カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

伝統がない伝統、それがホンダ‐1233‐

 昨晩は、Ohanaのクライアントから声を掛けて貰い、京橋へ。

 忘年会でした。

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 その席で「日記、楽しみにしてるよ」と4人程に言って貰いました。

 何を書こうか悩むこともありますが、今年も残すところ2回。「あなたも良くなれ、私も良くなれ、みんなよくなれ」の精神で書いてみます。

 コンビニにトイレを借りようと入った際、『本田宗一郎「4つのルール」』という本が目につきました。

 自動車修理工場から身を起こし、一代で「ホンダ」を世界企業に育て上げた本田宗一郎。

 本田技研では秘書、その後は本田家の執事として。30年を共にした原田一男という方が著者です。

 本田宗一郎は1906年、明治39年生まれで、松下幸之助は1894年生まれ。1回り下の世代と言えます。

 成功は99%の失敗に支えられた1%だ

 どんなに機械が進歩しても、人間の上に君臨させてはいけない。

 この言葉だけで、その哲学を十分知ることが出来ますが、以下の話に一番惹かれました。

 ある農村の青年の集まりで講演をした時、村の青年から「アイデアはどんな時に生まれるのか」という質問がありました。

 本田宗一郎は「牛の角かどこについているか」と聞き返しました。

 頭についているのには違いないが、どこどこですと正確に言い表すことは難しく、農家育ちの青年たちも返答に困ってしまいました。

 「同じことを知人の画家に尋ねたことがある。画家は即座に『そりゃ耳の上だ』と答えた。このことは何を意味しているかと言えば、人間、ふだん自分に関係がないと思っているものに対して、正確な見方をしていない。(中略)自分には関係がないと思って見ていると、絶対にアイデアは生まれてこない。何事に対しても興味を持つことが、アイデアを生む第一歩である」

 京セラ、KDDIの創業者・稲盛和夫さんも、松下、ホンダを常に意識してきたはずです。その稲盛さんが好んで使う本田さんの逸話があります。

 会社を創業して間もない頃、ある経営セミナーで本田宗一郎の名が講師の中にありました。

 二泊三日、ある温泉旅館を借り切ってのもので、費用は数万。当日参加者は大広間で浴衣に着替えて待っていると、油の染みた作業服で本田さんは現れました。

 開口一番、こう一喝したそうです。

 「みなさんはいったいここに何をしに来たのか。経営の勉強をしたいらしいが、そんなことをする暇があったら、一刻も早く会社に帰って仕事をしなさい。温泉に入って、飲み食いしながら経営が学べるわけがない。それが証拠に、私は誰からも経営について教わっていない。そんな男でも会社が経営出来るのだから、やることは一つ。さっさと会社に戻って仕事に励みなさい。こんな高い参加料を払ってくるバカがどこにいる」

 この2つの話は、多くの部分が一致しています。人から簡単に貰える真理など無いのです。

 松下幸之助、本田宗一郎、稲盛和夫と、キラ星のごとく存在する一流の経営者。

 見聞きし、それなりに知っていることを、したり顔で話しているだけではないのか……この一年、ベストを尽くしたのか……

 浮かぶのはそんな自問ばかりです。しかし、反省に酔っていても進歩はありません。

 会社は個人のものでないという哲学から、世襲制を引いておらず、自らの姓を社名にしたことを悔いていたそうです。

 最後に。

  「よその会社のように、やれ50年とか30年の歴史と自慢するような伝統は持たせたくない。強いて伝統という言葉を使うならば、伝統がない伝統、「日に新た」という伝統を残したい。

 なぜ、今まで本田宗一郎を素通りしてきたのか。熱狂的なホンダファンが居る理由が分かりました。

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原因と結果の法則‐1231‐

 昨日は、今年一番の冷え込みでした。

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 長男がサッカーを辞めたので、体を動かす方がいいだろうと、久しぶりにフィールドアスレチックに。

