カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

商店街

 日曜日は、初期相談のあった敷地の視察へ。

 大阪市内のある駅前商店街にあります。

 商店街自体は概ね公道です。

 行政が積極的に育てて行こうと考えているので、道にアーケードが掛けられるのです。

 普通なら、道路に何かを建築することは出来ません。

 あるというのは正確でなく、あることになる敷地なのです。

 駅の高架化にともない、近隣の区画整理が行われています。

 商店街は新たに生まれ変わるのですが、現在はアーケードを解体しながら、順次店舗が移転している真っ最中。

 大阪市内の駅前で、こんな光景が見れるのは、戦後すぐしかなかったのでは。

 区画整理事業の規模の大きさ、街を再構築する責任の重さについて考えていました。 

 どの店舗も、当然ながら自らの仕事の為の建てたもの。

 住居付が多く、愛着、歴史……言葉で表現しきれない程の思い出があるでしょう。

 事業対象外のエリアも含めて、辺りを歩いてきました。

 昔のショーケースには必ずあった、宙に浮いたフォーク。 

 仕事柄気になったのはガラス屋。

 どうやってこの商店街の中まで、大板ガラスを運んできたのか。

 駐輪問題はありますが、結構活気があるのです。
 
 商店街の低迷が取り上げられて久しいですが、例外はあります。
 
 当事務所のある平野区の隣は東住吉区。

 そこにある駒川商店街は、なかなか活気があります。

 私の母も結構な距離を自転車で買い物に出かけます。

 現在、JALの再生に挑む稲盛和夫さんはこう言っていました。

 よほどの事が無ければ、ぼろ儲けなどはあり得ない。

 どんな特殊な技術があっても、そこに時別な利益が出ていれば、多くの企業が参入してくる。

 少し長いスパンで考えれば当たり前の話。血のにじむような努力を繰り返し、無駄を無く、リーズナブルな利益をこつこつと積み重ねる以外、企業が永続的に反繁栄することはない。

 ニッチ産業、オンリーワン企業、他社にはない技術。これらとは反対の話です。ウチはあてはまらないという会社もあるでしょう。

 しかし、この言葉を真に受けてしまえば、結構気楽な気分で、精一杯仕事が出来るのです。何か秘訣があれば教えるが、秘訣が無いのが秘訣というメッセージにも聞こえます。

 商店街にプラスの影響を与える建物を。そう考えるとワクワクしますが、後は考える時間、手数に掛かっていると思います。

伊賀忍者と日本の景色

 昨日の日曜日、忍者の森なるところへ行ってきました。

 場所は三重県の名張市。赤目四十八滝の入口あたりです。

 

 西名阪で奈良を抜け、名阪国道の針か小倉インターで降りて南下。

 大阪市内からは1時間15分くらいでしょうか。

 針インターには大きな休憩所があり、せんとくんと記念撮影しておきました。

 

 忍者の修行体験コースは午前1回、午後1回で予約が必要です。小学生未満は忍者衣装付きで1350円。

 この日の午前は私達だけで、クノイチによるプライベートレッスンでした。

 

 この辺りは現在でも棚田が多く残り、裕福な土地ではありませんでした。

 戦国時代には小国が乱立し、農民は僅かな田を守る為、自衛するほかありませんでした。

 そのゲリラ戦術を磨くうちに忍者と呼ばれる衆が現れたのです。一つ山を隔てた甲賀も同じような図式です。
 
 16世紀後半、全国統一を目指す信長は、伊賀の忍者を大変嫌いました。

 そして1579年から始まる、天正伊賀の乱でこの地を徹底的に壊滅します。僅かに生き残った伊賀忍者は、旅芸人に扮したりして全国へ出て行き、大名に自分を売り込み、何とか職を得たのです。

 

 本能寺の変の後、堺に居た家康を服部半蔵が案内し伊賀の山を越えて三河の国へ逃がしたのは有名な話。
 
 これは、信長への遺恨があったからの事なのです。

 下の子は、赤いクノイチに気おされたか、ほぼ何も出来ず。修行コースが終わってから、もう一度順に回りました。

 昼から、四十八滝と天然記念物オオサンショウウオも見て来ました。

 このオオサンショウウオ。コミカルというか、はっきり言えば気持ち悪いというか……

 およそ3千万年この姿で行き続けています。
 
 そのバイタリティーと図太さがこの姿を形作ったのかもしれません。

 

