年は幼少期を奈良県の當麻町で過ごします。ここには大阪と奈良を結ぶため古くから残る、竹内街道が通っていました。

 庭からは、石器時代の矢尻がごろごろと出てくるような所で、収集するのが楽しみだったそうです。そういった体験が福田少年に自然や歴史にたいする憧憬を抱かせるのです。

 青年期には第二次世界大戦が勃発します。18歳で学徒動員されますが、終戦を栃木県の地で迎えます。この戦争での経験が作家としての人生を決定付けるのです。

 召集を受け、一旦は死さえ覚悟した福田青年は、戦争が劣勢になってくると理不尽な場面に出くわします。本土決戦を前にした日本の軍部は、命をかけて国民を守るどころか、最終的に自らの保身を優先するような命令を下すのです。

 その時に彼は「日本人というのは、こんな国民だったのか。いやそうではかったはずだ。戦国時代は、江戸時代は、せめて明治時代以前はそうではなかった・・・・・・」と憤ります。

 それから日本が少しでも良くなればと、戦国時代、江戸、幕末の志士を描くことになるのです。坂本竜馬に思いを込めて・・・・・・

 映像資料の中で、亡くなる9日前のインタビューが流れました。そこでも彼は、日本の未来を憂いています。「このままでは、日本という国はなくなってしまう」と。

 風貌から穏やかな好々爺を想像していましたが、映像の中の姿は全く違いました。日本を代表する叡智は、日本をなんとかしたいと・・・・・・という気持ちで創作を続けていたのです。

 書斎から眺めた雑木林のような庭では、氏の愛した菜の花が満開でした。

御器噛り

 キタナイ話ですいません。面白い話が昨年末の新聞に載っていたので紹介します。

 それは、嫌われ者の「ゴキブリ」。この名前の由来ですが、黒い漆器を被せた姿から「御器被り」とか、食器にかみつく意味の「御器噛り」から来ているそうです。

 もともとは熱帯性の生き物で、木と紙などでできていた、日本家屋では冬を越せなかったのです。すきま風が通らず、暖房を備えた立派な家にしかいなっかったので、どちらかというと「立派な家に住みつく=富裕の象徴」と目されていたようです。童謡「黄金虫」(コガネムシは金持ちだ~♪)が実はゴキブリだったという説もあるとか。

 一般の家庭に出だしたのは100年前。ゴキブリは現在地球上に存在している昆虫のなかでは、もっとも長い歴史を持ち、3億年前から、ほとんど変わらない形態で生きてきました。日本人とは以外に浅い付き合いなのです。

 そう聞けば「御器被り」という字に、忌み嫌うニュアンスが含まれていないのも頷けます。しかし実際は、そうも言っていられないのですが。

一番好きな作家

 今日は11月3日、文化の日。

 秋だからという訳ではないのですが、先月の初めアトリエmのwebサイトの更新時に、好きな本や心に残っている言葉を紹介する「books」「words」というページを作ってみました。

 (besides work=仕事以外、仕事のそば)

 その中で、一番好きな作家を決めるのは難しいのですが「世間での人気」と「私の思い入れ」との差が最も大きいと思っているのは「志水辰夫」さんです。

 中学生の頃、国語の先生に「何か面白い本を教えてほしい」と言うと、宮本輝の「優駿」と志水辰夫の「散る花もあり」を紹介してくれました。両作品とも今でも心に残っています。それから2人とも大好きな作家になりました。

 あれから20数年。志水作品に到っては、今年読んだ「約束の地」まで30作品くらいはあったでしょうか。ほとんどの作品を読んでいます。ジャンルはロマンティックな冒険小説といった感じで、中にはちょっとコミカルな作品もあります。文章がとても美しいのが特徴です。

 特に好きな作品を並べてみると、私が10代半ばから20歳くらいの時期のものでした。若かったせいもあるのでしょうが、初期の作品はとにかく刺激的でした。勉強してるような顔をしてページを急いでいた事を覚えています。