 昼から生駒山へ行っていまいた。

 長男には「先に行っていいよ」と言うと、結局最後まで会えずじまい。娘と回ることになりました。

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 子どもは前にできなかったものがクリア出来るようになって行きます。進歩の姿を見るのは、親として最も嬉しいことです。

 長男にすれば「こんなの楽勝」という所でしょうが、少しは見たかったのが本音です。

 先週木曜日は、盛和塾の勉強会に出席していました。

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 京セラ名誉会長、稲盛和夫さんが、直接経営、人生を説いてくれます。私にとっては、人生の道場のようなものです。

 この日の会場は、ニューオータニでした。

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参加者は1300人程。熱気に溢れているのです。

 この日の演題は「リーダーとしていかに目標を実現するか」でした。

 その中にジェームズ・アレンの言葉がでてきました。

 ジェームズ・アレンはイギリスの哲学者で、1902年に発刊した『「原因」と「結果」の法則』は、一世紀以上に渡って、読み継がれているベストセラーです。

 冒頭、このような言葉で始まります。

 植物は種から芽生えます。それは種なくしてはあらわれることができません。

 そして、私たちの行いもまた、内側で密かにめぐらされる思いという種から芽生えます。これもまた、その種がなければあらわれることがありません。

 意識的に行うことでも、無意識のうちに行うことでも、ひとつとして例外はありません。

 行いは思いの花であり、喜びや悲しみはその果実です。そうやって私たち人間は、自分自身が育てる、甘い、あるいは苦い果実を収穫しつづけるのです。

 私たちは、常に居るべき場所に居り、偶然の産物は存在しない。結果という報酬はつねに公正だというのです。

 建築設計の仕事においても、ラッキーだったとか、アンラッキーだったという経験は、やはり無かった気がします。

 自分たちの努力、情熱以上の結果も、それ以下の結果も出ていないと思うのです。

 また、人々の多くは、環境を改善することにはとても意欲的ですが、自分自身を改善することには、ひどく消極的だと、アレンは指摘しています。

 これは順番が逆、ということになります。

 この本の帯に「成功の秘訣から人の生き方まで、すべての原理がここにある」と稲盛さんはコメントを寄せています。

 その人生の結果が、説得力となるのですが、間違いなく名著だと思います。

執筆依頼‐1229‐

 御堂筋のライトアップも、それ程寒さを感じさせず。

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 暖かい12月です。12日(土)は、天六「住まい情報センター」でのセミナーでした。

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 予約は12人と聞いていました。

 今回、新聞広告も出して貰ったので、当日申し込みもあるかなと想像していたのです。

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 結果は7名。

 申し込みはしたが、やっぱり辞めておこうとなったのは、こちらの魅力の問題です。

 もっと話を聞きたいと思える建築家になれるよう、努力、研鑽する他ありません。

 しかし、90分時間があったので「家づくり」について、ゆっくり話ができたと思います。
 
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 セミナーの終了後、階下で展示しているパネルのところで少し相談も。6名が降りてきてくれました。

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 紹介した実例の1つが「滋賀の家」。テーマもはっきりしており、楽しそうな住宅になったと思っています。

 年明けには、住宅誌の取材も決まりました。まだ、雑誌名は伏せておきますがこちらも楽しみです。

 12月に入ってすぐ「執筆依頼」というメールが届きました。

 「一般の方と建築家が近くなる本の執筆を依頼したく……」という内容で、先週、編集者の方と会ったところでした。

 先ほど、社内会議で企画が通ったと連絡がありました。

 編集者は元スポーツマンで「当社のwebサイト、ブログを見て、想いや伝えたいことを形に残る書籍化にすることで、より素晴らしさが伝わると感じた」書いて貰いました。

 高校の頃、建築家とは別に憧れた職業として、タレント、プロレスラー、画家、小説家がありました。

 前の2つは半分冗談ですが、その共通点は自由ということです。自分の才能、体だけで生きている姿に、潔さを感じていたのです。

 誰でも書ける「文章」が商品になるなら、小説家こそが究極の仕事だとも思っていました。2004年から、この日記を書いているのも、憧れの延長線上にあるのかもしれません。