 柳生、甲賀、伊賀。この辺りに来ていつも思います。

 棚田と里山が織り成す景色は、戦前とさほど変わっていないのではと。

 もしかすると、江戸時代ともそんなに変わっていないかもしれません。
 
 初めて訪れたのは何十年も前ですが、そのときから何か懐かしいと感じていました。

 この200年で世界は大きく変わりました。それ以前のずっと長い時間、日本の景色はおよそこのようなものだったと思います。

 自らの手で自衛せざる得なかったほどの寒村にその景色が残っているのだとしたら、それは至極当然の事だと思うのです。

タイのペルソナ

 実家の階段にはお面が置いてあります。

 これは私が買ってきたもの。
 
 約10年前のこの時期。私はバンコクに居ました。

 事務所を立ち上げて5年。仕事は増え始めたのですが、精神的には疲弊しきっていました。一旦全ての仕事を終え、帰りの予定の無い旅に初めて出たのです。

 はじめに着いたのがタイのバンコク。空港からバックパッカーの街、カオサンストリートへ直行します。宿代は当時のレートで、1泊が1ドルか2ドル。その頃も、円が強い時期でした。

 数週間ここに滞在し、それから近隣の国を放浪し始めます。沢木耕太郎の小説「深夜特急」のような旅をしたいと思っていたのです。

 気になる街へ行き、安宿を探す事を繰り返していました。ベトナムのホーチンミン市にやってきた時、丁度旧正月の時期でした。中華街ではそれを祝う花火が上がり、あちこちで爆竹が鳴っていました。それをゲストハウスの屋上から眺めていた時、やっぱり日本へ帰って建築設計がしたいと思ったのです。

 3月の終わりには日本に戻ろうと決め、再びバンコクに戻ります。その時に買ったのがこのお面。資金はほぼ使い切っていたので、勿論安物です。怖い顔の面は魔よけの意味。お多福のような面にどんな意味があるのか、説明を聞いても分かりませんでした。

 パーソンの語源はペルソナ。仮面というラテン語でだと言われます。

 人は色々な顔をもつもの。旅に出る前は、何とも暗い顔をしていたと思います。しかし、日本に戻ってから、落ち込むこと、暗い顔をする事を辞めました。私はその仮面を捨てたのです。