 またあんな本と出会ってみたいと、心から願います。志水辰夫さんは現在69歳。永らくお疲れさまでしたと言いたいところですが、「あの頃のような作品を、もう一度お願いします」と言いたいのです。読者とは無責任で楽しむことに貪欲なもので、672円であのドキドキを味わってしまうと、そう言わずにはおれないのです。

飢えて狼   講談社 1981. 8
裂けて海峡   講談社 1983. 1 1
あっちが上海   文藝春秋社 1984. 2
散る花もあり  講談社 1984. 5  -私、14歳-
尋ねて雪か   徳間書店 1984.11
背いて故郷   講談社 1985.11
狼でもなく   徳間書店 1986.11
オンリィ・イエスタデイ   講談社 1987.12
こっちは渤海   集英社 1988. 6
深夜ふたたび   徳間書店 1989. 5
カサブランカ物語   集英社 1989. 8

この虫の名は

 ハエや蚊はどこからともなく入って来る、歓迎されない虫です。他にも大きさは3、4㎜くらいで、音も無く飛ぶ虫がいます。私の実家では「小バエ」と呼んでいたのですが、一般的にはなんと呼ばれるのでしょうか。

 何か害を与える訳ではありませんが、色も冴えないので、追い払われるはめになります。先日も私の家に現れました。「この虫なんて呼んでる?」と妻に聞くと「やっぱり『小バエ』かなあ。でも友達のYは『ハート虫』って呼んでるヨ」と。確かに良く見るとハート形をしています。ちょっと笑ってしまいました。

 以来、我が家でもこの虫は『ハート虫』となりました。見つける度になんとも微妙な顔になってしまいます。いい大人が必死の形相で「この『ハート虫』め!」とは言えないので、なんとなく出て行って貰います。

 呼び方を変えると、すっかり扱いが変ってしまいました。不思議なものです。もし良ければ試してみて下さい。

職業建築家として

 今日は爽やかな、秋晴れの朝です。快晴は一時、日々の雑事を忘れさせてくれます。建築を設計していると純粋に建築のことだけではなく、その周囲にある問題で迷ったり、悩んだりすることもあります。

 「いい仕事がしたい」。ただその一念だけなのですが、仕事をする、生きるという事は、良い悪いだけでは判断出来ない事も起こります。迷ったり、悩んだりした時に、創り手としての心構えで、心に留めていることばがあります。

 人々にとって何等かの生きるよすがと成り得ない小説を、私は一作たりとも書きたくない。

 私は複雑で高邁なものは信じないし虚無に対して常に反抗的である。

 それぞれの場所で傷ついたり挫折したりしながらも、なお闘おうとしている人々のために、私は小説を書いてきたし、またこれからも、そうであり続ける。

宮本輝(小説家)

そう。複雑で高邁なものは信じないのです。

言い方

 一昨日、見かけた近所での一コマです。

 あるお店の前で、近くに住む、70歳くらいのおばあちゃん、55歳くらいで店主のオバちゃん、30歳前後のお母さんが、世間話をしていました。お母さんは、赤ちゃんと4歳くらいの子供を連れています。

 大人が話こんでいると、4歳くらいの子供はいたずら盛りで、店の前にあるジュースの自動販売機を蹴り始めました。

 お母さん: 止めて!そんなことしたら、オバちゃんに怒られるわ!(怒)
 店のオバちゃん: ホンマやで、止めて。オバちゃん怒ってるで!(怒)
子供はよけいに蹴り始めました。

 おばあちゃん: そんな悪いことしたら、足がいがんでしまうで。もう歩かれへんようになってしまうなア。(ニコニコ)

子供は蹴るのを止めました。

 穏やかに、おばあちゃんの言った言葉に根拠は無いのに(当たり前!)、子供にとっては一番怖かったのでしょうか。

 頭ごなしに怒るより、なんだか解らないけど、怖いことのほうが、迫力があるようです。誰も見ていなくても「悪いこと」をすればバチがあたる。もし子供がそう考えれば、子供自身が思う「悪いこと」はしなくなる事になります。

 なんだか“年の功”という言葉を思い出しました。そういえば、私も小さかった頃、訳が解らないけど怖かった事がたくさん有ったような気がします。