 マーケティングの言葉を誰もが聞くようになった通り、高度情報化社会は、絞り込みのほうへと進んでいます。

 その側面を否定する気持ちはありませんが、誰でも出来るもので、競争し、磨き、勝りたいという気持ちが常にあります。

 本を出版するのを人生の目標にして来た訳ではありませんが、こんな機会もあるのかなとは想像していました。

 全て、仕事と並行して進めるのでスケジュールの件などはこれからです。

 建築家として、何が書けるのか。未知の領域に入っていくのは、何ともワクワクするものです。

従来、先人、慣習‐1228‐

 月曜日に着工した「KISHIWADA House」

 直会(なおらい)の場を設けて貰ったと書きました。

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 広辞苑によると「ナオリアイの約。斎(いみ)が直って平常にかえる意」とあります。

 現実的には、神事が終わり、神酒などをおろして頂く酒宴のことを指します。

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 親の時代などは、結構現場でお酒を飲んだと聞きます。

 しかし、現場の人たちは車で来ることが多く、直会の機会は減ってきました。昔は飲酒運転が良かった訳ではありませんが。

 この日、わざわざ予約して貰ったがんこ岸和田五風荘。

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 元城内に建つ、素晴らしい建物でした。

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 本格的回廊式日本庭園を持ち、連続ドラマ「カーネーション」のロケにも使われたとあります。

 「カーネーション」といえば小篠三姉妹の母の話。前日、元小篠弘子邸を訪れたばかりでした。

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 現代建築と、従来からの日本建築が混在しているのが、今の日本の姿です。

 クリエイティブな人というのは、先人たちが残してくれたものに感謝したいと思っているはずだ。

 僕が使っている言葉も数学も僕が発明したわけではない。同じ人類の先人たちが作ってくれたものなんだ。

 スティーブ・ジョブズの言葉です。

また、本田宗一郎はこう言っています。

 過去に積み重ねられた多くのものをもとにして、その上に自ら作り出した新しい世界を開いていくところに進歩があり、これがパイオニア精神だと思う。

 建築設計図という慣習も、実によくできたしくみです。

 まずは、基本設計で全体の構成を練ります。

 そして実施設計に入り、平面詳細図、 断面詳細図(矩計図)で構成をチェック。

 展開図では、内部からみた全ての面を表現します。

 仕上表、天井伏図、建具表、電気設備図……と、建物に必要な要素を、漏れなく表現できるようになっているのです。

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 これらに感謝することなく「大変、細かい、辛い」と嘆いているなど言語道断。20年前の自分に、一喝入れたいところです。

 実施図面をスタッフが描くようになってから、よけいに図面への愛情が増しのかもしれません。

 進歩し続ける人は、常に謙虚。加えて、感謝を口にします。

 どうせ感謝するなら、いますぐするべき。時間軸のことも意識したいと思うのです。

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暗愁のゆくえ‐1226‐

 大阪に元気がないと、よくメディアに書かれてます。

 周りの人は皆忙しそうで、そういった認識は、ほぼありません。多少の反発も込めてですが。

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 しかし「大大阪」と呼ばれた時代と比べたら、そうは言えないかもしれません。

 明治から昭和に掛けて、その中心地は北浜でした。当時のランドマークが大阪証券取引所なら、現在はザ・北浜か。

 地上54階。建設当時は日本一高いマンションのふれこみでしたが、現在も一番なのでしょうか。

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 このあたり、当時の建物が多く残ります。

 ザ・北浜の南西にあるのは青山ビル。

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 1921年の完成です。

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 蔦に覆われた姿が代名詞ですが、冬枯れの姿も、それはそれで味わいがあります。