 今年も残すところ10日を切りました。大晦日には「今年も精一杯頑張った」と言えるよう、残された2011年を全力でいきます。

アメリカの旅⑤ <さよならニューヨーク編>

 前日の夜中から書いていた日記をようやく朝の5時にUP。

 7時にグランド・セントラル・ターミナル付近のレンタカーショップへ。友人に借りていたラップトップを返しに行く為です。

 概ねパッキンは済ませておきましたが、結局寝る時間はありませんでした。

 バックパックを背負って、北へ2km程でしょうか。

初日の初めに訪れた、エンパイヤー・ステート・ビル。あっと言う間の5日間でした。

 ミッドタウンにある、普通のショップ。

 微妙にかかっこいいのは何故でしょう。

 クライスラー・ビルのライトアップはとても上品。

 すぐ西にはグランド・セントラル・ターミナルです。

 最上部の彫刻は、まだ見えません。

 友人が車を返し、手続きを済ませた頃、ようやく日が当たり始めました。

 彼へラップトップを返し、これで一通りの用事は終わりました。

 駅の2ブロック西にあるブライアント・パーク。

 ここにはスケートリンクがあり、しかも無料なのです。それを見ながら朝食でも取ろうという事になりました。

 コーヒーとクロワッサンを食べながら、映画監督の友人と最後の最後まで、色々な話をしました。

 その後彼に礼を言い、マンハッタンからバスでジョン・F・ケネディ国際空港に向かったのです。

 現地時間、11月7日(月)1:30pmにニューヨークを発ちました。

 15時間かけて日本時間11月8日(火)の6:30pmに関西国際空港に帰ってきました。

 一つ目の感想は、思った程英語が通用しなかったな、という事。

 勉強もしていないので当たり前と言えば当たり前なのですが、もう少し話せるイメージでした。

 それを友人に言うと「英語の中で、一番嫌いなところから勉強すればいいよ。そこが、一番欠けてるところだから」と。

 なるほど。これはどんな場面にでも通用する名言です。

 旅の本質が、トラブルと自分との対話にあるなら、独りを最良とします。

 しかし今回のシカゴ行きにしろ、ペンシルバニヤ行きにしろ、現地で暮らす友人のサポートなしではありえませんでした。本当に有難いと思います。

 しかし、トラブルと孤独を求めた旅に、自分がもう出られなくなったこと
も改めて認識しました。

 何故なら、それらは多くの時間を要するからです。帰国した次の日に、予定があるようでは無理なのです。これが2つ目の感想です。

 それはとても寂しいのですが、それでもまた出掛けて行きたいと思います。

 独りで、初めて知らない街に降り立つ時。何とも言えない、昂揚感に包まれるからです。

アメリカの旅④ <ペンシルバニヤ・落水荘編>

 この日は、友人とフランク・ロイド・ライト設計の落水荘へ。

 落水荘(Fallingwater)は1936年の作品で、アメリカで一番有名な住宅と言ってよいでしょう。

 しかし場所はペンシルバニヤの片田舎。ニューヨークからは車で行くしかないようです。

 朝一番、グランド・セントラル・ターミナルの1ブロック北東へ。レンタカーショップで待ち合わせました。

 東には、ライト、ミースと並び近代建築の3大巨匠のひとり、ル・コルビュジエが設計に関わった国連本部ビルが見えます。

 車はホンダ。GPSも含めて134$でした。

 準備が終わると、ニューヨーカーはまずはコーヒーです。セルフで1$でした。

 マンハッタンを出てひたすら西へ向かいます。

 まずはルート78、続いてルート81、ルート76……最後は州道381。ひたすら西へ西へ。

 驚いたのが、はねられたシカの多い事。シカも災難ですが、かなりの大きさなので、こちらが安全である保障はありません。

 12:00pmを過ぎ、昼食にダイナーへ。

 日本で言うファミリーレストランのようなものと言っていました。ステーキが15$くらい。日本と同じ様な値段でしょうか。

 ようやく州道にはいり、ぐっと田舎の風景になってきました。

 この時点ですでに3:30pm。予約してあったツアーは3:00pm。最終のツアーは4:00pm。それでもニューヨーカーは焦りません。

 ようやく着いてたのが4:20pm。ゲートに居るおじさんと交渉すると、外観ならOKだろうと。

 折角来たので、門前払いは辛いので、まずは第一関門突破です。

 ここは完全に森の中。アプローチがまた長い。

 焦る気持ちの中、ついに見えてきました。

 日は落ちつつありましたが、ダイナミックなロケーションの中、その住宅は大きく川へ張り出していました。全く期待に違わない迫力でした。

 下にあるのが母屋、上にはゲストハウスがあります。

 丁度外観写真の左側にあるのですが、母屋の裏を通って行きます。この建物が、自然の岩を基礎としているのが良くわかるのです。

 後で何とか入れて貰うことが出来るのですが、召使いの部屋はこの岩の反対側にあります。

 これがなかなかに素晴らしい空間でした。

 ゲストハウスには、最後らしいガイドツアーの一行がいました。

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 大げさに「彼は日本の建築家で、これを見るために日本からやって来た」とか言って友人が交渉してくれるのです。

