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伝統がない伝統、それがホンダ‐1233‐

 昨晩は、Ohanaのクライアントから声を掛けて貰い、京橋へ。

 忘年会でした。

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 その席で「日記、楽しみにしてるよ」と4人程に言って貰いました。

 何を書こうか悩むこともありますが、今年も残すところ2回。「あなたも良くなれ、私も良くなれ、みんなよくなれ」の精神で書いてみます。

 コンビニにトイレを借りようと入った際、『本田宗一郎「4つのルール」』という本が目につきました。

 自動車修理工場から身を起こし、一代で「ホンダ」を世界企業に育て上げた本田宗一郎。

 本田技研では秘書、その後は本田家の執事として。30年を共にした原田一男という方が著者です。

 本田宗一郎は1906年、明治39年生まれで、松下幸之助は1894年生まれ。1回り下の世代と言えます。

 成功は99%の失敗に支えられた1%だ

 どんなに機械が進歩しても、人間の上に君臨させてはいけない。

 この言葉だけで、その哲学を十分知ることが出来ますが、以下の話に一番惹かれました。

 ある農村の青年の集まりで講演をした時、村の青年から「アイデアはどんな時に生まれるのか」という質問がありました。

 本田宗一郎は「牛の角かどこについているか」と聞き返しました。

 頭についているのには違いないが、どこどこですと正確に言い表すことは難しく、農家育ちの青年たちも返答に困ってしまいました。

 「同じことを知人の画家に尋ねたことがある。画家は即座に『そりゃ耳の上だ』と答えた。このことは何を意味しているかと言えば、人間、ふだん自分に関係がないと思っているものに対して、正確な見方をしていない。(中略)自分には関係がないと思って見ていると、絶対にアイデアは生まれてこない。何事に対しても興味を持つことが、アイデアを生む第一歩である」

 京セラ、KDDIの創業者・稲盛和夫さんも、松下、ホンダを常に意識してきたはずです。その稲盛さんが好んで使う本田さんの逸話があります。

 会社を創業して間もない頃、ある経営セミナーで本田宗一郎の名が講師の中にありました。

 二泊三日、ある温泉旅館を借り切ってのもので、費用は数万。当日参加者は大広間で浴衣に着替えて待っていると、油の染みた作業服で本田さんは現れました。

 開口一番、こう一喝したそうです。

 「みなさんはいったいここに何をしに来たのか。経営の勉強をしたいらしいが、そんなことをする暇があったら、一刻も早く会社に帰って仕事をしなさい。温泉に入って、飲み食いしながら経営が学べるわけがない。それが証拠に、私は誰からも経営について教わっていない。そんな男でも会社が経営出来るのだから、やることは一つ。さっさと会社に戻って仕事に励みなさい。こんな高い参加料を払ってくるバカがどこにいる」

 この2つの話は、多くの部分が一致しています。人から簡単に貰える真理など無いのです。

 松下幸之助、本田宗一郎、稲盛和夫と、キラ星のごとく存在する一流の経営者。

 見聞きし、それなりに知っていることを、したり顔で話しているだけではないのか……この一年、ベストを尽くしたのか……

 浮かぶのはそんな自問ばかりです。しかし、反省に酔っていても進歩はありません。

 会社は個人のものでないという哲学から、世襲制を引いておらず、自らの姓を社名にしたことを悔いていたそうです。

 最後に。

  「よその会社のように、やれ50年とか30年の歴史と自慢するような伝統は持たせたくない。強いて伝統という言葉を使うならば、伝統がない伝統、「日に新た」という伝統を残したい。

 なぜ、今まで本田宗一郎を素通りしてきたのか。熱狂的なホンダファンが居る理由が分かりました。

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