 街には、学ぶべきものが沢山あるのです。

 7年ほど前、この界隈で、マンションのフルリノベーション計画を進めていました。

 高層マンションからの眺めを最大限に生かした、浴室のやり替えがメインの計画。ビル管理会社と遣り取りし「何とかなりそう」とあたりをつけまいた。

 提案したプランも気に入って貰い、実際に契約。しかし、計画はとん挫しました。

 浴室部分に係る費用を詰めて行くと、予想を大きく上回る金額になりました。それが叶わないならと、計画はストップしたのです。

 契約をして貰う前に、もっと入念にリサーチしていたら。浴室の提案も、もっと他の方法があってのでは。

 非常に悔いの残る仕事になりました。北浜に来ると、いつもこの計画を思い出します。

 作家・五木寛之は、喜びや元気、笑いといった”プラス思考”だけを強調する風潮を憂慮しています。

 「明治時代には悲哀や憂いといった暗愁を理解する人間が尊敬された。人間は泣くことでもたましいが浄化できるように、”悲”が持つ重さをもう一度振り返ってみるべきだ」

 「暗愁のゆくえ」という講演での言葉です。

 誰も、明るい、強いが好きですが、マイナスの出来事が、自分を鍛えてくれます。

 とことん深く悔やみ、それが済んだら、前を向いて進むしかありません。

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 阪急のコンコースにイルミネーションが灯り。

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 ディスプレイの飾りつけが済んだら、いよいよ年末。

 良い新年が迎えられるよう、ギアを一段上げてラストスパートです。

能力と言うよりは、姿勢‐1224‐

 歯だけは、現状維持が最高の状態です。

 半分程が治療済みとなった今、もっと本気で歯磨きしていたらと、悔やんでも悔やみきれません。

 どうすればせめて子供に、この気持ちが伝えられるのか。

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 2004年に完成した「つるみ歯科クリニック」も11年目に入りました。内壁の塗装遣り替えなどもしてもらい、美しく保って貰っています。

 予約が1ヶ月先しか取れない程、地域の人達に愛されているのが、何より素晴らしいこと。

 院長夫妻、スタッフの皆さんのホスピタリティーの賜物です。

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 3~4ヶ月に一回、歯のメンテナンスに通っていますが、先週は妻、娘と、3つのチェアを独占していました。

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 偶然だったようですが、自分達が設計したクリニックで、家族が見て貰えるのはやはり幸せです。

 娘は小児矯正、妻はメンテナンス、私だけ、 奥歯の違和感がある箇所を見て貰いました。

 私は、寝ている時の歯軋りが結構ひどいそう。で、先生にも「奥歯でくいしばっているから、歯が割れているところがいくつかありますよ」と。

 違和感はそこが原因のようで、昔の詰め物をやり替えて貰うことになりました。

 麻酔をし、詰め物を削ることになったのですが「痛かったら、左手を上げてください」と言われます。

 しかし実際には、手を上げる前に「大丈夫ですか」と聞いてくれます。水が飛ぶからと、目の上にはタオルが掛っているにも関わらずです。

 コミュニケーションの70%は、言葉以外でおこなわれると聞きました。痛いという感情が、口周りを見るだけで分ると考えれば、そうかもしれないと思えます。

 ここ5年程で、ズドンと心を射抜かれたような言葉がいくつかあります。

 コミュニケーション能力とは、相手の気持ちを察知できるということだが、能力というよりは姿勢。そういった性質が性格の中に備わっているかどうか。

 -経営コンサルタント 石原明-

 能力と言うと、何か数値で表せそうなものに聞こえますが、姿勢とか性質、性格と言ったほうが、適切な気がします。

 先日は就職希望で、韓国の若者が入社試験を受けましたが、残念ながら採用とはなりませんでした。

 イタリア人スタッフを採用し、言葉の部分が30%であるかもしれないと本当に思っています。

 しかし、その為には普段より大き目のジェスチャーで、単語レベルですが多少英語を交えながらと、私なりに気を付けています。

 能力と言うよりは姿勢。しかし、これは簡単に他人が変えれるものではありません。

 リーダーの役割とは「そうか!」と、思わず声を上げたくなるような言葉、問いかけを出来るかだと、つくづく思うのです。

人の鑑・アニキ‐1213‐

 秋深き 隣は何を する人ぞ

 絶句となった「旅に病んで 夢は枯野を 駆けまわる」を除けば、芭蕉、最後の句だそうです。

 亡くなる2週間前、晩秋の大阪で詠んだものでした。

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 秋であろうが、なかろうがという気もしますが、病床に伏した芭蕉を思うとより情感が伝わってきます。