 何とも、むずむずとした居心地の悪さもありましたが、交渉成功。一緒にゲストハウスの内部に入る事が出来たのです。

 ここも内部撮影は禁止。8:30amにツアーに申し込んでおけば大丈夫なのですが、これは物理的に無理でした。

 石積みのディティール。

 ゲストハウスと母屋を繋ぐ通路の屋根。

 まるで折り紙のように、限りなく繊細です。

 外部照明もライトにより設計されたもの。

 友人がツアーガイドに、出来れば母屋の中も見せてくれないかと更に交渉。

 自分の権限では、改築したキッチンだけで精一杯だと。キッチンに入れて貰うと隣はもうリビングとダイニング。

 結局、リビング・ダイニングにも通して貰い、ほぼ全てを見せてくれたのです。

 最後は個人ガイドのように案内してくれ、とっても気のいいお兄さんでした。

 優しい照明。

 柔らかにつながる内部と外部。

 この家の為に、完全にデザインされた家具。

 面積は大きいのですが、豪邸と言った趣でなく、スケール感がコンパクトで、とても優しいのです。

 何度も補修されたという、大きく張り出したテラスは、流石の迫力でした。

 中央には川へ降りる階段が貫かれており、夏は足を浸しそうです。

 この水平線の強い住宅は、美しく夕焼けに映し出されていました。

 また来る日があるのかないのか。それは分かりませんが、2度3度と振り返りつつここを後にしたのです。

 考えてみれが行きは8時間掛かりました。500km程との予想でしたが、どうも600kmはあったようです。

 帰路は道も分かっているので、6時頃に出て夜中の1時頃着きました。

 友人も帰りは眠そうだったので、私もアメリカでの初ドライブ。国際際免許も取得して行きました。

 マンハッタンに帰り食事をとなったのですが、なかなか開いている店がなく。

 リトルイタリーのはずれの店で遅い夜食。

 パリーニとかいう、生ハムの入ったイタリア風サンドウィッチがとても美味しかったのです。

 この後、友人にラップトップを借りて日本時間11月7日(月)の日記をUPしたのですが、慣れないMacに手こずってしまい、短い文章を書くのに3時間もかかってしまいました。

 翌朝、返却に行くレンタカーショップで落ち合い、ラップトップを返す約束をし、その日は別れたのです。

アメリカの旅③ <シカゴ・ファンズワース邸編>

 前日の11月4日(金)は、遅くまで友人と飲んでいて、宿に帰ったのが明け方5:00am。

 この日はシカゴ行きの予定で、マンハッタンの西にあるニューアーク空港を7:55amに発つ予定。

 朝が早いので、友人が個人タクシーを予約してくれました。

 6:00amにタクシーが迎えに来た時は寝ていました。下で待って貰い、急いで身支度をして出発。

 何とかフライトに間に合いました。

 気を失うように寝て、アナウンスで起きるともうシカゴの上空。

 すぐにシカゴの超高層ビル群が見えてきました。

 シカゴのミッドウェイ空港には、定刻の9:30amに到着。予約してあったタクシー会社へ電話しました。

 ここから余談が長いのですがひと悶着。

 プリペイドの携帯電話を借りて持って行きました。それがなかなか繋がらず、ようや運転手と会えたのが10:00am。

 目的地はミース・ファン・デル・ローエ設計のファンズワース邸。相当に辺鄙な所にあるようで、先に全条件を伝え、所要時間1時間半で50$で交渉して貰っていました。

 しかしいざ乗ると、行先を聞いていないとか、住所を言えだとか。住所を伝えると、GPSに入れても表示が出ない、だからナビゲートしろだとか。まあ文句しか言わないのです。

 こちらも頭に来ていましたが、地図を渡し、ここに行ってくれと放っておいてのです。

 そんなに複雑でない道程ですが、地図をくるくる回しながら見て、全く分からないと嘆いているのです。無視していると、近くに来ていると判断すると(それも間違っているのですが)、曲がれそうな角を1つずつ曲り始めました。

 これでは着かないと思い、ひたすらに嘆く彼を励まし「ここは地図でココ。次の次を曲がって……」などという始末。

 もう最後の道に入っており、徐々に住所表示も近づいているのですが、シットだのファ○クだのと喚いているのです。

 適当な英語で、問題ない、真っ直ぐ行ってくれと更に励ましていると、ようやく到着しました。すると笑顔で、「グッド トリップ マイフレンド!」と。

 ふざけるな、と言いかけましたが、まあこれが旅の醍醐味です。何故か料金は79$でした。

 長いアプローチを歩いて行きます。

 本当に先にあるのかと思う程。

 ファーストコンタクトは東の側面でした。

 軽やかに持ち上げられた、小さな白とガラスの家が見えてきました。

 ミース・ファン・デル・ローエ設計、ファンズワース邸。1950年の作品です。

 webサイトにもあったのですが、ファンズワース邸は現在改修中。

 真正面に黒いビニールに覆われた工事部分。

 向かって左に伸びたトラバーチンのテラスには工事用の赤いコーン。写真的に、ここは切っておきます。

 ファンズワース邸はミースのアメリカにおける、最初で最後の独立住宅でした。

 建物を外部から支える8本のH鋼で、全てが持ち上げられ、限りなく自由なプランになっています。

 テラスも同様に待ちあげられています。

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その他で地面に接しているのは配管スペースのみ。

 快晴の林の中で、まずはディティールをつぶさに見て回ります。

 内部に入り、ガイドをしてくれるツアーでしたが、内部撮影は禁止。

 撮って良いツアーもありますが、今回は時間が合いませんでした。

 正面は南向きで、北側にはキッチンがあります。

 キッチンも至ってシンプル。

 しかし、工事としては大変な精度が要求され、費用は膨大なものになりました。

 クライアントとミースとの間では裁判になった程なのです。

 目の前は湖。

 内部からは開口部によって切り取られた景色が、我が物になるのです。心地よい余韻を残しながら、帰りのタクシーに乗りました。

 行きとは反対に、とってもフレンドリーな運転手はマイク。

 少し時間があったので、シカゴ市内にある、同じくミース設計の集合住宅、レイク・ショア・ドライブ・アパートントへ寄って欲しい、チップは出すと言ったのですが、遠いからと難色を示しました。

 滅多に来ることがないので、食い下がったのですが、私の英語力ではそこまで。ちょっと残念でした。

 6:30pm頃シカゴを発ち、9:30pm頃マンハッタンの西、ラ・ガーディア空港着。

 ニューヨークとシカゴには1時間の時差があり、しかもこの日を境に夏時間から冬時間へ移行したようです。

 何が何だかわからず、何時間掛かったのかもよくわかりません。

 まあ無事に戻れればそれでいいかと。バスに乗り宿に戻ったのが11:00pm頃でした。

 明日はレンタカーでペンシルバニヤまで車で500kmの旅。急いでベットに入ったのです。

アメリカの旅② <タイムズ・スクエア、グッゲンハイム美術館編>

この日も快晴でした。

2日目は、唯一1日中ニューヨークにいる日。朝から気合を入れてゲストハウスを出ました。

チェルシーというエリアを出て4ブロック北に上がり34th Stへ。

ここを東に歩くとエンパイヤー・ステート・ビルが見えて来ます。

キングコングに愛されたビルは、1931年完成で高さ381m。

クライスラー・ビルを抜いて、ワールド・トレード・センターに抜かれるまで、40年の間、世界で最も高いビルだったのです。

ニューヨーク・シティーパスは79$で、多くの美術館、観光地のチケットが綴られています。

86階から、北東方向にあるクライスラー・ビルを見ます。

南の摩天楼群までは5kmほど。

最も高いのが建設中のフリーダムタワー。以前のWTCの410mを超え、541mになる予定です。

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2ブロック南東へ移動するとモーガン・ライブラリー・ミュージアム。2006年。イタリア人建築家、レンゾ・ピアノの設計です。

こちらは時間の都合で、外観を見ただけ。

北へ7ブロックほど移動します。

クライスラー・ビルは42th St沿いに建っています。

42nd Stとパーク・アベニューの交点にグランド・セントラル・ターミナルがあり、クライスラー・ビルはそのすぐ東。ここがマンハッタンの中心と言って良いようです。

中心街を歩いていると、常にクライスラー・ビルの尖塔部が見えるので、迷う事はありません。まさにランドマークと言えます。

1930年に完成したこのビルは、ニューヨーク・アール・デコの最高峰で、頭部のアールと三角窓を組み合わせた部分は、ステンレスで作られています。

42nd Stを西に6ブロック程行くと、タイムズ・スクエア。

馬に乗った警官が、旅情を盛り上げてくれます。

「世界の交差点」とはよく言ったもの。

最高のキャッチフレーズです。

ただ、規模は思いのほか小さく、渋谷109をワンサイズ小さくした感といえば、ちょっと怒られるでしょうか。

本日のメインと考えているのが、シーグラム。今度は地下鉄で北に移動します。

ミッドタウン・イーストというエリアの5番街と53rd Stでおりて、まずはセント・パトリック教会へ。

ドイツのケルン大聖堂を模した、美しいゴシック建築で1888年の完成。


そしていよいよシーグラム・ビルへ。

ミース・ファン・デル・ローエのニューヨークにおける唯一の作品で、内装はフィリップ・ジョンソンが担当。1958年の完成です。

今回のニューヨーク行を決めたとき、初めに浮かんだのがこの建築でした。

I型のマリオンと言われる、外壁を構成する部材はブロンズ製。ガラスも特注のブロンズ色。

写真で見ると、もしかするとその差異は伝わらないかもしれませんが、私にとっては最も感激した瞬間でした。「愛しの人にやっと会えた」という感じなのです。

“ Less is more ”の美学を持つミースは、装飾的なものを一切排除し、金属やガラス、コンクリートといった無機質な素材で、限りなくストイックで、しかし自由な空間の創造を目指していました。