 阪神タイガースの監督に、金本知憲氏が就任しました。

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 阪神は、言わずと知れた関西の人気球団。トラキチではないのですが、金本氏は気になる監督です。

 失礼ながら、キャリアを簡単にまとめてみます。

 1991年、ドラフト4位で広島に入団。非力な選手だったが、ウェートトレーニングによってそれを克服。広島で主軸を務める。2003年、FA権を行使し阪神に移籍。リーグ優勝に貢献。腕が骨折したままヒットを打つなど、連続フルイニング出場を続け、世界記録を樹立。ファンからも絶大な支持を受けたが、2012年惜しまれながら引退。

 阪神は1985年の優勝から、長い低迷期を迎えました。

 弱小チームだったヤクルトを、3度の日本一に導いた野村克也監督。1999年、球団に請われ阪神の監督に就任します。

 野村は、チームに入りその雰囲気に驚いたと書いています。

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 最下位に落ちても、そこそこ観客の入る甲子園球場。また、2軍選手であってもタニマチが付き、遊ばせて貰える。また、そのタニマチが、チーム、監督の批判をすると言います。

「おまえを使わないのは、あの監督が悪い」と。

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 選手こそが主役ですが、チームが無ければ働く場さえありません。

 チームの為、組織の為に戦うのでなく、給料(個人成績)を上げるために野球をやりだす。野村が説いても、その雰囲気は簡単に変わるものでないと感じ、1年での退任を申し出ました。留意するオーナーにこう言いました。

「4番とエースは育てられないというのが持論です。掛布だけは阪神が育てたと言ってもいい。それならあと70年待ちますか」

 また野村は、4番とエースは鑑でなければならないと言います。中心選手が人としても立派なら「あいつがやっているなら」と、集団は良いほうへ向かうのです。

 その彼が、阪神の雰囲気を変えたのが、金本だと言います。

 野村は3年間監督を務めますが、全て最下位。その後を継いだ星野監督は、広島から金本をくどき落としてきました。

 その2003年、阪神は1985年以来、18年振りにリーグ優勝するのです。

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 2007年5月20日。友人に誘われて甲子園へ行きました。この日も金本を4番を張っていました。

 金本は、ちょっとや、そっとの事では痛いと言わない。ましてや試合は休まない。そして、チームへの忠誠心が高い。ファンもその姿勢を知り、アニキと慕うのでしょう。

 これらは、あくまで野村克也の意見です。しかし、プロ野球という日本最高レベルの組織で、こんな事が起っているなら、一般の組織なら、より顕著にその影響はでるでしょう。

 「1人のホンモノに触れれば、100人のニセモノを忘れさせてくれる。それが人間社会の有難さである」

 社会派小説で知られる城山三郎の言葉です。

 私も小さくはありますが、組織のリーダーで4番です。まずは自分がホンモノと鑑を目指す他ありません。

 しかし気になる監督ですが、それも秋が深まってきたからなのか。

ぼやきの言う一流の条件‐1211‐

 最近、長男が野球に興味を持ち出したと書きました。

 朝、出来るだけ一緒に練習しています。

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 しかし、2人でのバッティング練習はなかなか大変で、父にも玉拾いをして貰っています。