その一つの到達点と言える、記念碑的な建築なのです。

中に入ろうとすると、エントランスホールに居たセキュリティーに止められました。

旅行者が簡単に入れる訳もありませんが、僅かに内部空間を体感できたことに、単純喜びを感じていました。

交差点の対角に建つのが、レバー・ハウス。SOM(スキッドモア、オーウィングス&メリル)の1952年の作品です。

ブルーグリーンのガラスに覆われたこのビルは、まるで宝石のようです。

 高層棟の下に低層棟がロの
字方にめぐらされており、中庭があります。

ハイ&ローの美しさです。例えば、大阪駅前の第1ビルから第4ビルがこの建物のコピーだったことが分かります。

非難からは何も生まれないが、オリジナリティーというのはこういったものを指すというのが良くわかるのです。

昼を過ぎたので、シーグラムの前にある屋台で、ハンバーガーを買い、前庭で食べました。

このお姉さんがとっても陽気な人で、待ってる間にやたらと話しかけてきます。なので「写真をとってもよいか」と聞くと、もちろんと。

「でもお化粧するから待ってネ(多分)」みたいなことを言ってふざけていました。

ベーコン・レタス・バーガーとミネラルウォーターで5$くらい。美味しかったです。

 まだまだ移動です。

ミッドタウンエリアから、アッパー・イースト・サイドまで北へ向かって4km程地下鉄で移動。

グッゲンハイム美術館へ着きました。1959年フランク・ロイド・ライトの設計。彼の遺作でもあります。

スパイラル状のフロアはプランがそのまま形態となっているとても有機的でシンボリックな建築です。

ここから3つ美術館を回りますが、本来ならどれも半日、もしくは1日は掛けて観たいようなところばかり。

今回は街と建築を見るのが主の目的ですが、気になっている主要な作品だけは見て回りました。

グッゲンハイムでは、モディリアーニとカンディンスキーが充実していました。ミロ、シャガール、ピカソも揃っています。モンドリアンも見逃せないところ。

アメリカではどこでもそうなのか、撮影禁止は一切無視して皆写真を撮っていました。

後ろ髪を引かれる思いで、今度はセントラル・パークを横断します。

ニューヨーカーの憩いの場所セントラル・パーク。

先週は雪が降るほど寒かったそうですが、私の滞在中は意外に温かかったです。

アメリカは華氏48度のような表現なので、実際に何度あったかはよくわかりせんが。

 中央には大きな池。

これは自然のものなのか、人口のものなのか。ジャクリーン・ケネディ・オナシスがこの周りを良く走っていたという事で、その名前がついています。

海沿いでは釣りをする人もいましたが、ここでは見かけませんでした。

セントラル・パークを横断した理由は、ハーレムへ行く地下鉄に乗るため。

ハーレムは黒人が多く住む街です。前市長のジュリアーノは強硬な姿勢で、ニューヨークの治安改善に努めました。

その手法には賛否があったものの、治安が良くなったのは事実です。実際に、ハーレムの目貫通り、125th Stにある、ブラックミュージックの殿堂アポロシアターあたりは、全く平穏な感じでした。

廃墟も僅かに残るだけ。


ハーレムには、大小の教会が多くあります。

このようなところで歌われるゴズベルは、ソウルミュージックに大きな影響を与えています。

少し散策し、東へ移動します。

125th Stと5th Aveの交差点より東の地区はスパニッシュ・ハーレムと呼ばれます。

メキシコ、ドミニカなど中南米の人が多く住むようです。

一本裏通りまで歩いてみましたが、少し廃墟が増えて来たので、ここで引き返しました。

どれ程の治安状態か分かりませんが、貧しいということはより原始的な生活が営まれていることになります。

そこに暮らす人の目は、ギラギラしているか、無気力になっているか、概ね2つに分かれます。

そのにはむき出しの生があります。友人のアドバイス通り、危険かどうかは自分で感じれる、は本来人には備わっている感覚だと思うのです。

自分の歩いた場所がどんなところだったのか分かりませんが、本来私は、とても慎重な人間なので、おそらく全く問題のないエリアだったと思いますが。

夕暮れが迫るなか、アッパー・イースト・サイドに戻り、メガ美術館、メトロポリタンへ。

ここも残念ながら、絞った作品のみ。フェルメール、レンブラント、ラ・トゥールといった光りと影を描く作家と、ドガ、ロートレック、ピカソ、ゴッホまで。

ここをしっかりみようと思えば、1日半は欲しいところです。

ニューヨーカーはMET(メット)と呼んでいるようです。メットを後に南へ下ると、ホイットニー美術館。

ここは残念ながら外観を見るだけ。設計はバウハウス出身のマルセル・ブロイヤーの設計。1966年の作品です。

ブロイヤーは家具のデザインでも知られ、ワシリーチェアは傑作と言って良いでしょう。

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ほぼ日の暮れた6時頃、ようやく最終目的地、ニューヨーク近代美術館へつきました。別名MoMA。

設計は谷口吉生。2004年の作品です。谷口は日本における美術館でもその力量をいかんなく発揮しています。

丸亀市現代美術館、豊田市美術館は傑作と言え、その先にあるのがこのMoMAです。

中央に設けられた吹抜けには自然光が注ぐはずなのですが、夜になってしまいそれは体験できず。

ウォーホール、リキテンシュタイイン、ジョーンズ、ピカソ、マティスそしてゴッホ。もう十分に堪能したのです。

その後この日ニューヨークに到着した、友人と合流。朝方まで飲むことになるのです。

翌日はもう大変で……

アメリカの旅① <マンハッタン・下町編>

 一昨日まで出掛けていたアメリカ旅行。ちょっと変則になりますが、今日から5日連続でUPしたいと思います。

 11月3日(祝・木)に1:30pmに関空を発ち、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港まではおよそ13時間。

 日本との時差は、夏時間で-13時間。NY時間の1:00pm頃、初めてのマンハッタンを見下ろします。

 初めて見る印象は、そんなに大きくないな、という感じ。初めに全体像が見れるのは、とても助かります。

 左が北で、セントラルパークが見えます。摩天楼はそのすぐ南のミッドタウンとワールド・トレードセンターのあった南端部、ロウアー・マンハッタンの2ヵ所に集中しているのが良くわかります。


 島の南を飛ぶので、ぽっかりと空いたグランドゼロも見てとれます。


 海外へ出るのは9年振り。

 空港に着くとまずは入国審査です。あの感じを好きな人はいないと思いますが、何とも落ち着かない時間です。

 2、3の質問ですんなりとパス。

 公衆電話からまずはゲストハウスへ確認の電話。バスで行くつもりでしたが、宿の近くにあるペンシルバニヤ・ステーション(通称ペンステーション)行きはないとのこと。

 よって公共の交通機関、エアトレインとロングアイランド・レールロードを乗り継いで行く事に。後で調べると、はやりバスはあったのですが。

 エアトレインに乗っていると、いきなり横を通過しました。

 1962年ジョン・F・ケネディ国際空港、TWAターミナルはエーロ・サーリネンの設計です。

 エアトレイン、ロングアイランド・レールロードはそれぞれ5$と6.25$で1時間弱でペンステーションにつきました。

 ここから私の宿までは歩いて5分程。現地スタッフが来てくれて、チェックインを済ませました。

 公衆電話を探し、ニューヨークに住む友人に電話すると、ウエスト4thという駅の上で待ち合わせる事に。

 緊張感を持ちながら、悪名高かった地下鉄へ。乗ってしまえば、東京の地下鉄よりは単純な路線で、すぐに目的地に着いたのです。

 そこで落ち合い、ノリータというエリアを案内してくれました。

 比較的新しいショップが立ち並ぶ、おしゃれな街でそのまま南へ歩き、今度はチャイナタウンへ。
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 しかし、中国人のバイタリティーには恐れ入るしかありません。

 どんな国へ行っても、と言っても良いくらいチャイナタウンはあり、しかも活気があるのですから。

 このエリアから更に南に歩くと、ロウアー・マンハッタン。

 ユナイテッド・ステイツ・コートハウス、連邦裁判所がその入口あたりでしょうか。グランドゼロまで歩き、反ウォール・街運動をしているズコッティー・パークへも行ってきました。