 私は小学校4年で本格的に少年野球を始め、中学3年まで野球部に所属していました。ショートかサードでレギュラーを外れたことはありませんでした。

 他の野球少年と同じく、プロ野球選手になりたいと思ったものですが、それは叶いませんでした。

 最近、ようやく「野村ノート」を読みました。

 プロ野球界において、知将といえば野村克也。弱小をチームを何度も優勝に導いた手腕は、だれもが評価するところです。

 ただ、テレビで見るぼやきが好きでなく、憧れの現役選手をバカにしているようで、なかなか手に取れなかったのです。

 野球論は置いておきますが、冒頭から、いきなりハッとされられます。

 われわれの時代はそれが当然だったが、親に楽をさせたいという思いが一流と呼ばれる人達の原動力だった。逆に言えば、一流とよばれる人間で親を大切にしない者はいなかった。親孝行とはすなわち感謝の心である。この感謝こそが人間が成長していくうえで最も大切なものである、というのが私の持論である。そして、そうした成長の集大成がチームとしての発展につながっていく。

 全く苦労をしていないとは言いませんが、何不自由なく大人になり、自分の好きな仕事をさせて貰っています。

 両親とも元気で、今も仕事をしてくれています。

 野村克也は、現在の京丹後市の出身で、今は亡き「白馬の山小屋」のクライアントは同級生でした。

 当時の話を聞くと、間違いなく生活は楽でなかったばずです。

 親を楽にさせてやりたい。そんな思想は、微塵も持ったことの無い私からすれば、想像がつかないほどの大変さだったのだと思います。

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 空き地が沢山あった70年代と違い、野球をするのも一苦労です。

 旅先の佐賀県で、広い芝生公園を見つけて。

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 近所のバッティングセンターで。

 以前、スポーツの語源について書きました。「de」は否定で「仕事をではない」。つまり「遊び」という意味です。

 野村の教えと共に、楽しみながら苦労をしてくれたらと思います。

 一流の条件。

 これは親に限ったことでは無いと思いますが、自分に足りないものは数限りなくあれど、一番足りていないのは……

 秋の夜長が、そんなことを考えさせるのか。 

イノベーションとリノベーション‐1209‐

■10月10日(土) 3:30pm~6:00pm 京都BAL 地下2階
丸善<京都本店>にて
「無料相談会」に参加■

 昨日のワールドビジネスサテライトでも特集された、セブンドリーマーズ・ラボラトリーズの新事業。

 Yahoo!ニュースにも取り上げられた、全自動の洗濯物折り畳み機でした。

 「人類の夢」とういうタイトルも踊っていました。

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 今年4月にグランドオープンしたセブンドリーマーズの梅田ラボ。当社が設計しました。

 同級生である、社長の阪根から声が掛り、初店舗となる、芝公園ラボ銀座ギャラリーの打合せに行ったのが2013年の秋。

 現在のロゴがまだ決まる前でした。

 まさにそのブランド誕生する前だったのですが、その場で阪根は「今はまだ言えないが、世界があっと驚く物を発表する」と言っていました。

 7Dのキーワードはイノベーション(技術革新)。

 オーダーメード・カーボンシャフト無呼吸症候群デバイスに続き、まさに世の中をあっと言わせたのです。

 パナソニック、大和ハウスという、ビッグエンタープライズを両脇に従え、インタビューを受ける姿は圧巻でした。

 発明王トーマス・エジソン。多くの言葉が教訓として残っています。

 「天才とは1%の才能と、99%の努力による」

 「毎日18時間私は働く。これだけ働いたら、人の倍成功しても当たり前だろう」

 「成功するために一番確実な方法は、必ずもう一度だけ試してみることだ」

 主体性をもち、自分で突破する。リーダーが最も好む言葉です。勿論私も含めてですが。

 しかし、これまでのセブンドリーマーズの発展をみて、この言葉が最も欠かないと感じます。

 「すばらしい発明だからといっても、自然に広まってはくれない」

 エジゾンは、白熱球、電話、映画など多くの発明もしくは、劇的な改善をしました。同時に、GEというメーカーの創設者でもあります。

 どれほど良いものを作っても、それを製品化し、買って貰い、手元に届かなければ、エジソンの名が、これほど世に残ることはなかったでしょう。

 セブンドリーマーズの阪根は、アメリカで博士号を取っている通り、経営者であると同時に優秀な研究者でもあります。

 しかし、学生時代「俺はプロデューサータイプ」と言っていた通り、この部分の能力が突出している感じがします。

 建築においても、イノベーションによって、建物の形態は大きく変わりました。


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 先月訪れた、長崎の出島エリア。

 鎖国時代に、貿易が許された街です。

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 その地に建つ長崎港ターミナルは1995年、高松伸の設計です。