 最南端のバッテーリー・パークまで行くとすっかり日が落ちていました。海にうかぶ自由の女神を見て散歩は終わり。

 今度は私の希望で、友人宅を見せて貰いました。

 一般的なアパートメントがどのようなものか、見て見たかったのです。

 現在暮らすのは、パートナーとネコ3匹。

 バスルームはとても良い感じに、ライトアップされています。

 リビングにソファーベッド、中央に玄関とつながるキッチンとダイニング、もう一部屋が書斎。40㎡前後といったところでしょうか。

 決して広くはありませんが、シンプルなライフスタイルがとても良いなと思うのです。

 家賃は1,200$くらい。10年程住んでいるのでこの金額で、現在の相場なら1,600$くらいかなと言っていました。

 この日は、近くのブラジル

 料理の店で、もう一人の友人も来てくれ、一緒に食事をしました。

 12時くらいまで飲んでいたでしょうか。

 NYは南北の通りを7th Ave(アベニュー)、東西の通りを31st St(ストリート)のように表現するので、とても分かり易いのです。

 街中では、ひっきりなしに

 クラクションが鳴っています。

 歩行者も信号を守らないのでこれは必然。関西の人が最もせっかちだと思っていましたが、世界一せわしないニューヨーカーは信号を守らないのです。

 この日は歩いて宿まで帰りました。初日の印象は「映画で見たまま」と「意外と安全」でした。

マンハッタンで暮らすということ

 こちらの時間で、現在は朝の4時。先ほどニューヨークの宿に戻りました。

 11月3日(木)に到着。翌日の4日(金)の2日は、とにかくマンハッタンを回りました。
 
  美術館は、グッゲンハイム、メトロポリタン、ホイットニー、MoMA。現近代建築は、エンパイヤーステートビル、クライスラービル、ニューヨーク市立図書館、シーグラム、レバーハウス、国連ビル。街はチャイナタウン、リトルイタリー、ハーレム、スパニッシュハーレム。

 5日(土)は朝から飛行機に乗ってシカゴへ。そこからタクシーで1時間半の田舎町にある、ミース・ファン・デル・ローエ設計のファンズワース邸へ。完全に一日仕事でした。

 そして今日6日(日)は、早朝からこちらに住む友人と、ペンシルバニアのの落水荘へ。設計者のフランク ロイド ライトは、ミースと同じく、近代建築の3大巨匠の一人です。

 こちらもかなりの田舎にあり、レンタカーをしてもらい、友人と一緒に行ったのですが、これが片道7時間強。それで先ほど帰って来たところです。

 友人の住むアパートメントのすぐ近く、リトルイタリーで、遅い夕食を取りやっと一段落しました。

 まだ旅は終わっていませんが、ニューヨークを中心に行ける可能性のあるところを、考えうるところ全て見て回ったつもりです。

 旅に効率などナンセンスですが、次の機会があるかどうかわからないという気持ちもあり、悔いのないプランにしようと思っていました。

 現在、学生時代からの友人2人がこの街に住んでいます。かれらのサポートなくしては、急に決めたこの計画を実現することは無理だったと思います。

 2人には同じ質問をしました。この街にやりたいことが有ったから来たのか、この街で暮らしたいから来たのか、と。
 
  答えはyesでありnoであり、という同じような答えでした。時差13時間。言えば地球の反対側で暮らす彼らに逞しさと、尊敬の念を抱きます。その上で、失礼を承知で聞いてみたかったのです。

 わずかな滞在期間でしたが、もちろんその一端を感じることが出来た気はします。

 もうすぐ夜明け。最終日も出来る限り色々なものを見て、感じたいと思います。

ニューヨーク

 今日の1:00pm発の便でニューヨークへ行ってきます。

 作家、開口健は「パリはいくつになってからでも良いが、N.Y.は若いうちに行ったほうがいい。そうしなかった事に後悔がある」と書いていまいた。

 あのエネルギーと混沌は若いうちに見る方が良いと。

 決して若くはありませんが、私の人生の中では今日が一番若い日。思い立ったが吉日、です。

 友人に「遊びにくれば」言われたのが12年程前。時間が出来た訳ではないのですが、先月もう1人のN.Yで働く友人が、帰国したのが直接の動機です。

 海外で仕事をしたいという夢があります。それがN.Y.なのか、ミラノなのか分かりませんが、はやり体感するのが一番のはず。5日間ですが、街、人を体感したいと思います。

 次回11月7日(月)の日記は現地から。携帯とPCは持っていかないので、さてどうやってUPしようかと。