 技術革新がなければ、このような造形は実現できなかったはず。

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 こちらは、佐世保港近くの商店街。

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 一方で、古びた街並みに、安らぎを覚えるという事実もあります。

 建物一つに注目すればイノベーションですが、街という視点に立てば、リノベーションとも言えます。

 リノベーションとは既存のものの価値を上げることを意味します。このミクロの視野とマクロの視野があることが、建築を面白く、奥深くしするのです。

 先日、矢沢永吉がこんなことを言っていました。

  「僕達の仕事は地味な仕事。ステージで歌うという、同じことを何十回、何百回とやってきた」

 派手だけど地味な仕事。この感じ良く分かります。

 私達の仕事、建築設計は人生におけるお祭りのような仕事です。しかし、それを楽しみながらも、浮かれていたは良い仕事は出来ません。
 
 セブンドリーマーズの発展を刺激にしながらも、地道に、今手元にある図面と向き合う。それが私達の仕事です。

 ランドロイドは2016年の発売を発表しました。

 パブリックなコメントでは、女性と言うコメントはありませんでしたが、特に主婦のからは熱い期待が届くはず。

 女性の味方はいつも強いのです。

旅の終わり‐1203‐

 世界一短い定型詩と言われる俳句。

 俳聖と呼ばれた松雄芭蕉は、十七文字で、無限に広がる風景を描きました。

 1689年、江戸を発った芭蕉は、東北、北陸を5ヶ月にわたって旅します。その紀行文が「おくのほそ道」です。

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 今夏は、行程の一部をたどりました。

 旅を終えた芭蕉は「おくのほそ道」を上方へ広めようと、人生5度目の旅にでます。

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 そして南御堂前、花屋仁右衛門の裏座敷で客死。51歳の生涯を閉じるのです。

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 本町の交差点を少し南に下った所に石碑があります。

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 「旅に病んで夢は枯野をかけまわる」

 南御堂の一角には句碑もあります。これが人生最後の句となりました。

 平安時代の歌人、能因法師や西行を倣い、歌枕を訪ねて回ったのですが、芭蕉は人生を旅と考えたのです。

 昨日は、京セラの名誉会長、稲盛和夫さんの話を聞きに行っていました。

 「いにしへの 道を聞きても 唱へても
   わが行に せずば甲斐なし」

 島津藩に伝わる、いろは歌だと教えて貰いました。

 直接の教えを請えると聞き、盛和塾に入ったのが2007年。

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 年1回、横浜で開催されるこの勉強会には、世界各国から4500名の塾生が集りました。

 稲盛さんは現在83歳。ここ数年は、仏のような優しい姿しか見たことがありませんでした。しかし、昨日は違いました。

 「ここで勉強して3年にもなるのに、少しも経営が良くなっていないとするなら、何を勉強しているのかと言わざる得ません」

 常々、

 「一流企業に勤められるのはごく僅か。日本を元気にするには、あなた達のような中小、零細企業の経営者が頑張らなければなりません」

 「経営を良くするには、人格を高めるしかない。公正明大に利益を上げ、納税することで社会に貢献しなさい」

 「何より、従業員の物心両面の幸せを追求しなさい」

 そう教えて貰いました。一方、

 「人を雇用し、働く場を創出するだけでも尊い行為です」

 と激励してくれます。そんな話を聞くたびに、いつも心洗われるのです。

 人生を旅とするなら、必ず終わりがあります。

 まだまだ健康でおられると思いますが、塾長としての一区切りのメッセージだったのではと思っています。

 ボランティアで、経営の真髄を教えて上げているのだから、良くならないなら教え甲斐がないでしょう。

 稀代の名経営者ですが、勿論同じ人間です。